ヒズミと刃
背中から心臓に向かって小さなナイフを突きつけられ、言われるがままに街をゆく。
「ここだ。先に入れ」
たどり着いたのは、スレイの家だ。見た目はごく普通。魔法使いとして街を守っているから、どれだけ大きな家に住んでいるのだろうと想像していたのだけれど。そこは他と比べても大差のない、レンガ造りの二階建ての家だった。
「"一振りの刃"」
入ってすぐに扉を閉められた。見られる心配が無くなったためか、今度はより切れ味の良い、武器としてのナイフを作り出した。首筋に当てられ、身動きができなくなる。
「よし。そこへ座れ」
部屋の窓寄りの場所、そこに椅子だけが置かれている。食事の時はテーブルでも出してそこで食べるのだろう。
家の中は意外に整理されていた。内装は豪華な方だと思う。入ってすぐのこの部屋は、どちらかと言うと書斎のような雰囲気があった。何か仕事に使うのか大量の書類が綴られ棚に並べてあり、そのすぐ前に羽ペンや判の押された書類の置かれた書斎机。どこかの軍の物か、剣と盾とリボンの紋章が縫われた旗。そしてとある壁の一面には、大量の剣や槍がズラリと並べられていた。
多分、スレイが自分の魔法で作り上げたものだ。種類が様々で、世界中の武器が揃っているのではないかと思われた。
「さてさてさて、まず警告しておくぜ。余計な動きを見せるな。質問は全て答えろ。嘘をつくな。関係ねェ話しはするな。破る度に後悔する事になるぜ。チビネラ」
「……」
手際よく、縄で椅子ごと後ろ手に縛り上げられた。ナイフが喉を冷やして動けない。肩に手を置かれて抑えてくる。考えをどこか別の方に向けても、限界がある。このまま質問されるのは、絶対にマズイ。
隙を見つけて、逃げなければ……。
「逃げようとも思わねぇ事だ。今お前の心の内は完全に読めてる。どうあがいたってヒデェ目にあって終わりだ。さっそく質問するぜ」
「アンタには何も教えな……」
抵抗しようと言い出したその瞬間、肩にナイフの切っ先が突き刺された。
「あ……うあ"あ"あ"!」
肉の奥まで熱いものが届く。そう思っている間に熱は痛みへと変わった。一拍遅れて声が出る。関係ないところが痙攣するほどの、灼熱の痛み。ニアにされた時とは比べ物にならない。身体で直接感じる痛みが、これほどなんて。
「後悔するって言ったよな? 俺が冗談でこんな事すると思ったら、大間違いだぜチビネラ」
甘く考えていた。普段から嫌なヤツだったが、さすがに本気で刺したりしないだろうと思っていた。刺された肩は一秒ごとにキリキリと鋭い痛みの波を起こして静まらない。ローブが血で汚されて、それを止める時間すら与えてくれそうにない。
「質問だ。『花の魔法使い』っつぅのはつまり、『人喰い魔女』のことだな。お前のネーチャンが人喰い魔女本人なんだな?」
「……」
バレたらどうなるか、想像できない。最悪わたし達の生活が終わる。それだけは嫌だ。
隙だ。必ず逃げ出すための隙ができる。それを待って……。
「余計な事は考えるなッつったはずだ!」
「や"ぁっだ!まっ……」
不意打ちにならないよう、今度はわざと見えるように刃物を構え、一息に腕を斬った。鈍い光がきらめいて、先に声が出た。斬られる瞬間に息を呑んで目をつぶる。身をよじっても逃げられない。予想を裏切ること無く、腕にあの灼熱が吹き上がった。
「ぅグ――――」
「くッそ。最悪の気分だぜ。人喰いブッた切るのは最高に面白ェがよ。ガキを斬りつけんのがこんだけ胸糞悪ィもんだとは知らなかったぜ。おい、一丁前に抵抗してねぇで全部話せ!」
心では痛みや別の事に思考をさいている。けどいつまでそうしていられるか分からない。
そろそろのはずだ。隙ができるまで……。
「何企んでやがる……お前のネーチャンが人喰い魔女なんだな!?」
「知らない!」
斬られた痛みを堪えていたその時、バヂンッと空気の破裂する音がして書斎机の一角が花火のように砕けた。
「なにィ!?」
「"歪な自己愛"!」
来た。スレイの注意が一瞬逸れる。黒い魔力を肩甲骨から羽のように突き出した。
「なんッだこりゃあ!?」
突然湧き出した黒い羽に怯んでスレイが飛び退いた。後ろ手に拘束していた縄を、黒い魔力を纏った腕で引きちぎる。転がるように椅子から離れて立ち上がり、スレイと正面から向き合った。
「心は読んでたはずだ。何をしやがった!?」
「アンタには何も教えない!」
カバンにはスレイの作ったナイフが入っている。即座に捨てて、心を読まれないようにした。
スレイの、心を読む魔法は驚異だった。逃げ出そうとずっと考えていたのは正解だ。隙ができるまで待っていたのも正解。けれど、その隙がいつできるかは自分でも分からなかった。
この家に入った直後、"歪む虹色"を小さく何個か作って開放しておいた。何かにぶつかれば大きな音を立てて、スレイの注意を逸らせるように。
ただ、普段のように漂う先を命令せず、自然に任せて浮かばせていた。だからわたし自身、いつ物にぶつかってくれるか分からなかった。
そして分からないからこそ、スレイもこちらの動きを読めなかった。
「魔法使い!? しかも、人喰い魔女をかばうかよ。お前ナニモンだチビネラ?」
「チビネラって言うな! "歪な自己愛"」
まずは激しく痛む傷口を、"歪な自己愛"で元通りに。
同時に右腕を鋭い爪のある攻撃用に。左腕を固い拳骨の防御用に。それぞれ黒い魔力を纏わせて構えた。
「"一振りの刃" 刺股」
スレイが魔法名を呼ぶ。先がUの字型になった竿のような武器を生み出し、わたしの左腕を正確に打って壁にドスンと張り付けた。
「なぁッ!?」
「見たことねぇだろ。人間押さえつけるための捕物用の武器だ。内側が刃物になってッから暴れると切れるぜ」
確かに、刺股と呼ばれるそれは内側が鋭い刃物にされている。壁に深く食い込んで、手首を手錠のように捕らえている。
防御用に固めた左腕だが、はたして押し返せるだろうか?
