08 気付けば馬車の中
――ガタン……ガタン……。
意識が浮上してきたと同時に感じたのは、不定期に感じる振動だった。
んん……なんだろう?
靄が晴れてくるかのように、徐々に意識がハッキリとしてきたわたしはまず、現状がどうなっているのかを考えた。
ええと、確かわたしは森林まで逃げて、そこで蛭に襲われて…………そうだ、蛭につけられた毒を洗い流そうと水場を探していたんだ。それで……川の音を聞いて走って……、あー……足元がお留守になってコケたんだっけ? それで視界がグルグル回って、坂を多分転げおちたんだろうな……。そこで記憶が飛んでいる気がする。
――あれ?
それじゃわたしはまだ森の中?
でも、この全身に感じる振動はなんだろう……。感覚的にはどこか懐かしい感じはする。でもすぐに思い出せるほど、鮮明な記憶でもない。そうだ……わたしは基本、魔法で移動していたから馴染みがなかったけど、この感じ……前に国の祭事で形式上、馬車で移動することがあって、その時の揺れの感覚に近い気がする。もっとも、あの時は上等な馬車だったため、ここまで乱暴な振動はこなかったのだが。
――ガタン。
うぐっ!
せ、背中が痛い……!
斜面を転がっている最中の記憶はあやふやだが、どうやらその過程で背中を強く打ったみたいだ。
背筋が突っ張ったような感覚と、杭でも強く押し込まれているような痛みが走った。
――ガタン、ゴッ。
大きい振動がきたことで、わたしは否応なしに反射的に体を強張らせ、そのせいで再び痛みに悶える。
「ぐ、ぬぅ…………」
ようやく声が出た。
思考は既にクリアなのだが、この貧弱体質にとって蓄積した疲労やダメージの枷は思いのほか、重い。
未だに瞼は開かないし、寝そべっているのは分かるけど、手足はおろか寝返りすら打てない。声が出たということは、ようやくゆっくりと身体機構が動き出したんだろうけど、あまりにも緩慢である。
そういえば、麻痺毒はどうなったんだろうか。
今手足が動かないのは、疲労からか、毒からなのか分からない。
気を失う前に、僅かに水に触れた気がしたのだが……結局どうなったんだろう。
「…………ぅぅ」
呻いてみる。
誰かいるなら、反応して。
すごく背中が痛い……。
ぐぅ……嘔吐覚悟で、自分で魔法をかけてみようかな……。
――ガタガタ、ガタン。
だから痛いって!
やめて、これ以上、揺らさないで!
「だ、大丈夫……?」
歯を食いしばっていると、不意に声をかけられた。
わたしはハッとし、慌てて周囲の気配を探知する。別に技量や力を究めんとする戦士ではないが、これでも高度な魔法文明が栄えた時代で起った戦火の中を生きてきた経験がある。一度冷静になり、意識を集中すれば目を閉じていようとも、近くにどの程度の生物の気配があるかぐらいはわたしにでも分かる。
それができないぐらい、現状に混乱していたのが分かってちょっと恥ずかしいが、ともかく痛覚と意識を切り離して、わたしは周囲にどの程度の存在がいるかを視た。
……5人、いや…………6人?
全員が座っている状態なのか、低い位置に気配が揃っている。
性別までは分からないけど、おそらく全員が人だと思う。疲弊しているのか、その存在は弱弱しく感じた。
少し離れた位置にも別に2人の気配も捉えられた。
おそらく……御者、だろうか。その少し前に馬の息遣いも感じ取れたので、間違いなくここは馬車の中だとみていいと思う。
わたしはぐぐっと重い瞼を開く。
「……ぅぁ」
何度も言うけど、背中が痛い!
何度も言いたくなるほど、痛いの!
もちろん口に出すと、子供っぽくて嫌だから言わないけど、心の中ぐらいではしつこいぐらい訴えたい。
「ど、どこか痛いの……?」
気遣う声と同時に、わたしの体を抱え起こそうとしてくれているのか、脇の下に手を入れられ引き寄せられる。わたしの後頭部や背中が引き寄せられた先に密着したため、その人肌の温もりに思わずわたしはホッとしてしまった。
声質からして、ほぼ間違いなく女性だ。
今のわたしよりは上だろうが、それでもかなり若い子なんじゃないかと思う。
「す、みません……」
善意を感じたので、わたしは素直にお礼を言う。
そして、ようやく瞼が開いていき、わたしは抱えてくれた子の顔を見ることができた。
「よ、良かった……起きたと思ったら、急に苦しんでたから……」
「……」
――おお、会話だ。
何だか人と話すのが数年ぶりのような気がするぞ。
どのくらい気を失っていたか分からないけど、まだこの世界に転生してきて一日も経っていないだろう。だというのに、体感的にはかなり久しぶりに人と言葉を交わしたように思えた。わたしってこんなに弱かったっけ? と嘆きそうになるほど、わたしは人恋しかったようだ。
声から想像した通り、心配と安心が入り混じった表情でいる女の子がいた。
服はわたしのゲロ土塗れのものよりはマシでも、ところどころ解れた個所のあるボロボロで薄汚れた布服を着こんでいる。
亜麻色の髪と目尻の下がった温和そうな子だ。
首元に歪に嵌められている無骨な首輪が、そんな彼女には似つかわしくない異色を放っていた。
「ごめんね……できればお母さんのところに返してあげたいけど、私にはそれができる力が無いの……ごめんね」
少女があやすようにわたしの頭をなでてくる。
正直、撫でられて喜ぶほどの精神年齢ではないのだが、何故だか全身の力が抜け、わたしはしばらく目を閉じて撫でられるがままの状態を受け入れた。
――うーん、眠くなってきた…………むにゃ…………じゃない!
なに、寝ようとしているんだ、わたし!
危うく母に抱かれる幼子のごとく、夢の世界に飛び立つところだった。
「ありがとう、お姉ちゃん」
一応、見た目はこの子よりも年下だろうから、わたしは言葉を選んで彼女を「お姉ちゃん」と呼ぶことにした。
少女は少し目を開いて驚いたが、すぐに破顔してギュッとわたしを抱きしめた。
なんだろう、わたしぐらいの年齢の子に知り合いでもいるのだろうか。
妹かな?
やけに手馴れているというか、わたしを心配しているというか。わたしとしても居心地がいいので全然構わないのだが、彼女の少し大袈裟なスキンシップに少し疑問を感じた。
これは――不安?
そう、不安だ。
彼女はわたしを心配すると同時に、自分の不安を打ち消そうとするかのように、わたしという庇護対象を大切に扱おうとする雰囲気を感じる。
わたしはようやく正常稼働し始めた瞼を完全に開き、そこで初めて現状を理解した。
馬車の荷台となる場所。
そこにわたしはいるわけだが、わたしを抱えている少女以外に5人――全員女性で年若い子たちがいた。
誰もが隅に体を小さく見せるように縮こまっており、視線が虚ろな人もいれば、ずっと下を向いている人もいる。そして共通するのは、全員が鉄製の同じ首輪をつけていることだった。
まさか……。
わたしは手を動かそうとする。
皮膚の上にまとわりついていた毒は誰かが除いてくれたのか、まだ痺れはあるものの、右手はわたしの意に沿って動いてくれた。
そのことに安堵しつつ、わたしは右手を自分の首元に這わせる。
「…………」
――無機質な鉄の感触。
間違いなく、それは彼女たちが装着しているのと同じ――首輪だった。
次回「09 戦争の収穫たち」となります(^-^)ノ
2019/2/23 追記:文体と多少の表現を変更しました。