23 幕間 少女と不思議な紋章
「なんで……本物の魔族がこんなところをウロチョロしてるんだよ」
ここは帝都。地上でもっとも人間が繁栄を極める場所だ。
数百年前に地上を追われて魔界へ閉じこめられた魔族がいるはずがない。
初めて動揺をみせた勇者一行をせせら笑う。
「ふふ、言ったはずですよ。魔族はあなたたちのすぐ近くにいるとーー」
体をはう毒蛇がしゅるしゅると音をたてている。
深紅の瞳と淡い月明かりに照らされ、少女の薄気味の悪さを際だたせていた。
「だ、……だから言ったんだ、勇者なんてやめておこうって。そのうちにやばいのをひきよせるかもしれないって思ってたんだ」
唯一、その危険性にようやく気づいた聖職者崩れの男の腰が引けている。
「う、うるせえ、腰抜けが。ちょうどいい、向こうから来たのならここでやってやる」
「こいつをまた倒せば評判があがるぜ」
「いや、生け捕りにすれば、見せ物にしたっていい」
一時気を飲まれかけたが、流石に勇者を名乗る者たちの中でも、随一と言われるだけあって、場数はそれなりに踏んでいた。
恐怖を奮い立たせ、勇者を名乗る男は、剣を抜いた。
魔法使いの男は杖を構え、戦士は斧を振り上げる。
「そうそう、その調子よ」
少女は男たち三人を相手にする状況でも、あざ笑う。
「いくぜ、ガンド様の力をみせてやるぜ、うおりゃあああ」
戦闘時、いつも切り込み一番をつとめるガンド戦士の男が、間合いを一気につめ、大きな斧を振り降ろした。
一瞬だった。
小さく体を切り裂く音がザシュッと聞こえただけだった。
「!?」
少女はいつの間にか黒い剣を持っていた。
それを抜いた瞬間も、切りつけた太刀筋も、踏み込んだ足も見えなかった。
「く……」
男は振り上げた斧を持ったまま、ぴくりとも動かなくなった。
黒い切り傷が胸に大きく左胸から右肩にかけて、走っていた。
装備している堅いはずの鎧すら切り裂いてーー。
「……」
声も出さず、戦士の男はどう、と倒れた。
次の瞬間には白目を向いて絶命をしていた。
「お、おい」
「まさか……死んでる!?」
「嘘だろ」
事態が把握できていなかった。
「あれは、まさか……魔界で最強とされる煉獄の剣。切られた者の魂を奪うという……一太刀浴びたら終わり。いにしえの勇者が……もっとも恐れていた」
震える手で眼鏡をずりあげた。
「どういうことだ……そのなんとかの剣ってのは、そうなのか」
「魔王が持っている剣……」
圧倒的な力の差がある。はっきりとそれがわかった。
「あら、あなたたち、次はこないのかしら。さっきまでは威勢が良かったのに」
少女は再び剣を構えた。
「こないならこちらからいきますが、いいですか」
勇者とされるだけあって、すぐに力量の差を理解した。
勝てない。
その上一太刀、ほんの切り傷を追ったら終わり。
まともに切りあえるわけがない。
及び腰になった。
「ひ、火だ。悪魔には炎で焼き払うんだ」
魔法使いの男が、落としそうになった杖をもう一度握り直し、呪文を唱える。
剣の腕も、剣の能力もあちらが上。
斬り合いでは勝ち目が無いのは明白だった。
「そ、そうか、お前の火術は随一だったな」
呪文が唱えられる。
「炎神よ、今こそその力を示せ、この世の闇を焼き尽くせ」
直後、炎が杖からポンと飛び出し、燃える火の玉となって、放射される。
火の玉が少女の体に命中し、覆った。
少女は身じろぎ一つせずそのまま、受け止めた。
爆音と共に、めらめらと燃える。
「やったっ」
魔法使いの男は喜びの声をあげた。
「ははは、やったぞ。ざまあみろ。魔族ごときが」
何度もさかんに燃える炎に向かって罵る。
「流石だな」
「ぜ、全然大したことねえじゃねえか」
歓声があがったがすぐに、悲鳴に変わった。
びゅうっと炎がつむじを巻いて消滅した。
炎が一陣の風と共に、すぐに収まり、あとには、傷一つ無い少女の体が再び月夜の下に現れた。
「人間にしては、なかなかの能力ね……」
何事も無かったように涼しい顔だった。焼かれた様子にも見えない。
「でも……その力は元々魔界の炎神の力を借りて発動する魔法。低級魔族ならともかく、わたしたちには……意味がないわよ」
右手をゆっくりとあげた。
「ば、ばかな……傷一つ無いなんて……」
魔法使いの男は、呆然とみているままだった。
「もし、相手を炎で焼き尽くすのであれば、せめてこれぐらいでないとーー」
少女の軽々とかざした手の平に、火の玉が現れ、みるみる巨大な炎が浮かび上がる。
遙かに巨大で禍々しい炎が邪悪な竜の形を象る。
放った魔法をも飲み込んだ。
「ひ、あ、あれは……邪神、イフラルの炎ーー」
「な、なんだ、そりゃ……」
「う、嘘だろ……あれは書物の中に書いてあった禁呪ーーかつて悪魔が人間の世界を焼き払ったというーー」
