67 一方その頃の王女【視点:アリエーゼ】
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「アリエーゼ。どうして僕のところにこうして連れてこられたか、分かるかい?」
にこり、と柔らかく口元を緩めるのは、私の兄であり現国王陛下の次男――コーウェン=デンツァファクス=ヴァルファランだ。
青と白の礼服を見に纏い、長い金髪を後ろでまとめている。今年で御年19になられる、王位継承権2位の人である。
そんな彼の赤い瞳がスッと細められた。
私は今、彼の部屋の中央の執務机の正面に正座させられていた。
わざわざ執務室の前に設置されていた応接用のソファー二つと机を取っ払ってまで、わたしをこの位置に正座させるなんて……力の入れどころが相変わらず良く分からない人である。
と、このまま笑顔でダンマリしていても状況は好転しませんね。
とりあえず何か軽い冗談でも交えつつ、この空気を中和していかないといけませんね。
「そうですね……私の顔を見たくなった、とかでしょうか?」
そう少し冗談っぽく言えば、コーウェンもパッと笑顔を浮かばせた。
この笑顔。
額面通りに信じてはいけない。
彼は笑顔で仲良く会話をしている最中に流れるようにビンタをかますことが出来る男だ。
彼の笑顔に油断してはいけない――これがコーウェンを知る者、共通の認識である。
ゆえにニッコニコしている彼の前に鎮座せねばならない事態が生じた場合は、余計なことを言わず、必要最低限の相槌と笑顔で乗り切るのが定石であった。
……と対応策は分かっているのに、どうしても冗談を挟んで煙に巻きたくなるのは、私のいけない性だと思う。
けれども性なので、やめられない。
「ふふ、そうだね。どうも執務ばかりに手を取られていると家族同士のスキンシップが疎かになってしまうからね。レジストンから『度キツイお仕置きをお願いします』と言われた時は、このクソ忙しい時にって苛ついたけど、こうして無理を押してでも可愛い妹の顔を見れる機会を作ってもらったと思えれば、感謝しないといけないかな」
「あら、お兄様ったら……ふふふ」
――さて、どうしましょうかしら。
昨日の夜、野次馬騒ぎがあったから興味を惹かれて行ってみれば、人外の化け物が人を襲っていたものだから、反射的に間に入って能力を使ってしまったけど、まさか間髪置かずにレジストンが来て、私を捕まえるだなんて予想外でしたね。
しかもレジストンやナタリアさんの説教ではなく……コーウェンお兄様に外注するとは。
私は瞬きと瞬きの間に、部屋の設備を確認する。
壁には二本の曲刀が飾ってあったけど、さすがのお兄様も、あれで私の首を落とすような真似はしないはず。随時笑顔の癖に沸点が低いお兄様だけど、どんなに理性を吹っ飛ばしても、常識までは離さないので、命に係わることや傷を負わせるようなことは絶対にない。
となると……室内の壁に沿って立っている近衛騎士三名が何か隠し持っている、とか?
ジーッと近衛騎士の方々を眺めていると、彼らは居心地が悪そうに視線を逸らした。
「アリエーゼ」
名を呼ばれたので仕方なく、私は正面へと視線を戻す。
視線を外していたのは数秒の間だけだったのに、いつの間にか彼の手には一冊の本が握られており、コーウェンお兄様はそれを見せつけるように左右に振った。
そのどこかで見たことのある皮表紙に、私は思わずハッとした。
「これが……何か、分かるかな?」
「そ、それは……っ!?」
室内で待機している騎士たちは「あの本が何か?」みたいな顔を浮かべているので、おそらくお兄様の独断で持ってきたものなのだろう。
……私の部屋から。
「お、お兄様! 未婚の淑女たる私の部屋に無断で入るなどっ! いくら兄妹でも許されませんわ!」
「普通の未婚の淑女たる者は、深夜にレジストンの部屋に行かないし、ロープでぐるぐる巻きにされて縛り付けていたにも関わらず夜間に無断外出などしないよ。極めつけは街で能力を使って一騒動起こす、ときたもんだからね」
お兄様の笑顔が一段と黒くなる。
数度低くなった部屋の中、私は正論の前に口をつぐむ以外、できなかった。
「さて、私生活では多くの貴族令嬢のように無駄な散財をせずに過ごすアリエーゼの生き方は好ましいものだが、唯一……君が金をかけるものが、これだ」
「う……わ、私の『砂漠の騎士と踊り子 第二巻』をか、返してください! それはまだ読みかけなのです! 続きが気になるのです!」
「だと思ったよ。君の寝所になるべく近い場所に置かれていて、かつ、栞がページ半ばに挟めてある。君がこの本を途中まで読んでおり、次の空き時間に手に取るであろうものだと見て取れたからね。だから持ってきたんだよ」
