58 操血女王の片鱗
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ドクン、と心臓が高鳴る。
一瞬だけ過剰に流れ込んできた血流が、鼓動を早くさせたのだろう。
そこに不快感は無く――逆に馴染み深い懐かしさをわたしは感じた。
どうやら、あの八本腕の化け物に殺された後、転生先を巡って世界間を旅していた一部の「従来の血液」がわたし本体を見つけ出し、帰ってきたみたいだ。
過去の転生時も100%の血液が転生後に引き継がれた、ということはない。他の世界に漏れた血液が徐々に身体に戻り、やがて完全な体へと戻る工程は確かに過去にもあった。しかしどれも微々たる量が戻る程度の話で、今回のような大きな身体への反動というのは無かったがために、わたしも最初は驚き、慌ててしまったわけだ。
例外と言えば、今生はスタート時の血液量があまりにも少なく、動かせる身体が子供サイズしか無かったということだろう。そのせいで、今回のように突然力が抜けたり、体内の血液を押し出してしまう現象が起こったのではないかと、わたしは推測した。
他人から見れば、焦りを抱くレベルの出血をしたというのに、わたしの頭の中は実にクリアだ。
いつだったか、頭痛が酷いと嘆いていた知人が、ふとした時に鼻血が出たら楽になった、と口にしていたことがあった。
その時は「え、それって脳に血栓とかあったんじゃないの?」と不安に思ったけれど、なるほど……余分な血が出る、ということは今のわたしのように、存外にスッキリするものなのかもしれない。
抜け落ちた全身の力は、二つ三つ呼吸を繰り返す間に戻っていき、わたしはゆっくりと立ち上がって、服を払った。
分かる。
わたしの中に流れる血流が教えてくれる。
全てではない。
ほんの僅かだ。
――僅かだけど……確かに、この体――主であるセラフィエル=バーゲンの元へと戻ってきたのだと。
「マダ立ツノカ」
「……」
このヘドロのどこに発声器官があるのか興味深いところだけど、ヘドロはぶるりと体を身震いさせると同時に低い声を響かせた。
「死ヌ前ニ、一ツ吐ケ」
「何を、でしょうか?」
「アノ、亜人ノ女ト、人間ノ男ハ……何処ヘ逃ゲタ?」
「さあ……分かりかねますね。貴方の自慢の探知能力で探してみてはいかがですか?」
「――」
わたしの態度に疑問を持ったのか、ヘドロは何かを考えるかのように少しだけ黙った。しかし結論は気にすることはない、と処されたのか、言葉を続けた。
「オ前ガ囮ニナッテ、奴ラハ上ヘト逃ゲタコトハ、想像ガツク。問題ハ地上デノ潜伏先、ダ。ソレヲ教エロ」
「教えてどうなるんですか?」
「ツマラナイ疑問ダ。答エノ分カリキッタ疑問ハ、愚問デシカナイ」
――つまり、どうあっても全員殺す、と。
そういうことを言いたいのだろう。
交渉でもなんでもない。ただの自分勝手な命令だ。
自分の存在を知った存在が邪魔で、殺さなくてはいけないから、居場所を吐けと。わたしの命を保障してくれる、だとかそういった交渉は一切ない、一方通行の話だった。
知恵は回るのに、こういった部分は結構雑なんだなぁ、と思った。
そういう価値観しか持ち合わせていないのかもしれない。
わたしは大きく肩を竦めた。
「結局のところ……貴方が何者で、今がどういう状況で、事情も分からないまま戦うのは正直――気が引けるんですけど、まぁ……仕方ないですかね」
「……戦ウ? クハハ……異ナコトヲ言ウモノダ。先モ言ッタガ、死ニユク者ニ情報ナド不要ダトナ」
「はぁ」
わたしは右手を横向きに払い、その軌道に魔力を乗せた。
先ほどまで枯渇寸前だったはずの魔力は……今、数分前のわたしと比較して、何十倍にも膨れ上がっている。今までの不便からすると、本当に満ち足りた気分になってくる。
魔力は光と化し、無数の小さな光球を生みだす。
まるで夜空に舞う蛍の光のように、ふわふわと宙を舞い、この密閉された下水道を明るく照らした。
「――!」
その光景に動揺を浮かべたのを、わたしは見逃さない。
ヘドロに表情などという人間味あふれた体現方法はないが、その雰囲気が教えてくれた。
「コレハ……最初ノ光モ、ヤハリオ前ノモノ、ダッタカ。炎モダガ、オ前ノ恩恵能力ハ一体、何ナノダ?」
