26 騒乱の決着
「勝ち……?」
デブタ男爵が「どういうことだ?」と顔をこちらに向けた。
彼の腕には苦しむゾーニャが抱えられており、その様子が彼らが兄妹である証明に見えた。
「言葉の通りだよ。彼女の体内に入ったわたしの血が、ようやく支配権を乗っ取ったのよ。彼女の血はどうにもかなり特殊だったし、わたしも全盛期の足元にも及ばない力しか出せないから、ちょっと時間がかかっちゃったけど」
それでも、身体強化と思える能力がなければ、おそらく無理だっただろう。
わたしの操血が使える血液はまだまだ少ない。
もし強化されていなければ、彼女の血に押し負けていたかもしれないぐらいだ。
まだ名も知らぬ、この力に感謝しないとね。
「なにを仰ってるのか、分からないわ――ね!」
ゾーニャはデブタ男爵の手を払いのけ、足元に力を込めてこちらに飛びかかってこようとする。
それをわたしが許すはずもなく、彼女の中に入り込んだ微量の「わたしの血」に命じ、彼女の手足から文字通り血の気を引かせた。
「なっ!?」
ゾーニャは手足に疼痛を感じ、顔を歪ませて悲鳴を上げた。
転がり、何が起こったのかも分からずに泣き叫ぶ姿は見るに堪えない。
けれど相手はわたしを殺すつもりなのだから、そこに情けはかけない。
「な、なにを……したんだ!?」
「お嬢様!」
片や信じられないものを見るように、片や純粋に心配するように――声が上がる。
「だから、貴女の体の支配権は既にわたしに在る――って言ってるじゃない」
「貴様っ!」
ロシオと呼ばれた男が肩をこちらに向けてタックルしてくる。
少し前のわたしなら間違いなく全身で喰らって昏倒しているだろう重い一撃は、既に脅威ではなく、わたしはひらりと近くの木箱の上に飛んで、そのまま突進してくる彼の背後に降り立った。標的がなくなったロシオはそのままわたしの背後にあった木箱に突っ込み、痛そうに呻きを上げた。
「さっきからとても……子供の動きとは、まさか――<身体強化>なのか……? いや、しかし……そうなると、先ほどの首の修復は……い、一体どうなって……」
テイラー?
わたしのこの力に何か思い当たる前例でもあるのだろうか。
首の血管修復については「リジェネーション」と呼ばれてたけど、それはわたしの操血の現象を勘違いされたものだ。でもわたしの動きを「テイラー」と呼ぶのであれば、それはこの身に潜む力を指している可能性が高い。
名無しの力というのも呼びづらい。
せっかくなので、その「テイラー」という名前を今後は使わせてもらおうかな。
「だったらどうします?」
この中で最も話が通じそうなデブタ男爵にわたしは冷ややかに問いかけた。
形勢は既に決している。
それでもまだわたしを殺そうとするなら、もう遠慮はいらないだろう。
……正直、この地下で彼らが何をやっていたのかは分からないけど、何となく想像はつく。
カーテン奥の血の匂いに、先ほど彼女が喉に通そうとしたわたし以外の血の入ったボトル。
そして今回のわたしたちのように、奴隷の買い取りに通じているお得意様という点。
想像通りなら胸糞悪い話だ。
この場で全員を叩き切ってもいいぐらいの気持ちだ。
その背景にどんな事情があろうとも、彼らの行為は同族である人に対する反逆だ。
情状酌量の余地がどの程度あるのか不明だけど、それでも罪は罪。
だからわたしは今も脂汗を流して苦しむゾーニャの傍らに膝をつくデブタ男爵に問うた。
「ここで……わたしのような奴隷を殺していたのですか?」
「……!?」
既にあのデブタ男爵に「気持ち悪い」と思わせる態度は見られない。
もしかしたら、この姿勢の方が彼の本当の姿なのかもしれない。
