聞いていただけませんか? 4
再びなぜか沈黙の時間が訪れた。
私の一番の秘密は、もうすでにアース様は知っていたのに……。
「あの…………?」
「――――ルーシア。他にはないのか?」
なぜか、とても言いにくそうに視線を逸らしたアース様。
でも、私が偽物聖女だったということ以上に、アース様にご迷惑を駆けそうな内容が思い浮かばなくて、私は黙ったままアース様を見つめる。
相変わらず、美しく光り輝く毛並みがもふもふして、本当に素晴らしいわ。
「あの……。たぶん、アース様にご迷惑をかけるとすれば、そのことだと思うのですが」
その言葉を告げると、逸らしていたアイスブルーの瞳が、なぜか熱を持ったように私を見つめる。
その瞳の中に、私の空色の瞳が、溶けるように映り込んでいる。
アース様は、今度は真っすぐに私のことを見つめたまま、なぜかためらうように、次の言葉を告げた。
「…………聖女は、必ず王位継承者の妻となる。つまり、ルーシアは」
そういえば、そんな出来事もあったわ……。
『偽物聖女の上に、ここにいる真の聖女ローゼリアを貶めようとした。婚約は破棄だ!』
「…………あ。聖女様をいじめたという噂ですか?! 待ってください! 私は義妹、いいえローゼリア殿下のことは」
しまったわ! たしかに、王妃殿下であるローゼリア様をいじめていた人間が、おそばにいるなんて周囲に知れ渡ってしまったら、アース様のお立場が……。
どうしてそんな簡単なことに、気がつかなかったのかしら。
けれど、アース様がつづけた言葉は、私の予想に反していた。
「それは……。そうだろうな? ルーシアを見ていれば、そんなことしないとすぐにわかる」
「え? ありがとうございます…………」
誰にも信じてもらえなかった。一方的に責められるだけで。それなのに、まだ出会って数日しか経っていないアース様は、なぜか信じてくれるという。
どうしてなのだろう。意外と傷ついていたことに、今更気がついたように、乾いていた心の隙間が甘い水でシュワシュワと潤っていくみたい。
「あの……。王太子殿下とはですね。実は二回しかお会いしたことがないのです」
「は? 婚約者だろう?」
「う~ん。王太子シュタイン様は、神殿が御嫌いだったようで、ご自分から訪れることは全くなかったのです。聖女のお仕事は、ほとんどずっと聖獣様に祈りを捧げている日々でして……。ほとんど私の方も、神殿から出ることがなかったのですよ。だから、聖女に選ばれて聖女と王位継承者が婚約をするという慣例から婚約を結んだ日と、婚約破棄された日しか会っていないのです」
黙ってしまったアース様。
「むしろ、神殿に閉じこもっていた私よりも、義妹と会う機会の方が多かったようで……」
たしかに、愛のない結婚だった両親と比べてみても、おかしな話なのかもしれないわ。
でも、顔もはっきり思い出せない王太子殿下を婚約者だと言われたって、全然実感がわかない。
「そうか……。もしかすると、ルーシアは、王太子殿下に心残りでもあるのかと」
「う~ん。一目で恋に落ちるというのを否定……できませんが」
そう、確かにその人に出会った瞬間、なぜかとても懐かしいような、幸せでポアポア胸が温かくなるような、そのモフモフに触れたくなるような。そういうのを…………。
「わかった。余計なことまで聞いたかもしれないな。済まない。――――ところで、俺の方もどうしても話さねばならない事があるのだが」
はっ! 今、私は何を考えていたのかしら。
どう考えても、伯爵家からも追い出されてしまった下働きの私が、考えるようなことではないのに。
だから、代わりに私は精いっぱいの笑顔を作って、アース様に向けた。
「はい。何なりと仰ってください」
「…………」
「あの…………?」
よほど伝えにくいことなのかしら?
もしかして、やっぱり辺境に帰ってほしいとか?
「今夜は、この部屋で一緒に寝て欲しい」
「はぁ…………。へ?」
あれ? アース様は、どうして急にそんなことを?
私なんかが部屋にいて、なにもいいことなんてないのに。
あ、それとも何か大切な用事でもあるのかしら?
「…………明日は、確実に長時間人間の姿でいる必要がある。今夜一晩、手をつないでいてくれないか?」
ああ…………。そういう。
変な想像を少しだけしてしまった。そんなわけがないわよね。
はぁ。びっくりしたわ。むしろ、明日はアース様が凱旋されるのよ。
どうして、そんな簡単なことに気がつかなかったのかしら。
「えっと。ご命令であれば、もちろん否はありません。私などでよろしければ、お力になりたいと思います」
その言葉を伝えたとたん、アース様は眉根を寄せてしばらく思案しているように、床を眺めていた。
狼になっても、長いまつ毛は白銀で変わらないのだなぁ……。そんな的外れな感想を抱きながら、私はただ、アース様の返答を待っていた。
「――――いや。これは命令ではない。ただのお願いだ」
「え? それはどういう……」
「嫌がるルーシアに無理強いしたくはない。それ以上に、選んで俺のそばにいて欲しい」
それはどういう意味なのですか…………。
誰にでもそんなこと言うのでしょうか? きっと、たくさんの女性が、勘違いしていそうです。
「アース様…………。私は、ただの下働きです。でも、少なくともおそばにいること、嫌ではないですよ?」
むしろ、一緒にいられることに、心臓が苦しいほど音を立てている。
近くで眠ってしまったら、この音が聞こえてしまうのではないかと、心配になってしまうくらい。
「そうか。すまない」
それだけ言うと、アース様はソファーを引っ張ってきて、ベッドに横づけした。
そして、ゴロリとその上に横になる。
「えっ、どうしてそちらに横になるんですか!」
「ん? 当たり前だ。同じ部屋に寝るのに、まさか淑女をソファーに眠らせるわけにもいくまい」
「え? 何を言っているんです。貴族様と下働きですよ。私のほうがそちらに寝るのが当たり前に決まっているではないですか」
「そうか……。それなら否は聞かない。ベッドを使うように。これは命令だ」
…………命令だと告げられてしまえば、それ以上異議申し立てをすることは出来ない。
私は、諦めてベッドの端に横になって、ソファーから差し伸べられた、もふもふ柔らかい手を取った。
…………温かい。それに、やっぱりとても素敵な香りがするの。
目をつむる。今日は、頑張って馬車の中で眠らずにいたせいか、私はすぐに眠りの渦に引き込まれていく。
「本当に、無防備だな…………」
そんな声が、繋がれた手の先、ほんの少し下のほうから聞こえてくる。
でも、たぶんアース様は、私に危害を加えたりなんてしないと思う。
だから、平気です……。
「――――守るよ」
その言葉が、半分眠りに吸い込まれていく私の耳元に優しく響いた、
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