35 護衛対象は小さな銀髪少女 後編【視点:ディオネ=ロンパウロ】
すみません、少し更新が遅くなりました(T_T)
今回も少し長めですm( _ _ )m
一仕事を終えた私は、渦中の宿「くらり亭」の壁際に背中を預け、通りの人波を眺めていた。
やはり周囲には金で雇われた愚か者が数人いた。
相手が殺害を目的とした連中ならば、それなりの対応をしようと思っていたのだが、どうやら潜伏していたのは金で雇われただけの平民だったのだ。
身分が平民でもノリノリであの子たちに危害を加えるような性分の者たちなら、記憶が飛ぶぐらいボコってから、王都の外に放り投げようと思っていたのだが、どうにも彼らも金に釣られたものの良心の呵責から足踏みをしていたらしい。
だから私は鉄拳制裁だけに留め、簡単な説教を刻んでから解散を命じた。
出番のなかった長棒は大人しく布の中に戻り、今は私の肩に再びかけられている。
「いやぁ、お待たせ」
「待った。暇だった」
声をかけてきたレジストンに、私は消化不良をそのまま言葉に乗せてぶつけた。
「その感じだと、平和だったってことかな?」
「準平和、といったところだな。やはり銀糸教なる連中の息がかかった者はいたが、直属ではなく、金でけしかけられただけの連中だった。軽いオシオキだけに留めておいたが、まあ……再犯は無いと思うぞ」
「そっかー、しっかし公益所っつぅ働く場所を設けてんのに、やっぱり楽して儲けようって輩は絶えないねぇ。ま、元より倫理観が定着してない奴らには、働く場所があろうとなかろうと関係ないのかもしんないけど」
「ふん、やる気のない奴などいっそのこと全員王都からたたき出してしまえばいいのだ」
「気持ちは分かるけど、そりゃ無理だねぇ。だってやる気のない奴の大部分は平民というより貴族だからねぇ。平民だけ追い出すような措置は貴族たちは気にしないだろうけど、陛下は絶対に選ばないだろうね」
私とレジストンはそんな話をしつつ、自然と宿の裏側に続く路地へと歩いていく。
「で、部屋に入る許可は取ったのか?」
「え、誰の?」
「いや……あの子たちの」
私は軽く跳躍し、二階の小さなテラスの柵に掴まり、跳躍の反動をそのままにくるりと一回転してテラスへと着地した。音は決して出さず、カーテンの閉まった二階の部屋の客に気付かれないように注意する。
ふと横を見ると、同じく無音で既についてきてたレジストンがいて、ちょっとだけビクッと肩を震わせそうになるのを我慢した。
レジストンは指で「もうちょい上」と指示するわけだが、彼の言葉からこの侵入が全くの無許可であることが判っている以上、どうにも気乗りがしない。
とはいえ、不法に足を踏み入れている現状を忘れて、このままノンビリしているわけにもいかないので、仕方なく先を行くレジストンの後をついていった。
私自身、隠密行動はそこまで得意じゃない。
どちらかというと真正面から正々堂々と戦う方が、性にも合っているし、動きのキレもそちらの方が数段高い。けれども、こうして雑音を殺し、周囲の気配を察知しながら移動する術はクラウンの上位に位置する人間たちには必須と言える技術でもあった。レジストンはもちろん、仲間にも斥候役を買っている者には足元にも及ばない私の技術ではあるが、こうして実際に行動して、一般人には誰一人として気づかれない様子を見ていると、少しだけ自信になった気がした。
ここで調子に乗るとロクなことに繋がらないことは分かっているので、誰にも口にしないちょっとした自尊心の潤いとして思うことにする。
そうこうしているうちに、私たちはくらり亭の壁や突起を利用してスルスルと移動を続け、目的の部屋に辿り着く。
レジストンは外側から鍵を開けようと専用の工具をポケットから出そうとしたが、止めた。
「?」
何かと思っていると、彼はそのまま窓に手をかけ、横にスライド。
窓は何の抵抗もせずに、スーッと開いて行った。
「……」
なんと不用心な……。
でも相手は私よりも断然年下の子供たちだ。
レジストンからは「不明な点はあるけど、高い確率で孤児だと見ている」とあらかじめ聞いていたが、親から愛情やしつけ、様々な知識を授かる前にその絆を裂かれてしまったのだから、こういった常識部分が欠如しているのは仕方のないことかもしれない。
王都に来たのもつい最近とのことだし、おそらく治安のことなども全く把握していないというのが正しいところなのだろう。
私たちはそのまま窓を通り抜け、部屋に侵入する。
私は心の中で「ごめんなさい」と決して届かない自己満足だけの謝罪を浮かべた。
対して目の前の男は僅かな罪悪感すら浮かべずに、興味深そうに部屋を見回していた。
「こら、年頃の女性の部屋をジロジロと見るものじゃない」
「ああ、ごめんごめん」
「次やったら拳骨な」
「ご、ごめんごめん……」
思わず頭頂部を手でさするレジストン。
どうやら過去、彼に見舞った際の威力を忘れているわけではないようだ。
ふむ、私の拳骨が抑止力になるのであれば、とことん有効活用しようじゃないか。
それを不法侵入のせめてもの償いにしよう。
む……私たちが今やってることって、さっき路地裏でシメた連中と何も変わらなくないか?
