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パラレルサマー

作者: 伊豆泥男

0 ムラカミ エミリ



 それは、去年の夏休み最終日のことだった。


「ごめんね。今日は夏休みの宿題を終わらせなくちゃいけないから、忙しいんだ」


 サカザキ君は、今年もそう言って私の誘いを断った。私は今年も、サカザキ君の家の玄関で、途方に暮れることになった。


 サカザキ君の、宿題を完遂しようとするその執念を、私はこれっぽっちも理解できなかった。夏休みの宿題を終わらせたからといって、別に何かが変わるわけではない。そりゃあやらなければ先生には怒られるかもしれないが、その程度である。宿題をやり遂げたからと言って、急激に頭が良くなるわけでもなければ、将来の進路が変わるわけでもない。むしろ、何も考えずに宿題をするだけなら、頭が悪くなるのではないかとさえ思う。


 そんなくだらないことよりも、夏休みを楽しむことのほうが大事なんじゃないのか――そう主張する私に、サカザキ君は今年もこう答えるのだ。


「そういうわけにはいかないよ。だって僕は、優等生なんだから」


 馬鹿じゃなかろうか。


 優等生なら、夏休み最終日に尻に火が付くような進め方をするな。もっと計画的に行え。お前は優等生なんかじゃない。偽物だ!


 私は思いつく限りの罵倒をサカザキ君に投げつけ、浴衣が乱れるのもいとわず、その場から走り去った。今年もまた、晴れ着が無駄になった。あいつと一緒に花火を見られないのなら、こんな面倒なもの着る意味がない。


 ああいっそのこと夏休みの宿題なんて、この世からなくなってしまえばいいのに――




1 サカザキ コウスケ



 夏休みには、宿題があるんだった!


 五年生の夏休み最終日。目覚まし時計の電子音が鳴り響く中、僕は不意に思い出した。それは考えてみれば、この上なく「あたりまえ」のことだった。太陽が東から登るように、リンゴが地面に向かって落ちるように、お父さんの靴下が臭いように、お母さんに体重のことを聞くと顔が引きつるように、それはこの世の理のごとく当然のことであった。


 夏休みには、宿題がある。通常のそれよりも大いなる宿題が。


 それを最終日まで忘れているなんて、間抜けもいいところである。僕はベッドの上で頭を抱える。窓の外ではセミが、僕をあざ笑うかのごとくシャウシャウと鳴いていた。


「ええいうるさいうるさい。僕を馬鹿にするよりも恋人探しに集中しろ」


 僕は窓を乱暴に閉め、自室と外界を断絶させた。そしてひとまず、一か月以上放置していたランドセルの中身を漁り、机の上に宿題を並べた。計算ドリル、漢字ワーク、絵日記、自由研究……。ダメだ。眺めるだけでくらくらしてしまう。これを一日で仕上げなくてはいけないなんて、気が滅入るどころの話ではない。


 毎年夏休み最終日には宿題のラストスパートで苦しんでいたが、今年のこれは異常である。何せ、一つも手を付けていないのだから。例年だと、初日に計画を立てその通りに進めようとして、途中で狂いが生じ最終日に帳尻を合わせるため苦しむ、というのがお決まりのパターンだったのだが……。存在そのものを最終日まで忘れているなんて。五年生になるというのに考えられない。


 しかし、いつまでもくよくよしているわけにはいかない。今日思い出せたことを幸運だと考えよう。現在時刻は午前七時。今から死ぬ気で宿題を進めれば、明日の提出に間に合わせることも不可能ではないはずだ。そう。僕は宿題をやらないわけにはいかないのだ。なぜなら僕は、自他ともに認める、学校でも随一の優等生なのだから。そのイメージに反する行動をするわけにはいかないのだ。優等生でなくなってしまえば、僕はあの天才少女の隣にはいられなくなるのだから。


「コースケー。朝ご飯、出来たわよー」


 僕が机に向かって鼻息を荒らげていると、一階からお母さんの声がした。何はともあれ、まずは腹ごしらえである。腹が減っては戦は出来ぬ。僕は今から、一世一代の大戦をするのだ。エネルギーは十分に補給しなくては。


