21 男爵家の闇 その4
背後から覆いかぶさるようにして、わたしが逃げられないように抱きかかえるデブタ男爵。
どんなに都合の良い方向に物事を考えたとしても、間違いなく、疑われているだろう。
何を?
彼の思考や目的を理解していない以上、それは分からないが――少なくともただ「何をしているか」を尋ねるなら、普通に会話をするように声をかければいいはずだ。
先に身動きを封じ込める必要性はない。
つまり――彼は何かしらの疑念を抱いたからこそ、こうしてわたしを捕まえているわけだ。
「デ――」
「……」
「デブタ様ぁ……よ、良かったです。実はトイレに行こうと思って歩いていたんですが、全然見つからなくて……」
「手洗いは一階だよ。聞いてなかったのかい?」
「は、はい……ここに案内してくれた女の人は、そこまで言ってなくて……」
「ふむ」
デブタ男爵は少し考えるように言葉を切り、――そして耳元で「何かを探っていたんじゃなくて?」とまるで首元に刃物を突き付けるかのような鋭さを秘めた声で問いかけてきた。
ここで反射的に反応するのはまずいと思い、わたしは「……えっと、トイレ、なんですけど……」と、首を傾げ、あたかもトイレ以外のものは眼中にありませんよ、という表情を装った。
「……」
「……」
「でゅふふ、そうかそうか。そうだね、トイレを探してたって言ってたもんね」
「はぃ……」
ここは要領を得ないフリをしているべきだろう。
わたしは「無垢な幼女、無垢な幼女!」と念じながら、頭上のデブタ男爵を見上げて無知で無垢で無害な少女を演じる。
対するデブタ男爵の表情は読めない。
表面上はにこやかに笑みを浮かべているけど、それは仮面に過ぎない。彼の体表から滲み出る気配は当たり前の日常を送っている人間が出すものではないのだから。
「でも、こんなところで座り込んでて、どうしたんだい?」
「えっと……トイレを探してずっと歩いてたんですけど、そうしたら急に何もなかった壁が開いて……わたし、怖くて怖くて……デブタ様ぁ」
わたしは恐怖を紛らわすために、デブタ男爵の太い腕をギュッと抱くように両腕で掴み、何かに耐えるかのようにキュッと目を閉じた。
――こうか!? 未知なる恐怖におびえる幼女とは、こういう感じか!?
「でも……こうして、デブタ様に抱えられて、安心しました……」
ホッとしたように、わたしは掴んだ彼の腕の中で少しだけ全身の力を抜いた。
自画自賛したい演技力に、わたしは人知れず、脳内でスタンディングオベーションを巻き起こした。
「でゅふぅ……セラちゃんは怖がりなんだなぁ」
「は、恥ずかしいです……」
うん、本当にこんな演技をせざるを得ない自分の姿が恥ずかしい。
早く本当の自分をさらけ出してもいい環境に移りたいものだが、そのためにはこの正念場を乗り切らないと……。
「でも、だったら何故一階に行かなかったんだい? あの部屋なら、階段が一番近かっただろう?」
ぐ、まだ質問が来るか。
存外に慎重な男だったようだ。
「あの……案内の女の人が、勝手に出歩いちゃ駄目って。怖い人が斬っちゃうから、駄目だって言ってたの」
「……なるほどねぇ」
「……」
依然、彼の腕の力は緩まらない。
早いところわたしを信じて、解放してほしいものだが、さてどうしたものか。
「でゅふ、そうだセラちゃん。さっき君が言っていた壁の中の部屋、行ってみるかい?」
「――え?」
「なに、怖がる必要はないんだぞ。実を言うと、そこは厨房でねぇ。ほら、一階からここまで食事を運ぶと冷めちゃうこともあって、それで厨房を地下にも作っていたんだよ。トイレもそこにはあるから、そこで用を足すといいよ」
「え、ええと……」
それは予想だにしない提案だった。
確かにこの壁の中の空間は気になる。
しかし、そもそも本当に厨房ならば、何故隠し部屋みたいな仕組みになっているのか。
どんどん外堀を埋められている気がして、背中に脂汗が浮き出るのが分かる。
……絶対に一緒に行っちゃ駄目な気がする。
トイレに行きたい子のための親切心で、普通、隠し部屋に案内する!?
