26 銀と赤の夢
いつも読んで下さり、ありがとうございます('ω')ノ
黒で塗りたくられた景色に、うっすらと白い靄がかった世界にわたしはいた。
ここが何処か、と疑問を持つ前に――ああ、これは夢の中なんだな、と見当をつける。
地平もなく、大地と空の境界もない、曖昧な世界。
空想的、非現実的、そういった言葉が似合う、何も存在しない虚無の世界だ。
わたしはしゃがみこんで、こんこん、と足元を握った手で叩く。一見、どこまでも落ちていきそうな真っ暗闇の地面だが、一応、物理的に床を模しているようだ。
しかし夢にしても妙な世界だ。
元々あまり夢を見ない性質な上に起床後はたいてい忘れてしまうことが多いので、記憶にぼんやりと残っている程度だが、夢とは――己の願望や潜在的欲求、もしくは直近に起きた出来事を模した内容というものが多い気がする。
ではこの世界は何なのか。
閉所恐怖症でもないし、長い時間暗闇の部屋に閉じ込められた経験も無くはないが、それに恐れをなすほど可愛い性格でもないし、直近ではここまで暗闇に関連するような経験はないはずだ。
「――貴女」
不意に背後から声をかけられ、わたしはビクリと肩を震わせた。
「っ」
まさか自分以外の誰かがいるとは一切考えなかったため、心の間隙を縫うようにして滑り込んできた謎の声は、わたしを驚かせるのに十分なものだった。
頬に嫌な汗を流しつつ、わたしはゆっくりと振り返った。
「…………え?」
そこには――どこかで見た顔があった。
背丈はわたしと同じぐらい。
髪の長さも体格も、その顔だちもわたしとよく似て――と、そこで思い出す。
ああ、そりゃ見た顔だわ。
つい最近、宿屋の部屋の立鏡で見た顔なんだから。
違う点と言えば――わたしは煤けたような灰色の髪色だったが、彼女は燃えるように赤系統の色をしていたことだ。系統、という言い方をしたのは、赤一色というより、橙などの赤に近い色彩が混ざり合ったような髪をしていたからだ。
「貴女は……だれ?」
半ば反射的にそう問うと、わたしと同じ顔をした少女は首を傾げた。
「だれ? 貴女がそれを問うの?」
「……」
何とも言えない沈黙が流れる。
その間を持たせるかのように、黒一式の世界に一つの変化が訪れた。
波打つように赤いエネルギーの奔流がわたしたちの周囲を漂い始めたのだ。
思わずわたしたちはその様子を見上げる。
やがて彼女はその奔流をつかもうとするかのように手を伸ばし、しかし手を透過してすり抜ける様子を見て、小さく息をついた。
「とてつもない力のうねり。そう……そうね。私も今になってようやく頭の中を覆っていた靄が晴れてきたみたいね」
「それはどういう――」
「過ぎた話よ。今更それについて言葉を交わしたところで意味はないわ」
「……貴女だけ知った風な顔をすることを止める分には意味はあるわよ」
「ふふ、なるほど。それは一理あるわね」
「……それじゃ答えてよ」
「嫌よ。答えてしまったら完全に私という存在が溶けて消えてしまいそうだもの」
答えたら消える? その真意はわからないけど――あたしの問いに答えることには意味がある、ってことじゃない。
くっそぅ、なんだかおちょくられている気分になって、少しだけ不機嫌になってしまう。
彼女の言葉に呼応するかのように、真っ赤な奔流が彼女を囲い込むように流れ込んでくる。
彼女はそれを振り払うかのように腕を横に薙ぎ、その動作に押しのけられるかのように奔流もまた軌道を変え、彼女の背後へと狙いを逸らして流れていく。
「ふふ、怖い怖い」
「……むぅ」
「そう膨れないの。私はまだ貴女と会話を楽しみたいわ」
おかしい。
