22 好血(こうけつ)の妹君 前編 【視点:デブタ男爵】
私の名前はハイエロ=デブタ。
齢25にして、爵位を持っていた両親を3年前に亡くし、今は代わりに男爵の名を名乗っている。
爵位の血筋がそうなのか、それともその力を持つ者が爵位を持てるのか、どちらが先かは分からないが、私も親族と同様に、恩恵能力と俗に呼ばれる力を得ていた。
この能力に関しては、各国での考え方は違えど、一貫して共通している部分もあった、恩恵能力とは神からの恵みである、と。
故に「恩恵」であり、それを得られた人間は選ばれた人間なのだと。
元々貴族社会の根幹は恩恵能力から始まったのか、貴族のほとんどが恩恵能力を保持しており、稀に恩恵能力を持たない子が生まれると協会に預けられる――つまり孤児扱いの対応を受けるなど、能力の有無が根深く関与しているのは言うまでもない。
私がそれを自覚したのは十の誕生日を過ぎた頃だったか。
能力名は<心香傀儡>と国王陛下より受け賜わった。
読んで字のごとく、不吉な能力だ。
恩恵能力に対しては各国で危険度の設定、対応策が異なるが、我が国では「レベル1~7」に分類され、レベル6から上が国の監視下に置かれる仕組みとなっている。
そして私の<心香傀儡>はレベル6と分類され、人の心を惑わす危険な能力として位置づけられた。
私はその能力を悪用しないよう、国から派遣された専門家が週に三度、家を訪ねてきており、彼らの指導の下、人としての倫理観と道徳を学ばされた。
そして私が能力を開花させ、さらに昇華させたときには19歳になっており、周囲からは次期当主として遜色なし、とまで評価いただける身となった。
――誇りであった。
<心香傀儡>なんぞ必要ない。
使う場面など、家系に連なる者に危険が及んだ時以外、ないのだから。
人の心を徒に惑わし、己がものとする呪いなど、人の世に無用の長物だ。
捨てられるものなら、今すぐ捨てたいほどに。
私は政務者としての実力を磨き上げ、戦闘狂ともいえる西の奴らへの対策や、道路整備などの公共事業に積極的にかかわり、この領地を任されているデュラン辺境伯からの信頼も厚くさせていった。
領地こそ持たない男爵家だが、デュラン辺境伯より一部の森林地帯の管理を任される家となった時には両親と共に喜んだものだ。
領地を持つことは王からの信頼として貴族の誉れであり、その貴族から一部の領土管理を任されるのも、また誉れなのだ。
恩恵能力ではなく、自分自身の能力で上り詰める。
いかに努力しようとも<心香傀儡>という精神操作を可能とする足枷が、婚期を遠のかせていったが、それでも私は<心香傀儡>に頼らずに邁進し続けていけば、いずれか私のことを理解してくれる人物に出会える、そう信じて突き進んでいったのだ。
――そう、妹のゾーニャが恩恵能力に目覚めるまでは。
ゾーニャは一言で表せば「寡黙」が似合う人間だった。
家族団欒の場でも相槌を打つ程度のもので、人見知り、と片づけられないほど極度に人との触れ合いを避けているように見えた。
だが、愛する両親から生まれ、私の護るべき存在だ。
多少引っ込み思案だったとしても、それは多感期によくあるものだと思い、私はいつかその殻を破ってくれると信じて、笑顔で接してきた。
私が20歳になり、未だ<心香傀儡>の悪用を警戒されて、お見合いの場すら設けさせてもらえない中、私はそんな現実を振り払うように父上の職務の手伝いをしていた。
17歳になった妹も、人見知りを克服することができず、未だ社交界デビューも果たせないままであった。
相手から避けられてお見合いもできない長男と、人との関わりあいが苦手で避けている長女。
互いに互いで、家系以外の人間との接触が思うようにいかない奇妙な既視感を持ったものだ。傷の舐めあい、というべきか……私はその頃から妹のことを殊更可愛がっていた気がする。ゾーニャも私には少し心を開いてくれたのか「お兄様」と呼んでくれるようになった。
