08 王都平民街の一日 中編
結局プラムが目を擦りながらも夢の世界から帰還したのは、昼頃だった。
朝から目が覚めていたわたしは、きゅうぅぅぅ、と忙しく鳴るお腹を押さえる。お腹空いた……。
起きてただベッドの上でダラダラしていただけというのに、それだけで人体はそれなりにエネルギーを消費するらしい。数時間前から「胃に何か寄越せ」と何度も訴えかけてくる。
寝れば空腹も感じなくなるのだが、せっかく顔も髪も洗った後に、また二度寝する気も起きないし、意識もしっかりと覚醒してしまった。この状態で再び寝るのは難しいだろう。
というわけで、プラムが起きるのを何もせず延々と待っていたわけだが、ようやくその時が来たというわけだ。
王都最初の食事は一緒に摂りたいと思っていたので、意地でも空腹を堪えていたけど、もう限界……!
そろそろ空腹具合が「お腹が鳴る」から「お腹が痛い」に移り変わりそうなので、わたしはちょっと急かし気味にプラムに声をかけた。
「お姉ちゃん、おはよう」
「うぇ? ふぁぁ……セラちゃん?」
「そうだよ。もうお昼だし、そろそろ起きよ?」
「ぅう? うー……うぅ~…………」
もぞもぞ。
布団とベッドの間の温もりが恋しいのか、プラムは布団の中に頭を引っ込めて、起床を抵抗し始める。
あ、この子……絶対に朝が苦手なタイプだ。
「お姉ちゃん?」
布団の中に収納された塊を揺らしてみるが「むー」だの「うー」だの、意味を成さない言葉しか返ってこなかった。
彼女が奴隷業者に捕まる前にどんな生活をしていたかまでは分からないけど、この執着心……きっと彼女の人生で未だかつて味わったことのない幸せの感触を、この宿のベッドと布団に感じたのだろう。可能ならばその至福と時を過ごさせてあげたいが、この宿だって一週間が限度。資金だってハイエロから譲り受けた貨幣以外にないのだから、食っちゃ寝生活を続ければすぐに底をつくだろう。
つまり、過剰にゆっくりする余裕はないということだ。
仕方ない……ここ数日で共に過ごしたわたしにだからこそ分かる、プラムの制御法を実行するか。
「もぅ……お姉ちゃん、子供みたい」
ピクッ。
「これじゃどっちがお姉ちゃんで、どっちが妹か分からないよ」
ピクピクッ。
「わたしなんて布団も畳んだし、新しい服にも一人で着替えたし……ご飯だってお腹空いたけど、お姉ちゃんを待って我慢してるんだよ」
「……」
――あ、布団とベッドの間に僅かな隙間ができた。
その隙間から窺うような視線を感じ、わたしは思わず小さく笑ってしまった。
「我儘でお寝坊さんなお姉ちゃんは置いてっちゃうけど、いいの?」
「……うぅ、セラちゃんが意地悪するぅ」
「意地悪じゃなくて、教育です」
「教育という名の意地悪をするぅ……」
「そこまで口が回れば、もう目は覚めてるでしょ? ふふ、はい起きた起きた」
「うぁー、子供扱いするぅ~」
わたしが強引に布団をひっぺ剥がすと、最後の抵抗とでも言わんばかりにそんなことを言う。
まあ実際にわたしから見れば、圧倒的に子供なのだが……肉体に引きずられて精神年齢が退化しているような気がするわたしが言えた義理でもないか。
知識と経験は200年以上培ったものがあり、それをきちんと自覚しているはずなのに、わたしの思考は何故か子供チックだ。
最初はかなり戸惑っていたし、折り合いをつけるまでは言葉にできない違和感が常について回っていたが、今となっては慣れてきた。
「はいはい、ほら布団を畳んで」
「ふぁぃ……」
柔らかい髪質なのか、亜麻色の髪はそこまで寝癖をつけていないものの、やはり多少は乱れていた。
ああもう、寝相が悪いのか、鎖骨と胸元がはっきりと見えるぐらい襟元がめくれている。
わたしは目を擦りながら布団を折りたたもうとする彼女の身だしなみを整えてあげた。
これじゃどっちがお姉ちゃんだか、本当に分からない。
ま、でも……朝ぐらいはこうして逆転してみるのもアリかもしれない。おかしいなぁ……わたしの生来の性格的にそこまで世話好きじゃなかったはずなのに、彼女の世話をするのが楽しく感じる。
それから、やいのやいのと身支度を進めていくうちにプラムも平常運行へと復帰していった。
顔を洗うついでに「魔法」について打ち明けようかと画策していたが、洗顔について声をかけたら彼女は「そんなことよりお腹空いたから、とりあえず何か食べようよー」と言われてしまったので、タイミングを逸脱してしまった。
