シオンとの共闘
あれから3日が経っても、勇者シオンはまだこの街に滞在していた。
勿論、あんなことがあった手前、話しかける事もないし話しかけられもしない。当然っちゃ当然だ。
でも時々見かけてはいる。この冒険者ギルドで。度々、一人でクエストに向かっているらしい。
勇者であるからだろうか。やはり人気も高いらしく、何回か声をかけられていたみたいだが、その都度、拒否をしているように見えた。
俺は、シオンとは何度かすれ違った事はあったが、お互いに我関せず。話などもっての他。
別に興味が無いのだろう。
恐らく一生関わる事はもうないのだろう。
俺も興味はない。ていうか、それ以前に魔王の息子と勇者だし。互いに相容れぬ関係だし。
そう言えば、以前に貰ったブラックハウンドの核だが、結構な資金の足しになった。新しい装備も買えたし、その点では感謝はしている。もう一緒に行動する事は無いのだろうけど。
今日もいつもと変わらずに俺は、一人でクエストに赴く。今日はネムリコケの採取だ。難しい事は何一つ無いので、今回は楽だ。帰ってきたら一人で豪華な夕飯にでもしようかな。金ならあるし、息抜きは必要だし。
そんなことを考えながら、俺はクエストに出発した。
◇
ネムリコケを見付けるのに時間がかかってしまった。いつもの採取ポイントは既に誰かに取られていた後だった。
仕方なく、別のポイントに行っていたら、時間をとってしまったのだ。運がなかった。けどまぁ、達成は出来たからよしとしよう。
冒険者ギルドに帰って、ネムリコケの納品を行う。そして報酬金を貰い、行きつけの酒場に向かう――筈だった。
急に、受付嬢に呼び止められたのだ。
「あの、ユクスさん、今ってお時間よろしいですか?」
「……何か問題でもあったか? ネムリコケの品質は良かった筈なんだが……」
「あっいえいえ、少し重大な話がありまして……」
少しの時間だけ、ギルド内の会議室に来て貰えないかと受付嬢から告げられた。
まぁ、少しの時間と言っていたから、問題ないか。予約とかはしてないし、恐らく席の1つぐらい空いてるだろうし。
少しだけなら大丈夫だ、と俺は快諾して会議室へと向かった。
そこには二人の人物が既に居た。
一人はスキンヘッドの強面こわもて風の冒険者であり、この街の冒険者ギルドの統括者であるギルドマスターだ。ギルマスと俺を含め皆は呼ぶ。ちなみに冒険者としての実力は折り紙つきだ。
もう一人は、勇者シオンだった。ピンク色の髪をなびかせ、俺の方を見る。しかし、その1秒後には視線を元に戻す。とても気まずい。この勇者も呼ばれていたのか……。
俺は気まずさを噛み締めながら、案内された勇者シオンの隣の席に着く。
「二人とも、忙しいのにわざわざ時間を裂いてまで集まってくれて、まずは礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「別にいい。それより早く本題に入ってくれないか? わざわざギルドマスター自らの召集だろ。相当ヤバイことでも起きたんじゃないのか?」
俺はギルドマスターに言った。
ギルドマスターが行う召集の意味、それは緊急召集に他ならない。低ランクの冒険者に悟られないよう、こうやって少人数で集会を開く。
「実はな、この周辺にジャイアント・クラブキングが出現した。幼体が急成長した、のではなく何かしらの行動によりワープされたという報告がきている。恐らく、あと二日もすればこの街に到達する勢いで進行してきている」
ジャイアント・クラブキング。
名前の通り、大きな体を持った蟹の魔物だ。蟹の特性通り、体を横に向けて移動するのが特徴である。戦闘時は姿勢を変えて、腹を相手の方に向けて戦う。ハサミの攻撃の他に、酸性を含んだ泡を飛ばして攻撃する事もあり、非常に厄介だ。
そして、何よりもこの魔物は外殻が固い。並大抵の攻撃じゃダメージを与えることが不可能なのだ。
そんな魔物がこの街の近くに出現したのか……。
「……で、コイツはともかく、何で俺も呼ばれたのか分からないんだが。俺より強い冒険者ならその辺にウジャウジャ居るだろ。それとも、まさか3年間で簡単なクエストしかしてきていない俺に、ジャイアント・クラブキングと戦ってこいって言うのか?」
