22 幕間 闇夜と笑う銀の少女
屋内の中にも関わらず、フードのついたマントを頭まで被り、一人席で静かに酒を飲んでいる。
傍らに剣を置いている様子から、旅をしている剣士の風体だが、それにしても幼い。
女性でも生まれ持って剣や魔法の才能に恵まれていれば、決して一人旅、冒険して、世を渡り歩くことはありえなくはない。だが、この世界でも珍しい存在ではあった。
「おいおい、いつからここは、お子さまでも通えるようになったんだ。帝都随一の酒場が泣くぜ」
「お嬢ちゃんは帰ってミルクでも飲んでろよ」
男たちの悪酔いは醒める気配はなかった。
被ったフードから覗く綺麗な銀髪、碧眼はそこいらの女たちよりも美しかった。
「へえ、案外綺麗じゃねえか、しかし、あと十年、いや五年早かったな。俺たちが相手してやらんでもなかったが、そういうお子様趣味はねえんだ」
実のところ、がらの悪い勇者一行に、参っていた店主や給仕たちは、やりとりをはらはらとみつめている。
だが、少女は男たちの冷やかしにもまったく動じない。
「いまいちど尋ねます……先の言葉、もし魔族に聞かれたら、どうするつもりでしたか?」
男たちを横目に見つつ、少女は杯の酒を一口飲んだ。
「へっどうするもこうするも、叩き切るまでさ、おっとと……」
剣を鞘のまま振りかざして構えをとろうとするが、したたかに酔っぱらってよろめいた。
「第一、魔族は魔界に引きこもってるのさ。きっと俺たちを恐れて、な」
仲間の一人、魔術師にある男が杖で床を叩いた。
宝玉のはめ込まれた
魔族は千年以上も昔、人間と悪魔の戦いに負けて魔界のさらに奥底に追いやられた。
すでにその脅威や恐怖は過去の言い伝えのものになっている。
「魔術に使われる魔力は魔界より出るその黒い闇を元にしているというのに、その魔術師が魔界の恐ろしさを過小にみるとは……」
だが少女は静かに杯を置いた。
「光ある場所必ず影あり。魔族は常に影に潜んで人間を狙っている……常に身を律するべし……教会の教えではなかったですか? そこの聖職者さん」
少女は今度は男たちのグループにいる聖職者らしき男に問いただした。飲み干した杯を眺めながらーー。
「おいおい、おまえ以上に説教臭い奴がいるぜ」
「はは、そういうことを言っていたこともありましたっけ」
「お前の意見はどうなんだよ」
聖職者らしき法服を纏った男も、酒をあおって酔っている。
かつては法力と学識はトップであったが、教会の教えを守らず、金の横領を行ったため追放され、破戒僧に墜ちた男である。
「はは、そんな古くさい教え、よほどの堅物でもなければ教会でも今どき説いてないですよ。今はもうそんな堅苦しい教えが流行る時代じゃない。とにかく魔物さえ倒せば、人々は喜び、我々は懐が豊かになって幸せ、細かいことはいいじゃないですか」
「だそうだぜ、黴くさいってよお嬢ちゃん」
鼻をつまんで大声で笑った。
フードを被った少女は、ただ薄笑いを浮かべた。
「そうですか、聖職者ですら、魔族など恐れるに足らず、というわけですね、まあいいでしょう」
そして再び赤い酒が注がれた杯に口をつけた。
「け、気味の悪い女だぜ。いくら綺麗でも冷めちまう」
「魔族なんざ、いつでも、どこでも、かかってこいや!」
少女はそれ以上、返してはこなかった。
「おう、飲み直しだ、つまんねえ話きかされたから、酒がまずくなったぜ。誰かおもしろい話しろよ」
男たちは興味を失って他へ関心を向けた。
「おい、下手くそな歌だな。もっと景気のいいやつやれよ」
壇上で歌うに歌姫に茶々を入れる。
「ふふ、確かに聞きましたからね……」
銀髪の女の口元が笑った。
だが勇者を名乗る男たちはその呟きをもう聞いていなかった。
夜もすっかり更け月も傾きかけた時分。
この日は月が赤く輝いていた。
だが黒雲が空に立ちこめていて、時折、雲の合間から顔を出すが、すぐに隠れてしまった。
闇夜の中を、しこたま飲んで酔っぱらった一行は宿へ向かっていた。
誰もいない夜道をふらつきながら、肩を組み、おぼつかない足取りでゆく。
「ったく、迎えにぐらいきやがれってんだ。俺たちは勇者なんだから馬車か駕籠ぐらいよお」
「案外帝都もけちくさい場所だぜ」
「ち、どこなんだ、ここは」
この辺りは地方から出てきて身よりもなく仕事もない者が身を置く地域、帝都でもあまり治安の良くない場所であった。
粗末な造りの建物がひしめき合い、道が迷路のように入り組んでいる。
川は塵芥が流れてゆく。
犬の遠吠えだけが何軒も先の細道から聞こえた。
近道のために、細い路を抜けようとした時、小さな水路にかかる橋の上に、何者かが行く手を遮るように立っていた。
「ああ?」
影は無言のまま、塞いでいる。
「おい、そこをどけ」
「じゃまだ、とおれねえだろうが」
怒号にも影は身じろぎ一つしない。
「……」
男たちは苛立ちを深める。
「おい、聞こえているのかっ」
「俺たちが誰だかわかっているのか」
小柄な細い影はふふっと笑った。
「もちろん、勇者様ご一行ですよね」
女の声だった。
「おう、そうだ……って、その声は」
その透き通るような声に、聞き覚えがあった。
雲の合間から月明かりが差して、その影の姿が露わになる。
「お、おまえは……」
「黄金の三日月亭」で辛気くさい話をふっかけてきた銀髪の少女だ。
「ああ?」
羽織った外套が風になびく。そして綺麗な銀髪もサラサラと揺れる。
「なんだよ、これから夜の相手をしてくれるってのか」
「残念だが、俺はお子さま趣味は無いって言っただろう」
「こっちは別にかまわないぜっ」
「このど変態が」
まだ戯れ言を口にする余裕があった。
「ふふ……そうね。じゃあ、早速はじめましょうか」
羽織っている外套を脱ぎ捨てた。
そして、その体が月夜に照らされた。
「!?」
一同驚愕した。
少女は裸だった。
「変態か、こいつ」
「はは、思ったよりもいろっぽ……」
そこで絶句した。月夜に露わになった少女の体の、その異様な風体に驚いた。
「お兄さんたち……さあ、その腰のものを取りなさい」
剣を抜くように促した。
瞳は、さっきの碧眼とは違い、魔族を象徴する深紅が、夜の中に怪しく輝く。
そして、尖った耳。
尻からは延びる黒く長い尻尾。
背中には蝙蝠の翼。
そして、衣服の替わりに黒い毒蛇が何匹も体をはっている。
「な、なんだ貴様」
人間のようでいて、人間でない。
ようやく酔いが醒めてきた。
「まさか、こいつ、本物の魔族か……」
かろうじてそこまで認識できた。
だが、人間にとって、既に言い伝えの中だけの存在になっていた魔族。
その上、あまりにも格が違いすぎる相手で、危険の認識ができても、どの程度の力を持つものなのかまでは、わからなかった。
これまで相手をしてきた地上の低級の魔獣たちとはまったく違う。
最上級の魔族が目の前にいることも、それがどういう意味を持つものかもわからなかった。
「だとしたら、どうします? 勇者さま」
月明かりに照らされた悪魔の少女は、煽るように薄気味悪い笑みを浮かべる。そして長い舌で唇を舐めた。




