112 信仰能力<エンバッハ>【視点:アリエーゼ】
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「そろそろ――ご歓談もお済みの頃ですかな?」
「!?」
不意に室内に響いた声に、私はお兄様の身体から顔を離す羽目となった。
まだ目尻に残った水滴を袖で拭い、声の主へと意識を向ける。
視線の先には……いつの間にか開いていた扉のドア枠に背中を預けているケビン侯爵がいた。
私だけでなく、レジストンたちも驚きを隠さずに彼の姿を視界に収める。
――気配を微塵も感じませんでしたわ……それにドアを開けた音すらも。
「ケビン侯爵……盗み聞きとはまた随分と趣味が悪いねぇ」
「ふむ、王族に刃を向けた者には丁度いい節度かと思いましたが、お気に召しませんでしたかな?」
「……減らず口を」
レジストンの言葉を飄々と躱し、ケビン侯爵は余裕の残る表情のまま腕を組み――私を見据えた。
「さて、お話は聞かせていただきましたが……とても興味深いことを仰られておりましたな」
「……」
「なんでも王城に引き返さずに、この私に向かってくる……とか。先ほど無様にも最強と信じていた己の力が無効化されたことを、もうお忘れなのでしょうかな」
――そこから既に聞いていたのですね。でも……妙ですわ。少なくとも部屋の扉は、私がお兄様についていくと公言した時は閉まっていたはず……。気配を消して侵入してきたとしても、その後になるはずなのに何故会話の内容を……?
「おや? どうして――といった表情をしておりますな」
「…………」
私の疑問は、皆も共通して抱いていることだろう。
ケビン侯爵は隠し通す気もなく、世間話をするかのように種明かしをし始めた。
「言ったでしょう? <万能水域>は全ての光と音を――遮ると」
彼が手を挙げると、視認できないほどの薄い水の膜が淡い色を帯び始め、その姿をより鮮明に見せ始める。水の膜は既にこの部屋の壁に被さるように同化しており、この部屋が既に囲いの中であるという事実を見せつけていた。
「音を遮るということは――通すことも可能ということ。既に屋敷全域を<万能水域>で包囲させていただきました。この領域内は言うなれば、私が掌握する結界のようなもの。結界の中で行われた会話や行動は全て……この水を通じて私へと筒抜けになる――そうお思いになった方が良いでしょうな」
私は試しに<光姫羽衣>を一部だけ発動させ、羽衣を近くの壁へと叩きつけた。
すると――羽衣が壁に接触するや否や、その先端からやはり糸が解れていくように分解されていき、光の粒子へと化して消滅していった。
「実証結果はご満足いただけるものでしたかな?」
「……ええ、そうですわね」
こと私の<光姫羽衣>に関しては、これで完全に封殺されたと言ってもいいかもしれない。
「つまり……貴方の言う『結界』……この屋敷の中では、全ての音は拾われ、同時に遮断される……ということですわね。貴方の采配一つで」
ケビン侯爵は返事をしない。しかし、その口元に刻まれた笑みが肯定を表していた。
「……なるほど、すぐに追いかけてこなかったのはそういうことか」
「結界の完成。それに要していた時間、ということですな」
レジストン、グラム伯爵の言葉で途切れていた情報の紐が繋がっていく。
同時に私の癇癪の所為で、敵に結界を張る猶予を与えてしまった事実に思わず奥歯を強く噛んだ。
「アリエーゼ、お前の所為ではないよ」
「お兄様……?」
ふと隣にいるお兄様が私の頭を撫でてくれる。
慈しみに満ちた手つきで梳かれる頭皮の感覚が心地よく、私は反射的に目を細めてしまった。
「どのみち私たちはこの屋敷の中に潜伏して相手の出方を伺っていたんだ。お前の行動があろうがなかろうが、結果的に相手に結界を張らせてしまった未来は変えられなかったと思うよ。だから――ここから先は過去を悔やむのではなく、新たな未来を掴むために意識を割こう」
「…………っ、はい!」
過去の自分に引きずられそうになった心は、その一言で前を向いてくれた。大好きで尊敬するお兄様の言葉は、いとも簡単に絡まりそうな心を解してくれる。そのことに自然と口元を緩ませながら、私は意識の矛先を掴み取るべき未来へと切り替えた。
「ふむ、流石これだけの面子が一堂に揃っていると、話が早くて助かりますな。一つ――補足をしておきますと、遅れた理由は結界以外にももう一つあるのですよ」
「なに?」
ケビン侯爵が指を鳴らすと、廊下から例の化け物がジュル……ブジュル……と奇怪な音を立てながら、扉の奥から姿を見せた。
再び相まみえる異形の姿に、思わず身構える私たちだけど――――すぐにその視線は一か所に集まることになった。
固い何かが砕かれるような音が響く。
まるで太い枝を何本も凄まじい力で圧砕しているかのような、そんな破砕音。
蠢くは異形の口元。