「おうよ。お前なら勝てるはずだ。俺の目に狂いがなければな」
「……正気かよ……。俺は嫌だからな。第一に、死にたくないし」
あまりにもギルマスが笑顔でいうのだから、苦笑してしまった。
3年間、ギルマスが俺の株を買ってくれた出来事なんて何もないけどな。魔族だって事はバレてないけど、何でそんなにギルマスは俺を推すのだろうか。そこがイマイチ分からない。
「……俺はギルマスが思うような強い冒険者じゃないから、俺は降りるぞ。追放するならしてくれ。他の街で生きていくから。つか、そこの勇者だけでいけるだろ。俺なんかは足手まといだろうに」
「そう言うなって、ユクス。……じゃあ、1つ話をしてやろう。半年ほど前、ワイバーンが近くの村で出現したって噂があったろ? でも、何事もなく、村には被害は出なかった。それは、一人の冒険者が単独でワイバーンを狩ったかららしいんだわ」
あれ、噂は興味ないから聞いたことないけど、何か心当たりがあるような……。
いや、気のせいか。
「それで、俺と何の関係が?」
「いや、その時にその村の近くに行ってる奴ってな、お前しかいないんだよ。その噂を聞いてから、俺はお前を信用しているんだ」
…………しまった。
そうだ、そういえばそんなこともあった。
あの日は、確かに近くの村の方向へキノミユソウという特殊な薬草を取りに行ったんだ。
その村の周辺でしか育つ事の出来ない特殊な薬草で、その薬草の群生地にはブラックハウンドが沢山棲んでいる為、迂闊に近寄らない場所だった。
俺は報酬金に釣られ、誰にも見られていない事を確認してから、魔法を駆使してブラックハウンドを蹴散らし、目的のものを見つけた。
が、そこでワイバーンと出会ったんだ。しかも、そのワイバーンがキノミユソウの群生地に巣を作ろうとしている瞬間に。
改めて周りを確認して、咆哮し、威嚇してきたワイバーンと俺は対峙した。
ワイバーン特有の固い皮膚を、炎の魔法で焼きつつ、少しずつ丁寧に体力を減らしてワイバーンの動きを制限しつつ、最後は氷の魔法で一撃で仕留めた。
という戦闘をした記憶がある。
誰も見られてないと思っていたが、なんでそんな噂が流れたのだろう。誰もいない筈なのに。
というか、噂の範疇だし。偶然だろ。
「偶然の一致で俺に死ねというのか? 第一に噂だろ? 確証もなく俺なんかを推薦するなって。マジで他にも強い奴いるんだから」
「ちなみにこの噂の情報源は俺だ」
ガタンッ、と俺は椅子が倒れた事すら気付かない程、感情に身を任せて眼前のギルマスの襟元を掴んだ。
「……どこまで見た? お前は、どこまで俺を知った?」
隣では、俺の豹変ぶりに驚いている表情のシオンがいる。
そのシオンの事さえ構わずにギルマスを睨み続けた。
「……はは、別に大して知ってないから安心しろって。だけど俺は不思議でたまらないよ。そんなに強い力があるのに、なんでお前は弱い冒険者を騙る? そんな事をするメリットが考えられないんだが」
「あんたには関係ない」
そうぶっきらぼうに呟いて、ギルマスを解放した。
幸いにも、俺が魔族だという事は知られていないらしい。
もし、知られていたら、俺はギルマスをどうしたのだろうか。殺すのだろうか。それとも、話し合いで解決するのだろうか。そんなことを考えるが、答えは出ない。
椅子を戻し、俺は座る。目の前の席のギルマスは、真っ直ぐに俺を見ていた。
――どうしたものか。
と、考えていると、静寂を破るように隣の席のシオンがギルマスに質問をした。
「それで、話を纏めたいのだが、私はこの方と一緒にジャイアント・クラブキングを倒してくれと、そう言うことでいいのか?」
「ああ、そういう事だ。だから頼む。実は今、別件で違う冒険者達には出張に行って貰っているんだ。すまないが、頼れるのはお前たちしかいないんだ」
ギルマスは、シオンの問いに肯定した。
「分かった。引き受けよう。討伐するのはいつ頃からだ? こちらの準備は整っているが」
