114 盲目の希望【視点:ケビン=リンウェッド】
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敗北した。
はっきりとその事実が私の胸に落ちた。
完全に封じたと思っていた暴君姫アリエーゼ=エンバッハ=ヴァルファランは、やはり尋常ではなかった。
人が測れる尺度で見て良い御仁ではなかったのだ。
猛る鬼神のごとく、その暴虐っぷりはまさに苛烈であった。
私が床ごと階下に落とされて数秒。打ち付けた腰の痛みに耐えながらも起き上がる程度の時間。そんな呆気ない短時間で、私の落ちた階層より上層が全て吹き飛んだ。
とんでもない質量と熱気。だというのに、熱波は襲ってこず、私は五体満足のまま呆然と空を見上げることとなった。不思議なものである。まるで滅ぼすと決めた対象以外には熱すら伝播してこないようだ。
「…………」
天空が赤く染まっている。
雲は強制的にかき消され、発生した水蒸気すらも一瞬で蒸発させた破壊の劫火は、天空すらも焼き払ってしまいそうなほどの軌跡を残していた。まさに紅蓮に染められた大輪の花のようであった。
これが暴君姫。
これがアリエーゼ=エンバッハ=ヴァルファラン。
これが神の力そのものを具現した信仰能力の真価。
不意に頬を掠める僅かな湿り気。
周囲の水分という水分を消滅させるほどの力が放たれたばかりだというのに、私の頬にはどこか懐かしさを伴った水滴が掠めていったような気がした。
「そうか……ふ、ふふふ……そうか」
確かに聞こえた。私が追い求め、しきりに手を伸ばしては掴もうとした最愛の者たちの声が。
『ありがとう……そして、ごめんなさい』
なぜお前が――お前たちが謝る必要があるんだ。
すべては私が決断し、私が招いた末路。お前たちに何ら非は無いというのに。
何が正しくて何が悪いのか。刑吏という公平であるべき使命を背負うこの身だが、あの日を境にその境界を把握することができなくなった。正確にはヴァルファラン国民として善悪の区別はつくが、そこを踏み越えることに躊躇がなくなった、というべきか。
この道が外道であることは理解している。だがそれは本当に悪なのか? 私にとって、それこそが光明であり、希望だったのではないか? 常識で測る善が私にとって善とは限らない。邪魔になるのならば、善悪のくびきなど不要である。私は私の欲する希望を掴みに行くのだ。――そんな思想に囚われた私は、そのまま前に進むことを選んだ。
かつて私という個を支えた――懐かしきあの日を取り戻すために。
誰にとってでもない、私だけの正義を信じて。
暗い暗い道のりであった。全方位は暗闇に包まれ、息苦しく、その道は誤っていると乳飲み子すら感じる悪路。引き返すことは許されない。私にはこの闇をひたすら進み、その先に光が待っていると妄信するしかないのだ。
その末に手にしたものは、摩耗した心と、かつて愛した者たちだった紛い物。
すり減ってすり減ってすり減って…………それでもその先にいつか希望があると突き進んだ末に待っていたのはそれだけであった。
限界まで摩耗した私はいつしか歩みを止め、思考することを止め、ただ怠惰な日々を送ることになった。
この時に味わった"諦観"こそが、私にとってのゴールだったのだろう。
運命に抗おうとし、己の正義を貫き、自身の願いのために歩き続けた男の――――無様な終焉。それは誰に気付かれることもなく、静かに訪れたわけだ。
だから私は委ねた。
私という冒涜者の人生はここで終わりだが、生きている以上はこの世界のルールに縛られることだろう。食事もすれば、排泄もする。生きているのだから当然だろう。そしてそれは生活や環境に限らず、法にも関連してくる。
私の行動がヴァルファラン王国の法に背いていることは覆しようのない事実なので、自ずと裁きは下されるだろう。私にとっては有意義な行動であっても、国にとっては看過できない悪行なのだ。きっと――断罪の刃が私の首を落とさんとやってくる。
断罪の刃と、過去の私が歩んだ希望への道。
互いに衝突すれば、どちらが残るのか。
その結果こそが……私の選択の善悪を問う。
私が選んだ道が王国のルールにも勝り、逆に飲み込むのであれば――……過去の私が掲げた理想が正義である。決して間違いではなかったと思える。結果はそぐわないものだったが、僅かな希望を得るために必要なことだったのだと確信できる。