 僕はどたどたとリビングへ降り、元気よくいただきますと食材への感謝の意を表明すると、トースト、目玉焼き、カットされたリンゴ、そして牛乳を、勢いよく口へと放り込んだ。


「あらあら元気のいいことね。夏休みが終わるからしょんぼりしてるかと思ったのに」


「お母さん。僕にはそんな暇などないのです。不覚ながら、夏休みの宿題の存在を忘れていたのです。おそらく今日は丸一日、宿題を終わらせるために部屋にこもることになるでしょう。邪魔をしないでいただけるとありがたい」


 僕がそう言うと、お母さんは目を丸くした。無理からぬことだ。自分の息子が夏休み最終日まで宿題に手を付けていないなどと言い出したら、驚き、憤り、怒鳴り声を上げるくらいは当然であろう。僕は、お母さんからの厳しい叱責を覚悟した。


 しかし僕の予想に反し、お母さんは驚きこそすれ、憤りも、ましてや怒鳴りもしなかった。お母さんの声色には、むしろ僕を心配するような色さえ見えた。


「何を言っているの? 夏休みに、宿題なんてあるわけないでしょう? だって夏『休み』なんだから。宿題なんてあったら、心ゆくまで休むことも遊ぶことも、出来やしないじゃない」


 お母さんは、平然とそう言ったのだった。


 気づけば、午前中だというのに太陽は西の空にあり、朝食のデザートであるリンゴは、皿を離れふわふわと空中を漂っていた。




  2 ムラカミ エミリ



 短冊の角が、破れていた。


 朝起きると、クリアファイルの中に大切に保管している短冊の無事を確認する。それがここ一か月半の、私の習慣だ。一見すると何の変哲もない、色紙を長方形に切って作られたただの短冊。七月七日が終わればほとんどの人は興味を失うそれを、私はこの夏休みの間、ずっと大事に持っていた。


 それが、ほんの少しではあるが、破れていた。昨日見たときにはきれいなままだったのに。

入れていたクリアファイルには傷もしわもない。引き出しにしまっていたことから、外部からの力で破れたとは考えにくい。考えられる可能性は二つ。昨日確認した後、クリアファイルにしまう際にとちって破いてしまったか。もしくはこの短冊が、ひとりでに、自ら、破れたのか。


 どちらにせよ、嫌な予感がする。私はこの短冊を「使って」いるが、その仕組みについてはよくわかっていない。自他ともに認める、学校でも随一の天才少女であるこの私にもわからないのだ。何が起こるか想像もできない。ひょっとするとこの短冊の破れが、この世界そのものの破れにまでつながってしまうかもしれない。


 私はいてもたってもいられず、短冊をクリアファイルごとバッグに入れ、家を出る準備をした。玄関であわただしく支度をする私を、母が訝しんだ。


「どうしたのエミリ。どこかに出かけるの? せっかくの夏休み最後の日なんだから、夕方まで家でゆっくりしてたら?」


「非常事態が発生したの、ママ。下手すりゃこの世界の危機にも繋がる。あれの復活は、絶対に阻止しなくちゃいけない」


「あらあら! 悪の組織とでも戦うの!? いいわねそういうの、懐かしいわ。お父さんは中二のころにそういう戦いをしてたけど、エミリはだいぶ早いのね。まだ小五なのに」


 何やら変な勘違いをされている気がするが、構っている余裕はない。私は「そういうことそういうこと」と適当にあしらった。


「でもエミリ。夕方には戻ってくるのよ? 毎年のことだからわかってると思うけど、着付けには大分時間がかかるんだからね」


「分かってるってママ。今年こそは、ちゃんと着てやるんだから」


 私はそう宣言すると、お気に入りのスニーカーの紐をぎゅっと結び、玄関から飛び出した。何もなければいいのだけれど。




3 サカザキ コウスケ



『ははは! ボケたのかサカザキ。優等生のお前らしくない。夏休みに宿題なんて出してないよ。学生は勉強するのが仕事だ。そのお休みなんだから、宿題なんてないんだよ』


 尊敬するタマキ先生にまで、電話口でそう言われてしまった。同級生が言うならまだ疑いようもあるが、担任の先生の言葉である。しかも、その論理も納得がいくものだった。「休み」なのだから宿題はない。完璧な理屈である。