そう問いかけてくるヘドロ相手に、わたしは思わず、にやりと笑みを浮かべた。
「それこそ愚問ですね」
「ナンダト?」
「なぜなら――」
わたしは両手をやや開き、その掌に炎を顕現させた。
炎はまるで生きた蛇のようにとぐろを巻き、触れるもの全てを焼き払わんと、周囲に高熱の火の粉を舞わせる。
「これから死ぬ者に、情報は不要なんですから」
「小娘ッ!」
ヘドロ法衣は、余分に纏っていた下水を壁のように展開し、わたしに向かって押し出してくる。
わたしは一歩も動かず、ドーム状の風の防護膜をつくり、ただ大量の下水壁が通りすぎるのを待つだけで、その脅威をあっさりと防ぐ。
光球に照らされて実感できたが、やはりあのヘドロの一部となった下水、もしくはヘドロ本体は酸性の強い成分に変質するのだろう。
わたしに対して雪崩れ込んできた下水だったヘドロは、下水道の横道を変色させ、やや煙を上げて下水の中へと流れていくのが見えた。
あれをまともに喰らっていれば、皮膚はただれ、髪も溶け、見るも無残な姿へと化していたことだろう。
まぁ……今のわたしにはどうということのない攻撃だったけど。
取り込んでいたヘドロを放出したせいか、正面にいる本体はやや小さめになっていた。
「それじゃ、今度はこっちの番だね」
防護膜を解除し、わたしは炎の鞭を繰り出す。
鞭は不規則なうねりを描きながら、ヘドロの側面に絡みつき、その体を焼いて行く。
鞭はわたしの手から離れ、徐々に蛇のようなフォルムへと変わっていき、ヘドロを取り囲むようにして密着し、接面部を焼いていった。
「グァァァァァーーーーッ!?」
炎の鞭に音を立てて焦げていく痛みに、絶叫が響く。
その間に、わたしは何をしているかというと、いい加減、この絶悪環境で汚れてしまった全身を洗浄していた。
綺麗な水柱で自身を囲み、洗濯機のように水流を回転させ、衣服や体に付着した汚れを洗い落としていく。衣服などは完璧に汚れを落とすことは難しいだろうが、少なくともわたしの肌や髪の汚れは大分削ぎ落せるはずだ。
あらかた水による洗浄が済んだ後は、身体の周囲に温風を発生させ、全身を適度に乾かしていく。
新しい汚れが再びつかないように、身体から外側へと薄い風の膜を張ることも忘れない。
うん、これでようやく最低限の人心地がついた。
今までならここまでの魔法で、とうに魔力欠乏症状が出て、嘔吐していることだろうけど、どうやら……なんの問題も無さそうだ。
「貴様ァァァァァッ!」
そんなわたしの態度が気に食わなかったのか、ヘドロから再び触手が伸び、わたしを溶かそうと襲い掛かってくる。
そんな様子を一瞥し、わたしは眼前に火柱を発生させ、一秒と経たずに触手の群れを蒸発させた。
「グッ!」
形勢不利と認めたのか、攻撃の手を止め、ヘドロは下水の水を引き寄せて、今もその存在を焼失させようとしている炎の蛇を鎮火させようとする。
「そんなもので消えるほど、わたしの魔法は優しくないですよ」
無駄なことは止めましょうよ、という意味で言ったのだが、ヘドロには聞き届くことはなく、何度も下水を被っては炎の蛇に逆に蒸発されていく所作を繰り返す。
「ゴァァァァァッ!」
もはや意味を成さない叫びを繰り返し、ようやく悟ったのだろう。
この炎の蛇は自身を燃えカスにするまで喰らいつく――と。
ヘドロはわたしとは逆の方向へと転換し、下水の中へと潜っていく。
そしてそのまま水の中を移動して、わたしから遠ざかろうとし始めた。どうやら無様にも逃亡を図ろうということらしい。
炎の蛇による水蒸気が下水に立ち込め、その煙が奴の逃亡経路をそのまま浮彫にしていった。
「逃がすと思いますか?」
わたしは<身体強化>による脚力で、ヘドロの行き先を追いかける。
残念だけど、もうこの戦いは詰んでいるのだ。
このまま下水を通って逃げようとも、はしごを登って地上へと逃げようとも、わたしはその前に奴の息の根を止める。
水中での奴の速度はそれなりに速いけど、わたしの周囲に浮遊する光球による明かりがある以上、視界によるハンデなく、下水道を走るわたしの方が速い。
追いかけながら、わたしは炎の弾丸を幾つも作り、それを背中を見せるヘドロに向かって撃ちこむ。
その度に咆哮が下水道の中に響き渡り、徐々に相手の体力を削っていることを証明した。
よし、速度が落ちてきたわね!