「む、無駄に賢いっ!」
「無駄ってなんだい? ふふふ、アリエーゼはおかしなことを言うなぁ。それにこういう場合は賢いではなく、洞察力があると言ってほしいね。王位を継ぐつもりはないけど、こう見えて重要な仕事を幾つも任されているんだ。それなりに頭が回らなきゃこの席にはつけないよ」
うぐ、うっかり口が滑ってしまった。
相変わらずの笑顔ですけれど、間違いなく怒ってますわね……。
「さて……ヤンチャな妹を黙らせるには、どんな手が効果的だと思う?」
これ見よがしに振る本の姿を無理やり視界の外に追い出し、私はぎこちなく微笑んだ。
「や、やはり……家族の愛情、ではないでしょうか。私もその、お兄様たちやお姉様がお忙しいとは存じておりますが……どうしても寂しい年頃でして。それで一時の迷いとはいえ、このようなことをしてしまったのかもしれませんわ」
「そうだったんだね」
こんな言葉で誤魔化せないことは重々承知だけど、こう言うしかない。
「でも、その時期はとうに過ぎてしまったと思うんだ。過去、国王陛下を始め、王妃、兄様たちが宥めて止めるように口を酸っぱくして聞かせても、こんな結果になってしまうんだからね。ふふふ、その度に説教や尻叩き、奉仕活動などをさせてきたけど、どうやらそれに対して耐性ができてしまったようだからね……これからは別の方法で行こうと思うんだ」
そう言ってお兄様は人質を音を立てて執務机の上に置く。
あまり乱暴に扱って欲しくないんだけど……この場では強く言えないのが辛いわ。
ああ、机に本を置いた衝撃で栞が外れそうだわ……! うぅ、早く手元に戻したい。
「お、お兄様……! 本は職人が一冊一冊、真心を込めて複写した高級品ですわ! しょ、処分だけは考え直してほしいのです!」
雲行きは間違いなく人質――『砂漠の騎士と踊り子 第二巻』の犠牲の方角へと向いている。
何としてでも阻止しなくては!
人の手で複写される本は再度作成されるまで時間がかかる。しかもあれは娯楽用の物語を嗜めたもので、文字数が多い上に挿絵なども含まれるので、非常に再購入するまでに間が空いてしまうのだ。
まだ一度も読んでいない本ならまだしも、現在途中まで読み続けている本だからこそ、困る。
続きが気になるし、再発行を待っている間に他の本を読む気にもならない。一つの物語を最後まで一辺に読みたいのだ。
とにもかくも、廃棄処分だけは防がないと!
私の真摯な眼差しを真っ向に受けるお兄様は、やはり微塵も変わらない笑顔を浮かべた。
「等価交換」
「え?」
「だから等価交換だよ、アリエーゼ。僕の今日の業務は既に君の対応で30分も間延びしている。これはつまり言いかえると、僕の就寝時間が30分遅れる、という結果に繋がるわけだね」
「は、はぃ」
「僕の睡眠時間の10分をそうだね……金貨1枚分と同価値だとしよう。となると、今僕は金貨3枚分の損失を被ってしまったわけだね。――で、この本はいくらだったんだい?」
「き、金貨5枚、です……」
「……思ったより高いな。まぁいいさ。では君には等価交換の罰を与えるとしようかな。この本の価値が金貨5枚で、僕の損失は金貨3枚だ。だからこの本の5分の3を処分させてもらうよ。うん、栞もちょうど全体の5分の2あたりに挟まっているし、この栞の後ろを切り捨てることにしようか」
「え、ええええっ!? ちょ、ちょっとお待ちください、お兄様っ!」
「なんだい?」
「そ、それだと続きが読めなくなってしまいます!」
「そうだよ? だから罰になるんじゃないか。ふふ、随分と効果がありそうだから、今後はこういう形でお仕置きすることにしようか」
ひぃぃ! あ、悪魔だわ、この人!
「お、お尻叩きを大人しく御受けしますので!」
「それだとお仕置きにならないだろう? むしろ喜ばせてしまうかもしれないじゃないか」
「私にそんな性癖はありませんっ! ただ慣れただけです!」
な、なんてこと言うんですか、このお兄様は!
ほ、ほら……近衛騎士の方々も私をチラチラ見ては気まずそうに視線を逸らすじゃありませんか!
「慣れたことは何の自慢にも理由にもならないよ、アリエーゼ。さ、切り離したページは君の目の前で一枚一枚、丁寧に燃やしてあげるから、きちんと目に焼き付けておくんだよ」
笑顔でそんなことを言う鬼畜お兄様。
この人、いったい誰に似たのだろうか……。
「ご、後生ですから! ほ、他の方法で金貨3枚分の働きをしますので!」
「へえ?」
キラリ、とお兄様の目が光った気がした。
あ、ま、まさか……これを待っていた? 私が本の命欲しさに、こう言いだすのを……!
