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チョコミントのような恋を

作者: 枕度膝斗

「いっけなーい! 遅刻遅刻ー!」


 私、室斗美咲! 十中八九女子高生!

 私は今、見ての通り走っています!

 なぜなら、遅刻しそうだから!


 急ぎ過ぎたせいで、バターと間違えて歯磨き粉を塗ったパンを貪りながら私は走る。

 チューブのバター、便利だけど歯磨き粉と間違えるよね……。

 あ、でもチョコミントの味! 意外といけるかも!

 しかも、歯磨きも兼ねられる! 私って意外と天才!?


 などと益体も無いようなことを考えながらも、私は走るのをやめない。

 こう見えて私、50メートル走は8秒台と、女子高生の中ではかなり早い方なのだ! もちろん体育の成績は5! どや!

 つまり私は1秒間に6メートルもの距離を、この両脚で0にしているというわけなのです!

 秒速6メートル! 深海誠の120倍の速さ!


 ……いや、待てよ?


 ふと、私の脳内のシナプスが弾けた。


「私は本当に走ってるの?」


 確かに私は走っている……つもりだった。しかし考えてもみてほしい。私が蹴っているこの地面、動いているのだ。

 地球は24時間かけて自転運動を行っているのだ。地球のウエストは4万キロメートル。すなわち、赤道付近では秒速約460メートルの速さで回っているわけだ。

 私は今、一頭身の彼の北緯35°付近にいるわけだからそれをcos35°で割って、秒速約380メートルで西から東に回されているということになる。


 そして私は家から学校に向かって、つまり東から西に向かって走っているわけだから……


「むしろ巻き戻されてる……!?」


 なんという事実なのだろうか。一生懸命に走っているつもりが、反対方向に移動していたなんて。

 きっと我々人類は、神々からしてみれば、ゲージの中のなんか丸いやつの中で走り続けるハムスターのような存在なんだろう。……あの丸いやつの名前わかる人いたら教えてください。


「って、そんなくだらないこと考えてる場合じゃ!」


 ふと腕時計を見る。時刻は8時21分。


「うげっ、もう時間ないじゃん! 25分までに校門通らないと、ハゲ(※生活指導の杉村先生)うるさいからなあ」


 うちの学校、朝のホームルームは8時30分なのだが、8時25分までに校門を抜けないと放課後に指導を受けるというありがたいシステムなのだ。

 とはいえ、学校はもう目と鼻の先。距離にしてあと200メートルといったところか。十分に間に合う。


「よっしゃラストスパートいったるでええええ!!」


 走る速度を一気に上げて、ブロック塀でできた曲がり角を曲がろうとしたその刹那。

 同じようにこちら側に曲がろうとしてきた人影が見えた。

 咄嗟に避けようとするものの、スピードを上げた状態で避けきれるはずもなく。


「キャッ!」


 咥えていた歯磨き粉付きのパンは宙を舞い、私はコンクリートにお尻を強打した。


「痛ぁ……」


 やばい、お尻割れちゃったかも……。

 貴重な朝ごはんを奪い、乙女の身体を痛めつけた人物を睨みつけてやろうと、顔をカバディッと上げると……。


「大丈夫かい?」


 頭上から、包み込むような優しい声が降ってきた。

 そこにはおとぎ話に出てくる王子様のような人物が手を差し伸べていた。

 少しクセのある金色の髪は、気をぬくと触れてしまいそうな程柔らな美しさを孕んで。

 緑碧色の瞳は、見ていると吸い込まれてしまいそうな妖艶さと高貴さを帯びて。

 そして、彼が纏うのは……うちの学校の制服だった。

 おかしい。こんなイケメン、見逃すはずがないのに。


「……ありがとう」


 私は彼の手を取って立ち上がった。大きくて、暖かい手に、不覚にもドキッとしてしまった。


「あ、その制服……」


 彼も気づいたようで、そうボソリと呟いた。

 それからハッとしたように首を振り、太陽のような笑顔を向けてくる。眩しい……! 今日、日焼け止め塗ってないのに!