仕方ないので話は後回しにし、わたしは軽く彼女の亜麻色髪を指で梳いて整えて、人前でも大丈夫なように手入れをした。髪質が柔らかいので、指を何度か往復するだけで彼女の髪は綺麗にまとまっていった。
寝癖に悩まされなさそうで、う……羨ましい。
「プラムお姉ちゃん、一階の食堂で何かお腹に入れてから外を散策しよ」
「うん、そうだね」
「王都のご飯ってどんな感じなんだろうね」
馬車道中での薄味なのか、それとも王都独自の調味がされているのか。
楽しみ半分、期待半分。
どっちかが外れるのは仕方がないとしても、両方外れないことを祈る。
「楽しみだねぇ」
互いに笑い合いながら、自然と手を繋いで階段を下りていき、一階のエントランスを横切って併設された食堂へと足を運ぶ。
併設されているとはいえ、宿屋とは別の経営による食堂だ。
当然、宿泊費には含まれず、ここはここでお金がかかる。わたしたちは移動用の小さな麻袋を腰にかけ、そこに一部の金銭などを詰め込んで食堂の空いている席へと座った。
人の流れを見ていると、どうやら注文窓口が端にあり、そこで注文した食事が後で席に運ばれてくる、という仕組みらしい。
席に置いてある札を一緒に持っていき、注文時に確認することで、どの席にどの料理を持っていくかを判断してるっぽい。
「セラちゃん、何が食べたい?」
二人掛けの卓上におかれた手書きのメニューを二人で覗き、うーん、と悩む。
文字は読めるが、これがどんな料理かはわたしには分からない。
そういえば文字の認識について転生後に常々感じる「わたしの血」の謎の一つだが、転生を三度繰り返してきたものの、今まで言葉の違いに困ったことがないのだ。
異国の者と話す際も言葉でコミュニケーションが詰まった過去がない。
わたし以外の者も異国者と話す際に言葉を変えたり、対応に苦慮していた気配はないので、おそらく統一後しかない世界だったのだと前世までを振り返るわけだが、そもそもで一番最初の科学特化の世界とは言語が違うはずなのだ。
文字なんかは特に顕著で「知っている言葉と違う」と分かっているのに「文字は読める」のだから、ちょっと不思議な現象だと言える。
調べようのないことなので憶測でしか言えないが、個人的には転生前の肉体を持っていた者――その者の言語知識を自動で取り入れたのではないか――と勝手に思っている。
この世界の言語も文字も対応できるのは、元々のこの体の持ち主の知識によるものなんじゃないかと思うわけだ。そう考えると、子供の身でありながら、不便なく話したり読めたりできているので、命を落とす前のこの身の持ち主は年少ながら優秀な子だったのかもしれない。
と長々と語ったが、たとえ言葉が話せ、文字を読めようが、それがどんなものかまではわたしの元々の知識が優先されてしまうのだ。故に料理名を口に出来ても、それが何なのかまではサッパリ見当もつかない。
どうせならその辺りの情報も引き継いでくれればいいのに……なんて思うけれど、仮に全ての情報や記憶が引き継がれたとしたら、わたしの頭の中は転生直後、大パニックを起こしそうなほど情報処理に追われそうなので、これはこれで丁度いい塩梅なのかもしれない。
だからわたしは伝家の宝刀――他人任せを発動させることにする。
「うーん、わたし、お姉ちゃんと一緒のものが食べたいっ」
「え? そ、そう……?」
プラムお姉ちゃん、後は任せた!
グッドチョイスを期待する!
プラム自身もこういう環境に不慣れなせいか、困った表情を一瞬だけ浮かべたが、それでも頼られることは嬉しいのか、一生懸命メニューを凝視して「何がいいかなぁ」と考え込む。
手書きメニューだから、写真とかそういったものは無いんだよね……。
料理名から内容を連想できるものであればいいけど、ぱっと見、わたしには何が何だか想像すら湧かなかった。そもそも兎にバナビィという名がついている時点で、その単語がわたしの知る何を指しているのか分からないのだ。
このあたりも図鑑か何かで知っていく必要があるだろう。
んー、やることばっかりだなぁ……。
「よし、これに決めた!」
「どれどれ?」
プラムが指さすメニューの先には――『クダとテモールの香草和え』と書かれていた。
クダ?
テモール?
唯一分かるのは香草ということと、調理法ぐらいだろうか。
和え、というぐらいだから、調味料と具材を混ぜ合わせた料理なのだと想像はつく。
しかし……クダとテモールは一体、何なんだろうか……。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん」
「な、なにかな?」
なぜ少し後ろに引く?