 僕は頭を悩ませた。お母さん、同級生、タマキ先生とすべての人間が「夏休みに宿題はない」と言い切っていた。しかし実際に僕の勉強机には「夏の復習」やら「サマーワーク!」などと書かれた問題集があるのだ。そして何より、僕だけが「夏休みには宿題がつきもの」という認識を持っている。これは明らかにおかしな現象である。


「いったん整理をしよう」


 僕はお父さんからもらった大学ノートに、わかっているおかしなことを書き出した。


 ①僕は夏休み最終日の朝目覚めて、宿題の存在を思い出した。


 ②宿題自体は、確かにランドセルの中に存在した。


 ③お母さん、同級生、そして宿題を出したはずのタマキ先生まで、宿題は存在しないものだと言っている。


 ④太陽は西から登り、リンゴは宙に浮く。


 ……こんなところだろうか。


 引っかかるのは①である。今現在の僕は夏休みには宿題があるものだと思っているが、昨日までは忘れていたのだ。それがただ単に忘却していたからなのか、はたまたみんなと同じように、存在しないものとして認識していたのかは記憶が定かではない。しかし世界が④のようであることをこれまで不思議に思わなかったことから、後者なのではないかとも考えられる。


 つまり、夏休みから宿題が消失したことを中心に、世界がおかしくなってしまったのだ。そして僕を含めたみんなは、そのおかしくなった世界を「あたりまえ」のものとして受け入れていた。が、夏休みの最終日である今日――不意に僕だけが、元の世界のことを思い出したのだ。


「何だか変なことになってきた」


 冒険小説や映画では、別の世界に迷い込んだら、元の世界に戻る方法を探すのものだと思う。けれども僕には、そんなことよりも大事な問題がある。僕は夏休みの宿題をするべきか、否か、である。


 この世界のルールに従うのなら、する必要はないだろう。先生も宿題なんてないと言っているのだから、やらずに新学期を迎えても誰にも怒られない。


 しかし引っかかるのが、元の世界のことを思い出した僕と、それに伴ってランドセルの中に現れた元の世界の宿題である。僕が思い出したということはつまり、この世界は元の世界に、戻りつつあるのではないか。僕だけが特別な存在であるということは考えづらい。世界のどこかで、僕と同じように元の世界のことを思い出したり、それに合わせて宿題が出現したりしているのではないだろうか。


 そう考えると、宿題をしないわけにはいかない。この世界が永遠である保証は、どこにもない。明日にも元の世界に戻ってしまうかもしれない。そのときに備えて、やはり僕は宿題をするべきなのだ。


 そして何より、僕は自他ともに認める優等生なのだ。優等生は、宿題を期限までにきちんと仕上げる。そういうものである。例え世界が多少形を変えたところで、優等生のすることは変わらない。僕が優等生であるためには、宿題をしなくてはいけないのだ。僕はまず手始めに、計算ドリル「夏の復習」のページを開く。宿題範囲は一冊丸々。僕の能力から考えると、四時間くらいはかかるだろうか。ならば限界を超えれば、二時間で終わるだろう。僕の脳みそはスーパーコンピュータもかくやという速度で回転し熱を発していた。


 なんとしてでも、宿題を終わらせてやる。この世界がどう言おうと関係ない。僕は優等生なんだ。だから宿題をきちんと終わらせるんだ。そうしないと僕は、あの天才少女と肩を並べられないのだから。


 換気のために窓を開ける。うるさかったセミの鳴き声が、今は応援してくれているように聞こえた。




4 ムラカミ エミリ



 勢いで世界の危機に繋がる、なんて言ったけど、別に私は、この世界の大半がどうなろうと構わないのだ。こんなことを言えば、製造者責任を問われるかもしれないが、そんなこと知ったこっちゃない。こんな世界、明日にだって元に戻ってもらっても構わない。


