41 朝の一幕
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蝋燭の灯りも無い中、とある一室の角で蠢く影があった。
小さな窓から差し込む陽の光だけが暗がりを照らす。
影は壁際の台に向かってせっせと両手を動かし、手元の何かを右手に持つ刃で切り裂いていく。規律正しい音を鳴らしながら、等間隔で手元の物体が切断されていった。
影は一通り切り終えたそれらを両手ですくい上げ、平べったい容器に放り込んでいく。
「……」
やがて――影はピタッと手を止め、周囲を見渡す。
手に持っていた刃物を台に置き、注意深く一室、その外側まで気配を探る様子は、間違いなくこれから行う所業に疾しい感情を抱いているに他ならない。
影はこの部屋の唯一の出入り口にまで足を進め、顔だけを外に出して廊下の様子をうかがう。
「……」
時間にして数秒の間であったが、影にとっては長い時間に感じたのかもしれない。
影は近くに人の気配を感じないことにやや安堵し、小さく息を吐いた。
そして踵を返し、部屋に戻った影はしゃがみこみ、台の下にある戸を開けて中の瓶のような容器を取り出しては戻していく。やがて――目的のものが見つかったのか、影はその瓶に貼られたラベルを見て肩を震わす。
「くっくっく……」
腹の底から滲み出たような低い笑い声とともに、影は立ち上がり、瓶の蓋をあける。
粉末状のそれを瓶から掌へと適量を取り出し、影はすぅっとその匂いを嗅いだ。
「……間違いない。これこそが全ての調和を担い、新たな境地へと導く架け橋となるのだ……!」
歓喜を含んだ声を響かせ、影は先ほど刻んだ何かを入れた平たい容器の上に掌を移動させ、その手に持つ粉末を混ぜようとし――、
「なにしてるんですか?」
という声に、ビクッと肩を震わせてその動きを止めた。
「……」
ゆっくりと視線を出入り口に向けてみれば、そこには銀髪の幼い風貌の少女が一人。
明らかな非難の目をこちらに向けていた。
もはや慣例となりつつある水浴びをしてきた後なのだろう。
やや水滴の残る肩甲骨まで伸びる長い髪が、暗がりだというのに艶めいて見えた。
幼いながらも将来を約束された美貌の持ち主は、しかしそのジト目のせいで年相応の表情に見えた。
「……その手に持つものを、そーっとフライパンの上から退かしてもらってもいいですか?」
「な、なぜだ?」
「なぜって……分かりますよね?」
少女はやや腰を落とし、両手を構える。
まるでこれから取っ組み合いでもしかねない、そんな姿勢だ。
見た目が麗しいがために、むぅっと眉を引き締める様子すらも微笑ましい姿に映ってしまうが、それが子供のじゃれ合いレベルで終わらないことを影は知っている。
ジリジリと近づく少女に対し、影はこの場を退くかどうかを本気で検討した。
退けば、それ即ち、掌に乗っている粉末を諦めるということ。しかしここで抵抗すれば、子供らしからぬ反射神経と身体能力で彼女は邪魔を企てることだろう。
少女はまるで自身の生命危機を救うために立ち向かうかのように――真剣なまなざしだ。
しっかりと周囲を確認してからの行動だったはずなのに、いつの間にか部屋の中にまで侵入されてしまったことから分かるとおり、この少女は気配を消す術にも長けている。
おそらく飛びつく予備動作すらも感じさせない滑らかな動きで、こちらの行動を封じてくることだろう。
影は逡巡しつつも、覚悟を決めた。
「俺の邪魔をするなぁぁぁぁーっ!」
魂の叫びとともに影は掌を返そうとして――同時に銀髪の少女も飛びかかってきた。
速い!
だが、掌を返すだけのこちらの方が一歩先を行く――!
