2 異世界でも平凡だった
ごとっという大きな音と共に、わたしはこちらの世界へと呼び戻されました。
「うーん……」
意識を取り戻したわたしは、手を伸ばしたあと、大きく欠伸。
「ふわああ……」
そして目を擦ります。
まだ夢と現実の狭間を行ったり来たり。
耳にごろごろとやかましく回転する音が聞こえてきます。ゴロン、ゴロン、ゴロン。
「あれ……ここは……コンビニのコーヒーが……」
まだ100円コーヒーの紙コップを片手に持っているような錯覚を覚えて右手を掴もうとしましたが、空しく空気を掴むばかり。
それもそのはず。
今わたしは薄暗い馬車の荷台の中で座っているのです。コンビニなどではありません。
聞こえていたゴロゴロという連続音は馬車の車輪が荷台を激しく振動させる音でした。
「大丈夫? エレーナ」
声をかけてきたのはわたしの反対側に座る甲冑姿の女性。薄暗い中でも鈍い金属の光を放っています。脇に大きな斧を置いて、あぐらをかいています。 そしてわたしを不思議そうにのぞき込んでいます。
「……そっか」
そこでわたしはようやく昔の夢をみていたことに気づきました。
(また前世の夢だ……)
「コンビニってなんだいそりゃ? 新しいお酒の名前かい?」
金属の光沢を放つ甲冑を着たその赤毛の女性は日本の成人男性よりもはるかに大きく体格も良い。
わたしの呟きに首を傾げています。そして座りっぱなしに疲れた脚を放り出します。
「ああ、すいません」
またやってしまったと思わず赤面。
わたし、時々寝ぼける癖があります。
寝ぼけるのは決まって前世の夢を見たときです。
前世の自分と今のわたしとが寝起きに区別つかなくなるんです。
今また盛大にやらかしたようです。
「すいません……最近いつも眠くて……」
「はは、やっぱりまた寝ぼけてたのかい、よくやるねえエレちゃんは」
その赤毛の逞しい女性に苦笑いをされてしまいました。
思わず頭をかきながら、様子を伺います。
長めの髪がわちゃわちゃ揺れました。ああ、そうだ。今のわたしは髪の毛も長いんだった。
「エレーナちゃん、本当によく寝てたよお」
次にのんびりした口調で話しかけてきたのは、甲冑女性の隣に座るとんがり帽子とマント、長い銀髪をリボンで結んでいる少女。やっぱり笑ってます。受けを狙っていたわけでもないのに笑われるとちょっと複雑です。
そのとんがり帽子の女の子は口元をほらほら、と指さします。
「ふぉ、ふぉうれすふぁ?(そ、そうですか?)」
結構盛大に涎を垂らしていたことに気づいて慌てて口元をふきました。
「気持ちよさそうにうつらうつらしてて、見てて飽きなかったよお」
夢うつつの人を見ているのが面白いというその気持ちはわかります。
でも見られる方はちょっと恥ずかしい。
「起こしてくれても良かったのに」
「いいんですよお、まだ当分次の町には着きそうもないし、魔物も襲ってこないと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
そしてようやく落ち着いて、今の現実に戻る。
「ルビーさん。わたし、どのくらい眠ってましたか? 結構寝てたようですけど」
「んー、半刻ぐらいかねえ」
おおむね一時間半ぐらいですか。この世界での時間は地球標準時間とはほぼ同じです。
経過した時間の問いかけに答えてくれた、そして最初の赤毛の甲冑姿の女性。
彼女はルビーさんといいます。
名は体を表すような見事な赤毛ですが、その他の装備も基本赤で統一されています。
その辺にファッション的なこだわりをみせるのが戦士職といえど流石女性です。
物々しさの中にかいまみえるリボン髪飾りも赤、鎧や盾の装飾も、剣の装飾も、マントも、赤だったりします。
そして名前もルビーさん。実は本名ではないのですが、今はその話はいいでしょう。
彼女はコスプレをしているわけではありません。大きな剣を携え、それを操ることを可能にする筋肉もりもりの体。本物の戦士なのです。
「エレちゃんはこんな酷い道で、よく寝られるねえーー」
がこ、ごきっという乾いた音が耐えない車内にうんざりと行った感じです。
「あたしはガタガタうるさくってしょうがないよ」