 もともと、もしもそうだったらいいなと星に願ってできた世界だ。パラレルワールドとかいう概念が、今のこの世界に近いものだと思う。もしもあんなものがなければという私の思いを、どこかの気まぐれな神さまが叶えてくれたのだろう。作り変えられる過程で、星の動きや重力の作用なども変わってしまった。今のこの世界は、七月七日以前とは明確に異なる別世界なのである。そしてそれは、私の願いというこの上なく不確かで非科学的なもので成り立っている。いつどんなきっかけで元に戻ってもおかしくない。例えばそう、きっかけの短冊が少し傷ついたり、だとか。だから明日朝目覚めたら、元に戻っていてもおかしくはない。


 けれども今日だけは、このまま何も起こらずにいてほしい。あれが復活すれば、私の計画は崩れてしまう。今日まで何もなかったのだから杞憂だと思いたいが、しかし彼の執念には、計り知れないものがあるのだ。偽物の凡人のくせに、優等生であろうとするその根性だけは、本物なのだ。あいつなら、何かやらかしかねない。


 どうか、何も起こっていませんように――私はそう願い、サカザキ家の呼び鈴を押した。




5 サカザキ コウスケ



「コースケー。ムラカミさんが呼んでるわよー」


 「サマーワーク!」が半分ほど終わった午前十一時頃。お母さんの声が階下から響いた。ムラカミさん、確かにそう聞こえた。これがガキ大将のスミヨシ君や、あるいはお調子者のアライ君であれば、僕は顔も出さずに「忙しいのでお引き取り願うようお伝えください」とお母さんに言ったであろう。しかし、ムラカミさんであれば話は変わる。


 ムラカミさんは、自他ともに認める学校でも随一の天才少女である。


 僕や同級生のみんなが必死に考えても答えが分からない算数の問題であっても、ムラカミさんは瞬く間に答えを導き出した。毎年の作文コンクールでは優秀賞を取りすぎて殿堂入りし、教室で休み時間ごとに行われる将棋大会では生徒はおろかあのタマキ先生ですら敵わない。とにかく彼女は天才的であった。しかし彼女は得意げになるわけでもなく、いつも「こんなことできて当然。むしろどうしてできないのかがわからない」と言い放つのだった。そんなムラカミさんは、僕の憧れの存在であった。


 ムラカミさんなら、このわけのわからない世界の謎も、解けるかもしれない。僕は彼女の名前を聞き、ふとそう思ったのだった。


「分かりました! 今降ります!」


 僕は鉛筆を止め、椅子から立ち上がった。何事にも超然とした態度をとるムラカミさんなら、僕とは全く異なる視点から、この謎を解いてくれるやもしれない。いや、きっとそうに違いない。


 僕は「サマーワーク!」を携え階段を駆け下り、玄関を開けるやいなや、開口一番ムラカミさんに勢いよく尋ねた。


「ムラカミさん久しぶり! 突然で申し訳ないんだけど、君は『夏休みの宿題』って知ってる――?」


 そして、僕の言葉を聞いた瞬間、ムラカミさんは見たこともないような形相で――怒った。


 いや、見たことがないというのは嘘だ。ちょうど一年前、夏祭りに行こうという彼女の誘いを断ったときにも――




6 ムラカミ エミリ



「よりにもよって! なんで今日! 思い出すの!」


 気づけば私は激高していた。悪い予感は的中していた。サカザキ君の右手に目をやると、そこには「サマーワーク!」と書かれた問題集があった。聡明な私は、それだけですべてを察した。


 サカザキ君は、元の世界のことを思い出してしまったのだ。そして彼は今年も、宿題を終わらせようとしている。夏休みの宿題が存在しない、この世界でも。


「いい、サカザキ君。あなたは思い出しちゃったかもしれないけれど、でもやっぱり、この世界には『夏休みの宿題』は存在しないの。だから、する必要もないの」


 私は、狼狽するサカザキ君の、目と鼻の先まで近づく。


「ど、どうしたんだいムラカミさん。というか、君も宿題の存在を知って……」


「分からないなら教えてあげる。この世界は、私が作ったパラレルワールドなの」


 うんざりした気分だ。世界が変わっても、こいつは宿題をやっている。もう全部どうでもいい。ぶちまけてやる。


「毎年毎年、夏休み最終日に宿題をやるあなたに嫌気がさしたの。だから七夕の日、私は星に願った。『この世界から、夏休みの宿題がなくなりますように』って。そしたらそれが叶っちゃったってわけ。私は思わず飛び上がった。これで今年こそは――って」