……後で仲間の誰かに私の罪を叱ってもらおう……。
はぁ、と思わずため息が漏れてしまう。
「おや、疲れたのかい? 今日は久しぶりに君の戦闘を見たけど、そんなに体力が落ちているようには……あ、もしかし、ごべっ―――!?」
間違いなく女性に対して失礼なことを平然と言おうとした気配を察知したので、私は有無を言わさず肘をレジストンの顔面にぶちこんで、黙らせた。
「おい、さっさと置き手紙を書くぞ。早く内容を言え」
「びゃてびゃて、びたみがびどぐでうみゃくしゃべれない……」
「何を言っているのかさっぱり分からないぞ」
「……」
恨みがましい視線は無視するに限る。
何やら両手で顔の輪郭を整え始めたレジストンは、数十秒後には何事もなかったような顔で喋り始めた。
時々コイツが人間なのかどうか、気になってしまうときがあるな……。
「まったく乱暴なところは何時まで経っても変わらないねぇ」
「理由のない暴力は振るわない主義なんだがな。あと……こうして紙を前に思ったんだが、別にこうして置手紙を書かなくても、あの子たちと話している時に伝えれば良かったんじゃないのか?」
至極当然の疑問を今、思いついた。
顔を上げてレジストンを見ると、彼は曖昧な笑みを浮かべて「だって」と続けた。
「こっちの方が面白いかなって」
「……どのあたりが?」
「ほら、さっきまで彼女たちと普通に面と向かって会話をしていた男が、部屋に戻るまでの間にこうして置手紙まで用意するなんて誰も想像しないだろう? ゆっくり歩いても子供の足で1時間もかからない距離だ。その距離を、しかもフルーダ亭で別れたはずの、この俺が! 先回りして置手紙をご丁寧に机の上に置いておく……これは中々の驚きを生むんじゃないかなって思うんだよね」
「まさか……それだけのため、か?」
「うん」
「……」
もっと強く肘をめり込ませたほうがいいかな?
しかし、そこは腐っても歴戦の男。私の僅かな筋肉の動きを服の上からでも読み取り、射程範囲外までそそくさと距離を空けやがった。
「……はぁ。だいたい置手紙云々の前に、勝手に部屋にあがってこんなもんを置いておく方が驚かれると思うぞ」
「おお、驚きの相乗効果ってやつかい」
「そこまで前向きに受け取られると続く言葉が見つからないな」
はて、レジストンという男はここまで酔狂な男だっただろうか。
私は思わず眉をひそめて過去の記憶を思い返し……確かにそんな片鱗はちょくちょく見られたな、と納得した。
依頼を受けた当日だというのに、既に後悔し始めてきた。
だが……私の傷ついた心を癒すための酒を手に入れる手っ取り早い方法はコレなのだから我慢する他ない。いや……もうこの際、どっかの安酒でもいいかな。いいような気がしてきた。
「さて、驚きと引き換えに尊厳を捨てた男、レジストン君」
「なんだい?」
コイツに皮肉や悪口の類はどうやら届かないらしい。なんとツラの皮の防御力が高いことか。
「この際、お前が人として大事な何かを捨てることは気にしないことにするが、そもそも……お前が置手紙を置いたっていう演出をするなら、私に書かせない方がいいんじゃないのか?」
「……大丈夫だよ、彼女たち、俺の筆跡を知っているわけじゃないし。俺の言葉をそのまま文字に起こしてくれれば、きっと俺だって分かってくれるよ。一応、名前も記述するしね」
「…………まあいい、ほら、さっさと内容を言え」
なんだかこの問答の意義を考えると頭が痛くなってきたので、私はもう考えることを諦め、さっさと仕事を完遂するほうに集中することにした。
それからレジストンはスラスラと内容を口にしていく。
内容はまぁ分かりやすい構成だったのだが、コイツ……「女性の部屋に許可なく踏み入れるようなことはしない」とかまさかの保険も挟めてきやがった。それをそのまま模写する私の精神は文字量が多くなるにつれて、澱んだものへと変化していく錯覚を覚えた。
カタン、と筆をおいた時の私はそれはもう、百の敵を相手にした後よりも精神が疲弊していた。