「早ければ早い方が助かるな。準備が出来次第、俺に話しかけてくれ。ジャイアント・クラブキングは、この街の南門から向かって真っ直ぐに行ったところに群れをなしている。あぁ、目的地までは馬車を使っての移動にしよう。すぐに手配させる」
そう言ったギルマスは立ち上がり、この部屋から出ていこうとする。
が、ちょっと待った。
「おい、俺は行くなんて言ってないけど」
そう言ったが、シオンに睨まれた。
「別に私に対しての不満は持って貰っても構わないが、この街が危険に瀕している時に、動けるやつが動けなくて何が冒険者だ。この街を守るために、お前は動かないのか?」
その言葉は正論だった。
感情論では、何も解決しない。
そんなこと、わかっていた筈なのに。
そうだ、最初から分かっていた筈なのに、どうして意地を張ったのだろう。
まだまだ子供だった、俺は。
「……準備は俺も整ってる。馬車の手配が済んだら、すぐに向かう」
ギルマスを問い詰めるのも、シオンとの気まずい空気も、全部全部終わってから考えればいい。
魔王城から抜け出して、俺はこの街に住み着いた。住み着いた直後は分からない事だらけで大変だったが、その都度、他の人に助けられてきたんだ。そうだ、ともあれ、これは俺が借りを返す千載一遇のチャンスなんだ。
今はこの街を守るために、戦おう。
◇
馬車に揺られながら、俺とシオンは目的地に向かっている。
分かっていた事だが、馬車の中は気まずい雰囲気が漂っていた。いや、これから大物と戦うってのにピクニック気分でいたいとか、そういうのではないけども。
昔からこの空気は好きになれない。幼少期、親父の出席していた会議の時は、いつもこんな空気だった。ある意味、毎日の鍛練より地獄ではあった事をふと思い出した。
なんというか、張り詰めすぎだと思う。俺も、シオンも。
そりゃ、3日前くらいに色々あったからだと思っているが、今思えば、なんでそんな下らない事で仲違いなんて起こしたのだろうか。
まぁ、魔王の息子と勇者だもんな。互いに全てが合わなかったんだろうな。必要以上の検索はやめにしよう。
向こうだって、俺なんか何とも思ってないだろうし。
あっちから見れば、俺もその辺の有象無象だからな。しがない一般冒険者にしか見えない筈。
さて、とりあえずジャイアント・クラブキングの倒し方でも考えていた方が、考えても答えのでない問いを考えるより幾分か有意義だよな。
奴は、とにかく甲殻が固いことで有名だ。俺の持っているこの武器ではダメージなんて与えられないだろう。反対に、腹の部分は比較的攻撃が入りやすいと聞く。が、それはジャイアント・クラブキングとの真っ向勝負をしかける事を意味する。言うまでもなく、奴はハサミでの攻撃も強い。本来なら、俺よりもっと上の冒険者に依頼するタイプのものだしな。仕方ないけどさ。
勇者の手前、あまり力を出して戦いたくは無いんだが……。
まぁ、なんとかなる。
最悪、勇者が見てない時に魔法を解放して焼き蟹にするか。
そんな簡単な戦術考察をしていると、目的地に着いた。
馬の手綱を引いていた下人が、馬車の扉を開けた。
「……着いたか。うっわ、ほんとだ。ありゃまごう事なきジャイアント・クラブキングだな……。しかも思ってた以上に大きいし」
全長は3メートルにもなるぐらいの大きな蟹が、3匹程少し遠くに見える。
平原であるため隠れるところが無く、その巨体を堂々と俺達にさらしているようだった。
3匹……まぁ順当にいってシオンが2匹、俺が1匹になるのかな。1匹でも報酬はとんでもない額だったから問題ないけど。おっと涎が……。いや、欲望に忠実になるのは魔族も人間も関係ないからな。
さーて、仕事しますかー! と歩く俺。だが、勇者が付いて来ない。どうしたんだろうかと、後ろを振り向いた。
そこにいたのは、本当に勇者だろうか……。
「おい勇者。どうしたんだよ、そんなにブルブル震えて。そんなに寒いか? 足か? 足冷えてんのか? スカートが短いんじゃないのか? もっと足までの長い……」
「ち、違う! わ、私は水棲系の魔物が苦手なのだ……」
…………は?
