24 好血(こうけつ)の妹君 後編 【視点:デブタ男爵】
ちょっと長めです。
ロシオの首が細い指先によって締め上げられ、彼は空気を口から漏らした。
「――かはっ!」
「や、止めるんだ、ゾーニャ! これ以上、罪を重ねるなっ!」
私はロシオの命の危機を感じ、ゾーニャに制止を呼び掛けた。
まだ私の言葉は届いているのか、彼女は肩をピクリと揺らし、ロシオの首に当てた力を緩めた。同時にロシオは一気に空気を吸い込むように口を開けた。
「……あら、お兄様。この男は私を愚弄したのですよ? 男爵家に仕える身でありながら、当主の親族に対して……決して看過してよい話ではありませんわ」
「……その件は私が責任を持って預かる。だから、その手を離すんだ……!」
「ふふ、お兄様? 随分と酷い顔をされてますわよ。一度顔でも洗ってきてはいかがかしら?」
「誰のせいだと――っ」
もはや疑いの余地なし。
もう私の知っているゾーニャはいないのだと。
今、目の前にいる同じ顔をした人物は、ゾーニャの体を乗っ取った何かなのだと。
ゾーニャはあんな顔で笑わない。
他者の血を飲めば飲むほど、身体能力が強化される恩恵能力。
彼女はそう言った。
現にロシオが本気になれば折れそうなか弱い細腕で、彼女はロシオを壁際にたたきつけ、なおもその動きを封じている。
間違いなく、私の<心香傀儡>と同等かそれ以上の危険度を孕んだ能力だ。
私は精神感応、彼女は純粋な暴力として、あまりにも危険である。
いや――自分の意思で制御しきれない彼女の方が数段、危ういと断言できる。
大部分が幼少期に目覚めると言われている恩恵能力。
10歳を超えても発動しなければ、その者は恩恵能力を持ち合わせる資格が無かったと聞いたものだが、何故、ゾーニャは19歳にもなって今頃、その力に目覚めたのか。
謎は多く残るが、今はそこにリソースを割く余裕はない。
ロシオはベーリィと同様、恩恵能力は持ち合わせていない。
力で上回られた以上、彼に抵抗する手段は少ないだろう。
……私が何とかするしか、ないだろう。
私は非常食の缶詰などが入った木箱を目にし、二段になっていた上の木箱を無造作につかんで落とした。
木箱の蓋は簡単に外れ、中から缶詰が派手な音を立てて転がっていく。
地下という空間に、床は石畳。
そしてこの避難所の入り口は開いたままだ。
この音は一階にいる者に届く可能性が高い。
願わくば恩恵能力を持つ両親が駆けつけてくれば、勝機は格段に上がるだろう。
「……お兄様」
私の思惑を察したのだろう、ゾーニャは目を細めてこちらを見た。
私は足元に転がる缶詰を蹴って壁に当て、トドメと言わんばかりの音を立てる。
「直に異変に気付いた家の者が来る。ゾーニャよ、これは私からの警告であり温情だ。今すぐロシオを離し、大人しくしなさい。そうすれば、手荒なことは控えるよう私から進言しよう」
「……お兄様は歓迎なさってくれないのね」
「……何をだ?」
「私の恩恵能力についてですわ。男爵家の生まれだというのに、私には恩恵能力が無かった。これは貴族として致命的ともいえる、欠陥ですわ。幼いながらも私はそのことを理解し、他人との触れ合いに恐怖を持つようになりましたの」
「――」
彼女の言う通り、恩恵能力の有無は貴族のステータスの最たるものとなる。
優秀な恩恵能力を持つ貴族はより重宝され、その能力の適応に合わせて国から要職を任されることも多々ある。逆に恩恵能力を持たぬ貴族は、一族の血が薄いと罵倒されたり、我が子ではないと教会行きとなる子も実在する。
デブタ男爵家は家族という絆を大事にする家系だったため、ゾーニャが能力無しであったとしても関係を変えることはなかった。