「ありがとう。あーでも、あれかな。やぱり俺が書いたって思われない可能性も考えて、少しだけ追記するのもアリかなぁ」
なんてどうでもいいことを真剣に考え始める男は無視して、私は「もう帰って酒飲んで寝よう」と決めこみ、何気なく室内のベッドの方へと視線を送った。
そこには無造作に散らばった女性モノの衣類やら私物やらが転がっており、果てしないズボラ感が滲み出ていた。
中には可愛らしくもシンプルなデザインの下着まで放置されており……、
「ん、どうしたんだ――っと、うわっ!?」
と、私の背後からベッドの方を覗き込もうとしたレジストンに再び肘を打ち込む。
小癪ながらも回避したレジストン。
彼は鋭い私の一撃を回避したことで安堵を覚えているだろうが、甘い。
私は<身体強化>を発動させ、彼の予測動作を上回る速度でその鳩尾に拳を突き込んだ。
「な、ぐっ――」
「この世には見てはいけないものがある。それを覚えておくのだな」
視認はできたとしても、回避までは間に合わない速度の攻撃を受けたレジストンは驚きに顔を歪めながらも、腹部を両手で抑えてその場で膝をついた。
ふむ、こうしておけば余計な真似もしないだろうし、安心だろう。
私はため息をついて、散らかった衣類や下着類を集め、綺麗に整頓していく。
ああ、私も常日頃……きちんとこういう整理整頓や掃除をしておけば、あんなことには……。
部屋の惨状を自分の数日前の出来事に重ねて見て、後悔の念に苛まれてしまう。
まあ……まだ私の部屋よりも断然マシなんだけどな。いや、ここは宿屋であり、完全な自室ではない。そういう差を考慮すれば、きっと彼女たちも自分の部屋を持てば、私と同じ道をたどるはずだ。
あのような情けない経験を負わせないためにも、こうして私が服を畳むことで散らかる以前と以後の状態を目の当たりにする機会を与えて、是非とも今後は整理整頓に励んでもらいたいところだ。
「しかし、随分とサイズが疎らだな……これだと体を痛めるし、成長を妨げてしまうんじゃないか」
彼女たちの下着を畳みながら、ついうっかりそんな感想を口に漏らしてしまった。
ハッと気づき、私はすぐに背後を振り返ったが、レジストンは未だ腹部を抑えながら蹲っている。――聞こえた感じは見受けられない。どうやら私の独り言は完全な独り言で終えたようだ。
カリカリカリ。
「……」
もう一度振り返ってみたが、レジストンは相変わらず同じ態勢だ。
妙な気配と音を感じた気がしたが、気のせいだったのだろうか。まあ、私の<身体強化>による知覚強化を掻い潜れる者など、そう数はいまい。考え過ぎだろう。
カリカリカリ。
私は衣類と下着を次々と畳んでいき、ベッドの右上に集めるようにして並べていった。
カリカリカリ。
二つあるブラジャーは亜麻色の子の方だろうか。
こちらもサイズが微妙にずれていて、思わず私は両手で広げてしまい「うーむ」と唸ってしまった。
カリカリカリ。
これからそういう機会があるかは分からないが、もし彼女たちと接触を持つことがあるのなら、まずは下着の買い出しに付き合った方がいいのかもしれない。
まだまだ子供だから気にしていないのかもしれないが、特に胸部の下着のサイズ違いは形が崩れたりと女性として気に懸けなくてはいけない注意点が多いものだ。接触しないにしても、どこかで注意を促せればいいのだが……。
カリカリカリ。
「……」
私は自然な体の動きから流れるようにしてベッドから飛び退き、背後の壁際まで一気に移動した。
そして開いた視界には、蹲っていたはずのレジストンはおらず、代わりにさっきまで私が書いていた置手紙の続きを書くレジストンがいた。
「あ、バレた?」
「待て、お前……何を書いて」
「あ、いやいや……ちょっと補足というか何ていうか」
「蹲ったフリをして、あまつさえ気配を悟らせないほど掻き消してまで書く補足とは何だ? なぜ手紙を隠そうとする? ん? おい、ちょっと見せてみろ!」