え? は? あんだって?
足までガタガタと震わせた勇者は確かにそう言った。
いや、確かにあの蟹は、目を凝らして見ればグロい構造をしてるけども……。
って、そうじゃないよな。
「……勇者も苦手なものがあるんだな」
なんて、俺は少し笑いながら言ってしまった。
するとシオンは顔を真っ赤にしながら、猛反撃してくる。
「なっ!? わ、私だって女の子なんだぞ!! そ、そりゃあ怖いものの1つや2つくらい……」
……なんか、拍子抜けしてしまった。
勇者であっても、シオンはそれ以前に少女なのだ。生い立ちはどうであれ、シオンの少女らしい一面が見えて、また俺はクスリと笑ってしまう。
「ははっ、悪い悪い。そうだよな、勇者だって一人の人間だし、強くはあっても無敵じゃないもんな。てか、なんだ。可愛いとこあんじゃん。変に強引で我が儘な奴だと思ってたけど、そんな1面もあるんだな」
「……平気で可愛いとか言うんじゃない。あんまり慣れてないのだ、その言葉は」
「へぇ、そりゃあ意外だな。っと、こんなこと話してる場合じゃないな。ほら、ブルってないで行きますよ、勇者殿?」
俺は再び歩き出した。
今度は後ろから『ブルってなどいないっ! というかそもそもブルってるというのはどういうことなのだ!?』と怒声混じりの声が聞こえた。シオンも歩いて来ているようだ。
さて、ジャイアント・クラブキングをどうやって倒すか、だよな。まぁ倒すだけなら問題ない。水棲系の魔物が苦手な雷属性と魔法を使えばいいだけなのだから。
問題なのは、こちらの手の内をどの程度までシオンに見せるのか、だ。そして嫌らしい事に、ジャイアント・クラブキングは耐久力があり、並大抵の魔法では倒せない。ある程度強い魔法を使わなければ、ダメージはおろか、掠り傷すらつけられないだろう。
(さぁて、どの辺りまでがボーダーラインだ? 一応、魔物の知識は頭にあるけど、あいつがどの程度の魔法で倒せるのかは分からんしな……)
そんな事を考えている内に、ついに見付かった。3匹ともこちらを視認し、太いハサミを上に掲げるような体勢で威嚇してきた。
その際、咆哮なのか鳴き声なのかは知らないが、奴等の口から『カカカカカカカカッ!!』という、何とも耳障りな音が聞こえた。聞いているだけで不快になるその音は、俺はともかくとして、勇者シオンには効果抜群だったりする。鳥肌が止まらないらしく、ひぃひぃ言ってやがる。
「シオン! 来るぞ! 気を付けろ!!」
そして戦闘が始まった。
奴等は蟹特有の横移動を駆使して、俺達の周りを円を描くように駆け巡っている。いつ攻撃してくるか分からない行動に、俺とシオンは無意識に背中を合わせていた。そして、背中越しに心の底からこの蟹達に対して嫌悪感を抱いているのが分かった。……2匹は厳しそうか?