「どこか怪我してない?」

「ううん、大丈夫」

「そうか、よかった。君みたいな綺麗な女性に怪我をさせてしまったのなら、どうしようかと」


 こいつ、歯の浮くようなセリフを易々と……。

 こういうセリフ、ドラマとか小説で聞くたびに「何言ってんだこいつ(笑)」って思ってたけど、実際に言われると、なんか、こう、クるものがありますねえ……。

 って、そんなこと考えてる場合じゃなかった!


「あ、そうだ、君の……」

「すみません! 急いでるので!」


 私は見知らぬイケメンの手を離し、時刻を確認する。

 8時23分。まだ走れば間に合う。


「ちょっと待って!」


 クラウチングスタートの体制になろうとする私を遮るようにイケメン君は声を発した。

 そして私の頬に手を当て、そのまま顔を近づけて……。


「え、ちょっと、待ッ……!」


 彼の顔が徐々に私の顔に近づいていき、やがて唇と唇が――――触れ合うことはなく、彼の顔は私の顔の横に逸れていった。

 びっくりしたあああ!! キスされるかと思った……。いや、まあ、こんなイケメンだし、優しそうだし。うーん、でも、今初めて会ったとこだし! それに、私初めてだし……。

 ていうか、顔近い!! 耳当たってるんですけど!!

 何、どうしたの急に! モテ期!? モテ期なの!?

 ――などと考えているとイケメンが軽く息を吸う音が聞こえた。そして、私の耳元で、蕩けそうな程甘く、優しい声で囁いた。



「君も能力者なんだろ?」

「――ッ!!」


 言葉の意味を瞬時に理解した私は、すぐさま飛び退き、彼から5メートルほど距離をとった。


「フィールド展開ッ!」


 私は、彼と私を四次元方向に半歩だけ移動させ、フィールドを構築した。黒い床に、赤い格子状のラインが入ったいつものフィールドだ。これで外からは私たちを認識することはできなくなった。私の魔術の余波が、外の世界に漏れることもない。