筆を持つ彼の腕を引っ張ると、ビィ、と紙と接触していた個所に線が伸びてしまった。
しかしそれに構っている余裕はなく、私は彼の言う「補足」を目にし、グシャッと無意識に手紙に皺を走らせてしまった。
「なっ……なっ……」
「ディオネ、ちょっと声が大きいから……静かに、ね?」
「何故、お前が私のフラれた経緯を知っているーーーーーーっ!?」
ぶっ殺す! と私は武器を手にするのだが――、
「お、お客さま? な、何かありましたでしょうか……?」
という声が扉の先から聞こえ、私はハッと冷や水をかけられた気分になった。
しまった、と思った時には既に遅く、鍵のかかっていなかった部屋の扉は開かれ、隙間から恐る恐る宿の店員と思しき女性が顔をのぞかせてきた。鍵かかってないんかい!? どんだけ不注意の塊なんだ。
レジストンはいつの間にか揺らめくカーテンの先へと消えており、室内に一人残った私は必死に考えた言い訳を並べ、その日を何とか乗り切るのであった。
部屋の扉の鍵がかかってなかったのは事実。
ならば知人を装い、ここの客の様相を交えつつ「私も会いに来たんだけど、鍵がかかってなくて不審に思って部屋に入ってしまったのだ」的な穴だらけの説明を続ける私に対し、親切そうな店員は頷きながら聞いてくれたのが何よりも有難かった一日だった。
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とまあ、そういう始まりの依頼だったわけだが、私はさっそく置手紙に記した通り、護衛対象の一人――銀髪の少女の囮を遠くから見守る役目を果たしていた。
少女はセラフィエル、と言うらしい。
レジストンからは王都のクラウンの一人である私は顔が割れている可能性があるため、相手の尻尾を掴むまでは遠方から護衛をするように言われている。さっそくの接触機会だったのだが、残念だ。仮に一緒に行動することになったとしても、話題が思い浮かばずに無言の時間を過ごさせる羽目になりそうな気もするので、良かったと言えば良かったのかもしれないが。
ピクッ!
「……」
セラフィエルは最初に人通りの激しい場所を選ぶようにして歩き、公益所へと向かっていった。
手紙には行先などは記載していなかったのだが、この行動計画を自分で立てたというのなら、小さいながらに頭が回る子なのかもしれない。護衛の存在は特に伝えていないから、私が護衛しやすい環境という条件は完全に無視された動きだ。
故に……雑多な人通りの中、背が低い彼女を見失わずに、さらには有事の際に守れるように動くのはかなり骨が折れた。
彼女が変に気にしてしまわぬよう護衛がいるとは伝えていないのだが、これはこれで護衛側がシンドイ一日になりそうだ。集中力が残っているうちに早く尻尾を掴みたいところだ。
もっとも簡単に掴ませてくれるほどの愚か者なら、とっくにレジストンが捉えているだろうから、早くても数週間はこの仕事が続くと覚悟しておいたほうがいいかもしれない。
ピクッ!
「……」
先ほどから小刻みに私の体が動く。
というのも、この子。公益所について手持無沙汰な様子を見せるや否や、色々な人から声をかけられるのだ。
その度に、私は「今か!? 今こそ飛び出すときか!?」と踏み出そうとする足を理性で止めているのだ。
ピクピクッ!
ああ、また……。
彼女に話しかける人物のほとんどはシロ――つまり、単なる一般人だ。
おそらく道に迷っている風な彼女を心配して声をかけてくれるのだろう。声をかける以外の人々もそことなく彼女の事を視界に収めては、その場を通り過ぎていく。
――なるほど、あの顔立ちだと仕方ないか。
今日初めて、私は立ち止まったセラフィエルの顔を見ることができた。
昨日は窓際からやや斜めの後頭部しか見られなかったから分からなかったが、10にも満たない少女だというのに、どこか周囲が輝いているように見えるほど、彼女は目立つ。おかげで今のところ見失うことがないが、逆に近づく者も多くて判断に迷う。
ピクッ!