 意識しなくても、言葉が勝手に口から飛び出していた。いつでも冷静沈着がモットーの私らしくない。しかしその洪水は、もう止めることができない。


「それなのに、どうして今年も、この世界でも、あなたは宿題をしようとするの」


「でも、現にこうして僕のところには、夏休みの宿題が存在している。もしかすると、明日には元の世界に戻っているかもしれないのだし……」


「だからといって、宿題をしなくちゃいけない理由にはならないよ。明日突然世界がに元に戻ったところで、突然元に戻った宿題を、みんながやってこられると思う? 異常事態による特例で、きっとなしになるに決まってる。馬鹿正直にやってこなくてもいいんだよ。第一、世界が元に戻る保証もなければ、元に戻らない保証もないんだから」


 私は、サカザキ君が突き出した「サマーワーク!」を、彼の手ごとはたいた。冊子が地面へ落ちる。そして私は改めて彼の目を見つめた。


「お願いだから、夏休みの宿題なんてしないでよ。そして私と一緒に、夏祭りに行こうよ――」


 この町の夏祭りは例年、夏休みの最終日に行われると、決まっていた。




7 サカザキ コウスケ



「ごめん。それはできない。僕はやっぱり、夏休みの宿題をするよ。宿題をしなければ、僕は優等生ではなくなってしまうから」


 今にも泣きだしそうなムラカミさんの目を見つめかえし、僕は答えた。


「またその『優等生』なの? 去年も言ったよね。あなたは優等生なんかじゃない、って。なのにどうしてそんなに、その肩書にこだわるの」


 ムラカミさんの怒りは収まらない。あたりまえだ。言ったことをそのまま信じるのなら、彼女は僕に宿題をさせないために、別世界を作り上げるという途方もない超常現象を巻き起こしたのだ。流石の天才少女である。そこまでした彼女に、僕の気持ちが伝わるかは分からないが――とにかく僕も、正直に言わなくてはいけない。


「僕が優等生にこだわる理由は、ムラカミさん、君にあるんだよ」


「わ、私!? 私のせいなの?」


 目を丸くするムラカミさん。無理もない。これは僕が、初めて他人に打ち明けることなのだから。


「もちろん、君のせいにするつもりはないんだよ。そう聞こえるかもしれないけれど。……僕はね、ムラカミさん。天才少女である君に、憧れていたんだ」


 僕が知る誰よりも聡明で、僕が知る誰よりも格好いいムラカミさんに、僕は惹かれていた。もちろん彼女は、誰からも羨望の目で見られていたが、僕のそれはその中でも群を抜いて強かったと自負している。そして僕は思った。彼女のようになりたい、と。


「でも君も言ったように、僕は凡人だった。それどころか、平均よりもかなり下の人間なんじゃないかとさえ感じている。だから僕は、やり方を変えたんだ。天才じゃなく秀才に、優等生になろう、ってね」


 ムラカミさんにはたき落された「サマーワーク!」を拾う。


「だから僕は、こうやって宿題をするんだ。そうしないと、天才でもない、優等生というのも怪しい僕は、本当にただの凡人に戻ってしまう。それは嫌なんだ。優等生になろうとする努力を続けることで、僕はようやく君と肩を並べられる。宿題を終えない限り、僕は君の隣にいられないし、」


 一緒に夏祭りに行くことも、出来ないんだ。


 僕は自分の思いを、信念を、余すところなく伝えた。


 信念なんてかっこつけたが、言ってしまえばただの意地なのだ。ムラカミさんに負けたくない。でも才能では勝てない。だから、彼女の才能に匹敵するくらいの真面目さを、優等生という肩書で手に入れようとしたのだ。もちろん僕は偽物だから、ぼろが出ることもある。けれどもそれでも、優等生になろうとすることをやめれば、偽物ですらなくなってしまうのだから。