「この……クダとテモール、ってなに?」
「え、えぇ~……っと、そっか、セラちゃんはそういえば記憶が無いんだったもんね」
「え? あ、うん、そうだね」
そういえば、そういう設定だったね。
待てよ。
この万能設定で「魔法」についても上手く説明できるんじゃないだろうか。よし、後で「記憶が無くて、わたしにもよく分からないんだけど、何故だかこんな力使かえちゃいます」的な不思議設定で攻めよう。
「ま、まあ食べれば分かるよ! うん、食べてからのお楽しみ!」
「え、う、うん……分かった」
「それじゃ私は注文してくるから、セラちゃんはこのまま待っていてね!」
慌ただしく席を立つプラムに、どことなくわたしは目で追いかけていった。
もしかして……クダとテモールについて、プラムも知らないんじゃ。
わたしの記憶を気にしていたあたり、もしかしたらメニュー名を見て、わたしがこの食材が何なのかを口にすることを期待していたのかもしれない。
どんな料理か分からない……という本音を正直に明かさないのは、お姉ちゃんポジションとしての威厳なのか見栄なのか。
どちらにせよ、これだけ人が出入りする宿屋と隣接している食堂で、おかしな料理が出てくるわけもないだろうから、座して待っていればいっか。
「あれ?」
ふと、食堂内を見渡していると、どこか見覚えのある人が三席ほど離れた席で食事をとっているのが見えた。
窓際から差し込む太陽の光が反射しそうなぐらい綺麗な金髪の男性。
端正な顔立ちにスラッとした体格は、女性の目を惹きつけそうなものなのに、彼の暗い表情と全身から溢れだす負のオーラがその素材を台無しにしていた。
おお、と思い出す。
外見というより、あの猫背っぽい体幹と「世の中くそだぜ、やってられっか」という言葉が相応しく滲みでる圧倒的な負の気配。それだけで昨日、市場で喧嘩をしていた片割れだと思い出せた。
彼も食事中のようで、目の前の皿に乗った生野菜をゆっくり咀嚼していた。
あれで足りるの? と言いたくなるほどの量だ。
俯き、目元が前髪の影になっている様子は、まるでお通夜の帰りのようだ。
彼はわたしたちのようにお金を払って入門していたわけではないので、ここの住民なのだろうが、宿屋と隣接した食堂にわざわざ出向くということは、住処はこの辺りなのだろうか。
「?」
と、不意に空席だった彼の前の席に誰かが座る。
この王都の気候にそれは暑いだろう……とツッコミたくなるようなトレンチコート風の外套を着こんだ人だった。体格的に男性……だろうか。コートが厚手のため、よくは分からないが、その人は机に片手を置いて彼に何言か告げているように見えた。
遠目にも彼の表情が不機嫌に変わっていくのが分かる。
よほど不快だったのか、俯き気味だった彼は顔を上げ、コートの男を睨みつける。
その後に幾つか言葉を交わしたかと思うと、歯ぎしりがこちらにも聞こえてきそうなほど口元を歪めつつも、彼は視線をコートの男からそらした。
「……?」
気のせいだろうか、ふと金髪の男性と目が合った気がした。
しかし、それも一瞬。
瞬きの間に、彼の視線は前方のコートの男に移り、終始険しいままであった。
会話は一通り終わったのか、コートの男が席を立ち、食堂の出口へと去っていった。
金髪の男もその数分後に空になった皿をそのままに、わたしの横を通り過ぎ、そのまま食堂を出ていった。
何故だろうか。
彼が横切る刹那、わたしをどこか憐れむような視線を送っていた気がした。
胸騒ぎがした。
「――……!」
反射的に、わたしはいつまでも戻ってこないプラムのことに気付き、慌てて立ち上がる。
注文を待つ列を最後列から順に見て回るが、彼女の姿は見られなかった。
――しまった!
わたしは思わず口元を強く結び、己の油断を呪った。
王都に入ってすっかり安心しきったつもりでいたが、わたしたちは成人もしていない女子供の二人組なのだ。
注意深く観察されれば、わたしたちに保護者が同伴していないことなど気づかれてもおかしくない。そんな状況下に己たちがいるというのに、人が密集している場であるということと、王都という王のお膝元という土地のこともあり、慢心していたのだ。
焦るわたしの様子に何事かと、周囲の人たちが視線を向けてくるが、そんな奇異の目を気にしている場合じゃない。
くそっ!
なんでこうも、わたしたちは人攫いに縁があるのよっ!
少しぐらい平穏というものを満喫させてくれていいじゃない!
わたしは心の中で愚痴をこぼしながら、食堂をの入り口から通りに出る。
既に金髪の男性も、あのコートの男も見当たらない。これから先は読み合いだ。決して読み間違えるわけにはいかない。プラムの身の安全がかかっているのだ。
方角は――どうする? 大通りはきっと朝の人込みでにぎわっているだろう。普通に考えれば人攫いが人を担いで堂々と歩けるような場所じゃないし、ここは衛兵のいる門からもそう遠くない場所だ。あからさまな犯罪者がいれば、すぐに人伝てで話が行き、衛兵が駆けつける危険性があるはずだ。
となれば――向かう先はまず……裏通り的な場所!
わたしは<身体強化>を発動させ、大通りほどじゃないにしろ、それなりに混んでいる宿屋前の通りを人の間を縫うように駆けだした。
次回は「09 王都平民街の一日 後編」となります(^-^)ノ
2019/2/24 追記:文体と一部の表現を変更しました。