1 平凡会社員、弁当買って帰宅途中に異世界転生する
仕事からの帰宅。
電車から駅を降りた途端に、強い木枯らしにさらされた。
「うわっ、さむい……」
もう11月だから当然ではある。
羽織っているコートのボタンを一番上までしっかり留めた。
改札口を抜け駅舎を出ると、辺りはもうすっかり夜の街並みだ。
人もまばらで電灯がポツリポツリ寂しく点るだけ。
ふと空を見上げると、乾燥した冷たい空気のおかげで澄んだ空に綺麗な星が見えた。
(変だな……)
今日は特に人を見かけない。いつもは帰宅するサラリーマンや学生たちがこの時間でももっといるはず。
珍しいこともあるもんだ。
ちりんちりん、と鈴の音が足下でなった。
「うん?」
暗いアスファルトの歩道をよく見ると、猫が俺の前に立ちふさがっていた。
「おいこら、道をあけてくれ」
毛並みの綺麗なその黒猫は、しかし目の前にでんと座る。
首に付けている鈴は中々デザインがおしゃれなアクセサリーだ。
ここから先へ進むな、とでもいいたげだ。
「ほら、ちっち」
まったく。俺は、ここを通らないと帰れないんだって。
手で猫を追い払った。あきらめたのか、にゃあと声をあげて、黒猫は去っていった。
猫が暗闇に消えていくのを見届けて再び一人歩き出す。
誰もいない行く手には一際明るい光を放っているコンビニがぽつりあるだけ。
ふと冷蔵庫が空っぽであることを思い出した。帰っても何も無い。
「何か買ってくか」
ここから先には、遅い時間までやっている店がない。
立ち寄ることにした。
自動ドアが開くと同時に流れてくる店内の温かい空気に触れてほっとする。
客はやっぱり俺一人だ。店員さんがレジに一人立っていた。
「いらっしゃいませ」
明るい店内には弁当酒お菓子等々、沢山の商品が陳列されている。
まったく便利な時代だ。
これが大昔とかハードファンタジー世界なら絶対できないことだ。俺みたいな平凡な人間でも、ちょっとした贅沢を堪能できる。
(ちょっとその贅沢をするか)
「お、シャイニン・ソード・ワールド13、来月発売するのか」
本棚のコーナーに並べられたゲーム雑誌の表紙に目を奪われた。
通称SSW。
登場キャラクターの沢山のイラストCGが描かれている。
剣を持った青年とヒロインのイラストとサブキャラ何人かが遠い目をして仁王立ちしている。
どこみつめてるんだろうな。
やる気の無さそうな奴は全然いない。
きっと、俺がこの表紙にいたとしても隅っこのキャラだろう。
この一番右下にいるよくわからない職業のキャラ。他のキャラの影に隠れてしまって、顔すらもうはっきりしていないし男キャラか女キャラかもわからない。レビューとか感想とかで、このキャラいらないんじゃね? とか存在意義が問われる役回りだ。場合によっては、最初から最後まで使わず出番が無い。
こんなんだったら村人Aの方がまだまし。
俺はきっと、このキャラになりそうだからゲーム世界に行きたいなんて思わない。
「そういえばガキの頃、第一作目を買って徹夜でやったっけ」
このシャイニングソードワールド一作目は普通に勇者が魔王を倒す話で、それがその後も基本スタイルなのだが、シリーズが進むにつれて、仲間をやたらと増したり職業がいっぱいあったり、複雑化していっている。
そして今や十三作目。相変わらず人気シリーズとして名高い。
懐かしい思い出がいっぱいあるが、大人になって就職してからはゲームをやる時間自体がめっきり少なくなって。このシリーズには手を出していない。
「七作目ぐらいまでは欠かさずやってたんだけどな……」
買う資金は一応はあるが購入しても結局やらずに積んだままになってしまう。ゲーム離れってやつだ。忙しさもあるが、無我夢中でゲームにはまったあのころが懐かしい。
まあ、いいや。
今、大事なのは飯をどうするかだ。
「さって、今日は何にしようかな」
弁当コーナーへ移る。
空腹の時はいつもこれと決めている。
唐揚げ弁当をカゴに放り込むと続けて野菜ジュースに明日の朝食べるパンと牛乳もついでに買い物かごに放り込む。
酒のコーナーは素通り。いや飲めないんじゃなく、飲まないんだから。
「よし、こんなもんか」
店には相変わらず誰もいない。
店員さんに買い物かごを差し出さす。
そして、バーコードを読みとっている大学生のバイトとおぼしき赤毛のお姉さんに、付け加える。並んで立つと結構身長、大きいな。