影はそう判断し、勝利の笑みを浮かべたのだが――気付けば、台から伸びるようにして手首に絡みついていた氷塊によってその動きを封じられてしまった。
「やらせないですよ!」
「く、うぉぉぉぉぉぉ!」
たったその一秒の隙に、少女は目の前まで肉薄しており、影の手を払い落とそうと小さな手を伸ばす。
だが影も伊達に数度、この攻防を経験しているわけではない。
敵(少女)が魔法という非常識な力を有していることも、身体強化を行い年齢に不相応な動きをすることも知っている。
影は少女が己の右手に意識を集中した瞬間を見逃さなかった。おそらく、後は右手を払うだけで手の中の粉末を払えると踏んだのだろう。その展望が読めたからこその油断。少女は右手一点に視線を固定し、影が死角になるように動かす左手の存在に気付いていなかった。
左手は先ほど台に置いた刃物の柄を素早く取り、右手首を固定する氷塊を見事なまでに両断した。
言葉にするのは簡単だが、分厚い氷の壁を短刀のような刃物で両断することは、そう容易いことではない。それを自然体であたかも当然のようにこなす影は只者でないと言えるだろう。
「なっ!?」
まさかの勝利目前でのどんでん返しに、銀髪の少女は目を見開いて驚きの声を上げた。
その小さな手が届くまで、あと――数コンマだったというのに、無情にも影が右手を返す方が僅かに早かった。
「あああああああああああああああ~~~っ!」
少女の気の抜けるような――可愛らしい声が建物内に響いたのは、影の凶行を防げなかった結末を見届けるのと同時であった。
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「はい、あ~ん」
わたしはこれでもかっていうぐらい最高の笑顔で、主犯たる影の正体――クラッツェードに向けて、スプーンを差し向けた。
因みに彼は現在、椅子の背もたれに麻縄でぐるぐる巻きになっている状態だ。限られた稼働部である頸部を必死に駆使し、何とかしてわたしから伸ばされるスプーンから口を遠ざけようと努力している。
「いや待て。実は少々腹の調子が悪くてな……今日の朝飯は俺の分は抜きでいい。それより育ちざかりのお前らが食べるといいだろう」
「ふふふ、そんな逃げ口上が現場を目撃したわたしに通じると思っているんですか?」
「……い、いやっ……あれは誤解というものでな」
「わたし、ここにお世話になってから何度か言いましたよね? 食べ物で遊んじゃいけません……って」
「遊んでなどいないぞ! あれは将来への研鑽だ! 決して無駄にはならないし、進歩するには必要なことだろうっ」
「はぁ……百歩譲ってそれはいいとしても、だったらわたしたちにその研鑽で生じる副産物を処理させようとせず、ご自身できちんと後始末をつけてください。好き勝手行動して、その後の掃除はしないだなんて、無責任にも程がありますよ」
「……」
正論を叩きつけると、彼は何とも言えない表情ですっと目を逸らした。
もう、貴方は子供ですか!
目を座らせて睨みつつ、わたしは異臭がする今回の被害者――料理された具材たちが乗り込むスプーンをグイッと彼の口に押し込んだ。
「むぐっ!?」
「ほら、ちゃんと食べてください。あ、スプーン抜いたときに残ってたら、もっとキツ~イお仕置きをしますからねっ!」
別にお仕置きなんて特に考えていなかったが、少しでも彼が自分の蒔いた種を回収するよう、言葉を並べた。
やがて、クラッツェードの顎が何度か動き、幾ばくかの咀嚼を経た後――彼は涙目になりつつも喉を鳴らした。その様子を確認して、わたしはスプーンを彼の口の中からゆっくり抜いた。なんだろう。おじいちゃんを介護しているような気分になって、ふとしたときに、わたしは何をやってるんだろうと遣る瀬無さを感じる。
「ま、…………不味い。なんだ、この……形容しがたいヌチャッとした舌触りと突き抜けるような痺れは……炒め飯を作ったはずなのに、雑草をそのまま噛んでいるような苦味しか感じないぞ……」
「自業自得です。わたしも念のため一口食べましたが……口に残る後味を消すのに、何杯の水を飲みほしたことか……」
因みにわたしが飲んだ水は全て魔法によるものだが、魔力による水質変化ということが魔法では可能で、人間が口にすることが可能な塩分濃度を調整することができるのだ。