反射的に動こうとする足をグッと手で押さえ、私は「こりゃ疲れる仕事になりそうだ……」と苦笑してしまった。
一人。
コイツはヤベェ、と思ってしまう挙動をした男が彼女に話しかけてきたが、すぐに小さな男の子が割り込んできて、セラフィエルを連れて行ってしまった。
私はすぐに二人を追いかけ、少年が銀糸教の回し者でないかどうかを観察する。
二人がベンチに座ったので、私も対象の目に入りづらい距離にあったベンチに腰を掛ける。
セラフィエルの表情はさっきまでの少し緊張を孕んだものではなく、安堵したかのような、年相応のものへと変わっていた。
どうやら少年は知り合いのようだ。
その後、彼女たちは公益所を抜け、西地区の奥へと移動していく。
一瞬、知り合いという立場を利用した誘拐かと脳裏を過ぎった。
西地区の寂れ街に差し掛かってから、あの子たちを観察する目が増え、大通りに繋がる路地という路地に浮浪者が集まるのが屋上から良く見えた。
しかし彼らは一緒にいる少年の姿を見るやいなや、舌打ちでもするかのように尾行を解いた。どうやら彼はこの地区の子らしい。寂れ街の住人はまともに働く者が少なく、小さな悪事に手を染める輩が行きつくところだ。王都の監視も隅々まで届かないことをいいことに、手がつかない程度に小金を稼ぐような小狡い怠け者どもの巣窟というわけだ。
目に見える範囲でも一掃したい気分に駆られるが、それは今の私の仕事ではない。
少年が不当な輩の一味でないことに少しだけホッとし、ではなぜこんなところに――という疑問を抱いたが、その疑問は目的地付近になってようやく理解した。
「教会……孤児だったのか」
なるほど。
そもそも公益所に子供だけでいること自体を不思議に思ってはいたが、どうやら彼は真っ当な手段で小金を稼いでいたのだろう。ここの住民に彼の爪を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。
教会に入っていったセラフィエルたちを見送り、私は彼女が教会を出るまで周囲の警戒に当たることにした。
暇つぶしに近くの背の高い廃屋の屋上で、指立て伏せをして時間を潰していると、一台の内馬車が閑散とした通りを抜け、教会前へと馬を止めた。
「…………あれは」
明らかに金を費やした装飾を揃えた内馬車。
一瞬、貴族かと思ったが、貴族を表す家紋が目立つ場所に彫られていなかったため、その可能性は低いと判断する。
となれば……裕福層の平民か、豪商一家などが挙げられるが、さて、こんな寂れた教会に一体、何の用があるというのか。
私は<身体強化>で強化された視力で内馬車を観察し、馬車の扉に見たことのない紋様があることに気付いた。貴族の家紋とは別の――アレは、商会印だ。
商会のシンボルとなる商会印は、それが何処の商会かを表す身分証明でもある。
大方の王都内の大規模な商会は、私も仕事柄、付き合いが生まれる可能性があることから覚えている。
けれど、その紋様は私の記憶になく、しかし、内馬車にかける金額から小規模な商会でもないことは明らかだという矛盾に首を傾げる。
「記録しておくか」
私は馬車の主が教会の中に入っている間、商会印を紙に簡単に模写していく。
模写中にセラフィエルたちが外で遊び始めたので、教会内まで護衛のために侵入する手間が省けて、助かった。
おかげで満足のいくレベルまで模写をすることができた。時間が余ったせいか馬車の全容まで書き写してしまったが、中々の出来に私はふん、と鼻息を漏らしてしまった。
やがて、内馬車は私の眼下を通り過ぎて去っていき、セラフィエルも帰宅することになった。
「さて」
私は長棒の入った袋を肩にかけ、知覚を強化。
予想通り、ならず者どもが蠢動する虫のごとく、この地区の生まれではない少年がいなくなったセラフィエルを襲おうと動き始める。
「クズ虫どもめ」
本当に、こういう他人に迷惑をかけ、楽をして生きようとする輩は大っ嫌いだ。
思わず長棒を握る手に力が入り、ギシッと音を立ててしまうが、王都内での殺しはご法度だ。いかなる事情があろうと、王都内の命にかかる処断は王に委ねるべきだろう。その一線を越えてしまうと、私の今後の活動にも支障が出てしまう。
だから、私が行えるのはせいぜい手加減を加えた制裁を与える程度の事。
屋上から飛び降り、私はまさに今、路地裏からセラフィエルの背後へと滲み寄ろうとするボロ服の男の背後に降り立った。
「へ?」
私はその間抜けな顔を右手で鷲掴みにする。
「あいてててててぇ!? な、ななな、なんだぁ!?」
「お前、銀糸教は知っているか?」
「へ、な、なんだってっ?」
嘘はついていない。
依頼上ではシロだが、彼が行おうとしていたことはクロだろう。
男を鷲掴みにしたまま、思いっきり路地の壁に叩きつけると、男は肺から空気を吐き出し「ぶべっ……」という声だけを残して、そのまま昏倒した。
私はすぐにセラフィエルの後姿を確認しようと、路地裏から顔を出し、愕然とした。
――1、2、3、4……お、多い! こんなことに精を出すなら、真面目に仕事ぐらいしろ!