「ほう、空間魔法……面白いものを使うじゃないか」

「……うるさい」


 おそらく初めて見るフィールドにも関わらず、彼は余裕ぶった態度を見せる。

 そこに先ほどまでの好青年っぽさは微塵も見られず、不気味さえ漂わせている。


「消し飛べっ!」


 紅蓮の焔を纏った千本もの槍が顕現し、イケメンに襲いかかる。


「なるほど、君も神器(パーツ)持ちか。……だけど、それは僕には効かないよ」


 彼はそういうと、手をバボッと振りかざした。

 刹那、現れたのは黒。そう表現するしかないほどの暗い炎の壁だった。

 その壁は私が放った千本の槍を受け止め、飲みこんだ。


「これは……ヘファイストスの壁!? スケール4の防御魔法を魔法陣無しで……!」


 スケール3以上の魔術を魔法陣無しでだなんて話、聞いたことがない。

 あるとすれば……。


「あんたも神器(パーツ)持ちってわけか」

「ほう、鋭い」


 壁が消失し、その向こうから出てきたイケメンのドヤ顔が私をさらにイラつかせる。


「あんたが魔法特化なら、これでどうだ……!」


 私は地面を蹴ると同時に、空間魔法で彼との距離を一瞬にしてゼロにする。


「くらえッ!」


 私は右腕を思いっきり振りかざした。そしてそのまま、彼の右頬に――――当たるはずだった私の拳は、彼の掌の中で完全に勢いを失っていた。


「近接戦なら勝てるとでも?」

「魔法特化の神器(パーツ)じゃないの……!?」


 体育5の私の右ストレートを受け止めるなんて、普通じゃない。

 近接戦でも不利だと悟った私は、すぐさま空間魔法で距離をとる。


「魔術だけじゃなくて、近接戦まで強化する神器(パーツ)なんて聞いたことが……」

「教えてあげようか」


 彼は口角を上げ、人の好さそうな表情でそう言った。


「僕は神器(パーツ)を6つ持っている」

「そんなことあるわけ……」

「試してみるかい?」

「うっ……」


 彼は口ではそう言っているが、その身に纏うプレッシャーは、それを許そうとしていない。

 せめてもの抵抗にと、彼のことを睨み付けてやる。


「そんな目で見ないでくれ。元々、君と敵対するつもりはないんだ」


 そんなの信じられるか。と、目線で訴える。


「……それより君、急いでたんじゃないのか?」

「あっ!」


 ハッとして時計を見る。8時28分。


「ちょ! 25分過ぎてるじゃん! フィールド解除!」


 黒と赤だけでできた無機質な空間から、一瞬にしていつもの通学路へ。


「あんた、覚えてなさいよ!」

「うん、またね」


 最後まで余裕な態度を崩さないイケメンに若干の苛立ちを覚えつつも、一分一秒も無駄にできない私は、学校に向かって駆けだした。


「いっけなーい! 遅刻遅刻ー!」

「そのセリフ、いる?」


 背後から呟かれた言葉には聞こえないフリをした。



 *  *  *  *  *



「おはよー、ギリギリだね」

「あ、杏奈。おはよ」


 チャイムが鳴ると同時に教室に滑り込んだ私に声をかけてきたのは、後ろの席の山科杏奈。明るい茶髪を肩口で切りそろえた、世界史と英語が得意なグローバルガール。私のダチ卍卍