前世までの二度の魔法人生で、水魔法によって発生した水を飲むなんて真似をするような人間はわたししかおらず、過去の幾度の研究と失敗を重ねて、ようやく手に入れた産物である。
基本……今までの魔法とは、攻撃や防御手法がメインで、生活にかかる応用なんて誰も考えなかったからなぁ。便利なのに、誰も覚えなかったのは……まぁそれなりに過去二度の文明レベルは安定していたため、今生と違って生活するのに大きな不満が無かったことと、わたし自身がグウタラ……つまり、可能な限り部屋から出ずに怠けたいという一面があったことも一因なのかもしれない。
まあそういう研究人生を過ごしていたこともあり、クラッツェードが料理という分野で色々と試したいという気持ちは分らなくもない。
美味しい料理は魅力的だしね。だけど研究とは最後の尻拭いまで自分で片づけて初めて成り立つべき、と持論ではあるけど思っている。
だからクラッツェードが研究の結果に生じてしまう副産物を自分で食して終えるならまだいいのだが……彼に関しては、どうも居候であるわたしやプラムにさり気な~く食べさせて処理させようと動く節があるので、こうしてお仕置き兼説教をせざるを得ない、というわけだ。
「お、俺にも水を……」
「駄目です」
「なんでだ!?」
「まったく反省しないからですよ、もう。今日で三度目ですからね? いい加減、過去の失敗から学んでください」
「……ふ、子供には分からんことかもしれんが、研究と失敗は切っても切り離せない存在なんだ」
「んなことは分かってますよ。わたしが言いたいのは、研究の失敗結果を最小限に抑える努力をしてくださいって意味です。どうするんですか、二人分も作っちゃって……失敗を前提に研究するなら、きちんと一人分、いや一口分とかに抑えて作ってくださいよ。――ていうか何で二人分なんですかね? 人数分作るにしても三人分じゃないとおかしいですよねぇ」
「い、や……だから、な? 腹が痛いと……」
「調理場には、まだ未調理の材料が別に用意されてましたけど?」
「……」
「……」
わたしはまだまだ皿の上に残っている炒め飯をスプーンで掬い、にこりと笑って、彼の口元に運んであげた。
「はい、あ~ん、してください」
「……分かった」
彼は何かを諦めたかのように素直に返事をし、一口一口を……それはもう噛み締めながら、その不味さへのリアクションを取りつつ、胃に収める作業を続けていった。
そんなわたしたちの後ろで、机の端で突っ伏すプラムは「お腹空いたよぅ~……」と力ない声で抗議してきたが、今はこの愚か者への制裁が先である。間違ってもあの毒物を彼女が食べないように目を光らせつつ、わたしは黒い微笑みを維持しながら、ひたすらスプーンで掬ってクラッツェードに食わせるという単純作業に従事した。
考えなしに挑戦と失敗を繰り返す、クラッツェードの悪癖には困ったものだが、美味しいものを追及するその心自体はわたしも応援したいところである。けど、このまま突っ走っても成果はでず、悪戯に食材を浪費し、いちいち彼が厨房に足を運ぶたびに注意を払うという不毛な戦いを続けてしまう気がする。
……あれからわたしたちはフルーダ亭を居住地として部屋を与えられ、そこで毎日を過ごしている。
レジストンの考えもあって、一切外に出られないという軟禁状態は非常に暇を持て余し、思うところもあるけど、彼は彼でわたしたちの安全と問題解決のために動いてくれているのだから、そこに不満はあまりない。
クラッツェードは当初「いらない」と言っていたけど、気持ちとして家賃は毎日銅貨50枚分を支払っている。これは約二週間前に泊まっていた宿の一泊分を参考にした金額だ。
そんな生活を暮しはじめたわたしたちだけど、居候という立場は変わらないし、突然居座ったわたしたちのことを考慮して生活せざるを得ないクラッツェードには迷惑をかけている申し訳なさと感謝も感じている。
何かできるなら……何かしたい。
では、その何かとは……何があるだろうか。
とりあえず蜘蛛の巣を張っていた部屋は毎日掃除することにしているけど、それは住んでいる者として当然のことだ。それ以外にこう……まさに「お返し」と呼べる何かをしたいのだけれども。
わたしは「ふむ」と思考を巡らせつつ、常時感じている「申し訳なさ」と「感謝」はひとまず隅に置いておいて、容赦なく彼の口に次の炒め飯の失敗作を突っ込むのであった。
2019/2/25 追記:文体と一部の表現を変更しました