その両親の姿を私は誇らしく思っていたし、その背中に追い付き、いつか私も周囲からそう思ってもらえるような男になりたいと思っていた。
だから――ゾーニャがそんな背景の中でも「恐怖」を抱いていたことは、私にとって予想外なことだったのだ。
私が息をのむ様子に気付いたのか、クスクスとゾーニャは笑う。
「気づかなかったことを責めているわけではないのよ、お兄様。私もそんな心情を家族に知られたくないと思い、ひたすらに隠し通していたのですから。でも……それでも鬱屈した感情は私を蝕み、気づけば気心知れたお兄様以外とお話することもできない、根暗な自分が形成されていたの。嫌だったわ……消えてなくなればいいと何度も思ったわ」
「そ、んなことは――」
「お兄様はお優しいもの。きっとそう言うだろうし、本心でもそう思ってくれたことでしょう。でも、周囲の一部は私のそういう性質を見抜いたのね。私に手を挙げた侍女もその一人ですわ。彼女のしたことは間違っていても、言っていることは正しいと思いましたわ。でも正しいからこそ、私も反発してしまったのだけれど」
「……」
「でも――私は手にしたのですわ。いえ、元々あったモノが陽の目を浴びた、といったとこかしら。あの日、他者の血というものを得て、私は恩恵能力を発現できた。ふふふ、見て、お兄様。私よりも何回りも大きい男性であっても、このように組み敷くことができますのよ。これこそ――男爵家に相応しい力……!」
「それは違う! 我が家は力をそんな風には使わない!」
「……それは今までの男爵家にその系統の力が無かったから。これからは私が新しい道を築き上げていきますわ」
「他人の血を啜り、他人を傷つける上で成り立つ道など、あるものか! それを人は『外道』と呼ぶのだ!」
「……お兄様は私をご否定なさるのですね」
一瞬。
ほんの瞬き一つ程度の間だけ、ゾーニャは元の――儚げな表情を見せた。
しかし、それも束の間。
すぐに彼女は笑みを取り戻し、ゾーニャは自身の腕を掴むロシオの腕に噛みついた。
細い線の女が男の、しかもロシオのような野太い腕に噛みつくなど予想だにしない。
何をしているのか数秒だけ思考が追い付かなかったが、すぐさま私は「止めるんだ!」とゾーニャの方へと駆け出した。
家族を護るときに使用する、と誓っていた<心香傀儡>を発動させる。
私の全身の毛穴から薄っすらと柑橘系の匂いが発生し、自身の周囲に散布される。
入り口は開け放たれたままだし、地下にも換気口はある。
完全な密閉空間ではないため、私の能力も完全には発揮できない。
しかも遅効性という点がこの場では何よりも致命的な弱点である。
それでも未だ理性はあるゾーニャに交渉を続ければ可能性は――そう考えて、私は精神操作の香を放出した。
対するゾーニャは、その細顎では到底考えられない力でロシオの腕の皮を喰いむしり、そこから溢れ出る血液を喉に通した。「ぐっ!」と激痛に堪えるロシオを他所に、ゾーニャは空いた手で口元をぬぐって距離を詰める私を睨んだ。
「私には――この力しかないのですわ! 男爵家の子として証明できる力は――これしか! それを否定なさるということは、私自身を否定すること! お兄様も所詮はそこらの有象無象と変わらぬということですわね……!」
「違う! お前を男爵家の一員と証明するのは私たちと同じ血が流れているという一点で、そんな呪われた力ではないっ! そのことを否定しているのは、お前の方だろう、ゾーニャ! なぜ、それが分からない!?」
「お兄様こそ、庇護されるだけのお飾りである身がどれほど惨めなのか、分からないの、っ、で――ぐ!?」
「!?」
突如、頭を抱えて顔を歪めるゾーニャに私は思わず速度を緩めてしまう。
