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 だが、惹かれたのはそれだけが理由ではなかった。“昼は淑女、夜は娼婦”それがピッタリの表現だった。眼鏡をテーブルに置いたアンは、ブロンドの髪からしゃれたバレッタを取り外す。そして、髪を振り乱して、淫靡(いんび)な世界に陶酔(とうすい)する。――


 だが、帰り支度を終え、眼鏡を掛けると人が変わる。


「あら、大変。もうこんな時間。それじゃ、また電話するわね」


 置き時計を見た後に冷たく微かな笑みを作ると、ドアを開ける。


「……ああ」


 俺はベッドから返事をする。



 結婚の話を口にした時、アンは顔を曇らせた。


「……俺じゃ、駄目か」


「そんなことないけど、……父が」


「だよな。こんな学歴のないタクシードライバーじゃ、反対するよな」


「……」


「けど、君の気持ちは?俺のことどう思ってる?」


「勿論、好きだからお付き合いしたのよ。……でも」


「結婚する気はないってことか?」


「ええ。……どなたとも」


「けど、君だって、俺同様に若くないじゃないか。結婚して落ち着こうとか思わないの?」


「……どなたとも結婚できないわ」


「親父さんのせいか?」


「ええ。父は厳しい人だから」


「結婚するのは俺たちだろ?親父さんの許可は必要ないよ。立派な大人なんだから」


「……ごめんなさい。帰るわ」


 そう言ってベッドから降りようとしたアンを力ずくでねじ伏せた。体をくねらせながら抵抗するアンを強引に抱いた。アンは再び燃え上がり、髪を振り乱した。俺は荒々しく抱きながら、結婚の承諾をさせた。――



 久しぶりにスーツを着た約束の日、迎えに来たアンと階下(した)に行くと、黒い高級車がアパートの前に停まっていた。もしかしてと思っていると、思ったとおり、運転手が後部座席のドアを開けた。俺は唖然(あぜん)として、適当な言葉が出なかった。


 そして、連れて行かれたのは、郊外の閑静な住宅地にある豪邸だった。予想はしたが、予想以上だった。分不相応の相手だと知り、引き戻したい心境だった。その言葉を吐こうとした瞬間、ドアが開き、メイドが出迎えた。もう、成り行きに任せるしか(すべ)がなかった。


 中に入ると、シャンデリアが垂れた応接間に案内された。


「……まさか君が、こんな大富豪のお嬢様だったとは」


 メイドが置いたティーカップに一瞥(いちべつ)した。


「隠してたわけじゃないのよ。……財産目当てで求婚する殿方が多いから。でも、あなたは違ってた。私の素性はご存じなかったでしょ?それなのに求婚してくれた――」


 その瞬間、彫刻を施した重厚なドアが開いた。そこに現れたのは、ロマンスグレーの強面(こわもて)の男だった。その、父親らしき男は俺を睨み付けると、宿敵にでも遇ったかのような眼光を放った。


「あ、お父様。ジャックを紹介するわ」


 アンに合わせて腰を上げると、


「ジャック・ホールデンです。初めまして」


 と、自己紹介をした。


「……ジーン・スチュアートです。どうぞ、お掛けになって」


 そう言いながら、アンの横に座った。


「アンとは、いつから?」


 メイドが置いたティーカップを手にした。


「まだ、最近です」


「結婚したいとか?」


「はい」


「悪いが娘はやれませんよ」


 ジーンはきっぱりと言うと、ティーカップに口を付けた。


「……」


 すぐに下された判決に、俺は反論ができなかった。


「どうせ、財産目当てでしょ?あんたも」


 ジーンは薄ら笑いと共に蔑視(べっし)した。


「心外ですね。アンに財産があるなんて、ここに来るまで知らなかった。それに、僕が惚れたのは、アンの教養と色気です。それ以外のものに興味はない」


「フン、口は重宝ですな。とにかく、嫁にやるつもりはありませんから。かわいい一人娘を、どこの馬の骨とも分からん流れ者に――」


「お父様、やめて、そんな言い方」


 アンは辛そうに俯いた。


「……そうですよね。確かに不釣り合いだ、あんたの家系と僕の家系では。けど、結婚するのは、あんたの家系とではない。アン・スチュアートという、一人の女性とだ。それにアンは、親の承諾を要する年齢でもない。決めるのはアンだ。アン、返事を待ってる。君自身の決断を。では、失礼します」


 一秒もここに居たくなかった。俺に続くように腰を上げたアンの腕を、ジーンは引っ張った。アンは自分の気持ちを押し殺すかのように言葉を発せず、部屋を出る俺を悲しい目で追っていた。――



 数日経ったが、アンからの連絡はなかった。もう終わりかと思いながら、家族の一つも作れない自分の境遇に自嘲(じちょう)した。結婚して、子供の一人も欲しいと思ったが、よりによって、相手が堅苦しい家柄のご令嬢とはな。ホールデン家の家系は俺で途絶えるのか……。



 そんな時、ノックがあった。その、不意に訪れた真夜中の客に心当たりがあった俺は、ベッドから飛び降りると、急いでドアを開けた。そこには、スーツケースを提げたアンの(おび)えた顔があった。


「……逃げてきちゃった」


 アンのその一言で、事情が飲み込めた。


 その夜は、脱獄囚のように息を潜めて夜を過ごした。そして、朝日と共にアパートを出ると、俺たちはニューヨークから逃げた。

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