なぜ出会ったばかりの同じ顔をした少女に、まるで妹のような扱いを受けなくてはならないのだ。
ちょっと、なだめるように微笑むのはやめてよ。
くぅ……、居た堪れない気持ちになるじゃない。
「だったらまず貴女の名前を教えてよ。名も知らない人と話すなんて御免被るわ」
「名前? そう、ね……私の名前、は……」
「?」
急に頭を押さえだし、彼女は苦痛に抗うかのように顔を歪めた。
「ちょ、ちょっと……大丈夫?」
「なるほど……私という存在が輪郭を帯びたといっても、まだまだ完全ではない、ということかしら……」
「あの……?」
「大丈夫よ。どうも私は一部の記憶がまだ完全ではないみたい……名前を、思い出せないわ」
「貴女…………本当に何者なの」
もはや夢という一言で締めくくれるほど、事態は正常なものでないことはわかっている。
彼女がわたしの脳が生み出した妄想、というにはあまりにもその存在は独立している。わたしが期待していない、予期していない反応を返してくる時点で、彼女が空想の産物でないことを明確に表していた。
つまり、彼女は「個」として確立している。
……仮説は一応、頭の中に一つ、過ったものがある。
「……」
しかし、仮にその仮説が正しいとして、わたしは彼女とどう向き合えばいいのか。
(見た目上)年の近い子供同士のように接すればいいのか……それとも――。
「あら、そろそろ時間みたいね」
うーん、と悩ませているわたしを余所に、既にケロッとした顔をしている彼女は淡々と声をかけてきた。
ふと顔をあげると、世界が徐々に白んできていることに気付いた。
まるで明けの明星のように、世界は光を取り戻していく。同時に赤い奔流は不規則に右往左往してわたしたちの周囲を駆け巡っていく。
「……最後に一つだけ」
「……」
間違いなく、この二人だけの時間が終わりを迎える予感に、わたしはどうしても気になることを尋ねた。
彼女は赤い髪を揺らしながら「どうぞ」と小さく口元に笑みを浮かべた。
「――貴女、本当に見た目通りの年齢?」
一瞬、きょとんとされたが、すぐに彼女は「ふ、ふふ……あはは、それが最後の質問!?」と腹を抱えて笑い出した。
わたしだって最後の質問にしてはアホらしいとは思ってるけど、気になったんだからしょうがないじゃない。
「ど、どうしてそう思うの?」
「……だって、なんだかやけに落ち着いてるから」
「ふふふ……そう、だったら答えるけど――私は見た目通りの年齢だよ。7年しか生きられなかった哀れな子供――それが私。大人っぽく見えるのなら、きっと私は『そうならなくてはならない人生』を歩んできたのでしょうね」
――生きられなかった。
彼女はそう自分を表現した。
つまるところ、ああ……そういうことなんだろうな、と納得がいった。
「……そうならなくてはならない人生、ね。ふぅん……今度、その台詞を参考にさせてもらうわ」
「うん?」
「……どうもわたしは子供っぽくないって周りから思われちゃうみたいだから」
「別に理由なんていちいち言わなくてもいいんじゃない? 聞き分けのない子と思われるより、子供らしからぬ理知的な子に思われるほうが断然いいと思うけど」
……確かに。
あれ、なんで子供っぽく思われないことに不服を感じてるんだろう。
そもそも周囲との無用な軋轢を生まないために口調だって丁寧語にしていたはずなのに、子供っぽさを求めるなんて逆走もいいところだ。
あんまりにもクラッツェードやレジストンに「子供っぽくない」と言われて反発しているだけ……? うわ、それこそ子供そのものじゃない。
もしかして、この感覚もわたしの精神が肉体年齢に引っ張られている現象の一環?