「あ、歯磨き粉塗ったパン落としたままじゃん。あとで回収しないと。……あれ? 先生まだ来てな……あ、来た」


 私が喋っているその最中にドアがガラガラと音を立てて、そこからニョキッと先生が侵入してきた。


「ほーい、席につけー」


 先生はメガネをクイッとあげながら気の抜けた声を発した。心なしか、そのメガネはいつもより輝いて見える。……って、本当に光ってない? あれ。


 と、思っていると男子どもがにわかに騒めきだした。


「おい見ろよ、あの光り方」

「ああ、あれは間違いねえぜ……」

「まさか今日来るとはな……」


 こいつら何言ってるんだろう。

 杏奈と顔を見合わせ首を傾げる。


「ふぬ。今日からぽまえらのクラスメイトになる転校生を紹介する」

「よっしゃキター!」

「巨乳!? 巨乳か?」

「Fか!? それともGか!?」


 先生が転校生の存在を明かした途端、教室内のボルテージは最高潮に達した。なんで男子って胸の話ばっか……。

 私は自分の胸を見下ろした。……平均ぐらいはあるはず。

 とかとか考えていると、背中をチョンチョンと指で突かれた。

 振り向くと、優しい笑みを浮かべた杏奈が。


「大丈夫、美咲ちゃんはそのままで十分可愛いよ」

「ちょ、別に気にしてないし!」


 杏奈は「ぞい!」ポーズをしながら言った。その厖大な双峰を揺らしながら。

 天は人の上に人を作るんだ。福沢先生の嘘つき……。

 それよりも、転校生か。普段なら心躍るワードなはずなのに、今の私には嫌な予感しかしなかった。


「入って来たまえい」

「はい」


 先生がそう指示すると教室のドアがガラガラと開かれる。

 え? 廊下で待たせてたの? 最近結構冷え込んできて寒いのに……。

 そんな思考は、教室に入ってきたその人物を視界に捉えた瞬間、すぐさま打ち砕かれることになる。

 十分足らずで忘れるはずもない。

 柔らかくカーブした金髪と、吸い込まれそうなほど美しい緑碧の瞳。絵画の中から出てきてしまったのかと思うほど整った身体。


「みなさん、初めまして。宿毛凪音です」


 諸悪の根源、イケメン能力者――もとい、宿毛凪音がそこにはいた。


「なんだよ、男かよー」

「巨乳じゃねえのかよ」

「バルス!」


 男子は転校生が男だと分かるとわかりやすく悪態をつきだした。

 一方、女子の方からはキャーキャーと黄色い歓声が飛び交っている。


「まあ、顔だけ見ればイケメンだしなあ」

「あれ? 美咲ちゃん、ああいう人、タイプじゃなかったっけ?」

「いや、アレは例外だよ」


 彼はその気になれば証拠も残さずに人を殺せる存在だ。おそらく、同じ神器持ちの私でさえ。

 そんな人間を前にして感じるのは恐怖。畏怖。嫌悪。異物感。それだけだ。好感なんて抱きようがない。


「杏奈は? あんな感じの、好きじゃないの?」

「もう、いつも言ってるじゃん。私が好きなのは美咲ちゃんだけだよ」

「あはは。杏奈、愛してるよ」

「私も愛してるよー」


 そんなくだらないやりとりをしている間に、彼は黒板に自分の名前を書いていた。


「宿毛って書いて"すくも"。凪音で"なぎと"って読みます。よろしくね――――あ!」

「うげ」


 目が合ってしまった。


(やあ、奇遇だね)


「ッ……!!」

「美咲ちゃん? 急にビクッてしたけどどうしたの?」

「う、ううん! 何でもないの!」


(ちょっと! いきなり直接脳内に語りかけてくるのやめてよ!)

(はは、ごめんごめん。……これからよろしくね、"美咲")


 こいつなんで私の名前……って、さっき杏奈が普通に言ってたか。

 普通なら、杏奈の声の大きさじゃ黒板の前にいる彼に聞こえるはずはないが、感覚拡張ぐらいは当然仕込んでいるのだろう。


(……下の名前で呼ぶのもやめて)


 そうこうしていると、ふとクラス中の視線が私に向けられていることに気がついた。

 無理もない。しばらく謎の転入生と見つめ合っていれば注目も浴びてしまう。

 何か良い言い訳はないかと頭を巡らせる。場を収められそうな言葉を探していると、彼ーー宿毛凪音が柔和な笑みを浮かべながら、私に目線を寄越したまま、口を開いた。


「よろしくね、美咲」

「ッ!?」


 今度は脳内ではなく音を通して。

 女子からの視線が鋭利なものに代わり、教室の温度が一気に下がった気がした。

 ホームルームが終わったら質問責めに遭うやつだこれ! 漫画で読んだことある!


「美咲ちゃん、知り合い?」

「さ、さあ?」


 杏奈が話しかけてくるがそう答えるのが精いっぱいだった。


 ーー季節は秋。寒さはいっそう厳しさを増し、鮮やかに色づいた紅葉は風に舞い、空を泳ぐ。今日から11月は始まった。

 出会いの季節には程遠く、青春の思い出にはあまり描かれないそんな時期。

 でも、だからこそ。きっとーーーー


 一体私、これからどうなっちゃうの〜!?!?!?





 *  *  *  *  *




「で、知り合いなの?」


 クラスナンバーワンのインスタフォロワー数を誇る『西日暮里のアリアナ・グランデ』こと、ニシモモちゃんが顔を近づけて詰ってくる。

 時はランチタイム。授業間、質問責めされそうになるたびにトイレに引きこもり、授業が始まるギリギリに戻ってくるというファインプレーを連発していた私も、さすがに便所飯デビューするわけにもいかず教室に鎮座ましましていた。

 当然、午前の授業が終わった瞬間、すぐさま完璧な包囲網を組まれてこうして質問責めに遭っているわけだが。


「いや、だから知らないって! あんなの!」

「と、申しておりますが裁判長」


 そう言ってニシモモちゃんは私の背後、杏奈に視線をやった。

 私も杏奈の方を見て、視線で「助けて」と訴える。

 その意思を汲み取ってくれたのか、杏奈は笑顔で頷いて口を開いた。


「判決、死刑」

「裁判長おおおおお! お慈悲を! どうかお慈悲を!!」

「と、申しておりますが裁判長」

「じゃあ、正直に言ったら許してあげるよ」


 正直にって……。神器がどうとか言ったら中二病患者だと思われちゃう!