「お弁当あたためますか?」
「お願いします」
からあげ弁当を電子レンジに入れて、温めはじめる。
そのうちに、その若いアルバイトの子はレジ打ちを始める。
「954円になります」
俺は千円札を渡す。
うう……ウォーマーの肉まんとフランクフルトに目がいく。
だが、あれに手を出したら流石にメタボまっしぐら。
そろそろそういうことに気をつけないといけないお年頃になってきている。
しかも再来週は健康診断……。暴飲暴食は禁物だ。
電子レンジがちーんとなり、その店員さんは手早く袋に弁当を入れる。
ふと名札を見るとアルファベットが書かれていた。そういえばなんとなく髪の毛も赤毛っぽくて、発音も日本人とはまた違う。
最近、増えてるよね。留学生とか海外からきて働いている人。
とても尊敬する。俺が海外にいったってこんなふうに地元人と接して働けないよ。
俺は差し出された袋を受け取る。
「四十六円になります」
おつりをレシートの上に乗っけて……あれ。素手で直接渡されたぞ。大事そうに渡された。
いつもは目もあわせないのに。
そして表情の無かった店員さんは初めて口元に笑みを浮かべた
「どうかお気をつけていってらっしゃい!」
ん? 何、今の挨拶。
またお越しください、とか、ありがとうございます、だろうに。
だが、俺も昔バイトの時に「あ、あ、ありがとうございましゅ」とか言ってしまってたしな。
会計を済ませた俺は、ついでに買ったカウンター脇のコーヒーメーカーでセルフコーヒーを入れる。
コーヒーは基本ブラックだ。
「さて……」
買いものを済ませた後、袋を片手にコンビニを出た。
入れ替わりにブロンドのやはり若い女性が店内に入ってきた。やっぱり最近、この辺留学生でも増えているのかな。
乾いた冷たい風が吹きすさぶ外で、温かいコーヒーを飲みながら帰るのはささやかな楽しみだ。
のんびり何も考えずに星を眺める。あるいはどうでもいいことを考えたりする。
暗い夜道を歩いてアパートまで帰ったら弁当食って風呂入って寝るだけだ。
「うーんうまい……」
右手に持った熱いコーヒーを時折口にしつつ息を吐くと、白い息が一段と白くなったように見えた。
やがて交差点に行き当たる。ここを渡れば俺のアパートはもうすぐ近くだ。
目指すは横断歩道を渡った先の坂道を登って二階建てのアパートの一階104号室の1Kが俺の城。
今日はなぜか人通りがなく、車もない。
交差点で信号待ちをしていたら、ふいに後ろから声をかけられた。
「そこの方、すいません」
声は女性の高い声だ。
「ん?」
振り返ると、果たしてコートを来た女性が立っていた。
暗いし、フードのようなものをかぶっているので顔はわからなかったがたぶん若い子だろう。
「あのう、那良宇科学研究所はどこですか?」
「ああ、この道をまっすぐ行って突き当たった丁字路を右に曲がったところです」
俺は交差点の反対側を指さして手振りで伝えた。
「ありがとうございます、ふふ」
見ず知らずの女性はそのまま乾いた笑いをしながら去っていった。
フードから銀色に輝く髪がサラサラなびいて見えた。あれ。今の子も外国からの子?
気になったが、もうすぐ信号の色が変わりそうだ。歩みを早める。
再び一人になった。
「はあ……」
大きく息を吐く。
冷たい空気の中に消えていく白い息を眺めてた。
今日も無難にすぎていった。
きっと明日もこんな感じにすぎていくだろう。
そしてそのまた明日も――。休日がきて、明ければまた新しい週。
でもここまでこういう凡庸な人生だと不満は無いもののつい願ってしまうものだ。
ほんのちょっとでいい。
あまりにダイナミックだとかえって困るから。
夜空を見上げると冬の夜空に一面の星が見える。
星を眺めつつ冷め始めたコーヒーを一気に飲み干す。
このままこの人生でいいのかな……俺。
そこて物思いに耽っていたその瞬間。
(あ、流れ星)
空に白い光が見えて心の中で呟いた。
(願い事……なんてな。でも一応お願いしとくかええと……)
(少し平凡じゃないことが起きないかな……)
(あれ?)
急に辺りが白い世界へ。
そこで俺の記憶は終わる。
そしてわたしの物語が始まる。
ts要素はほとんどありません。
とりあえず10万文字を超えるぐらいまでは投稿していきます。