あの笑い方も表情も今では見る影もなく、困惑と驚愕……あとは、これは希望? そういった色が見受けられた。
どこかで見たことのある表情だ。
――これは多分、前世かその前……罪を犯した者が浮かべていたような。
そうだ、確か家族の命を脅しに使われて、わたしの命を突け狙ってきた子爵の当主が、その凶行を止められ、わたしが「家族はわたしが救うから、お前は罪をあがなえ」と言い放った時の顔に似ている。
この男、もしかして――。
圧倒的優位に立ってわたしも余裕が出てきたし、ちょっとカマをかけてみるかな。
「どんな事情があるのかは知りません」
「っ」
やはり「事情」という言葉に反応するか。
視線は……床と背後のロシオと……そしてゾーニャへ。
彼らが問題の根幹であることは間違いなさそう。
「それでも……貴方がたが我欲のために人の命を歯牙にかけたというなら、それは許されない行為だよ」
「……、……」
口を開きかけようとして、彼は再び言葉を飲み込んで視線を落とした。
弁明したい事情があり、それでもそれは間違っている、と。
それがきちんと理解している人間の反応だ。
この世界で人の命がどの程度の重さとして認知されているかは分からない。
時代によっては同じ人でも、王族、貴族、華族、平民、農民などなど、様々な役割と立場で、その重さが変動することが当たり前の時代だってある。
だから……もしかしたら奴隷としての首輪を嵌められたわたしの価値は、彼らにとってゴミも同然なのかもしれない。
しかも相手は男爵家。
貴族相手ならばそういう強い選民意識を持っていても不思議はない。
けれどそんな疑念を否定するかのように、彼は視線を落とした。
自分の罪を一つ一つ数えるように。
地に落としてしまった罪を一つ一つ拾い上げるように。
奴隷にも人権はある、ってことかな?
それとも……デブタ男爵は過去に――いや、やめておこう。
下手な感情移入は足元を掬うきっかけになりうる。
「おおおおっ!」
と、再び大男が木箱の破片を押しのけ、こっちに突撃をしかけてくる。
人が話してる最中だってのに!
空気読めないんかい!?
わたしは身を屈め、彼の伸びてくる手を回避し、そのまま床ギリギリを旋回して血のナイフで彼の足首を切った。
「ぐぁぁぁぁっ!?」
「ロシオ! ま、待ってくれ! 彼は私の力で動いているだけなんだ! これ以上は傷つけないでやってくれ!」
私の力?
あの匂いのことだろうか。
わたしは警戒は解かずに血のナイフを下げ、デブタ男爵を見た。
「腱までは切ってないよ。痛みも直に引くだろうし、後遺症も残らないでしょ」
「そ、そうか……」
そう言ってデブタ男爵は倒れたロシオのもとへ駆け寄り、彼の近くで何か言葉をかける。
「ハ、ハイエロ様……なにを!?」
「いい、眠れ……わたしの能力を解除する香を吸え。次に目が覚めた時には…………お前は自由だ。今まで本当に、本当に……済まなかった」
「しかし、お嬢様がっ! お嬢様をお守りせねば!」
「それは私が作り出した架空の使命だ。お前は取り戻す……お前という人格と人生を。数年という貴重な時間を、私の力不足と逃避で奪ってしまったな……。謝っても謝りきれない話だ。私を……憎んでくれ」
「ハイエロ様!」
ちぐはぐな会話。
しかしそれが彼の言葉の証左となる。
「私の力で動いているだけ」……何とも恐ろしい話だ。
あれほどまでに人を盲目的に洗脳させることができる力。
プラムや、わたし自身でも身を以って知ったけど、冷静に考えると、やはり身震いしてしまう脅威だった。