とりあえず、相手のペースに飲まれないよう、まずは比較的弱い初級の魔法から撃ってみる。俺は左手を前に出し、移動し続けるジャイアント・クラブキングが俺の前に来た瞬間に魔法を放つ。
「【サンダーショット】!!」
それは、10センチ程の小さな雷の球だった。雷属性Eランク魔法『サンダーショット』。名前の通り、小さな雷を球状に替えて撃ち出すという魔法だ。
俺の放ったサンダーショットは、そこら辺の有象無象の冒険者とは弾速も威力も違うのだが、撃ち当てられたジャイアント・クラブキングは気にせず移動を続け、時おりハサミで攻撃してくる。どうやらダメージは無いに等しいようだ。
(ま、効かないか。一応、他の冒険者よりは強い威力なんだけどな)
ほんの少しだけ落ち込む気持ちを切り替え、今度は少し強い魔法を撃ってみる。
「【サンダーボルト】!」
俺が無詠唱で繰り出した魔法は、雷属性のCランク魔法。それは、敵の頭上から降り注ぐ白い雷の柱だ。先程のサンダーショットよりも威力が高く、広範囲に攻撃できるのが強みだ。
ちなみに、魔法はEランクからSランクの六種類にランク分けされている。Sランクの魔法の使い手は、この世に5人もいないとされており、人間が知っているのかは分からないが、その内の一人は俺の妹だ。
ともあれ、俺の放ったサンダーボルトは見事にジャイアント・クラブキングを包み込むように突き刺さった。
かなり耐久力のある魔物だが、弱点の魔法だったためか、これには耐えきれずにそのまま上向けに倒れてしまう。だがまだ瀕死までには到ってないらしく、腕やハサミをバタつかせて何とか体勢を戻そうともがいていた。
だが、これで相手の連携は崩れた。
畳み掛けるように俺とシオンは動き出す。声を出さずとも、シオンは動いてくれる。流石、勇者だよなと感心してしまう。
「はぁぁぁぁあっ!」
シオンが飛び上がり、渾身の突きをジャイアント・クラブキングに見舞った。その一突きだけでジャイアント・クラブキングは呻き声をあげながら後退してしまう。
顔色があまりよくないが、それでもシオンは容易にジャイアント・クラブキングの耐久力を越える力を持っている。
俺も負けられないな。もう少し強い魔法を当ててみるか。
「神の怒りを体現せし雷よ。この場に来たりて敵を殲滅せよ! 叩き潰せ【トールハンマー】!!」
大気から収束した雷が、やがて戦槌のような形を形成し、それはジャイアント・クラブキングを文字通り破壊した。
跡に残るのはジャイアント・クラブキングの核のみ。甲殻の欠片や塵すら残らせない一撃を俺は見舞った。
トールハンマーはAランクの魔法の1つであり、俺が使用できる魔法の中ではトップクラスの強さを誇る魔法の1つだ。
「……やっぱり、強い力を持っているじゃないか、ユクス。今の魔法は、ただの冒険者では扱えないものだろう? 本当にすごい冒険者だよ、君は」
なんて、シオンが声をかけてきた。
その背後には、背面も腹の部分も同じくらいに、無数の切りつけられた跡が残っているジャイアント・クラブキングの死骸があった。ジャイアント・クラブキングの甲殻を易々と深い傷をつけられるシオンの武器も凄いが、本当にすごいのは、シオンの素早さにあると思った。
あの短時間であれだけの量の傷痕を残すとなると、毎秒どのくらいの攻撃をしていたのだろうか。考えれば怖くなるな……。勇者こえぇ……。
「……それ、あの大蟹を簡単にぶっ倒した奴が言うと、ただの煽りにしか見えないんだが。まぁでも、かの有名な勇者様に言われると悪い気はしないな」
「んなっ、煽りや冗談で言ったわけでは無いぞ!? 私は本当にユクスが強いと思っただけで……」
はっはっは。勇者様が狼狽してらっしゃる。
俺も嫌味ったらしく言ってしまったが、本当は悪い気なんてしてないんだ。魔王の息子としてそれはどうなのかはさておき、一人の冒険者としてはこれ以上ないぐらいの言葉だからな。
そう言えば、俺をここまで評価してくれたのはシオンが二人目だ。一人目はノエリア。ノエリアは兄妹補正があっただろうが、シオンは違う。そう言った意味では、初めて評価してくれた人になる。
