56 下水道での戦い 後編
いつもお読みくださり、ありがとうございます!
※ページ最後に神無月凩さんから戴いたFAを掲載させていただきました♪
光源はすでにヒヨヒヨと共に、かなり頭上遠くに去っていったため、わたしの周囲は再び漆黒の闇だけが静まり返っている。
そんな中、隠そうともしない嫌な気配は近づいてきて、わたしの強化された知覚が、その気配がさらに速度を上げてこちらに向かってきたのを感じた。
――来るっ!
間違いなく、こちらの姿を補足した!
わたしは頭上の光を相手に悟られないよう、すぐに踵を返し、予め場所を確認していた別のルートへと走り出す。
最初は全速力で移動はしない。
全力で逃げるのは、あいつがヒヨヒヨが登って行ったはしごの位置を通過してから。
わたしは背後への気配を確認しつつ、多少回復した脚力を駆使して距離を測る。
「…………」
背中に突きつける殺気を無視し、あの法衣が先ほどわたしたちがいた小広場の辺りに辿りついたの探知し、さらに一歩、わたしが走っている通路へと進んできたのを感じた。
よしっ、食いついた!
わたしは作戦が填まったことに笑みを浮かべ、加速する。
やたらと激しい水音が響くあたり、奴はこの汚い下水を泳いできているのだろうか。道理で強化されているとはいえ、その気配の騒がしさを早い段階で察知できたはずだ。
しかし……奴はこの暗闇でどうやって、一度は視界外へと逃げたわたしたちを追ってきたのだろうか。
「わっ!」
思考を巡らせていると、足元の瓦礫に足を取られ、危うく下水に頭から突っ込みそうになる。
わたしは全力の反射神経を発揮して、汚水風呂だけは回避し、何度かステップをしながら堪える。
あっぶな!
この汚物と病原菌に塗れていそうな汚水に突っ込んだら最期。淑女としての寿命を終えそうな気がする。いや……すでに長時間、こんな場所にいる時点で……終わってる?
そ、そんなことないよね?
無事地上に戻っても、息を吐けば下水の臭いがする女、とかレッテル貼られるのは嫌だよ?
くっそぅ、体への負担度外視で帰ったら肺洗浄や胃洗浄でもやって、徹底的にでも臭いを追い払ってやろうかしら……。
これもあれも、全部、あいつの所為だ!
ぐっと握り拳を作るけど、わたしが取る策は、やはり逃げることだ。
殴っても、切っても、アレには通用しないことは分かっているのだから、魔法が使えない以上、逃げる以外にわたしが取れる策はない。あとは地上に戻って、大量の火種をあいつにぶっかけるぐらいの対策しか思いつかないけど……それは多くの人の協力と連携が必要だから難しいだろう。
何度目かの水路合流地点なる小広場を闇雲に曲がり、自分ですら今どういう経路を進んでいるか忘れるほど複雑に動いているのだけれど、追跡者には何故か迷いがない。
――やっぱり、確信を持ってわたしを追いかけている?
「もしかして……わたしに発信機的なものがつけられてる?」
そう思って、体中をまさぐってみるが、いかんせん真っ暗闇の中だ。
実際に触れてみて分かってしまったけど、逃げる際中に色々とその…………いやぁーな液体が服に飛び散っていたらしい。やや水気のある感触に顔をしかめつつ、この服は今日が寿命だったのだと諦める。
不幸中の幸いだなんて思いたくないけど、今日の下はズボンで本当に良かったと思ってる。スカートだったら、と思うと、身震いしてくる。
あとは髪や顔、手などむき出し部分にどれだけ被害が生じているかだけど……あぁ、想像すらしたくない。
いかんいかん、思考が脱線してしまった。
結論を言えば、分からない、といったところだ。
いかんせん、相手そのものが未知の存在なのだ。
打撃、斬撃はダメージにならず、今のところ炎だけが弱点の存在。それが魔獣というなら理解できるものの、相手は人型だ。それも人語を理解し、知能を有した厄介な存在。
そんなものが何でこの王都にいるのか……それとも、ああいった存在はこの世界では常識的に存在するのか、気になることはたくさんあるけど、今言えることは、謎の塊といってもいいということぐらい。
発信機という発想だって、今までのわたしの世界観や技術知識をもとに導きだしただけであって、もしかしたらそれ以外の手法がこの世界には存在しているのかもしれない。
新しい知識として、それを発見し、知ることができるのは嬉しいが、今のような戦闘行為中にわたしに向けて発揮されるような事態は本当に御免被りたい。
口元を覆っているマスク代わりの布を締め直す。
さて、もう一度、こちらに向かってくる気配を探知して、なるべく相手から離れる方向へと逃げようと思った矢先――わたしは瞠目した。
「…………え、気配が消えた?」
先程まで、あれほど荒々しく下水の水をまき散らすかのように突進してきていた気配が、今は静寂の中へともぐりこんでいた。
――嫌な予感が、する!