もうすぐに追いつくことが出来るだろう。さすればこの下水での戦いも最後だ。さっさと新しい綺麗な服に着替えて、暖かい布団の中で眠りたい。
そんなことを考えて、何度目かの水路合流地点の小広間へとたどり着いたところで、わたしは思わず足を止めた。
……ヘドロの姿が消えた。
いや――その行先は分かっている。
大きな水路ではなく、人が入り込むには狭すぎる――小さな水路。格子がかかった小さな円状の穴があり、その格子が焼き焦げていることが一目でわかった。水蒸気もその先から流れ出ている。
しまった。
どうやら液状の身体を有効的に使って、わたしでは入ることのできない狭い水路へと逃げ込んだようだ。
今頃、追ってこれないわたしの様子を想像して、ほくそ笑んでいるのかもしれないけど――そうは問屋が卸さないってね。
「狭いなら、広くするまでよ」
わたしは掌を小水路の上部に向け、そこにドリル状の強靭な風の渦を発生させ、それを勢いよくぶつけた。風の渦は豆腐でも削るかのように、何の抵抗もなく、小水路の周囲の壁を大きく掘削していき、あっという間に人が通れる広さへと拡張してった。
風の渦による掘削で生じるのは瓦礫ではなく、さらに細かく砕かれた砂のようなものだ。
これが積もっていくと、この小さな水路は詰まってしまう可能性が高いので、どこに繋がっているのか知らないけど、後で取り除くよう覚えておかないといけない。
わたしは新しく出来た通路を駆け抜けていき、やがて新しい部屋へと穴がつながった時点で風の渦を消去した。
「ナッ……、小娘ェッ!?」
部屋は下水道とは別の構造で、どちらかというと一般的な屋敷の一室のような場所だった。
なぜ下水からこんな場所が? と純粋な疑問を持ったが、今は目の前の相手に集中すべきだろう。
ヘドロはやや弱くなってきた炎の蛇を何とか取り払おうとしていたのか、この部屋で足を止めていた。わたしが追跡してこない、という考えも手伝っての行動だろう。おかげさまで掘削による時間のロスを一気に取り戻すことができた。
「そろそろ鬼ごっこも終わりでいいでしょうか?」
「…………っ!」
ヘドロは性懲りもなく触手を伸ばしてくるが、当然、わたしは炎の柱でそれらを消し炭に変える。
生じた炎により、床に敷き詰められた絨毯や、近くの調度品が燃えてしまったが、あまり深くは考えないようにする。
「馬鹿ナ……馬鹿ナ馬鹿ナ馬鹿ナ馬鹿ナ馬鹿ナァッ! コンナコトガ、アッテイイハズガ、ナイッ!」
現実から目を背くようにして声を荒げるヘドロに、わたしは冷たく視線を向ける。
炎が弱点、ということもあって、今もヘドロにとぐろを巻いて取りつく蛇だけで十分かと思っていたけど、意外と耐久力……というか生命力が強いようで、大分全身が黒く変色している中でも、動きを止めようとしない。
トドメを刺すには――大火力が必要なのかも。
わたしはそう決断し、調整していた体内の魔力の放出孔を広げるイメージをする。
そんな中、ヘドロは攻撃手段を変え、壁にかけてあった大剣を触手でつかみ取り、今度は物理的にわたしを斬ろうとしてくる。
わたしは風圧を触手に向けて放ち、その刃が迫るよりも早く大剣と触手を遠くの壁まで吹き飛ばした。根本から触手がちぎれ飛んでいき、ヘドロはまたしても怨念こもった低い声を発し、そのブヨブヨした体を蠢かす。
「糞ォォォ、糞ォ、糞ォ、糞ォ、糞ガァァァァッ!」
「うるさいですよ」
床と垂直に奔る風の刃をヘドロに向かって放つ。
刃はヘドロの身体を中心あたりから真っ二つに切り裂くが、やはりこういった攻撃はあまり効果がないのだろう。切断面はすぐにくっつき、また元の形へと戻っていった。
なるほど、本当に魔法を使えない人間からすれば、悪夢のような存在である。
続いて、わたしは掌をかざし、その上に巨大な火炎球を発生させた。
炎の蛇や、火柱などとは比べ物にならぬ質量と熱量。
間違いなくヘドロの全てを飲み込み、消し飛ばすほどの威力を孕んだ魔法だ。
その光景を目の前にして、喧しく喚いていたヘドロは息を飲むかのように押し黙った。
そして数秒の間を置いて、再び低い声をひねり出す。
「マ、待テ……」
「待ちません」
「待テト、言ッテイルダロウ!」
「待ったところで、どうせ命乞いでしょう? だったら無意味です。貴方のような危険な存在を放置することはできませんので」
「チ、違ウ……ソウデハナイ」
「?」
なんだ、何を言いたいのだろう?
いまいち意図を掴めず、わたしは首をひねった。
「あの、そろそろこの火球を投げてもいいですか? このまま持ってるのも暑いので……」
「――コノ部屋ハ、我々ノ組織ノ中デモ、一部ノ者シカ知ラヌ、隠シ部屋デナ」
え、いきなり話の筋が変わった?
