57 夢の世界の異変【視点:赤(アカ)】
ブックマーク、ありがとうございます!( ^ω^)ノ
私はすっかりお気に入りと化してしまった、ログハウス二階奥のハンモックに小さな身を委ねながら、今日も今日とて読書に勤しんでいる。
最近は彼女――銀が料理関係に興味を持っているので、私は読書の過程で料理に関する記述がある本を見かけた際は、特定の本棚に仕分けして置くことにしていた。
今、読んでいる本は料理関係ではないけど、実に興味深い内容である。
「童話、ね。小さい子供が読むものらしいけど……記憶のない私にとっては全てが真新しいものに感じるわ」
鼻歌混じりにページをめくっていき、幾つかの童話に目を通していく。
赤ずきん、三匹の子豚、シンデレラ、裸の王様…………どれも非現実的な話だけど、考えさせられる内容も多々見受けられる。
おそらくこういった話を読み聞かせる、もしくは読ませることで、幼い子供に想像力や善悪の判断力をつけさせたりすることが目的の話なのかもしれない。
どの作品も独創的で、興味を惹く内容だった。なかなかに面白い。
時間を忘れて読書に更け、私は最後のページをめくり終えて一息つく。
この体……というより、精神体に疲れという概念はない。
けれど、こうして一冊の本を読み終え、その内容を反芻するように目を閉じてハンモックに揺られる時間は心に安寧をもたらしてくれる――そんな気分にさせてくれる。
どのくらいそうしていただろうか。
私は読み終えた童話の内容を頭の中で思い描き終え、ゆったりと床へと足を下ろした。
読書済みの本棚の列に移動し、これは何のジャンルとして区別しよう、とちょっとだけ悩む。
悩むこと数分してから、私は「その他」ジャンルとして設置していた本棚に置くことにした。人が想像して書き上げた創作物については、今のところ他に見た記憶がない。
童話以外にも色々な話があの書架には埋もれているかもしれないので、他に同じようなジャンルの本が見つかれば「その他」から別の区分けの本棚枠を作って、そちらに移動させよう。
私はその足でそのまま一階まで降りて、コーヒーを淹れる。
この――バリスタ、と呼ばれるコーヒーメーカー。
これはやばい。
本当にやばい。
語彙力が吹き飛ぶほどの逸物である。
私には記憶はないが、知識がないわけじゃない。言葉も理解できるし、文字も読める。赤としてこの世界に生まれた以前の世界観までは覚えていないけど、常識的な範囲、というものは何となく理解できるのだ。おそらく生前の記憶に準じた常識、なのだと思う。
その常識的な範囲から、この物体は逸脱している……と感じた。
まあ、それを言うなら、このログハウスの緻密さも含め、この家はあまりにも馬鹿げている。いい意味で。
こんなものがもし、記憶のある時の私が見たら、卒倒していたことだろうなぁ、と他人事のように思ってしまうぐらいだ。
原理や構造は分からないが、本から「そういうもの」と理解さえしていれば、あとは想像するだけでこの世界では簡単に生み出すことができてしまう。
ここは天国でしょうか、なんて素で思ってしまうこともある。
私は慣れた手つきで、カップをセットし、上部に掌サイズのコーヒータンクを押し込む。
あとは好みの濃さを選んでボタンを押すだけ。
少し前は紅茶にはまっていたが、今はこのバリスタによるコーヒーが楽しみで仕方がない。けれども好きなだけ飲みすぎると、飽きるかも……と危惧し、一日に3回までと自分にルールを律している。
この世界は想像次第で何でもできてしまう夢の世界だけど、それだけに自分の想像以外のことは起きないのだ。
つまり飽きるということは、この世界が色褪せてしまうことを指している、と考える。
際限なく新しいものが生まれるなら、飽きては生み出すの繰り返しをするのもいいかもしれないけど、あいにく本には限りがあるし、私の琴線に何もかもが触れるとは限らない。
ならば、こうして自分が気に入ったものに関しては、なるべく長い期間楽しめるように、私自身が飽きないための工夫をしていくのが――この世界で生きていくための知恵だと思った。
