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番狂わせ

作者: 田村俊輔

 脱がれた衣類や大きめのバッグで雑然とした狭くるしいジムの更衣室で、滴るほどに汗を吸ったトレーニングウェアを脱いでいると、更衣室に入ってきたコーチの芳賀に声をかけられた。

 「まぁ、あれだ。相手はここまでの3試合全部1ラウンドのKOで勢いがある。打撃に付き合わないでコカしたらポジション取って、塩漬けにしてコツコツパウンド当ててれば。まぁ何とかなる」

 「それって勝つ為の作戦ですよね?」

哲人がやや懐疑的に訊ねると、芳賀は「負けない為の作戦だよ」と呆れたように返答した。

「今度の相手18ですよね。俺15年格闘技やってるんですけど」

「だから、残酷だよな。次の結果によっちゃ」芳賀はやや言い淀んでから「趣味でやる格闘技もありだろ」と言い、哲人の肩を叩き更衣室から出て行った。残酷なのは才能溢れる若者と対戦することでは無い。自分の才能の限界を他者に決められることだ。

 哲人は首のヨレたティーシャツに着替えると、時計に目をやり慌ててジムを出た。コンビニのバイトの時間が迫っていた。


 時間ギリギリにバックヤードに入り、慌てて制服に袖を通して、ボタンを閉めながら店舗に入ると、レジで曽根がイラついた顔をしていた。

 「佐竹さんさ、5分前行動とか教わったことない?」曽根は今年大学に入学したばかりだが、この店でのキャリアは彼の方が一年長い。哲人とは一回り以上の歳の差はあるが、このバイトでは先輩である。「すいません」哲人が謝ると、曽根はフンとわかりやすく鼻を鳴らし「別に敬語じゃなくても良いんすけどね。トイレのペーパー補充しといてね。じゃあ俺この後飲み会あるんで」と吐き捨ててバックヤードに消えていった。

 きっと彼は敬語をやめたら不機嫌になるのだろう。若さとは怖いもの無しだな、そんなことを思いながら、22時以降はろくに客のこない住宅街のコンビニの夜勤が始まった。


 時計の針は午前0時を回っていた。わずかな客もこの時間になるとほとんど来なくなる。客が来ないと言うことは、無駄に考え事をする時間が増える。次の対戦相手は現役高校生で、17歳でアマチュア大会を優勝した後プロデビューし3連勝、技術は荒削りだろうがそれを補って余りある、ポテンシャルとフィジカルがあるのだろう。コーチの芳賀の作戦とは違った、自分なりの作戦を先ほどから考えているが、最終的には玉砕の二文字が頭に浮かぶ。芳賀は良くも悪くも、哲人のことをよく理解してくれているということだろう。

 一旦頭の中を白紙にする為、首のストレッチをすると、それまでは耳に入ってこなかった店内BGMが聴こえてきた。


おもろい大人になりたいわ


 若い女性の歌うワンフレーズが耳に留まる。なんちゅう歌だよ、と呆れながらも暫く歌詞を聞き取ることに集中した。

 ガールズバンドだろうか、複数人の女性が「イエス!」と活気のある掛け声を合わせている。


やることやっても足らんくらい しょうもない大人になりたいわ


 格闘技を始めた頃は一つのパンチのコンビネーション、関節技を覚えるのにも随分と時間を要した。しかし段々と技術を覚えていき、徐々に自分の戦力レーダーチャートが大きく、正五角形に近づいてきた事を実感した頃、華々しい戦績は無いもののプロに昇格した。その後は勝ったり負けたりを繰り返したが、やがてその比率は偏り、負けの言い訳を考え自分の伸び代を信じられなくなってきた。やれるだけのことはやった。そう思い挑んだ試合で負けても、悔いだけが残ったのは「やれるだけの事」のキャパシティを、無意識に狭めている自分に気付いていたからに他ならない。