そして彼の口にした「香」……やはり匂いがあの精神操作の原因だったことが今、はっきりと確信できた。
きっと、今も何かしらの匂いが発生しているのだろう。
体臭、なのだろうか。
香を焚く器具がないことと、今までも何度も話に出たアビリティという力。
今までの知識からは信じられない話だけど、おそらく彼の体から人の精神に作用する匂いを発生させることができるのだろう。それも操作内容は任意でコントロールできる、と。
下手をすれば国家転覆すらも可能としそうな能力だ。
ああ、怖い怖い。
と、急に静かになったと思ったら、ロシオは眠りについたように目を閉じ、全身の力が抜けていた。
「解除香だけは即効性が高い、なんて皮肉だな……欲しい時に発揮できずに何が恩恵か。いや……それは私の力の無さを棚上げしただけの言い訳か」
でゅふふ、と笑っていたときとは明確に違う、はっきりとした口調。
彼の肉厚が邪魔をいて聞きづらいものの、それでも「ああ、この人、貴族だったんだな」と分かる程度に口調が変わっていた。
「お、兄様……なに、を…………」
対してゾーニャは、彼がロシオにした行為に目を見張り、信じられない、と小さく呟いていた。
「ま、さか……諦める、のですか……? 我が家、の栄光を……繁栄、を……こんな、小さな石に、躓いた、ぐらいで……!」
「小さな石、ではないよ、ゾーニャ」
ロシオの前でゆっくりと立ち上がったデブタ男爵――ハイエロという名前だったのは初めて知ったけど、彼はゾーニャへと向き直った。
「きっと……これは罪を犯した我々への天罰なのだろう。いや、終わらせる機会をいただいた……という方が正しいのかな」
「罪? ……罪を、犯している……のは、そこの、子供です、わ! 奴隷の、分際で……私たちの、邪魔を、しているのですよ……!?」
彼女は小刻みに浅い呼吸を繰り返して、わたしの非を訴える。
しかし、その言葉はデブタ男爵――ハイエロには伝わらず、彼はゾーニャの前まで移動してから、わたしを見た。
「まさか……このようなことが起こり得るとは、思いも寄りませんでした。スクアーロ神には、恩恵能力の件で憎みもしましたが、こればかりは神の導きと掌を返したくなりましたね。……考えることを放棄した私が偉そうに言える立場でもないのですが……」
何を言いたいのかまで分からず、この世界で信仰されている神名がスクアーロなのかな、ということぐらいしか得られなかった。
首を僅かに傾げるわたしにハイエロは苦笑する。
間違いなく彼の現在の立場は、窮地だ。
だというのに、彼はその状況を好ましく思っているとでもいうのか。
ああ……やはり断罪の機会、というのを求めていたのかもしれない。
今までの彼の言動、行動からして、その可能性が高いと踏む。
だとすれば、彼にとっての「断罪」「贖罪」とは何なのか。
「セラちゃん……いや、セラフィエルさん。ゾーニャの動きはこのまま止めていただくことが可能でしょうか?」
「……可能ですけど」
「お兄様!?」
わたしと彼の会話に、何かを察したのか、ゾーニャは必死に体を動かそうとする。
しかし彼女の血液はわたしが完全に掌握している。満足に指先すら動かせないだろう。
「罪を償うこと、贖うこと……それが私たちの死であるなら、甘受すべきだと思います。ですが……今すぐは難しい」
一瞬、独り言かと思っていたが、ハイエロがわたしが無言であることに緊張した面持ちでこちらを見てきたので、その台詞がわたしに向けられたことだと知って、慌てて「はぁ」と曖昧に答えた。
ハイエロは次にロシオを見た。
今すぐは難しい……罪の贖い……、つまり、罪は償うけどまだ後処理が幾つも残っている、ってこと?