よいしょっと、ルビーさん。身につけている装備を外してしまいます。
ごてごてした装備は、常時着ていると流石に疲れる。というか蒸れる。
放り出した後は、簡素な下着姿で、ごろん。
今魔物に襲われたらほとんど裸のまま戦わなくてはいけません。
まあいいでしょう。冒険プロフェッショナルなご本人がそう判断されているのであれば、素人は口出さなくてもいいです。
「昨日あんまりよく寝てませんでしたから……ふあ」
また一つあくび。
昨夜野営した時に、あまり眠れなかったせいで今頃眠気が押し寄せてきているようです。
「あたしもエレーナちゃんと同じでもう飽きちゃったですよ、もう何日も山の中ーー」
わたしの横で一緒に大あくびする、この女の子はシルヴァちゃんと呼んでます。本当はもっと長いじゅげむのような名前でなのですが、覚えきれないのでほうよんでいます。
ふわあ……とやはり大きな欠伸をしてみせたこのとんがり帽子の女性・シルヴァさん。帽子を縫いで傍らに置くと、その綺麗な銀髪を無造作に一度ふわっとかきあげた後に、宝玉がはめ込まれた杖を枕にしてしまいました。
漫画やアニメでよく見た典型的なとんがった帽子。
あれも決して趣味でしている格好ではありません。
何を隠そう、この子は魔法使いなのです。だからあれは正装です。仕事着です。コスプレじゃありません。
私とルビーさんは彼女の暢気っぷりに苦笑します。
その緩んだ空気を突き破るように、稟とした声が馬車内に響きました。
「まったく、よく暢気に寝てられますね、この崇高な勇者様の旅路をなんとお考えなのですか」
私と同じ側、すぐ左に座っている白い衣装を纏った女性が厳しい目で私を睨む。
法衣と呼ばれるこの世界では神聖な組織に属することを象徴するものです。
「いつ何時襲ってくるかわからない、苦しんでいる人が溢れている世界を私たちが王国から旅立ってはや一年……そもそも今から二十年以上前にこの世界に再び魔物が蔓延り、魔王の復活が囁かれる中で、私たちは勇者様のお供をつかまつって……」
お説教が始まりました。
皆、聞き流しています。
はいはいとかふんふんと頷いて受け流すのがいつもの定番です。
「「「そうなんですね、とても勉強になりました」」」
棒読みで私も残りの二人も作り笑いで返します。
「わかったらいいのです」
どんなところでも堅苦しい空気を作ることができるというプラスアルファのスキルを持つ聖職者さんは満足そうにしていただけました。
そう、戦士。魔法使いときたら聖職者です。
道徳や倫理と神の恵みと慈悲を説く聖職者のお堅いイメージそのままに、このくたびれた馬車の中でも、一人気勢を張っています。
背筋を伸ばした綺麗な姿勢で。
でもあれは疲れそう。実際時折腰をとんとんこっそりやっていますしね。
あれをみるたび、わたしは聖職者にはなれないし、なりたくもないと、胡座の姿勢のまま思いを強くするのです。
さて、このメンバーのプロフィールを紹介したら、詳しい説明をしなくても、もう大体わかるかと思います。
わたしは今、魔王討伐のための勇者のパーティーのメンバーとして世界を旅しています。
快適な自動車などではなく馬車という乗り物でーーそして世界といっても地球ではなく、このファンタジックな異世界で。
外の景色はそれは拝みたくなるようなアルプスのように高く雄大な山々と鬱蒼とどこまでも茂る森。
まあアルプスも写真でしか知らないんですがね。
わたしは今この異世界で旅をしています。
……
……
……
……。
神様。いくらなんでもおかしいです。
あの時、わたしは確かにちょっと平凡な人生であることは嘆きました。
コンビニでお弁当を買って帰っていたときにお星様にお願いしました。
けれども。
勇者様と共に世界を救う旅をさせるなんていくらなんでもやりすぎです。
しかもーー。
栗色の柔らかい髪をかきあげました。うっとうしい。
今のわたしは十五歳の少女エレーナ。性別だって違います。
わたしはこの世界を救うという勇者パーティーの末席に座っています。
ただコンビニでお弁当買って、帰宅しようとしていただけのわたしが、どうして異世界に転生して、魔王を倒す旅に出ないといけないのですか。
「はあ……」
ため息を一つつきました。