「怪我が治るってんならよォ。尚更手加減いらねェな! "一振りの刃"」
スレイの左腕に青い魔力が渦を巻いて煌めいた。瞬きの間にレイピアが生み出され、こちらの右胸に切っ先を向ける。
「おああああ!」
右腕に生やした鋭い爪で、思いっきり切り上げた。ギィンと高い音を鳴らして、スレイの刃を五本の爪で断ち切った。
「……! "雨降る刃"」
聞いたことのない魔法名を呼ぶ。その力を予想する前に魔法は発現した。
スレイの背後。空中から槍や剣、レイピアや棘の付いたモーニングスターまで。一瞬では数え切れないほどの武器が生み出された。
真っ先に飛び出した槍が、右腕を貫いて壁へ張り付けになる。
「っく! "歪な自己愛"」
刺股とやらで押さえつけられていた左腕を引き抜く。手首から先は、鋭利な刃物によって切り落とされた。
しかし同時に"歪な自己愛"で拳骨を作り直す。思い切り魔力で固め、鉄のように練り上げる。そのままスレイの頬に向かって、全力で殴り飛ばした。
「ごほッ!?」
顔面が歪む。少なくとも、さっきお見舞いした顎先キックよりは確実に効いている。
畳み掛けるならここしかない。
右腕を刺したレイピアを抜き取って、爪をより鋭く強く練り上げて。
「歪め。黒爪!」
「チィ! 切り刻め!」
水平に黒爪を振るう。一拍遅れて五本の黒線がスレイに真っ直ぐ伸び上がった。
同時に向こうから、作り上げられた数多の武器が襲いかかる。
金属同士が激しくぶつかり合う音がして、耳がキィンと遠くなった。しかし目を逸らしてはいられない。火花と黒い魔力が飛び散って、黒爪と刃物がお互い砕かれていく。頭の追いつかない炸裂の中から、剣とレイピアがこちらへ飛び出した。
「うあッ!」
レイピアに右の肩を貫かれ、左のお腹は剣が半分掠めた。灼熱が痛みに変わる前にレイピアを引き抜いて、治療のため黒い魔力を巡らせたところで。
「"一振りの刃" 刺股!」
首に鉄の塊が襲いかかった。うぐぇ、と声を漏らす暇も無い勢いで、そのまま地面へと押し倒される。
「ゼェ、ゼェ。ハッ! 手首を落とすことは出来ても、さすがに首を落とすわけにゃあいかねぇよなァ?」
刃の魔法使いが力を巡らせる。刺股の、∪の字になった内側に青い魔力が行き渡り、喉元の鉄が刃物へと姿を変えた。
「げほっ! げほっ……」
左腕の手首くらいなら"歪な自己愛"で治せたけれど、スレイの言う通り首を落とすとどうなるか分からない。おぞましい想像が身を固まらせた。
「"雨降る刃"」
頭を回転させている間に、今度は多くのレイピアが生み出され、両腕にそれぞれ三本ずつ、胴体にメチャクチャに五本打ち込まれた。
「あ"ぁぁっぁ!」
身体のあちこちで貫く熱が暴れまわった。痛みを無くすためだけに魔力を巡らせる。しかし、レイピアが身体を通っている今、治すことさえかなわない。
「ッあ"ぁ! "歪な自己愛"!」
だから、痛みを伝えてくる神経そのものを歪めた。生物としての本来あるべき機能を遮断して、無感触なものへ。気を失うほどの灼熱を脳へ伝えないために。死んだ組織へと形を歪めてその場しのぎとした。やり方は本能が知っていた。
「ッはぁ。はぁっ!」
その代わりに身体は、標本に刺された虫のように、身動きが取れなくなる。呼吸するのに頭が必死で、逆転の手が浮かばない。
「よぉよぉよぉ。もう諦めたか? ったく、家の中荒らさねぇように気ィ使ったぜ。しかし、これでじっくり聞けるな。人喰いの魔女について」
「あぁ、っく」
「それじゃあもう一度質問だ。こっからはゆっくり聞かせてもらうぜチビネラ」
そうして刃の魔法使いは質問を再開した。そこから先は地獄だった。
青い魔力の通った刺股でわたしの心を読みながら、人喰い魔女の事を聞き出していく。
……負けた。毎日魔法は練習したのに、全然届かなかった。逃げることさえ、全くできなかった。歯を食いしばって、悔しがる間にもスレイは心を無遠慮にまさぐっていく。それがなおのこと、悔しい。
わたしとニアの間でだけ渡しあった綺麗な思い出や、食事で感じたあの秘密の味さえも、コイツはお構いなしに読み取っていく。
「や、め……えっぐ。ひぅっぐ」
涙が溢れて、でも尋問は止まらない。ニアの全部が知られていく。大事なものを覗かれて、痛みは止めているのに胸が黒い刃物にかき乱されてキリキリとする。
そうしてニアの、人喰い魔女の全てさらわれるまでの時間は、記憶を失くして目覚めてから、最も長く感じられた。
その間スレイはただ、刃のように鋭く冷たい目で、悔しさに濡れるわたしを眺め続けていた。