何かから逃れようとするかのようにもがき、ロシオを突き飛ばす。
勢いよく背中から壁に衝突したロシオはそのまま気を失ってしまったようだ。
彼の安否は気掛かりだが、今はまずゾーニャを抑えることが先決だ。
「あ、ぐぐ、ぁう……!」
「ゾー……ニャ?」
背中を丸め、両膝をつき、両手でこめかみを抑える彼女に私は手を伸ばしかけて、背後からやってくる足音に気付いた。
「ハイエロ!」
「大丈夫なの!?」
どうやら騒ぎを聞きつけて、父上と母上が駆けつけてくれたようだ。
実戦向きの恩恵能力は父上しか持ち合わせていないため、この助力は助かった。
「父上! ゾーニャを押さえつけてください! 私の<心香傀儡>で彼女を鎮静させます!」
<心香傀儡>を使う――その事態に父上は目を大きく見開き、しかし状況を汲んでくれてそのままゾーニャの方へと駆けよっていき、彼女の右腕と肩を抑えつけて動けなくしていた。
母上は部屋の真ん中で倒れているベーリィを見て泣きそうになりながらも、気を失ったロシアの元へと近づき、彼の容態を診てくれている。
私のすべきことは――血の暴走により自我すらも歪み始めているゾーニャの精神を引き戻すこと。
やってしまった罪は消えることがないが、これ以上の被害を出すことは食い止めることができるはずだ。
「ゾーニャ……どうしてこんな」
父上がの悲痛な声が地下に木霊し、しかし当主たる彼は何をすべきか理解しているため、心情とは別に冷静な対応を心がけようとしてくれている。
彼の恩恵能力は<身体強化>。
全世界でもポピュラーな恩恵能力であり、その人口も多い。
レベル1~3に分類される力で、強化の度合いは個人差があるものの、使い勝手と汎用性が高い能力のため、未だに重宝されている力の一つでもある。
父上はレベル2で、発動時は通常の筋力の二倍ほどの力を発揮することが出来る。
いかに吸血による増幅があるとはいえ、さすがにゾーニャも父上に抑えつけられれば抵抗はできないはず――。
「…………え?」
不意に目の前を何かが横切り、天井近くを舞っていく。
私は思わずその行方を追ってしまい、やがて床に何度か叩きつけられたソレを確認した。
――腕だ。
それもつい先ほどまで視界に収めていた見慣れた腕。
その腕だけが隅の木箱の淵に当たって動きを止めた。
一拍遅れて、悲鳴が上がった。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ち、父上!?」
肩口から抉られたように腕は消失しており、その断面から夥しい量の血が噴き出していた。
血のシャワーを浴びるように、ケタケタケタと、ゾーニャが笑っている。
「アハハハハハ、喉が、潤う、ああ、アハ、なんて、気分が、いいのぉ……満たされる、私は今、満たされているのですわ」
彼女は<身体強化>を発動しているはずの父上の腕を引きちぎったというのか。
あり得ない。彼女の恩恵能力は一体なんなのか。
これでは神の恩恵というより、悪魔の加護ではないか……!
いや、今はとにかく父上と彼女の間に入って、これ以上の凶行を止めねば――!
「ハイエロ! この家を――頼んだぞっ!」
「父上っ!」
走り出す私にそう声をかけ、父上は<身体強化>を最大にまで発揮した右腕で拳を作り、渾身の一撃を娘へと繰り出した。
常人であればまともに喰らえば即死は免れない。
以前までの細い体の造りだったゾーニャが相手であれば、なおさらだ。
いかに今のゾーニャが普通でないとはいえ、迷いなくその力を繰り出したということは、父上はもう――ゾーニャがもとに戻る希望は捨て、デブタ家を護る当主としての責務を果たそうとしているのだろう。
――ドッ!