そんなことを考えているせいか、一回一回を大事に飲もうとする意識が生まれてしまった。
私はコーヒータンクから抽出されてカップの中を満たしていく様子を眺め、その一滴一滴すら逃さないといった様子で、抽出が止まるのをじっくり待つ。
やがて抽出口から一滴残らず落ちてこないことを確認して、ようやくカップを持ち、居間として配置したソファーに腰をかけた。
本当はテレビという箱も設置したいのだけれど、残念ながらその放映内容も自分で想像しなくてはならないため、それは無理だと断念した。
テレビそのものを置くことは可能なので、そこから銀の普段見ている光景とか見れたら、絶対に面白いのに……と思ってしまうが、さすがにそこまで明け透けに覗いてしまうと、彼女に嫌われてしまいそうな気もするので、試すのは止めておこうと思った。
「さて」
コーヒーも飲み終え、ソファーの柔らかさに十分な癒しを得た。
そろそろ……次の本でも集めてこようかしら。
このログハウスに持ち込んだ未読の本は、そろそろ底をつきる。
本の補充をしなくては、私は退屈で死んでしまうだろう。
私は自力で知識保管庫へとたどり着くことはできない。帰りももちろんそうだ。
気まぐれにこの世界を横断していく赤い奔流。あれに身をゆだね、運んでもらわないとあの場所へは立ち入ることはできないのだ。
それなりに考察する時間はあったので、私はあの奔流がどのぐらいの間隔でこの辺りを通るのか観察していた。結論を言うと、数日に一回程度。正直、回数としては少ないと言っていいだろう。
あとは赤の意識がこの世界に流れ込んできた時は、高確率で見かける。前回私が見かけたのは二日前なので、そろそろこの漆黒の世界を横切ってくれてもいいと思うのだけれど。
そんなことを考えつつ、ログハウスを出た時だった。
黒、という色に慣れていた私は、唐突に世界が赤く明滅したことに驚いた。
「な、なにっ!?」
地響きと共に、世界が揺れる。
空間がひび割れ、その隙間から幾つもの赤いエネルギーが渦を巻きながら頭上を掠めていった。
――明らかな異常。
私は困惑を隠せず、みっともなくその場で棒立ちになってしまった。
だから、背後から別の奔流が近づいていることに気付かず、背中をかちあげるような衝撃に「きゃっ!?」と悲鳴を上げ、私は膨大なエネルギーに飲み込まれていった。
どのぐらい、流されていっただろうか。左右上下、滅茶苦茶にシェイクされ、私は目を回してしまった。
そして気付けば――見慣れた場所、知識保管庫へと放り出されていた。
「な、なんなの一体……」
何度か足を踏み入れた場所であることを確認して、僅かにほっとしつつも、今までに体験したことのない事態に私は思わず呟いてしまう。
「銀に……何か、あった?」
額を抑えつつ、壁に手をついて立ち上がる。
乱雑に置かれた本は、私は持ち出した分だけのスペースを生み出している。そこに腰を落とし、私は立ち入ることが許されたこの狭い部屋を眺めた。
無機質な鉄骨の部屋。
頭上に小さな電球が二つだけぶらさがっている、窓もない、薄暗い小さな書架だ。
壁際に並んだ本棚にはまだまだ読んでいない本たちが積まれているが、この部屋が銀の知識すべてだとは私には思えない。というかまるで「まだ続きあるよ」と主張するかのように、部屋の両端に鉄製の扉があるのだ。
今まで扉を開けることはできなかったけど――もし可能なら、その先の世界も見てみたいと年相応にドキドキしてしまう。
「っ」
ゴゴゴ、と再び振動。
いや――、どちらかというと、大きな歯車が軋みをあげて回転をし始めたような……何かとてつもなく大きなギミックが動き出したかのような、そんな振動に……不思議と思えてしまった。
小刻みに震える振動に耐えつつ、私は何気なく扉に目を向け……思わず瞬きを忘れてしまった。
あのどうやってもビクともしなかった扉が、ゆっくりと横に開いていったのだ。