だったらなおさら無意識に引っ張られないように、より200年生きたセラフィエルという個性を意識しておかなくてはならない。
「……それもそうね、うん」
とりあえず彼女の言葉に同意を返すことで、漠然と湧き上がる心中の違和感を拭い去る。
パリ、と黒い世界にヒビが入る。
その様子はまるで卵の殻が割れるような様で、パラパラと割れた黒い空間が虚空へと落ちていき、代わりに真っ白な世界が顔を出してくる。
「大丈夫だと思うわ」
「え?」
「貴女という個が消えることはないと思うわ。だって……こんなに強力な力に護られているんだから」
彼女は割れた空間の裂け目から逃げるようにして出ていく赤い光の粒子の波を眺めながら、そう呟いた。
どちらかというと彼女の髪の色にあいまって、その光は彼女の味方のように思えてしまうが、感覚的に理解できる。――あれは、わたしの身の内に潜む力が顕現したものであり――その正体は操血と呼んでいる能力の源泉であることを。
「だから、貴女が消えてしまうなんてことは起こらないわ。そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫よ」
別にそんなことを思っていたわけではなかったのだが――いや、無意識に子供であろうと変化していく自身に対して無意識に不安を感じていた……のだろうか。
わたしは片頬に手をあてて、思わず口をつぐんでしまった。
なんだか悔しい。
言葉づかいや雰囲気もそうだけど、同じ外見でこうも圧倒的に年齢差を感じさせる態度に、なぜだか負けてしまった気分になってしまう。
だから、次に会うときには200年の貫録を見せてやると意気込んで、わたしは口を開いた。
「名前が無いんだったら……便宜上、貴女のことを『赤』と呼ばせてもらうわ」
「あら、なるほどね。わたしたちの間で大きく違いがあると言ったら髪の色だものね。ふふ、だったらわたしは貴女のことを『銀』と呼ばせてもらうわ」
「……銀に見える?」
「ええ、とても綺麗な銀色に」
うーん、みんな「銀、銀」っていうけど、わたしの目にはどうしても灰色に見えるんだよなぁ。
良くわからないけど、まあそんなことはどうでもいっか。
しかし赤とはどう考えても初対面で、本来なら警戒すべき出会いなはずなんだけど、なぜか全くそんな気が起きない――不思議な時間だった。
夢、だからだろうか。それとも赤の性格がそうさせているのだろうか。
薄いガラスが割れるような音が断続的に響き渡る。
いよいよ世界は黒から白へと変貌し、わたしや赤の姿を霧で包むかのようにおぼろげなものへと化していく。
「それじゃ、赤。またね……と言うのも違和感があるけど、……うん、他に言葉が思いつかないから、いいや。……またね」
「ええ、銀。次はもっと長い時間、話し相手になってくれると嬉しいわ」
燃えるような赤髪とは裏腹に、心底からそう思っているかのように彼女は優しく微笑んだ。
――パリン、と最後の世界の欠片が砕け、そこでわたしは意識が浮上していくのを感じた。
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「――…………」
そうして目が覚めたわたしが最初に感じたのは、頬に感じる感触だった。
それは頬を伝う涙――………………………………ではなく、いや、なんだこれ。
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ。
なんか嫌な感触が動いて、ひぃっ!?
頬から耳朶に向かって何かが這いずり回っている!?
「ひゃぁ!」
慌てて左腕を振り回し、わたしの顔を我が物顔で歩き回っていた敵を振り払う。
それはふわりと宙に浮いたかと思うと、壁にビタンとへばりつき、そしてわたしの視線から逃れるかのようにカサカサと不安を煽る擦れ音を出しながら、ベッドの下へと姿を消していった。
「ひゃああああああっ!」
わたしはさっきまで見ていた夢のことなんて吹き飛ぶほど恐怖を感じ、反射的に魔法で巨大な水球を宙に作り出し、奴が這い回ったであろう顔をこれでもかと言うぐらい洗った。
そしてその水球にそのまま命令を出し、水球を部屋の床にぶつける。水球は形を崩し、室内の床上数センチほどまで水浸しにし、ちょっとしたプールを作り上げる。やがて意思を持ったかのように水はズルズルと雑巾がけをするかのように室内の端へと向かって移動する。
やがて……突然の水流に絡め取られるかのように、黒い敵を確保し、やがて水は再び集約を始めて元の水球へと戻っていき、ふわふわと宙に浮かび上がっていった。
くっ……奴め、まだ逃げようともがいているな!
ひぃっ……しかも、5匹もいる!?
この狭い室内に5匹も奴がいたってこと!? 安いし過ごしやすい良い宿だと思ってたのに、衛生面でマイナスだよ、これじゃ!
えいっ、とわたしは窓を開けて、こっそり裏路地に向かって水球を投げ飛ばし、路地で水がはじけ飛んだのを見送って一息ついた。
「うぅ……まだ顔に何かついている気がする」
もちろん錯覚なのだが、人の神経とは思い込みで誤認することもある。それだけ、わたしにとって神経を揺さぶるほどの存在なのだ、アレは。
虫全般が苦手……というわけでもないのだが、一部の虫や蜘蛛とかは駄目だ。
生理的に苦手。
「はぁ……朝から最悪な目覚めだよ……」
これだけ隣で騒いでいるというのに、なぜにプラムは一切目を覚まさないのだろうか。
わたしは不安になって彼女の寝顔をのぞきこむと、そんな不安なんて吹き飛ばすほど、心地よくすぴーすぴーと寝ていた。
そんな平和な寝顔を見ていると、幾ばくか朝っぱらからの嫌な想いも和らいでいった。
2019/2/25 追記:文体と一部の表現を変更しました