「え、えーと、今朝パン咥えながら走ってたらぶつかっちゃったー、みたいな……」

「……はぁ」


 杏奈は呆れたように溜息をついた。そして一呼吸おいて。


「やっぱ死刑だわ」

「なんでよー!」

「あのさあ、美咲。常識で物考えなよ」


 ニシモモちゃんは人差し指を上に突き立て、両目を半開きにしながら諭すように言った。


「そんな使い古された展開、今さらあるわけないでしょ。そんな始まり方する少女漫画、読者は続きを読みたいと思うかねー?」

「本当のことなんだけどね……」

「……読者が続きを読みたいと思ってくれないような人生で満足なの?」

「それはまた趣旨が違くない?」


 そうツッコむとクラスからクスクスと小さな笑い声が聞こえる。気づけば教室内は、いつもより静かだった。

 皆、揃いも揃って聞き耳を立てているのだろうか。

 こうも注目されてしまっているのはニシモモちゃんがクラスの人気者だからか、イケメン転校生に名前を呼ばれてしまったからか。……両方かな。

 しかし、転校生本人が同じ教室にいるのだ。もっとそっちに注目して、私のことは放っておいてほしいんですけど……。

 そんな本日の主役はというと筋肉質な運動部男子に囲まれていた。


「お前、細身に見えて結構筋肉あるよな。前の学校で何か部活はやってたのか?」

「特に何も。——あ、でも祖父から剣を教わっていたよ」

「へー、剣道か!」


 いや、多分違うと思います…….。

 あちらはあちらで質問責めに遭っているようだった。

 ただ、予想していたものとは少し違った。


「なあに、やっぱり気になるの?」


 私が彼を見ていたことに気づいた杏奈が、揶揄うように言った。


「彼、もっと女の子に囲まれるもんだと思ってたから」

「あー、それね」


 私が思っていたことをそのまま口にするとニシモモちゃんがその理由を説明してくれた。

 曰く、これまでは授業間の短い休みに入る度に、クラス中の女子が彼に突撃していたのだそうだ。

 前の学校はどこか、なんで転校してきたのか、彼女はいるのか……など、質問責めだったらしい。

 ほとんどの質問には明るく返してくれ、見た目通りの優しく柔らかい話し方がさらに好感を集めたのだとか。

 しかし「美咲とは知り合いなの?」という質問を誰かが投げかけた瞬間、急に硬い表情になり「それは——僕からはなんとも」と少し暗い声で返したらしい。

 その様子から、私と彼がただならぬ関係なのではないかという噂が流れ始め——


「今では一部の女子達の間では、親が再婚してできた義理の兄妹で、親が旅行に行ってる間に一線を超えたことになってる」

「そんなわけないでしょ!」


 私が勢いよく否定すると、ニシモモちゃんは「だよねー」と笑いながら言った。


「それで、なんだっけ。今朝初めて会ったんだっけ」

「うん。……てか杏奈、信じてくれるの?」

「今の返事を聞いても、嘘を吐いてるようには見えないしね」

「わかる。美咲、嘘吐くの下手だもんね」


 良かった。とりあえずは信じてもらえて——


「でも、まだ何か隠してるよね」

「それもわかる」


 ——なかった!


「じゃあ、その今朝の出来事を一から説明してよ」

「えーと、まず今日はちょっと寝坊しちゃってバタバタしてて」

「今日も、でしょ」

「まあそうなんだけど……。で、慌てすぎてパンに歯磨き粉塗っちゃって、それを咥えたまま家を飛び出したのね」

「パンに歯磨き粉って……それはちょっと」

「人の食べるものじゃないでしょ……」


 二人が、マジなトーンでドン引きしている。


「そう? チョコミント味で、結構美味しかったけど」

「美咲って前からこうなの?」

「慣れだよ、ニシモモちゃん」


 杏奈はニシモモちゃんに向かって再度「ぞい!」のポーズをして言った。もしかして私、結構酷いこと言われてない?