王国が勝つのであれば、私の行為はやはり酌量の余地もない単なる罪であり、裁かれるべき悪である。
粛清の天秤が傾くのはどちらか。それだけが抜け殻となった私の中に生まれた、唯一の興味であった。
だから私はより早く王国の目に私の所業がとどまり、判決の日が近くなることを望んだのだ。
本当はハイエロ=デブタは時期を見て解放する予定であった。彼らの要求を呑むためには、救いようのない犯罪者であった妹の身柄と、彼の身体の一部を受け渡す必要があったが、ある程度監視の目が緩めば地下牢から解放するつもりだったのだ。それが刑吏としての当時の私のギリギリの判断であった。
しかし状況は刻々と変化し、私の中から希望が潰えた時、ハイエロ=デブタは解放すべき対象から、国家の断罪を呼び込むための餌へと変わってしまった。
私は地下牢でハイエロを生かし続け、その事実を完全に隠蔽しようともせずに悠然と普段の生活を貫いた。
こちらから明かして出ても良かったのだが、それはそれで何か違う気がする。
私が最後に求めたのは、過去の罪と王都の正義。その2つのどちらが「国」ではなく「この混沌とした世界」で正しいのか、その結末を見たいのだ。であるならば私の罪を国が発見するその過程も、座して待つべきだろう。
そんな考えだったからこそ、高位弾劾調査員が到来した時も、微塵も心は揺れなかった。むしろ漸くその日が来たのかと安堵の息を漏らすぐらいだ。……さすがに王城で庇護されるべき王子と王女の二人が来ているとは思わなかったが、ヴァルファラン最強ともいえるアリエーゼ王女殿下が来たことは嬉しい誤算でもあった。それだけ――私の罪が国家最強を呼び込むほどの価値を持っていることを運命が証明しているも同じだったからだ。
ヴァルファラン王国が私という膿を見つけ、それを除去するに相応しい力をぶつけ、その果てにどのような光景が広がるのか――最後の望みを叶えたその結果が今、私の眼前に広がっていた。
「…………世界は、広いな」
赤い空は徐々に本来の色を取り戻していく。
空とはこんなにも広大で先の見えないものだっただろうか。
見慣れていたはずの大空を見上げ、この年にもなって突拍子もない所感を思い浮かべる自分に対し、無意識に笑いを零していた。
「ふふ…………ちっぽけなはずだ。この延々と続く世界の中で、点にも等しい私が一体何を成し得るというのか。ははは……正義? 願い? 希望? よほど私の視野は狭くなっていたらしい。いや、分かっていた……そんなことは分かっていたことだが――」
自分の想像の範囲、目に見える世界が全てであると思い込んでしまうほどの――損失があった。ただそれだけのことだ。
脆弱な歯車の一つである私風情が、ヴァルファランという巨大な歯車に対して正義の証明を挑むなど、なんと馬鹿らしいことか。
私の狭い世界の中では並び立っていたつもりかもしれないが、この広大な空の下で考えれば、なんと小さいことか。比べることすら烏滸がましい。
数年かけて凝り固まってしまった固定概念が、アリエーゼ王女殿下の規格外な力を目の当たりにすることによって吹き飛んでしまったのだろうか。だから私は先ほどまで囚われていた妄執から解放され、俯瞰的に己を見ることができているのだろうか。
「いや……」
違うな。
正確にはそれもあるのだろうが――私の心が正常を取り戻した最も大きな要因は……。
「すまない……リーゼリアン、カイル。私は心底呆れるほど――道化であったようだ」
最後に届いた声。
それこそが追い求めていた、最愛なる彼女たちの残滓。
刹那の出来事ではあったけれど、その存在は確かに私の心に届き、何年もの時間をかけて構築された鎖を優しく解いていったのだ。
この4年間、追いかけ、諦めていた希望の光が、去り際の一瞬だけ私の手の中に灯った瞬間でもあった。
ジャリ、と足音が背後から聞こえる。
私はゆっくりと後ろを振り返り、いつの間にか接近していたレジストンたちと視線を交わした。
「ケビン=リンウェッド侯爵。貴方には色々と聞きたいことがある。拘束の上、尋問となるが、無駄な抵抗は止めて大人しく従ってもらうよ」
レジストンの警戒を含んだ言葉に頷き返し、私は彼らの意向に沿うように身体の力を抜いた。
今回はケビン侯爵の漠然とした心情回となりましたが、次回、実際の真相部を書きたいと思います~(*´꒳`*)