私と同じようにして暗がりから浮かび上がる影が多くあった。
私は悪態をつきつつ、彼女に手を伸ばそうとする輩どもを次々と成敗していく。
一人にかける時間を多く割くわけにはいかなくなったので、私は簡単な尋問もやめて、どんどん馬鹿どもを倒していった。
まるで灯りに集まろうとする蛾のようだ。
示し合わせたかのように集まり始める小物どもは、数も多ければそれぞれ違う場所から沸いてくる。
おかげで私は路地という路地を駆け抜けては倒す、という工程を踏まざるをえなく、予想以上に時間を取られてしまった。
ある程度、片付けた時には私という存在を察した奴らは蜘蛛の子のように去っていったようだ。
周囲の気配が著しく、減少していくのを感じる。
ようやくセラフィエルの跡に追いつけると思った私は急ぎ足で通りを走り、彼女に追いつく。
どうやらまだ二名、彼女にちょっかいをかけているようだ。
「面倒だ……! このまま片付けてやる!」
もはや陰から護衛するのも面倒。
私は長棒を袋から抜き取り、右手に構える。そして前傾姿勢のまま通りを駆け抜け、セラフィエルとの間に割り込もうと力を入れて――その足を急ブレーキさせた。
「………………なっ!?」
――何だ!?
まるで大気が怯えるかのように震えている気がした。
これは……殺気? いや、少し違う気がするが……ただならない空気だということは間違いない!
この感覚はセラフィエルの正面にいる二人にも通じるのか、彼らも酷く驚愕に溢れた顔をして後ずさっていた。
いかん、何者が潜んでいるのかは分からないが、あの子だけは必ず助けないといけない!
私は攻撃態勢から、セラフィエルを抱えて逃げる準備へと思考を切り替えた。
しかしその思考も、すぐに新しい情報に塗り替えられ、私はまたしても足を止めざるを得なかった。
「…………え?」
セラフィエルはすっと手を天に向かってあげ、その掌上に何処からか発生した紅蓮の炎が円を描きながら集約されていく。
あり得ない光景だった。
炎は徐々に球体を模して膨れ上がっていく。
既に並の人間ならば触れただけで蒸発しそうな熱気が通りを抜けていく。
彼女の恩恵能力は私と同じ<身体強化>じゃなかったのか!?
しかし恩恵能力にしても、これだけの熱量を操作できる能力など、ほぼ聞いたことがない。対極ではあるがかの氷魔の騎士や、地堂御仁に匹敵する力のように見えた。
彼らとて幼少期から今のような圧倒的な力を制御できていたわけではない。長い長い時間を洗練された訓練の日々と共に成長してきて初めて到達した世界なのだ。私だって初めからここまでの戦闘能力を身に着けれたわけもなく、血反吐を吐くような訓練と実践を積んでここまできたのだ。
だというのに、あの子はあの炎を自在に操っているというの!?
もはや眼前の男女は腰を抜かして、地面に尻をつけている。
見た目通り、降伏状態だ。
それなのに、セラフィエルは未だ炎を集約し、過剰なまでの暴威をその手に翳していた。
おかしい。
あの子はレジストンの話だと、聡明な子だと聞いている。そして同時に人を思いやる心を持つ子だとも。
そんな子が降伏状態の敵を前に、あれほどの攻撃を振り下ろすだろうか。
私は疾走し、セラフィエルの背後へと近づいて行く。
そして気づいた。
セラフィエルが声なき声――慟哭にも近い叫びをあげながら、その手に炎を集めていることに。
間違いなく、通常ではない様子だ。
私は意を決し、長棒を構えて、強く――地を蹴ってセラフィエルの元へと駆けて行った。
2019/2/25 追記:文体と一部の表現を変更しました