地下室が拳から繰り出される威力によって振動したと錯覚するほどの音が鳴る。
誰もが吹き飛ばされて壁に激突するゾーニャの姿を想像したはずだ。
だというのに……現実は違うものを見せていた。
「…………アハ、アハハ……これが、私の力……!」
「そう、か……届かぬか」
父上の拳は平然としたゾーニャの掌によって止められていた。
その結果をどこか父上は予期していたのかもしれない。
だから私に「家を頼む」と……そう言ったのだろう。
「済まぬな、ゾーニャ。お前の内にそのようなものが潜んでいようとは、父である私は気づくことが出来なかった。お前を救ってやれなかった私を許せとは言わぬ。……だが、――っ!?」
「許しますわ」
そう言葉を発したゾーニャの手は父上の胸を貫き、内臓も骨も筋肉も全てを貫通し、背部から突き出ていた。
私は……ただ、言葉を失ってその光景を見ていることしかできなかった。
「だってお父様は私の中で生きるんですもの」
「……、っ、……そ、うか」
「お父様の血は私の中をめぐり、共に歩むのです。さあ、ゆっくりとお休みになって、私の中でお眠りください」
「…………す、まない……ハイエ、ロ……、ゾフィ、ス……」
父上は最期に私の名と、母上の名を呼んで、ゾーニャにもたれかかるようにして全身の力を抜いた。
絶命したのだと、ハッキリと理解できた。
「ち、父上ぇぇっ!」
なぜ、なぜそんな慈しむように、穏やかに笑っていられる、ゾーニャ!
お前は今、実の父をその手で殺めたのだぞ!?
ゾーニャは父上の血を浅ましくも口に含みながら、やがて彼のこと切れた体を床にそっと置いた。
そして、彼女の目は次の標的へと向けられた。
やめろ、やめてくれ――!
私が何を叫んで、どう動いたのかはもう覚えていなかった。
必死に足を動かしていたはずなのに、まるで自分や他の者はスローモーションのように。
そしてゾーニャだけが倍速で動いているかのように景色が流れていく。
どんなに手を伸ばしても、私の鈍間な手は虚空を掴むばかりだった。
「ハイエロ――誇りは忘れずに、後のことは頼みましたよ」
それが母上の最期の言葉。
ロシオがゾーニャの延長線上に入らない様に僅かに横にずれ、それでも毅然と背筋を伸ばし、向かってくるゾーニャと視線を合わせ――彼女は頸動脈を深く噛みつかれ、そのまま崩れ落ちた。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!」
これは言葉ではない。
ただの咆哮。
魂が、救いを、答えを、絶望を、悲しみを。その全てを言葉にならない言葉で喉奥から吐き出していく。
もう何も分からない。
私は何を間違えた?
どこで道を誤った?
なぜこんなことが起こってしまった?
誰か教えてくれ。
無理だ、私にはもう無理だ。
どうにもならない。
助けてくれ。
もう無理なんだ。
頭が考えることを拒否する。
手足は棒のように動かない。
ただただ、小さな子供のように泣き叫ぶしかできない。
もう……無理なんだ。誰か、助けてくれ――。
「何を悲観なさるのですか?」
「……………………え?」
気付けばゾーニャが目の前に立っていた。鮮血の衣をまとった妹が立っていた。
私は知らないうちに両膝を床につき、涙で頬を濡らしていた。何とも情けない姿だろう。
何もできなかった私に相応しい形相だ。
「お兄様、ここからがスタートなのです。私は力を得ました。お父様とお母様は逝去され、お兄様が新たな当主としてデブタ男爵家を導いていくのです。戦う力は私が、経営に関してはお兄様が担うのです。盤石な布陣ではありませんか」
「なにを……言っている……? こんな、こ、こんなことをしでかして……、許されるはずがなかろう! 我が家はこの瞬間を以って終わったのだ!」
「うん? お兄様は何を懸念されているのでしょうか。ああ、もしかしてお父様たちと一緒に地下へと降りてきた護衛や従僕たちについてですか?」
その言葉に背中が凍り付いた。
「や、やめろ! これ以上、家の者に、手をっ……出すな!」
「うふふ、ええ、さすがの私もお兄様と二人だけでこの屋敷を支えられるとは思っておりませんわ」
「そ、そうかっ?」
予想外にゾーニャは他の者を殺さないと言ってくれた。
言ってくれた?