間違いなく――罠だ、これは。
だけど、ここにはデブタ男爵以外にも人がいる。
それも男だ。
仮にわたしが魔法や操血でデブタ男爵の動きを封じ込めたところで、結局はわたしは動けず、プラムを逃がす人手もなく……となり、八方塞がりなのだ。
この体になってから、毎度、同じ悩みにぶち当たっている気がする。
残る手段は……大人しくついていった上で、誤魔化し切れる可能性を隠し部屋から得るであろう情報で導き出すのみ。
でももう少し行かなくていい可能性も見いだせないか、と悪あがきのようにわたしは再び子供っぽい態度で隠し部屋に行きたくない雰囲気を作ろうとした。
「でも……こ、怖いです」
「でゅふふふ、今度はおでも一緒だから大丈夫なんだな。さっき、おでと一緒にいて安心したと言ってたじゃないか」
あぁもう、言わなきゃ良かった!
相手の信を集めるはずの言葉が仇になるとは……。
しかしこう言われてしまえば断る術はもうない。
何故ならデブタ男爵から見たわたしは、忠実なる奴隷なのだから。
これ以上に主人の命を背く理由は、いくら見渡しても転がってはいない。
「はい、あの……デブタ様? わたしから離れないでくださいね……?」
「でゅふぅ、任せるんだな!」
――もう逃げ道はない。
ならばもうこの演技をとことん貫き通して、打開するチャンスを必ず握ってやる!
意気込んだわたしだったが、やはりというか、そんな可能性は微塵もなかったことに、数分後、地下中央の部屋へ足を踏み入れた時に気付いたのだった。
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地下の中央空間に位置する隠し部屋。
この部屋に至るまでの入り口はどうやら幾つもあるらしく、最初にわたしが二人を見た際と、つい先ほど近くで開いたもの。そして部屋に入って分かったが、他にも二つあり、どうやらロの字を描く地下廊下の四辺の中央に入口は位置しているらしい。
内側の扉横に備え付けられていた舵輪を回すことによって、壁に擬態している扉が横にスライドしていく仕組みのようだ。
それが分かったのは、わたしとデブタ男爵が開いていた入口から部屋に入った後、さきほどデブタ男爵と話していた男が、入口を閉める様子を見たからだ。
あの重そうな舵輪をわたしが回すことは……難しいだろう。
そもそも設置されている高さも大人に合わせてあるので、わたしでは背伸びしてようやく届く場所だ。
ただでさえ重そうなのに、充分な力を加えられない恰好になるのであれば、ほぼアレを開くのは不可能と諦めた方が良さそうだ。
「おや、ネズミの類かと思えば、随分と可愛らしい子猫が紛れ込んでいたようですね」
染みだらけの大きなエプロンを羽織った大男が、デブタ男爵にそう話しかけると、デブタ男爵も含みを持った笑いで返す。
予想はついていたけど、やはりわたしの潜んでいる近くで入口が開いたのは偶然でなかったようだ。
疑問なのは、なぜバレたのか……だけど、それをここで聞くのは無理だ。
わたしはサイモンよりも隆起した筋肉エプロンを見上げ、次に室内を見渡した。
調理場……のような場所と、部屋の至る場所に資材か何かを入れているのか木箱が並べられている。
この部屋は蝋燭による灯りではなく、天井に設置された何らかの装置が光をもたらしているようだ。
前世でいう魔法を使った道具である「魔混具」なのか、それに近しい物なのかもしれない。
あとは……一角だけカーテンで囲まれた部屋があり、わたしはそこから流れてくる異臭に顔をしかめた。
――これは、本格的にやばい家に来ちゃったかもね……。
「でゅふ……トイレに行きたかったそうなんだ。料理長、この子を案内してやってほしいんだな」
「ほぅ……漏らされても困りますからな。かしこまりました」
料理長、と呼ばれた筋肉エプロンに手招かれて、わたしは近づいた瞬間に殺されるんじゃないかと警戒しつつ、ゆったりと彼の元へ移動した。
そして特にナイフを突き立てられることもなく、わたしはトイレへと案内され、狭い個室の中に足を踏み入れた。
当然ながら地下なので、窓はない。
通気口を脱出経路として使えないか検討したが、わたしですら入れない、小さな網戸が天井にあるだけで、さすがに通ることはできなさそうだ。
「……」
ぜんっぜん尿意はないんだけど、とりあえずそれっぽい時間は潰してから出ようと思う。
それよりこの時間を有効活用して、何か策を考えないといけない。