「別に……わたしは誰かを裁けるような人間じゃありません。だから、これ以上、手を染めないならこれ以上は関知しませんよ」
「……良いのですか?」
ハイエロは酷く驚いていた。
きっと、彼はわたしに殺されると思っていたのだろう。
……あ、だから「今は難しい」ということか。
殺すのは待ってほしい、と。
わたしは別にプラムと共にここを脱出できればいいし、わたしたちみたいな奴隷が無残な最期を迎えるような、そういう事をしでかさなければいい。
目に見える部分は手を伸ばすけど、さすがに根本的な解決は今のわたしには不可能だから。
関わりを持ったなら結末まで見届けろ、って前世の宰相だったら小言を言ってくるんだろうなぁ。
人を裁く司法のような機関があるなら、そこに辿るまで見送るのもある意味ありなのかもしれないけど、中身は置いておいて肉体年齢6歳程度の子供にそこまで求めないでほしい。
それに……目の前のハイエロはまるで、長い夢から覚めたように、今は濁った瞳ではなく、光が宿っている。きっと、彼の中で何かしらの「落としどころ」というものが見つかったのかもしれない。
「いいもなにも、わたしは子供です。大人の面倒は大人が見てください」
「…………、はは、いや、そうですな。いや参った……本当に私は、何をやってきたのだろうか……」
「悪事じゃないですか?」
「そうですね……。過去の悪事は隠すことはできても消えることはない。近い将来、私は国王陛下の名のもと、爵位の剥奪と処刑が行われるでしょう。ですが、それまでに少しでも贖えることはしなくてはいけない……」
「……悪いと思っているなら、教えて下さい。プラムはもとに戻りますか?」
「ああ……あの子だね。先ほどのロシオのように、解除香というわたしの能力を解除する匂いを嗅がせれば深い睡眠の後に治すことができます。そのためには私が近くに寄る必要がありますが――」
「構いません。お願いできますか?」
念のため血のナイフの切っ先を再び向ける。
ハイエロは「もちろん」と両手を上げて、頷いた。
「けれど、その前に……この子を私の能力下に置きたいんだ。私の力は……精神作用を起こす場合は非常に効果が遅くて……時間を頂くことになるんだが、待っていただけないだろうか?」
「な、なにを……なにを、言っている、……のです、お兄様ぁ!」
ゾーニャの叫びは無視し、わたしも答える。
「いいですけど、その人、危険ですよ? 貴方の力って、永遠に続くんですか?」
「ああ、分かっている。分かっているとも……。私の力は永続的ではないけれど、定期的に重ねてかけていけば、解けることはありません。だから私が常にゾーニャの傍にいれば、彼女への支配が解けることはないのです」
なるほど、一度かかれば二度と抜け出せない。
それこそ今回のように外から別の介入がない限り――本当に聞けば聞くほど、恐ろしい力だわ。
「ちなみに貴方が彼女を操って、再び悪事の染めない保証は? 正直なところ、ここで殺しておいたほうが世のためだと思いますが」
ハイエロの今の態度を見るところ、これ以上の悪には手を染めなさそうだが、いかんせん人という生き物は不確実なものだ。これから先、何があって心変わりするかは分からない。だからわたしはそういった揺さぶりも含めて、あえてキツイ物言いで投げかけた。
「それを証明する手立てはありませんが……誓って。私が一度は失意と同時に捨てた、デブタ男爵家の誇りにかけて――」
正面から彼を見据える。
ま、ここまで言っているのに、これ以上問答を続けても仕方ないか。
わたしだって結末で見届けるつもりが無いのだから、これ以上彼の言葉を否定したところで、結論は堂々巡りになってつかず仕舞いだ。
だから、わたしは黙って頷き返した。
「分かりました、信じましょう。……時間は一時間程度、ですか?」
馬車でのわたしたちへの影響が起きるまでの時間を思い出してそう尋ねると、ハイエロはまたしても驚きを隠せず「参ったな……本当に」と苦笑を浮かべたため、おおよそこの時間間隔は間違いじゃないようだ。
「――ゾーニャ。全てが終われば、私たちは裁かれるだろう。お前はその時も本来の自分を取りもどすことすら許されないまま、終わりを迎えるんだ。それがお前の贖いであり、愛する妹の最期を見届ける、私への罰だ」
「い、いやぁぁぁ! や、やめて、お兄様! お願い! やめてぇ!」
自分を失くす、という恐怖にゾーニャは大きく取り乱す。
無理もない話だが、自業自得とも言える。
息切れを起こしている彼女が、呼吸を止めたり、器用に鼻で息を吸わないようにするのは無理だろう。
抵抗があったとしても、二時間後ぐらいにはカタがつくと思っていいのかもしれない。
はぁ、疲れた……。
そういえば、まだ深夜帯だっけ。
わたしは木箱に背中を預け、大きく息を吐き出すのであった。
次回は「27 出立」となります(^-^)ノ
2019/2/23 追記:文体と一部の表現を変更しました。