何かがおかしいと思ったが、私はそんなことよりもゾーニャの気が変わらないようにすることに専念した。
「だったら……王の元に、断罪されよう。極刑は免れない上に、我が家は……歴史上に汚名を残すことに、なるだろうが……清算はしなくては、ならない」
「ええと、お兄様は本当に何をおっしゃっているのですか?」
「な、なにって……罪を償おうと……」
「償う? そんな必要がどこにあるのですか? 今日はお父様とお母様が不慮の事故で亡くなり、お兄様が家令を継いだ日、というだけではありませんか? そこに一体、どんな罪があるというのですか」
何を言っているんだ?
自分の血塗れの姿に気づいていないのか?
後ろで床に横たわっている、父上と母上の亡骸が目に入らないのか!?
「お兄様。お父様とお母様は仰いました。『この家を頼む』と。『後のことは頼んだ』と。我が家の繁栄を任されたお兄様がいの一番にその責務を放棄して如何されるというのでしょうか。貴方はこれから――私と共にこの家を背負って立つ義務があるのですわよ」
「義務……?」
「そして、お兄様には今日がそういう日であったと――屋敷の者にそう思わせる力があるではありませんか」
力?
そういう日――私に両親が事故で亡くなり、家を継ぐ日にさせる力があると?
「お父様とお母様が亡くなられたことは悲しいことですわ。ですがそれ以外は特に失うものはないじゃありませんか。むしろ私という力を得たことに喜びを感じ、これから先も家名に恥じない道を進みましょう」
家名に恥じない?
恥じない……とはどういったものを指すのか。
ああ、分からない。
もう何も考えたくない。
私はどうすればいいんだ?
誰か――教えてくれ。
「ゾーニャ、教えてくれ……私はどうすればいい?」
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誰かの指示を聞き、何も考えずに従うのは非常に楽だった。
まるで肩から重荷がスッと消え、代わりに意欲的な思考が養われるのだ。
そこに正しさや道義は必要なく、ただただ楽だからそれに甘んじる。
今の私にとって、それだけが重要だった。
ゾーニャの指示のもと、私はまずは気を失っていたロシオに<心香傀儡>をかけた。
お前は地下の番人であり、ゾーニャの従僕である、と。
<心香傀儡>に侵食された彼は、実にゾーニャに忠実なしもべと化した。
次に屋敷中の目撃者や就寝中の者を一部屋に集め、ゾーニャが逃げ出す者が出ないよう監視しつつ、私は全員に<心香傀儡>をかけた。
誰もが絶望を瞳に浮かばせ、ある者は泣き崩れ、ある者は憎しみを以って睨んできた。
そんな彼らも今では通常通りの仲だ。
廊下で会えば笑顔で会釈し、世間話だってする。
デュラン辺境伯についても、大事な商談があると約束を取り付け、ゾーニャが一室で彼を抑えつけ、私の<心香傀儡>で心を奪うことができた。
おかげで多少の金銭のゆとりもでき、しばらくは事業などを推し進めなくとも生活が可能となった。
平和だった。
まるであの日のことが嘘のように。
ああ、私はこの虚ろな虚偽の世界に、安堵を覚えているのだ。
気付けば私は節制を忘れ、過食症になり、元の中肉中背は消え、今では風船のように腫れた腹部を抱えた体格へと二年の時を経て変貌していた。
後悔はない。
なぜなら、何も考えずに食べ、生きることは殊の外、楽なのだから。
楽なのはいい。幸せだ。
ただ、大変なのは、ゾーニャの食事だ。
彼女は普通の食事も口にするが、やはり何と言っても血が必要だった。
せっかく<心香傀儡>で元通りにした屋敷の住人を食べ物にするのは私もゾーニャも最善とは考えなかったため、他で手に入れる手段を考えることにした。
幸い、ここは好戦的な西との国境線が近い、辺境だ。