大きな墓穴を掘った気がして、私は徐々に小さくなる声で「わ、私にできる範囲で……」と付け加えた。
「ふむ、気の利く妹を持つ兄は幸せだよ。それじゃあ早速、僕の思う金貨3枚分の働きをしてもらおうかな」
「……ええと、先に内容を窺っても?」
「いいよ。でももう断ったりするのはナシだよ」
「………………ハイ」
私の返事に満足そうに笑顔を深め、お兄様は「こっちに来なさい」と手招きした。
私は正座をほどいて立ち上がり、彼の横まで移動し、執務机の上の本を凝視する。
「この本については、きちんと責務を全うしたら返してあげよう。ただし途中で逃げたり、完遂できなかった際には――わかるよね?」
「わ、分かっておりますわ」
「よろしい」
短く答えるとお兄様は、机の端に揃えられていた紙の束の一番上にあった資料を一枚手に取り、私へと向けた。
「これの対応、宜しく」
「これ、とは……………………………………こ、これっ!?」
「無事そいつを追い返して来たら、報告しにここに戻ってくるようにね」
「お、お兄様! こ、こここれは、私が返事を出したら逆効果になってしまうと思います!」
お兄様が渡してきた資料。
それは、私への婚約推薦状だった。
いつも兄たちが毎月数十に上る婚約の話を蹴ってくれていることは知っていた。まだ社交界にも出ていない10歳の私に、婚約者はまだ早いとお父様が判断しているからだ。
私はいつか位の高い貴族家へ嫁ぐか、他国へ王妃候補として渡る可能性が高い。そのことはこの国に住まう貴族たちは重々に知っているはずなのに、こうして婚姻の申し出が絶えないらしいのだ。
まあそういった正式な事情があるので、面と向かっても断るのは絶やす話だ。
けれども……この資料に載っている「ポルモン子爵」はちょっと困った相手だ。
以前、城の回廊で会ったことがあるけど、その時はあまりの「自分推しトーク」に1時間近くその場に拘束された経験がある。
あの時はナタリアさんがたまたま用事で外しており、代わりにまだ専属侍女としては若い二人の侍女と共に行動していたので、誰も彼の猛追を遮れる人がいなかったのが不幸だった。
しかも、今まで何度も断っているのに、こうしてまた資料が届く熱意……。
実際に会ったから分かりますが、彼は私自身というより、私の名と身体を求めているように感じた。
今現在の私、というより、未来の私を狙っている、という感じでしたね。
何度も「数年後には素晴らしく美しい淑女になりますでしょうなぁ」といやらしい目で見てきましたし……正直、かなり苦手な部類の御方です。
資料を見ると、どうやら今日は内務官と打ち合わせがあるようで、直接、王城に出向いてくると注意書きがされている。そういえば彼は内務の様々な部分に関わっている人だった覚えがある。
その部分を見た私は思わず、青ざめた。
もしかしてこれを相手に……一人で出向いて断ってこい、と。
原則、この話に王族が直接出向くことはない。
お兄様たちも普段は返事の手紙を出して済ませるだけだろう。
私もこの注意書きを見るまでは「私が手紙を出す」ことに不安を示していたのだけれど、どうやらお兄様のお仕置きはその上を行くようだ。
私が返事を出すこと自体も深読みされたりする危険性が大いにあったけど、直接出向くのはそれ以上に影響力が強い。ちょっと彼がどんな反応を目の前でしてくるのか、想像するのが怖い。
そんな感情を読み取ったのか、お兄様はニコリとトドメの言葉を付け加えてくれた。
「ああ、言わなくても察したと思うけど、彼は今日、王城に来ているからね。内務部に行って、直接断ってきてほしい。手紙じゃなく、君の言葉で、だ。一応護衛に近衛を五名同行させるつもりだし、専用の控室も予約してある。ちなみに護衛には、不敬に当たる言動や行為が明らかでない場合は手出ししないよう、僕から命令しておくつもりだからね」
つまり……あの這いずり回るような視線や、延々と続く長い会話は我慢しろ、ということですね。
「お兄様……酷すぎます」
「ふぅ……それが嫌だったら、今度からはもう少し大人しくしてほしいな」
「ぜ、善処します」
大人しく、できるだろうか?
結局、昨日は例の私と同じ銀髪の子も見つけられなかったし……でも、さすがに今回みたいな罰は何度も受けたくない。
うぅ……後でレジストンと相談してみよう。
その後、私は肩を落としながらお兄様の執務室を後にし、ポルモン子爵家当主と面会した。
やっぱり、といいますか予想通り、いやーな視線に晒された一時間で、ゴリゴリと私の精神力が削られた地獄の時間でした。
でも本は帰ってきましたし、部屋に戻ったらナタリアさんたち侍女の皆さんが今日ばかりは優しくしてくれましたので、何とか立ち直れました。
ロープでベッドごと縛られることなく、布団に包まれて眠りの底に落ちていく中、どこか「今日はお疲れのようだから、抜け出す心配はなくて安心ね」と安堵した声が聞こえた気がしましたが、精神的に疲弊した私はすぐさま熟睡することになりました。
2019/2/26 追記:文体と一部の表現を変更しました