 哲人はふと思う、俺のレーダーチャートの五角形はあの頃と同じ大きさを保ってだろうか。


気がつくと歌は終わっていた。歌っている歌手も曲名も聞き逃した為、最後にリピートしていた歌詞をスマホで検索すると、普段は見ないYouTubeにそれらしきPVを見つけた。哲人は客がいない事を良い事に控えめな音量で再生してみた。

「番狂わせ」。3人組の女の子が狭い家の中で、ギターやドラムを鳴らしながら激しく歌っていた。狭い家というがなんらかのコンセプトなのだろう。


イエス!生き抜くために生きてる

イエス!生き抜くために息してる

出るとこ出て 引くとこ引いて

おもろい大人になりたいわ


 死んだ様に生きているつもりはない。引くに引けないでいるだけなのだ。哲人は心の中でレスポンスしている自分に気付き、顔を顰めた。


どうせなら 番狂わせ 番狂わせ 

番狂わせ


 今度の試合の番狂わせは、新進の若者がベテランを倒すことだろうか。いや、そうではない。若者をロートルの咬ませ犬が倒す事を意味するのだろう。それも、芳賀の言う負けない試合では観客は「勝ち」とは認めてくれない。誰よりも哲人自身がもう、それを「勝ち」とは思えなかった。


陽の目を浴びた 飾るだけの栄光だよ

浅瀬で吠えるなんて 僕らには何の意味もない 僕らには何も聞こえないぜ


煩せぇ。


イエス! 生き抜く為に生きてる

イエス! 生き抜く為に息してる


ウルセェ。


やることやっても足らんくらい 

しょうもない大人になりたいわ


うるせぇ!

 3回目の「うるせぇ」を哲人は声に出していた。


臆病者がゆく 笑われ者がゆく

僕たちが 歩く道さ

言いたい奴には言わしとけ

こちとらはち切れそうなくらい


 哲人は顎に伝う涙で初めて自分が泣いている事に気がついた。それが何の涙なのかは自分自身でもよくわからなかった。


生き抜くために生きてる

恥ずかしいほどに生きてる

泣いたり笑ったり忙しい おもろい大人になりたいわ

しょうもない大人になりたいわ


 店のドアが開き、数人の若者が入ってきた。哲人は慌てて涙を拭きながら「いらっしゃいませ」と、ドアの方に目を遣ると、客は酔っ払った様子の曽根と、彼と同い年くらいの男2人だった。曽根達はチラッと哲人の方を見ると何やら話しながらゲラゲラと笑い、ドリンクコーナーに進みすぐに数本のビールを持ってレジにやってきた。

 曽根は「おつかれ!目赤いよ?寝てたんじゃねーの⁈」と必要以上に声を張り上げ、後ろの2人が「その言い方!」と言い、ゲラゲラと笑う。

曽根は「だって俺、こん人の先輩だからさ」と笑いながら答える。酔いと、友達の手前かなり気が大きくなっている様だ。「ほれ、早くレジ打って!」という曽根に、哲人は「未成年の方にお酒は販売出来ませんので」と答えた。曽根の顔に張り付いた笑みは消え「は?それ先輩の俺に言ってんか?」と威嚇する様に話す。

哲人はわかりやすくフン、と鼻を鳴らし、プロデビュー戦の時の様な、自分がチャンピオンになると疑わなかった時の様なギラついた視線を曽根に向けた。と同時に「イエス!」と腹の底から大声を出した。

「ひっ!」と間抜けな声を上げた曽根は、初めて見る哲人の姿に脳がパニックを起こした様に黙って立ち尽くしている。後ろの2人が「いいよもう」と、慌てて曽根を引っ張って店から出て行く。


 玉砕上等。ガキ共に見せてやらないと。おもろい大人を。しょうもない大人を。

 哲人はスマホを取り出して一時停止になっていた画面の再生ボタンを押す。客が居なくなった事を良い事に、少し音量を上げた。


どうせなら 番狂わせ 番狂わせ 

番狂わせ

やろうぜ 番狂わせ 番狂わせ 

番狂わせ


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