「……で、そのパンを咥えながら走ってたら彼とぶつかって」

「んー、そこはまあいいや。そんで?」

「………………それだけだけど」

「今めっちゃ間空いたじゃん! やっぱり何か隠してる!」

「杏奈、やっぱり分かりやすいね……」

「うっ……」


 そんな分かりやすいかなあ……。


(大変そうだね、美咲)


 突然、脳内に直接声が響いた。


(ちょっと! いきなり話しかけないでって言ってるでしょ!)

(ごめん、ごめん。ところで美咲、ちょっと2人で会えないかな)

(……いやだ)

(話したいことがあるんだ)

(私は話すことなんてない!)

(美咲にとっても、大事なことだよ)

(…………)


 別に信用していないとか、そういう次元の話ではない。単純に怖いのだ。

 ——神器(パーツ)持ちを殺せば、その神器(パーツ)は自分のものになる。

 それゆえ、神器(パーツ)の存在を知るものから私は何度も命を狙われたことがある。


 神器(パーツ)持ちは一般人と比べ物にならないほどの能力を持っているため、普通は返り討ちにしておしまいなのだが……


(宿毛くんは……)

(凪人でいいよ)

(…………凪人は私より強い)


 私を殺して神器(パーツ)を奪うことも、彼なら簡単にできてしまうはずだ。


(そうだね。でも、今朝話した通り僕は君と敵対するつもりはない)

(…………)

(それに、殺そうと思えばいつでも殺せる。もちろん今、他のみんなに気づかれずに殺すこともできる)


 それは……彼なら本当にできてもおかしくないと思ってしまう。1つ持っているだけで国一つ滅せるような能力を、彼は6つも持っているのだ。


(もう一度言うよ。2人で話がしたい。このあと……屋上とかどう? 今は人はいないみたいだけど)


 私はそれに返事する代わりに、


「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」


 杏奈とニシモモちゃんに言い残して、私は教室を出た。




 *  *  *  *  *




「……なんで私より先にいるの」


 屋上に来た私は、地べたに座って壁に背を預けている凪人を目撃した。

 私の方が先に教室を出たはずなんだけど。


「遅かったじゃないか、美咲」


 彼は笑いながら言った。あんたが早すぎるだけでしょうが。

 そう言ってやりたいところだったが、彼は急に表情を引き締める。


「話があるんだ。誰にも聞かれたくない。外界と遮断してくれるかい?」

「わかった」


 特に断る理由もないので、私はフィールドを展開する。


「ほう。今朝はじっくり見れなかったけど、なかなかの練度だね」

「……で、話って?」

「僕と『契約』して欲しい」

「――ッ!!」


 能力者同士の『契約』は一般的なものとは訳が違う。

 互いの心臓に術式を刻み、契約を違えばその心臓を蝕み死に至らせる形式が能力者界隈でのデファクトスタンダードだ。

 そして、『契約』を交わすための方法は……口付けだ。しかも術式を刻む必要があるため、長時間、舌を相手の口腔内に押し込む必要がある。詰まるところベロチューだ。


「あんたやっぱり……私の美貌に見惚れて!」

「何を言ってるのか分からないんだけど……。あ、もちろん美咲は綺麗だと思うよ」


 取って付けたように言わなくて良いから……。


「で?」

「でって、何が?」

「何で私と契約したいのよ」


 私がそう聞くと、凪人は目を丸くして驚いた素振りを見せた。


「素直に聞いてくれると思わなかった」


 私が目で続きを促すと、彼は小さく息をフッと吐き、それから話し始めた。


「12個の神器(パーツ)が必要なんだ。僕は今6つ持っているから、あと6つだね」


 12個の神器(パーツ)と聞いて私は理解した。神器の魔力量はどれも同程度だ。

 テレビではよく、莫大な面積を「東京ドーム何個分」と表現するが、能力者の間では魔力量を神器(パーツ)何個分と表現するのがトレンドだ。

 神器(パーツ)1つ分の魔力があれば国を滅せる。神器(パーツ)2つ分の魔力があれば月を動かせる。神器(パーツ)3つ分の魔力があれば地球に穴を空けて、日本とブラジルを繋げる。