まるで重い封印が解放されるかのような、威圧感。
しかし私はそれに気圧されることなく、ふらりと腰を上げ、扉奥から洩れる光に向かって歩き出していた。
「…………」
まだ扉は開ききっていないというのに、私はせっかちにも開いたスペースに身体をねじ込み、その先へと身を乗り出した。
そして……絶句した。
私はここを知識保管庫と呼び、銀には『知識の大書架』とも称した。
あの時はどちらかというと、一冊の本に込められた情報量が膨大かつ素晴らしいものだったため、そういう表現をしたという背景が強かったのだけれど…………どうやら、大書架という表現は言葉の通り、ということになりそうだ。
あの小さな部屋の薄暗い明かりとは真逆。
円状の螺旋階段が延々と続く、巨大な吹き抜け。その吹き抜けに四本の宝石のような柱が突き抜けるように立っており、そこから日中のごとく強い光が放たれていた。
広い――あまりにも広大な吹き抜けに、その周囲を何周にも伸びている螺旋階段。私が今いる場所も、その螺旋階段の途中にある、ほんの小さな部屋だったようだ。
上も下も……何階層あるのか定かではないほどの深さと高さを誇っていた。
そして何より目を惹くのが……その本(知識)の貯蔵量だ。
対岸がかなり小さく見えるほどの内周を誇る空間だが、その凄まじい距離ともいえる螺旋階段に沿って、本棚がずらーっと壁際に並んでいるのだ。言うまでもなく、本もギッシリと詰まっている。
後ろの小さな部屋にある本が彼女の知識すべてではないだろうとは言ったけど……さすがに、この量は想定外すぎた。
「す……ごい」
正直な感想だけが口から漏れる。
まさに名前の通り、大書架。
ここにある本を寝ずに呼んだとしても、いったい……何百年かかるのだろうか。
私はとりあえず一通り、この螺旋階段を下りてみようと思った。
私がいつも赤の奔流に連れてもらえる小さな部屋みたいな場所は、等間隔で螺旋階段に設置されているようで、10分ほど下っていくと、次の部屋の前まで着くことができた。
途中の本棚に目移りしそうな気持ちを何とか抑えて、ここまで来れた。
気分はもはや、新人勇者のようなものだ。
いざ、冒険へ! というワクワク感が抑えても滲みでてくるのを感じつつ、私は口元を緩めながら、その部屋の扉を開こうとして――開かなかった。
「へ?」
押しても引いても、横にスライドさせようとしてもビクともしない。
「……」
何となく嫌な予感がして、螺旋階段から覗ける吹き抜け――落下防止のための手すりに手をかけ、私は上体を大きく吹き抜け側へと乗り出そうとして……見えない何かに弾かれるようにして後方へと押し返された。
ぺたん、と尻餅をついて、私は呆然と視界に映る大書架を見上げた。
「……」
この広大な空間を見て、てっきり…………すべての場所が公開されたかと期待を膨らませていたのだが、どうやら解放されたのは未だ一部分であり、目に映るすべての場所には足を踏み入れることを許されないようだ。
そ、そんな……。
肩すかし、というより生殺しもいいところだ。こんなにもたくさんの本たちが視界に映っているというのに、そこに辿りつけないだなんて。
私は何処となく肩を落としながら、来た道を戻ることにした。
はぁ、今日は自棄読みしようかしら。
読める本棚が増えたこと自体は違いないので、それ自体は嬉しいことだ。
うん、そうだ、何も損はしていないし、むしろ得しかない。
何が切っ掛けで動ける範囲が広がったのかは分からないけど、今後もこういったことが起こるかもしれないのだ。そう考えると、この広大な大書架という存在を知れた、というのは今後への期待にも繫がる。
今度、銀がこの世界に来ることがあれば、何があったのか聞いてみることにしよう。
そう考えると、全ての場所に行けなかった悲しみより、新しい本を読める現実と今後の明るい展望への喜びが勝り、私は鼻歌混じりで元の部屋に戻り、新しい本を幾つか拝借しようと足軽に階段を上っていくのであった。
2019/2/26 追記:文体と一部の表現を変更しました