あってはならないその魔法を目の当たりにした恐怖でひきつっていた。
「そうそう、その顔。いい感じね」
炎の竜が雄叫びをあげる。
「ひいいい、た、助けてくれ……」
逃げ出した魔法使いだが、魔族の少女から発動した炎の魔法は、生きているかのごとく羽ばたき、男の体を捕らえる。
「助け……」
じゅっと蒸発する音をさせて跡形もなく消えた。
着ていた服が灰になって舞っただけだった。
残った勇者と聖職者の二人は完全に戦意を喪失した。
少女が二人の下にゆっくりと近寄った。
「あ、悪魔、そんな……」
「ひっ」
黒い剣が目の前に突き立てられた。
「さてと、教会の聖職者様は、わたしに何を使ってくれるのかな」
戦意を喪失してしまった。
腰を抜かしてしまって、声がでない。
「た、た、たすけ……たす」
「聖なる光を使って私たちを焼いて焦がすのかしらーー」
悪魔、退散せよ、と必死に祈りを捧げる。
効果がないことは明らかだった。
「あらあら……それとも……勇者様は、その剣で勇敢にも最後まで戦い抜くのかしら」
「か、金ならここに……」
金貨が地面に転がる音がする。
昔のごろつきの地が出た。
全ては金のため。
盗みを働き、金を脅して奪った。村を襲い、人々を傷つけたこともーー。
「そ、そうだ、これもくれてやるっ皇帝陛下から授かった聖なる剣ーー」
腰に下げている剣もといて放り出した。
「俺はたまたまこんなことをやっただけで、本当は興味も何もねえんだ」
ひょんなことから始めた勇者稼業がたまたまあたっただけ。
必死に弁解した。
卑しい男の本当の姿が出た。
金貨も宝石も、すべて放り出したが少女は目もくれない。皇帝から下賜された勇者の剣もーー。
薄笑いを浮かべているだけだ。
「た、助けてくれ」
流石の男も声が震える。
手から漆黒の剣がふっと消えた。禍々しい気配が一時的に収まる。
「さてと、余興はここまで。わたしが本当にやりたかったことはこんなことではないの」
急に声の調子が明るくなった。
「今から言う問いに答えることができたら、助けてあげるわ」
悪魔の少女は急に笑顔を浮かべる。
抱き合しめあえるほどの距離まで顔を近づける。
「ほ、本当か?」
「本当よ、魔族は、約束を何より大切にするから」
そして魔族の少女は右手を差し出した。
羊紙には紋様が描かれている。
「あなたたち、これが何の印かわかる? もしわかったら助けてあげるわ」
緑、橙色、黄色でかたどられた印だった。
「も、紋章か?」
「お、おまえ、知ってるだろう」
聖職者に問いかけた。
「真ん中の印と、書いてある文字……」
見たこともない異国の文字だ。
「あ、悪魔の、破壊の刻印か? いや、この色彩は……ありえない」
紋章は色も重要である。このような鮮やかな色彩は黒や灰、を基本とする魔界の印とは違うものだ。
「何か、人目を引くための印か……」
「そうそう、いい感じ」
「悪魔の軍旗、旗印か」
「残念、違うわね。あと一回、間違えたら終わりよ、がんばりなさい」
「これは今、わたしたち魔族がもっとも恐れているものなの」
「お、恐れ……魔族が……」
「わ、わかった。勇者の紋章だ」
魔界の力を無力化し、悪の気をはねのけるという古の勇者が魔族を倒したときに使った紋章ーー。
「残念ね。どれも不正解よ。勇者などわたしたちは全く恐れていない。これはもっと恐ろしいもの……」
次の瞬間、黒い剣が聖職者を名乗ってきた男の胸を貫いた。
「さあ、次はあなたね」
「た、助けてくれ」
「なら質問に、答えなさい」
少女は薄笑いを浮かべ続けていた。
それだけで恐怖だった。
男の股間からはなま暖かい液体が溢れ出て、衣服を濡らしていた。
「わ、わからねえーー」
「わからないなら、命はないと言ったわよね」
「た、助けてくれよ、頼むよ。なんでもするから」
腰を抜かしていた。
もう助からない、絶望に陥りながらも懇願を続けた。
手をつき地面に額を擦りつける。
「そう、なんでも、する? 命を奪われる代わりにーー」
以外にも少女は、その漆黒の剣を引いた。
「は、はい、な、なんでも」
ひざまずいて忠誠の姿勢を取る。
「いいわ。では、探しなさい。あの印がわかる人間を、あらゆる山も海も追い求めなさい」
少女は宙に文字を描くかの如く動かす。
鈍い光を放つ禍々しい紋様が浮かび上がった。
「今からあなたはわたしたち魔族の忠実な下僕」
「ひっ」
勇者だった男の首筋にへばりつく。
悪魔に忠誠を誓った者の刻印。
教会の教えでは死よりももっとも恐ろしい行為。
もし、そうなる状況に陥ったら、迷わず死を選べ。
死んでもその魂は魔族に酷使されるのだから。
「うぎゃあああ」
皮膚が焼かれる。
一生消えることのない禍々しい悪魔の刻印が男の体に刻まれた。
紋章は数字の7によく似た印だったそうです。