 そして12個分であれば、因果律に干渉できる。有り体に言えば——


「何でも願いが叶う……か」

「そうだね」


 その噂を——いや、彼は因果律に干渉できると確信しているのだろう。神器(パーツ)が6つもあれば、感覚的にわかるものなのかもしれない。

 何でも願いが叶うと知っているのであれば、それを求めてもおかしくはないか。


「契約の内容は?」

「お互いに危害を加えないこと。そして、神器(パーツ)を集めるのに協力すること。それから、僕と美咲の神器(パーツ)の数の合計が、12個になったらこの契約は破棄だ」

「破棄ってことは……」

「その時になったら、美咲を殺して、僕が願いを叶える」

「……そう」


 彼は笑みを浮かべながら「殺す」と、そう言った。やはり神器(パーツ)持ちは、どこか狂っているのだ。


神器(パーツ)を集めるのに協力するって、もし私が神器(パーツ)持ちを殺しちゃったら、私のものになっちゃうけどいいの?」

「もちろん。僕も全力を尽くすから、できるならって感じだけどね」


 彼は煽るように笑って言った。

 その間にも、私は必至に頭を回転させていた。どうすれば、殺されないのか。

 回収に協力する神器(パーツ)をすべて私のものにできれば、私と彼の神器(パーツ)の数は並ぶ。そうすれば殺されずに済むかもしれない。

 だが、それは現実的ではない。協力するとは言っても、凪人の方が私よりも圧倒的に強いのだ。彼が先に神器(パーツ)持ちを殺してしまう可能性の方が高い。


 となると他の方法は……あ!

 いや、でもそれは……。


 頭に浮かんできた方法は、私には心理的なハードルが高いとは思うものも、考えれば考えるほどそれしかないと思えるものだった。

 私が殺されずに済むためには、それしか。


「一つ聞きたいことがあるんだけど」

「何でも聞いてよ」


 聞きたいことは本当は一つじゃなくて、いくつもある。なんで私を殺さずに協力させるのかとか、今持ってる神器(パーツ)はどんなものでどうやって手に入れたのかとか。

 でも、最優先で聞いておかなければならないことがある。


「凪人は……どんな願いを叶えるつもりなの?」

「どんな願い、か」


 もし彼が、人の心のないサイコ野郎なのであれば、さっき思いついた方法は意味を為さない。

「人類を滅ぼしたい」だとか、そんな答えが返ってきたら私が生き残れる確率はほぼゼロだ。

 しかし、彼の返答は、私にとっては幸運かつ意外なものだった。


「助けたい人がいるんだ」


 彼は少し悲壮な笑みを浮かべてから、天を仰ぎながらそう言った。まるでその「助けたい人」を想うかのように。

 きっとその人はもう既に亡くなっているのだろうと、私は理解した。

 そして、私はそんな彼の姿を見て——美しいと、そう思ってしまった。


「そっか、そっか」


 私は内心でガッツポーズをした。神器(パーツ)を12個集めてまで救いたいと思える人が、彼にはいるのだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()


「それで、結局『契約』してくれるの?」


 凪人は私の目を覗き込みながら尋ねてくる。

 助かる方法は分かった。でも『契約』するとなると、こいつとキスしないといけないわけで。

 その事実に、純然たる乙女である私は二の足を踏んでしまう。


「ま、『契約』しないなら今殺すだけなんだけどね」

「……結局、選択肢はないのよね」


 なんとなく察してはいたものの、彼が改めて「断れば殺す」と明言したことで、私は決心する。


「『契約』するわ」

「ありがとう、賢明な判断をしてくれて」


 彼はそう言うや否や、自らの右手を前に突き出し、親指の爪で人差し指の先を軽く切った。そこから一滴の血が垂れ落ちる。血の滴が地面と触れた瞬間、私達二人を包むほどの大きさの魔法陣が出現した。