大方、戦争の傷跡の周囲を這いずり回るハイエナどもがいるだろうと探してみれば、案の定、奴隷館は見つかった。
私はそこに出資をする約束を取り付け、館長へ裏金と適当に選んだ侍女を貸すことで徐々に信頼関係を築き上げ、今の関係となった。
奴隷は現王になって禁止されているものだが、こんな辺境にまで調べは来ないだろう。
それにゾーニャの食事には血は必要不可欠。
その血の供給源は、奴隷が最もふさわしかった。
ああ、正直に言おう。
罪悪感が少なかったのだ。
顔も性格も出自も知らない奴隷がいくら妹の糧になろうと、私の胸は痛まない。
それ以上に、今の生活を護ることのほうが大事だったのだ。
最初は男女容姿関係なく、奴隷を引きつれては<心香傀儡>で心を溶かし、ゾーニャに与えていたのだが、いつぞやかゾーニャが「可愛い若い女の子の血が一番おいしい」と言い始めてしまったため、上級奴隷館の館長と上物の取引ばかりする羽目になってしまった。
まあ、それでも――平和なのだ。
ああ、気づけば私の態度は妹にへりくだるようになっており、気持ちの悪い嗤い方をするようになってしまった。
ゾーニャ曰く「気持ち悪いけど気分はいい」と喜んでくれていたので、それはそれでいいのだろう。
肉付きのいい首元が邪魔をし、ついには「私」と発音がしにくくなり、「俺」の方が言いやすいかと思って彼女の前で言ってみれば、口から出たのは「おで」という発音。
その時はゾーニャも笑い転げていたな。
ゾーニャが喜ぶなら、いいのだろう。
――それは正しいことなのか、チクリと心のどこから痛んだが、もう「おで」には良く分からないのだ。
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時間は今に戻る。
奴隷ではあるものの、さすがにここまで小さな子がこの部屋で「血抜き」されるのは初めてだった。
しかしこの子供。
地下の部屋で顔を見せてから、違和感があった。
どうも――おでの<心香傀儡>が効いていない節があるのだ。
かなり近寄らないと分からないのだが、おでの<心香傀儡>が聞いている相手からは僅かな香りがするはずなのだが、彼女からは一切しなかったのだ。
さっき地下で抱き着いた際に嗅いだから、間違いないだろう。
地下で何かを探っていたようだが、大方、逃げ出す算段でも考えていたに違いない。
一階で配備させている護衛の者に殺される前に、こうしてゾーニャに血を提供できて良かった。
ロシオが彼女の首元に突き刺した針、その中心に空いた細穴から流れていく血を丁重に容器に入れている。
いつもの血抜きの儀式だ。
ゾーニャも予想外なタイミングの食事となってしまったが、それでも楽しみなのか、ウキウキと木箱に腰をかけ、足を揺らしていた。
やがて、セラちゃんと呼んでいた子はぐったりと動かなくなり、未だ針から血が流れるも、ロシオは区切りをつけて容器をどかし、それをゾーニャに献上した。
「あら、この子の血……とても美味しそうな匂いね」
そう言って、彼女は容器を傾け、その血を喉に通していく。
そして――目を見開き、「なにこれ、すごく美味しい!」と喜んだ。
今まで見たことのないゾーニャの笑顔に、おでもホッと胸をなでおろした。
ロシオもどこか満足そうに微笑んでおり、ゾーニャに至っては足をばたつかせて「すぐに残りの血も保管用に取っておいて!」と指示をしてくれた。
ああ、指示をしてくれると助かる。
何も考えなくていいから助かるんだな。
だからその直後に耳に届いた声に、おでは反応することができなかった。
否、三人の誰もが反応できなかった。
「そう、喜んでくれたなら良かったわ」
そう――――それは間違いなく死んだはずのセラちゃんの声だったのだ。
次回は「25 操血幼女 VS 好血令嬢」となります(^-^)ノ
2019/2/23 追記:文体と一部の表現を変更しました。