父上と母上もなかなか妹との絆を深められないことを悩んでおられたが、私に懐いてくるゾーニャを見て「ゾーニャを頼むぞ」と肩を叩いてくれた。
妹が順調に、まず私と気概なく話せるようになったら「次は私たちの番だな」と笑いながら、ゾーニャのことを気にかけて笑っていた両親の顔を今でも覚えている。
ああ、私はなんと温かい家庭に生を受けたのか。
デブタ男爵家に生まれたことを誇りに、そして身に余る権力は不要だが、それでも後に生まれる子供たちがデブタ男爵家を私と同じように誇りに思えるよう、実績を上げていこうと決心した。
この誓いは、堅いものだった。
そう、私は例えこの身を粉にしようとも、家族のために、一族のために栄光を得ると誓っていたのだ。
だが、まさか――その護るべき家族の一人が異端へと道を踏み外すとは思っていなかった。
ある日、中庭で猫と戯れるゾーニャを見かけた。
私が21歳、ゾーニャが18歳になった夏のことだ。
二階の窓から見下ろす庭で、あの人見知りで部屋からあまり外に出ないゾーニャが、走り回る猫に対して必死に追いかけている姿が見えたのだ。
なんと微笑ましい光景だろうと、私はその時、嬉しい気持ちで一杯になったのを覚えている。
前日も徹夜で事務処理を片付け、疲労も溜まっていたはずだというのに、妹がようやく表に足を踏み出したことが嬉しくてたまらなかったのだ。
18歳にもなって貴族令嬢が庭で猫と遊ぶだなんて、と言う人もいるだろうが、あの子は繊細なのだ。
繊細なあの子が、解放感のある外で動物と戯れる。
これを非難する理由がどこにあるというのか。
家族に甘いと言われる私だが、それでも貴族としての礼儀作法やドロドロとした利害関係に塗れた内面を隠すように仮面をかぶる訓練をするより、健全に思えた。
私がこのまま実績を重ね、交友関係も広めていけば、いつしか彼女に合う男性も見繕えるかもしれない。
本来、令嬢という身分であれば、お茶会やパーティなどで結婚相手を探すこともあるだろうが、そこは私が担うこととしよう。だから、ゾーニャはゆっくりと明るく元気になっていってくれれば――それでいいのだ。
私はそう思って、笑顔を浮かべたまま窓から視線を外して職務に戻っていった。
「猫とのじゃれ合いは楽しかったかい?」
「え?」
その後、ここ一年で行うようになった二人だけのお茶会。
私に対しては気兼ねなく会話をできるようになったゾーニャに、私は悪戯っぽく微笑んでそう言った。
数秒して、少し前に庭で猫と遊んでいたのを見られていたことに気付いたのか、ぷくっと頬を膨らませたゾーニャは「もう、お兄様ったら」と不機嫌を装った。
「盗み見は失礼ですわよっ」
「ははは、すまない。いやなに、ゾーニャが存外に楽しそうだったようでね。兄として見惚れてしまうのも無理はないだろう」
「お兄様はお口が上手ですわね」
「喋る相手がいなければ、空回るだけさ。私としてはゾーニャが話し相手になってくれると嬉しいよ」
「……世のお嬢様方は見る目がないのですわ。恩恵能力ばかりに目が向いて、誰もお兄様の内面を見ようとしないんだもの」
「仕方ないさ。この力は人の心を支配する。私から発せられる匂いに自我を囚われるだなんて、私だって恐ろしく感じるものさ」
「でも……風通しの良い場所ではそんなに効果も発揮できないのでしょう?」
「そうだね。私の<心香傀儡>は狭い密閉空間か、もしくは相手に密着している状態でもなければ相手に影響を及ぼせない。さらに発生した香りは私の意思で操れるわけではないから、吸い込むかどうかは相手次第。しかも遅効性ということもあって、実用性はかなり薄いかな。まあ使う気もさらさらないんだけどね」