「契約内容の確認を」


 そう言われて、私は魔法陣を読み取り、契約内容の確認をする。

 それと同時に、これから私が助かるための方法、それを実行する覚悟を決める。


「問題ないわ」

「じゃあ、今から『契約』の術式を刻むよ」


 そう言いながら、彼は私に顔を近づける。


「言っとくけど私、初めてだから……」

「それは貴重なものをありがとう。僕は二回目だよ」


 最後まで相好を崩しながら、そう言う。——ああ、もうどうにでもなれ。

 私はギュッと目を瞑った。

 彼が軽く息を吐いて微笑んだのが、音と、顔に当たる吐息で分かった。


 彼の顔が至近距離にまで近づいてきて————やがて、唇が触れた。

 さようなら、私のファーストキッス。


 ——私が、自分の命を守るための方法は一つしかない。


 触れるだけでは止まらず、術式を刻み込むために、彼の舌が私の口腔内に進入する。


 ——そう、私が彼に殺されないために。


 彼はその舌で私の口腔内を10秒ほどかき回した。


 ——彼が殺したくないと思うほど。


 術式が完成したのか、彼は舌を抜き、唇を離していった。


 ——私のことを好きにさせてみせる!


 二人の口の間を唾液の糸が伝った。10秒息が上手くできなかった反動で、二人して息を切らしながらそれを見つめていた。



 私に惚れさせる。単純な作戦だけど、戦闘力で彼を超えて自衛するよりもよっぽど難易度は低い。

 おそらくこれが、最善の方法だった。


 などと考えていると、私は凪人との間に垂れる唾液の糸をじっと見つめていた自分に気が付き、ハッとする。てか、近ッ!

 私は袖で口元を拭うと、バッと凪人から距離を取った。


「これで僕たちは協力者だ。よろしくね、美咲」

「う——」


『うるさいわね』と悪態を吐きかけて、ギリギリのところでブレーキをかけた。

 私は彼に好かれようとしているのだ。もっと愛想の良い返事をしなければ。

 ……いや、愛想の良い返事って何を返せば。

 などと考えていると、口の中が既視感のある味で満たされていることに気づいた。

 キスしている最中には気づかなかったが、確実にチョコミントの味がする。それは彼の口からやってきたものに違いなかった。

 ふと、一つの可能性に思い当たった。


「ねえ、もしかしてなんだけどさ」

「何かな」

「『アレ』、食べた?」

「アレ? ああ、あれか。うん食べたよ。落としたままだともったいないしね」


 今朝、凪人と初めて出会ったときに落としてしまった歯磨き粉パンのことを思い出した。

 ファーストキスは甘酸っぱい味だとかで、よくいちごやレモンに例えられるけど、私のファーストキスはチョコミントの味だったのだ……。


「美咲たちが言うには、人の食べるものじゃないらしいけど」

「そう? チョコミント味で、結構美味しかったけど」

「……ちなみになんだけどさ、目玉焼きには何かける派?」

「うーん、ガムシロかな」


 どうやら私たち、味覚だけは相性ピッタリみたいだった。

 同類を見つけた喜びを噛み締めていると、かすかに予鈴の音が聞こえてきた。


「そろそろ戻らないと」

「あ、そうだ。美咲、今日の放課後時間ある?」

「あるけど」


 そう答えると彼はニッと笑った。


「早速、一つ目の神器(パーツ)を取りに行こうと思うんだけどどうかな」


 当然のように言う彼に、私は思考を停止させてしまう。

 スタバ行かない? くらいの感覚で人殺しに行かない? と誘ってくる凪人を見て、本当にこいつに人を好きになる機能があるのか不安になってくる。


「……どうせ、契約で強制的に協力させられるんでしょ」

「察しが良いね」


 彼はまた笑みを崩さずに、むしろ、より無邪気な笑みを浮かべながら言った。



 ほんとに私、これからどうなっちゃうの………。

最後まで読んでくれてありがとうございます。許してください。

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[一言] 歯磨き粉をぬったパンに全部持ってかれた。 内容が入ってこねぇ。
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