あのカーテンの向こうから異臭。
なぜ鼻栓をしているわたしに「匂い」を感じ取れたのか――それは、その正体が「血」だからである。
わたしの特異能力である操血は、わたしという単体から独立した五感に近いものを持ち合わせている。
体外に出た血に何かが触れれば本体であるわたしにも伝わるし、血を通して遠隔で物を見ることもできる。
嗅覚も同様で、わたし自身の嗅覚は封じているものの、鼻栓代わりの血の嗅覚は生きている。
そして唯一、血で感知できる匂いは、同じ血なのだ。
便利そうに思えるが、一つの脳で自分と血の両方の感覚を共有して処理するのは、かなり精神的に疲れるため、普段は操血の方の感覚は切っているのだが、どうも――わたしは自覚以上に緊張しているらしい。無意識に操血の感覚を開き、そこから血の匂いを嗅ぎつけてしまったようだ。
血の量が十分とまで行かなくとも多少あれば、この部屋からでもできることは多いのだが、今のわたしには精々血の匂いをかぎ分けるぐらいが関の山だ。
危険度だけが増していき、そこを突破するための力は限られたまま。
正直、詰んだ、と言われても納得してしまえる状況だ。
……このまま出たら、普通に部屋に帰してくれないかなぁ。無理だよねぇ……。
トイレ終わったので帰りま~す、なんて軽いノリで出られればいいのだけれど、入口を閉められた時点で期待なんて持たない方がいいだろう。
だが、この地下部屋にいる人間は――わたしの感知で捉えられたのは三名。
デブタ男爵、筋肉エプロン、そしてカーテンの向こうにいる何かだ。
逆を返せば、こいつらをどうにかできれば、少なくとも多くの人間が寝静まった深夜帯に誰かが下りてくることもないだろう。
懸念は護衛とやらが地下に降りてくる可能性だが、幸い、この部屋は内側からしか開けられない仕組みと見えた。
おそらくだけど、筋肉エプロンとカーテン奥の二人でここを管理してるんじゃないかと思う。
つまり、仮に誰かが下りてきてここに入ろうとしたところで、内側から開けさえしなければ時間は稼げるということだ。わたしが魔力欠乏や貧血現象に見舞われても、三人をどうにかし、外から強行突破されるまでに回復できれば――何とかなるかもしれない。
わたしは自分の両手を見下ろし、強く握りしめた。
トイレの水を流し、わたしは個室のドアを開けて再び部屋に戻る。
「あの、トイレありがとうございました……」
礼を述べ、相手の出方を確認しようと周囲を見渡し――思わず絶句した。
視界にデブタ男爵や筋肉エプロンの姿を捉える前に、別の姿を見てしまったからだ。
赤いワンピースを着こんだ、青白い女性。口を三日月のように歪め、美しくも醜悪な、女がこちらを見ていた。
「お兄様ったら、夕食は済んだっていうのに夜食までご用意してくださるなんて……これじゃ私、太ってしまいますわ」
わたしは本能で一歩下がり、気配すら探るのを忘れて、背後にいたデブタ男爵のふくよかな腹に背中をぶつけた。
「でゅふふ、ちょっと予定が狂ってしまってね。それに思ったより好奇心旺盛な子みたいだから、早めに処理しておいた方がいいかな、って思ったんだな」
もはや迷っている暇はない。
わたしは自身に向けられた黒い感情を察し、すぐに全員を吹き飛ばす風の魔法を発動させようとした。
しかし、それは叶わず――。
トッ。
そんな軽い音が耳の裏側から聞こえてきて、視線を首元にスライドしていけば――何故かそこに棘が生えていた。いや、棘……ではなく針だ。針が首から生えて……否、刺さっている。
目を見開いて横を見れば、筋肉エプロンがそれはもう憎たらしいほどの笑顔で佇んでいた。
こ、れは――。
理解する。
針はわたしの頸動脈に突き刺さり、その穴から血液が針の中を通っていくのを感じた。
本来、動脈を傷つければ、その強い血圧によって血が勢いよく吹き出るものだが、この針は「血を抜く」ことに特化して作られた特別性のなのか、針は頸動脈に刺さったままで、しかし体内の血は勢いよく針の中を通って針先から流れていった。
「ぁ……?」
筋肉エプロンが貴重品でも扱うかのように、わたしから抜け出ていく血をガラス瓶の中へと溜めていく。
その様子を他人事のように見ながら、わたしはゆっくりと膝が折れ、そのままデブタ男爵の腹部に埋まる様に倒れ込んでいった。
次回は「22 好血の妹君 【視点:デブタ男爵】」となります(^-^)ノ
2019/2/23 追記:文体と一部の表現を変更しました。