「その事実だって別に隠しているわけじゃないのに……何故、世の女性は過度に怖がるのかしら」
「別に付き合い程度なら気にしないだろうさ。デュラン辺境伯だって昔から良くしてくれているだろう? けど、夫婦となれば別さ。自然と身を寄せる機会が多くなるだろうし、……まぁ、やっぱりみんな頭をよぎるんじゃないかな? 普通に暮らして普通に接していたら、いつの間にか操られていた――っていう未来を」
「失礼な考えですわっ」
「ははは、ゾーニャにそう言ってもらえるだけで救われるよ」
「もぅ、笑いごとじゃありませんことよ……」
妹の気遣いに、私は笑みを深くした。
こうして素直に吐露し、互いに垣根無しで話せる場というのは、やはりいいものだ。
その暖かさに心地よさを感じていたからか、私はその違和感に気付くことができなかった。
「ん、ゾーニャ。服に染みがついているぞ? 赤い染みだが……庭の花の色が移ってしまったのかもしれんな」
「あら、本当ですか? 洗っても取れないかもしれませんわね……」
「ふむ、今度、仕立て屋が来ることになっているんだ。その時に何か新しい服でも見繕ってもらおうか」
「他所の人と会うのは緊張しますが……でも、ありがとうございます、お兄様」
「なに、お安い御用さ」
そう、私は気づかなかった。
既に起こり始めている異変に。
庭でゾーニャと遊んでいた猫は二度と屋敷に現れることは無く、野良猫ならそんなものだろう、と深くは考えずにヒントを見逃していた。
――手遅れになるまで、私は見逃していたのだ。
目先の多幸感に目を奪われ、その端に見え隠れする暗闇を見なかった。
だから私が22歳になった年の冬。
何が起こったのか、理解できなかったのだ。
デブタ男爵家は西の国境近辺に居を構えているということもあって、地下に緊急避難用の施設が存在する。
地下に並ぶ20余りの個室――はダミーで、本当の避難場所は、ロの字を描く地下通路の中心にある隠し部屋となる。
この部屋を管理しているのは、ロシオとベーリィの二人。
部屋の構造上、内部からしか入口を開けられないため、必ず二人体制で管理することになっていた。
地下の湿っぽい空間で、トイレや風呂はあれど、やはり気持ちの良い暮らしにはならないだろう。だから私は職務を手っ取り早く片付けて時間を作っては、ロシオたちのどちらかと交替し、彼らに外に出る自由な時間を与えたりしている。
最初は私が交替要因として提案した際は、かなりの恐縮をされたものだが、この場所は当主を含めた数人しか知られていないもので、ロシオたちも屋敷の住人からは近くの貴族家からの日雇いでたまに足を運んでいる人間として説明をしているぐらいだ。
だから私以外に彼らの生活を調整できる者はいないのだ。
最初こそ困惑と遠慮が過ぎていた彼らだが、話していくうちに徐々に緊張は取れ、今では世間話をするぐらいに仲を深めていた。
私は今日も、ロシオたちのどちらかに休暇を与えようと、地下に足を運んだのだ。
――そして見た。
何故か、開けっ放しにされていた隠し部屋への入り口。
不思議に思って中に入った私は、そこで繰り広げられていた光景に胃の内容物がせり上がってくるのを感じた。
必要最低限の物しか置いていなかった簡素な部屋だ。
頑丈な堅土と鉄で補強された壁は、貴族らしい華やかな色も何もない、素材そのものの色。
そこが今は、赤く染まっていた。
ああ、ベーリィよ。
そこで何をしているんだ?
何故、床に寝そべっている?
何故、動かない?
何故、首から血を噴き出して部屋を染めている?
何故――。
何故、ゾーニャは彼に乗りかかり、血を美味しそうに飲んでいるんだ?
次回は「23 好血の妹君 後編 【視点:デブタ男爵】」となります(^-^)ノ
2019/2/23 追記:文体と一部の表現を変更しました。