……なんだろう、なんか照れてしまう。親父にも教官にも言われてこなかった『君はすごい』という言葉。心が温まる。
「……シオン。3日前、女の子としての君に酷い事を言ってしまった。本当にすまない」
「えぇっ!? ど、どうしたのだ、急に。い、いやでもあれは、私が一方的に逆ギレしてしまっただけだから……その、ユクスが謝るような事じゃないし……」
俺はシオンに向かって頭を下げた。いつぶりだろう、俺が頭を下げるなんて。人との関わり合いは最低限にしてきた名残なんだろうけど。
その急な行動に、またもやシオンはあたふたと狼狽えた。
困った顔で、そう返答した。
「酷い事を言ったのは事実だろ。だから、謝らせてほしい」
「……私も我が儘だった。だから、お互い水に流すとしないか?」
「そうして貰えるなら助かる。それと、ありがとうな、シオン。人に誉められたのは数年ぶりだよ」
「……そ、そうか。いや、喜んでくれたならいいんだ」
そう言うと、シオンは俯いてしまった。
なんか、照れ臭い雰囲気になってるんだけど、実はこれ、まだ戦闘中なんだよね。引っくり返って攻撃できない状態になってるだけで、完全に絶命はしてないからな。
さて、残りの奴をさっさと倒して美味い飯でもたらふく食べるとしますかね。
俺は引っくり返って動けないジャイアント・クラブキングに視線を移す。
するとそこには、立った状態のジャイアント・クラブキングがいた。
…………んぇ!?
「お、おま、いつの間に起きやがった!? じたばたしてたんじゃ無かったのかよ!」
起き上がる音は聞こえなかったのに! 何かのスキルを使用したのかもしれない。俺も魔物の生態に詳しい訳じゃないしな……。油断していた。
そうこうしている内に、眼前の大蟹は次の攻撃に移ろうとしていた。ハサミを振り回すのではなく、また動き回るのでもない。
そうだ、そう言えば忘れていた。ジャイアント・クラブキングにはあの攻撃があったんだ。
しかも、攻撃の矛先は俺ではなく、ジャイアント・クラブキングに背を向けた状態で俯いているシオンだ。
「シオン!! 避けろ!! 酸の攻撃が来るぞ!」
魔法の攻撃では、無詠唱であっても攻撃を止めることは出来ないと咄嗟に判断した俺は、シオンに向かって叫んだ。
ハッ、と気が付いたシオンは素早く右に飛んで酸の攻撃を避けた。ジュウゥゥと音を立てて地面が溶け出した。それをモロに食らえばいくらシオンでもそれなりのダメージは受けるだろう。危ないところだった。
「……くっ!」
酸の直接攻撃は免れたものの、その飛沫がシオンに振りかかる。咄嗟に顔を籠手で護ったが、所々が溶けてしまった。正確に言えば、両籠手、胸当ての一部、スカートの一部分である。
何かしらのデジャブを予知してしまった俺は、首の骨が悲鳴をあげるぐらいのスピードで顔を――というか視線を――ジャイアント・クラブキングの方へ向けて固定する。
そして案の定。
「――ゆ、ユクス!! 絶対こっちを見ないでくれ!!」
と言ったシオン。
勿論見る気は更々ない。
「……この、エロ蟹がぁぁぁぁっ!!!」
そして、怒声混じりのシオンの咆哮が聞こえた。後に続くようにものすごい爆音が遅れて聞こえてきた。
ジャイアント・クラブキングの咆哮に目を向けていた俺が見たものは、ものすごい土煙と幾つもの数の光の柱が空から降ってくる光景だった。
昔、本で読んだ事がある。
勇者の使うスキルの中に、無数の光の柱を上空から放ち攻撃するスキルがあるらしい。そのスキルの名は【ホーリーレイ】。光属性のSランク級の魔法と同等の力を持っているスキルである。
それを、俺は今見ているのだ。
土煙がやがて止み、そこに残ったのはひび割れたジャイアント・クラブキングのハサミだけだった。通常の攻撃ではまず壊れない魔物の核すら残さない絶対的な力が、そこにあった。残されたハサミは、恐らく攻撃が運よく当たってなかっただけだろう。本体は死んでるけど。
「……まじかよ……」
その圧倒的とも言えるような力の前に、俺はただただ開いた口が塞がらないだけだった。
――ジャイアント・クラブキング討伐戦、終了――