わたしは本能の赴くまま、その場を大きく跳躍して飛びのいた。
直後。
爆音を立てて、わたしがいた場所のすぐ横の下水が飛び散り――おそらくわたしがいた場所に襲い掛かるようにして何かが這い出てきていた。
「……、水中に!?」
わたしは逃走中に僅かに回復した魔力を使う。汚れた薄い上着を脱ぎ捨て、そこに魔力で発生させた炎を点火した。赤く燃え始める上着を前方へと放り込み、相手が突貫してくるのを防ぐ目的と、相手の様子を照らす役目を同時に果たさせる。
そして、その姿を見て――わたしは思わず目を見開いた。
一言で言うならば……膨張。
まるで水死体のように、腫れ上がったヘドロのような物体が、想像通りわたしがいた場所を覆うようにして下水から飛び出していた。
様相は全く別物だけど、間違いなく、先ほどまでわたしが戦っていた法衣だろう。
ヘドロにはところどころ焦げたような黒ずんだ場所があり、いかに下水の水を吸った状態といえど、炎によるダメージは回復できていないことが伺えた。
「グルルゥゥアア……追イツイタゾ、小娘」
「……どうやって、わたしの位置を――正確に把握してきたのかしら」
「簡単ナ話ダ。私ニハ水ヲ媒介ニ、水辺近クノ、動体ヲ探知スル技能ガ、備ワッテイル。イカニ離レヨウト、コノ下水ニイル以上、逃ゲラレハ……セン」
「……」
うわぁー、これは選択を誤ったかも。
早々に地上に向かって逃げていれば、完全に撒けていたのかもしれない。
この法衣もといヘドロは、おそらく水探知による追跡に集中していたはずだ。となれば、ヒヨヒヨの時に心配していた頭上での光源を目視で発見されることも無かったかもしれない。
そんなわたしの後悔を無視して、下水内で低音の声が反響する。
「サテ、私ニ痛ミヲ与エタ罪……死ヲ以ッテ、償ッテモラオウカ」
「その前に……貴方が何者なのか、教えてはくれないですか?」
「死ニユク身ニハ、過ギタ情報ダ」
「さいですか」
要は水辺近くで動かなければいいわけだ。
ならば、全力疾走で距離を離し、地上にあがるはしごを見つけ次第、そこを駆けあがる。
もちろん、そこでわたしの動体反応は消えるわけだから、どこで上に逃げ込んだのかはバレるだろうけど、地上にさえ出てしまえば、策の数は増える。
少なくともこのまま真っ暗な下水道で戦うよりは勝算も逃げ切る可能性も生まれてくることは間違いない。後のことは、その時に考えることとしよう。
「……逃ガスト思ウカ?」
「思わないけど、逃げ切ってみせるよ」
「クハハハ、貴様ハ、ジックリト私ノ体ノ中デ、絶望ヲ感ジサセナガラ、溶カシテイッテヤロウ」
「お断りします」
法衣というヴェールを脱ぎ捨てたヘドロは、やはりというか何というか、見た目のイメージ通り酸性分たっぷりのお体らしい。
こういう手合いは、あの泥のような体の中に、それを制御するための核のようなものを持っているのが今までの世界での常識だったが、うっすらと炎の灯りに照らされる中で目を凝らしても、それらしい物は見当たらなかった。
知識がある分、目立つような真似はしないだろうし、そもそも過去の世界の常識が通じるかどうかも怪しい。あまり過分に期待しない方がいいか。
下水の泥質堆積物を吸収してなのか、異様に体積は膨れ上がっているものの、焼け焦げた跡が残っていたり、今もわたしと奴との間に燃える上着を前に進んでこないことから――もしかしたら、奴の本体部分は変わらず同じ体積なのかもしれない。
膨れ上がった部分は見せかけ、というか、相手の動きを止めるための役割を持っている……とか、そんな感じだろうか。
あぁ、いけない。
どうしても敵を目の前にすると、逃走よりも踏破する思考へと傾きがちだ。
クリア目的を再認識させて、わたしはジリ、と踵を後退させる。