思わずわたしは振り下ろそうとする手を止めて、話の続きを待ってしまった。
「色々ナ仕掛ケガ、部屋中ニ仕込マレテイル、ノダヨ」
隠し部屋?
仕掛け?
そこまで言われたところで、わたしはヘドロからさり気なく伸びていた細い触手の存在に気付いた。その触手はわたしから見て死角になる棚の影まで伸びていた。わたしは少し右にずれて、その触手の行先を確認して、目を見開いた。
触手は棚の影、その壁の少し上まで伸びており、そこに設置されたレバーのようなものに丁度触れたところであった。
「命乞イ? 違ウナ……タダノ時間稼ギ、ダ」
わたしが言葉を返すより先にレバーが引かれ、天井からガコン、と何かが起動する音が聞こえた。
思わず頭上を見ると、天井に無数の黒い穴が開いているのが見え、そこから鉄の針が凄まじい速度で床めがけて降り注いできた。
「炎デ溶カスカッ? ソレトモ風デ弾クカッ? ドチラニセヨ、オ前ガ破壊スルヨリモ先ニッ――針ガオ前ノ体ヲ貫ク方ガ、先ダッ!」
確かに鉄製であれば、炎で溶かすよりも先に針はわたしの身体へと到達することだろう。
風にしても、矢のように飛来してくるものなら弾けるが、今回の伸縮する針のようなものであれば弾くのは容易ではない。
つまり何をしてもわたしはダメージを負う結果になる、という予測をして、ヘドロ法衣は歓喜に満ちた声を出してるのだろう。
確かに全盛のわたしなら天井のギミックごと、溶かすも吹き飛ばすも可能だけど、今のわたしではさすがにそこまでは不可能だ。戻ったといっても、全盛にはまだまだ届かない程度の力しかないのだから。
今の魔法では、この針に対抗するのは難しい。
かといって<身体強化>による強化で素早くこの場を離れるにしても、既にタイミングを脱しており、手遅れである。
絶体絶命に思える状況であるが、わたしには魔法や恩恵能力以外にも、わたし本来の能力があるわけで……鼻栓や小さな血刃しか作れなかった少し前よりも、強力かつ強靭なものへと戻っているのだ。
ヘドロ法衣のように倒し方が特殊な相手である場合は魔法が有効であり、単純な移動速度や回避能力が必要な場合は<身体強化>が有効である。
そして――今のように物理攻撃に対する手段については、わたしの本来の能力――操血が有効なのである。
わたしはまだ残っている指先の傷から、体内にある血を操作し、外界へと放出する。
長く、細く、しなやかに、鋭く、堅い――血の糸がわたしを中心に宙を舞い、それは迫りくる天井の針を切り刻んだ。
幾千もの線が針の表面上に走り、数秒の間もなく、バラバラに斬られた針の残骸だけが頭上から降り注ぎ――わたしは一陣の風を発生させて、その残骸たちを横の壁際に吹き飛ばしていった。
時が停まったかのような静寂の中、ゴトゴトっと重たい針の残骸が転がる音だけが室内に響き渡った。
「………………ハッ?」
「目論見が外れて、残念でしたね」
「待ッ――!」
今度は律儀に話を聞いたりなんかしない。
わたしはずっと掌の上で保留状態になっていた大火球を容赦なく、ヘドロ法衣めがけて放った。
ヘドロと大火球が接触した瞬間、部屋の中を紅蓮の光と衝撃が埋め尽くす。
「あ、あれ……ちょっと威力、間違えたかな?」
想像以上の火力に、わたしは周囲に防護壁を作って耐える。
床は抉れ、周囲の棚や机は炭化し、壁に勢いよく黒ずんだ傷跡を刻み付けていく。
その中心にいたヘドロ法衣は……もう既にいない。
逃げられるような隙も無かったはずだから、おそらく一瞬にして蒸発してしまったのだろう。
吹き荒れる炎の衝撃波は徐々に地面を破壊していき、やがて――わたしの足元も含め、床すらも崩壊させていった。
「げっ!?」
威力を間違えたどころじゃなかった!
とんでもない威力だった!
しばらくあの脆弱な魔力で生活し、魔力消費を最小限に抑えることを念頭に置いていたため、制御面がどうやらガバガバになっていたらしい。これは少し感覚を取り戻す練習をした方がいいかもしれない。
床に大きな亀裂が入り、気づけばわたしのいた部屋は崩落していった。
「51 動き始めた事態と、それぞれの動き その4【視点:トッティ=ブルガーゾン】」の最後の部分に繋がっていきます。
2019/2/26 追記:文体と一部の表現を変更しました