 おそるおそる、ムラカミさんの顔を覗き見る。そこにはもう怒りの表情は見られない。しかしそれ以外の感情も読み取れない。早い話が、ぽかんと開いた口をそのままにしていた。


 僕のハズカシイ告白をムラカミさんはどう受け止めたのだろうか。彼女の気持ちなり返事なりが気にならないと言えば嘘になる。しかし、こちらから「どう思った?」なんて聞くのは、マナー違反にもほどがあるというものだ。僕が自分の想いを乱暴に叩きつけただけなのだから。


「じゃ、じゃあそういうことだから、僕は宿題の続きをしなくちゃいけないから、戻るね。明日提出があろうとなかろうと、一つも漏れのない宿題を、完成させて見せるから」


 僕はそう告げ、ムラカミさんに背を向け、ようとした。その瞬間僕の左腕を、ムラカミさんの細い手が掴んだ。僕の言ったことに、反論があるのだろうか。それもそうだろう。僕の気持ちは、彼女にとって納得がいくはずもないものなのだから――


 だが僕の予想とは裏腹に、ムラカミさんが次に言った言葉は、反論でも文句でも、ましてや怒声でもなかった。


「そこまで言うなら、もう宿題をするななんて言わない。なんだったら、手伝ってあげる」


「……え」


「もちろん、答えを教えたりはしないからね。あくまで、解いた問題の答え合わせとか、考える上でのヒントを与えるとか、そのくらいのことしかしないからね。それならあなたのよくわからない優等生のルールにも違反しないでしょ。いい? 私が手伝うんだから、何としてでも終わらせるの。それも明日までなんて生半可なことは言わない――」


 今日の夕方六時、夏祭りが始まるまでに、終わらせること!


 そう言うとムラカミさんは、僕の腕を引っ張り強引に家に入ってきた。自分の秘密を打ち明け、僕の告白を受け入れた彼女の表情は、台風の後に広がる快晴の空のように、晴れ晴れとしたものだった。


 やっぱり、ムラカミさんには敵わない。




8 ムラカミ エミリ



 どおん、どおんと、最後の花火が上がった。サカザキ君と私は、それを遠く離れた部屋の窓から、うっすらと眺めていた。


 結局、夏祭りまでに夏休みの宿題を終えることはできなかった。普通に考えれば、四十日かけてやるべきものを、半日で終わらせるなど不可能だ。それなのになぜか、十時間前の私はできると思った。謎めいた万能感に浮かされていたのだ。私らしくない。


 でも、不思議と後悔はしていなかった。もちろん、夏祭りに行けなかったことは悔しい。浴衣の準備をしてくれたお母さんにも謝らなくてはいけない。しかしそれでも、サカザキ君と宿題をするのは、楽しい。


「申し訳ないムラカミさん! 君の手助けがあったのにも関わらず、僕は宿題を終わらせることができなかった。後は読書感想文を残すだけなのに」


 私を拝むようにして謝るサカザキ君。無茶を言ったのは私なのだから、怒っているはずもない。しかし、簡単に許すのもいささかシャクに障る。こちとらこの数年間、ずっと煮え湯を飲まされていたのだ。――だから少しだけ、イジワルを言うことにした。


「じゃあ、来年の夏祭りこそ、一緒に行くって約束して。――もちろんそれまでに宿題を完璧に終わらせて、ね」


「ああ、もちろん――約束するよ」


 来年私たちは六年生になる。次の夏休みが、小学校最後のものになる。その次の年からは、私たちはどうなっているかわからない。二人とも地元の公立中学校に進学するかもしれないし、サカザキ君か私のどちらかがどこか遠くの私立に進学するかもしれない。確実に同じ夏休みを過ごせるのは、来年が最後なのだ。


 環境破壊についての本に目を戻すサカザキ君に見えないように、私はバッグからそっとクリアファイルを取り出した。そして大事にしていた短冊を、静かに破いた。


 夜空に広がる星座が変わり、サカザキ君のお母さんが差し入れてくれたおやつのリンゴが、ぽとりと床に落下した。

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