そして、わたしが踵を返すと同時に、燃える服を避けるようにして触手のようなものが何本もわたしの背中めがけて襲い掛かってきた。
「わっ、とっ、ほっ……!」
一本、二本、三本と触手を躱しつつ、下水に落ちないように気を付け、着実に相手から遠ざかるように位置取りを計算する。
「チョコマカト……!」
イラついた声と同時に、今度は横の下水を燃える服共々、わたしに向かって浴びせるようにして掬い上げてきた。
ジュッジュッ、と炎に下水がかぶさっていくが、わたしの魔力で発現した炎は、多少の水を浴びせられたぐらいでは鎮火されない。
初撃の時にそれはすでに経験していたのか、ヘドロは憎々しく舌打ちのような音を鳴らし、今度は下水の底へと潜っていった。
最初からそうしないのは、思った以上に焦っているのか、炎に対して逃げるという行為が気に食わないのか、わたしには分からなかった。
対するわたしは、身長を遥かに超える高さから覆いかぶさってくる下水の津波に悲鳴を上げたい気持ちを抑えながら、全力ダッシュでその場を回避した。
「下水責めは勘弁してっ!」
主に精神的にっ!
下水の中に潜った奴の気配は希薄だ。
<身体強化>で強化したわたしの知覚でも捉えることができない。だから、今は難しいことは考えずに走ることにした。
水中での奴の移動速度は未確認だけど、測りようがないことをウダウダ考えていても仕方ないので、それは追いつかれた時に悩むことにする。
走る。
走る。
走る――!
その最中に壁際に手を伸ばし、途中に地上へのはしごが無いかも確認していく。
水中から奴が触手なり、先回りして姿を見せないあたり、わたしの移動速度と互角か、それ以下かもしれない。
それがわたしの油断を誘うための演技でないことを願うばかりだけど。
……やっぱり相手に知能がある上にその生態が魔獣みたいなものだと、厄介極まりない。
五分。
経過したあたりからだろうか……わたしは異変に気付いた。
「……!?」
なに?
足が……重い。
いや、違う。
――足だけじゃなくて、全身がまるで重石をつけられたかのように重く、脱力していく。
一瞬、<身体強化>が切れたのかと思ったが、そうではないようだ。
逆に<身体強化>による強化を上回って、わたしの身体が弱っている――そんな印象を受けた。
「……っ、な……に!?」
不意に膝がかくんと折れ、わたしは躓いて派手に地下路に転んだ。
その様子を見てか、すぐ背後の水面がせりあがる気配を感じた。
「フン……ドウヤラ、体力ノ限界ガ来タヨウダナ」
「……!?」
立ち上がろうとしても、力が入らない。
普通の疲労感とは何かが違う。
わたしは未知の異変に、思考が混乱した。
ヘドロの言葉から察するに、この症状は……ヘドロが仕掛けた罠とかではなく、わたし自身の問題のようだ。
「ぅ……くぅ!」
次の瞬間、わたしは血を吐いた。
同時に血刃を作るために切った指先からも血が噴き出す。
わたしにとって血とは切っても切れぬ関係。そして支配者とも呼べる操血の主だ。そのわたしの意思とは関係なく、血が抜け出てくるなど……到底信じられる話ではなかった。
「ごほっ……、ふ、……ぁっ!」
「……ナンダ、小娘。ドコカ傷デモ負ッテイタノカ? フン、時ノ運ハ私ヘト傾イタヨウダナ。クハハハハ……」
「……」
奇妙な感覚だ。
まるで――次元を超えた何かが……わたしの体内へと入り込んでくるような…………――いや、違う。
これは……戻ってきたのだ。
本来在るべき存在が、在るべき場所に戻ってきた。
ただそれだけのこと。
――――だから余分な血液が押し出されてしまったのだと。
血を吐き、客観的に死に瀕した様子のわたしは――静かにその口元に笑いを浮かべていた。
(神無月凩さんから戴いたFAです!ありがとうございます!)
2019/2/25 追記:文体と一部の表現を変更しました