勘違い聖女譚 1
「とりあえず、帰ろうか」
そう言うやいなや、アース様は、私のことをお姫様みたいに抱き上げた。
まあ私は、お姫様と言うには、あまりにボロボロで汚れているけれど。
「帰るってどうやってですか?」
「本当の聖女と、現王位継承1位の俺を謂われなく閉じ込めたんだ。正面から帰るに決まっている」
確かに、どういう理由でアース様をここに留めていたのかはわからないけれど、公爵様で両陛下に御子が生まれていない現状、正当な王位継承権保持者を閉じ込めているのだ。でも。
「本当の聖女?」
聞き逃してはいけない単語を聞いた。
だって、この場所には私とアース様と、白い子犬しかいない。
それなら、本当の聖女は、いったいどこに。
「……悪いが、少なくとも王妃ローザリアは聖女ではない」
え? 義妹が聖女ではない?
「ああ。その証拠として、ここ数年間聖獣の加護が、王都から消えていた」
「え、まさか」
聖女が不在、そういうことなのだろうか。
たしかに歴史上、聖女がいない時代はあった。
その間、王都は荒野と化したという。
「俺の聖女」
「ふぇっ?」
「どこから情報を得たのか、俺の姿が魔獣の呪いで変わってしまったと触れ回った奴らに、見せつけてやろう?」
「な、何をでしょうか」
にっこりと微笑んだアース様。
おそらく、お姫様抱っこされながら、この顔をまっすぐに向けられて恋に落ちずにいられる女の子なんて、本当の少数派に違いない。
もちろん、私も心臓が口から飛び出しそうになるのを押さえ込むのに必死になってしまったわけで……。
「現国王夫妻の圧政と重税、そして度重なっていた魔獣の王都襲来で民は苦しんでいる」
胸がずきんと痛む。
私が、本当の聖女だったなら、何かが違ったのだろうか。
「そこに現れるのが、次期王位継承者と本物の聖女だ」
「なるほど、王国の民が喜びそうなお話ですね」
「そうだな。その話の当事者が、俺たちだ」
「ほぇっ!!」
奇声を上げた私に、もう一度アース様が微笑みをむける。
なるほど、すでに退路は断たれたようだ。
アース様は、たとえ嘘であろうと、聖女のいない時代、民を守ろうとしているに違いない。
ーーーーそれなら私の役割は。
「アース様! 全力で聖女を演じます!」
「ん? 演じる? はっきりと、真実だけを伝えたはずなのだが?」
「王国の民と、アース様のためならば、聖女になりきった悪女になってみせます!」
「……まあ、結果は同じか」
抱き上げられたまま、私たちは正面から外に出た。東の離宮の端、罪を犯した王族を幽閉する塔にアース様はいたらしい。
その姿は、なぜかまだ、人の姿のままだ。
ほんの少しだけ、もふもふを懐かしく思う。
もちろん、警備の騎士様達が、私たちを通すまいと入り口に勢ぞろいしている。
「ルーシア嬢、悪いが祝福を空に向かって使ってくれないか?」
「え? 偽の祝福ですよ? 何も起こりませんけれど……」
「お願いだ」
そう言われてしまえば、断る理由は特にない。
ありったけの魔力で聖女の祈りを空に届ける。
「美しいな。まるで星が創り出した大河を渡っているようだ」
「え? それはいったい」
私には、何も見えないのに、騎士様達がなぜか口を大きく開けて空を眺めている。
空に手を伸ばしている人までいる。
ーーーーいったい何が? アース様が何かしたのかな?
不思議なことに、私たちをまるで歓迎でもしているように左右に割れた騎士様達。
その中を私を抱き上げたままのアース様は、王様みたいに悠然と通り抜けていった。