咀嚼しているように見えるその口からは…………人の手のようなものがはみ出しており――――、思わず私は口を手で覆った。
――食べている。人間をまるで食材のように咀嚼し、その血肉を取り込んでいる。
暴君姫と呼ばれるほど外で暴れまわった私だ。人の死に目なんてものは何も初めてではない。必要であれば、この手でその命に終止符を打つことだってあった。
しかし……これは戦いではなく、一方的な搾取。
その行為にもはや尊厳なんてものは無く、ただただモノとして扱われるだけの異様な光景だ。
「この子は見ての通り身体が大きくてね。能力を使いすぎるとすぐにお腹を空かせてしまうんだ」
まるで食事中の我が子を見守るような父の目をしながら、ケビン侯爵は外道に等しい台詞を漏らす。
「まさか…………上にいた屋敷の者を、食わせたのか?」
「ケビン侯爵……そこまで堕ちましたか」
レジストンたちから殺気が込み上げる。
「堕ちた? ふふ、ふ……違いますな。この身はとうに深淵の底へと堕ちていたのですよ。貴方たちが屋敷に足を踏み入れるよりも前に、ね」
周囲の殺気に気圧されることなく、ケビン侯爵は虚空を見上げるような虚ろな視線を浮かべ、両手を広げた。
「私は傍観者である。己が生み出した惨事を受け入れ、見守る者……ゆえにこの両手は何も掴めず、何も成し得ることもない。私が夢見た未来は遥か昔に潰えたのですからな……。残るは頸木を外された獣が、どのような末路を私に見せてくれるか……それを見守ることだけが私の役目なのですよ」
誰に問いかけるでもない、理解できない言葉の羅列に誰もが口を挟めなかった。
「私の人としての心は、過去に置いてきた。だから……今を生きる貴方がたの言葉は何も響かないのですよ。屋敷の人間? 王族? ヴァルファラン王国? ふふふ……生を謳歌する光なぞ、この瞳には映らない……昏く澱んだ私の瞳に映るのは……この子だけだ」
震える指先を己の側頭部に埋め込み、ガシガシと力任せに掻きしだく。綺麗にまとまっていたケビン侯爵の髪は一瞬にして、貴族らしからぬ獣のような荒々しさへと変わっていった。
「リーゼリアン……カイル……あぁ、私の愛する妻と可愛い息子よ。見せておくれ……! 私の罪深さを……強欲から生じた歪みがどれほどのモノかを……! ヴァルファランに爪痕を残すほどのものなのか……それとも、取るに足らないちっぽけな望みだったのか…………私の『愛』を……見せておくれ! ハ、ハハハハ……フハハハハ!」
焦点がずれ始めた瞳は、既に私たちを見ていない。
身体を狭め、腰を折りながらの体勢で、ケビン侯爵は似つかわしくない笑い声を漏らしながら、狂気を吐き出した。
『パァァァァァァァパァァァァァ…………アァァァァナァァァァァタァァァァ…………ッ!』
その狂気を受け止め、化け物が叫びをあげる。
「――残念ですが」
レジストンたちですら呑まれるほどの狂乱に塗れたこの空間で、私は静かに言葉を吐いた。
――深い事情は分からない。きっと……彼には彼の見てきた世界があり、私たちには想像もできない経験があったのかもしれない。けどね……そんなのは関係ありませんわ。私たちは国を背負い、民を護るべき場所に立っているのです。……貴方にどのような事情があり、同情を抱くような過去があろうとも、その行く末にヴァルファランを穢す未来があるのならば、私たちはここで貴方を淘汰いたしますわ……!
そして既に――彼はその未来へと着実に近づき、超えてはいけないラインを超えた――!
ならば容赦の二文字は必要あらず。
私は体内に潜む、古代より受け継がれた血脈の底に眠る力に呼びかけた。
『我は永久に続く神々が創りし、円環の過程を歩む者なり』
詠唱は引き金となり、撃ちだされた言霊は私の身体の奥深くにまで到達する。
鼓動は速度を速め、毛先の尖端まで痛みに近い痺れが走っていく。
――初めて、これを発動させたときは……ッ、本当に死ぬかと思いました、わねッ……!
過去の記憶に内心で苦笑しながら、私は両手を交差させて自分の身体を縮こませながら抱く。
全身からあらゆる感覚が剥離していくかのような怖気。それを我慢しながら、深く……深く……遥か深くに眠る小さな箱の鍵を開けた。
「ううぅう、ッ、あああああああああぁぁーーーッ!」
体内が沸騰するような錯覚に声を上げ、二の腕に爪を食いこませながらも、私はその名を呼んだ。
『"炎"と"豪快"を世に敷きし、14柱信徒が一柱――エンバッハ! 神々の光を今、此処に――具象するッ!』
刹那。
この部屋を覆っていた結界が――――蒸発した。
その事実を感覚だけで理解した私は、精一杯の声で「レジストン!」と叫ぶ。
頼りになる彼は、すぐに私の意図を察してくれて、グラム伯爵に「壁の破壊を!」と呼び掛ける。間髪置かずにグラム伯爵は、外側の壁に手をかけ<超振崩潰>を発動させて、木っ端みじんに粉砕する。
結界の存在を無視した結果に、ケビン侯爵が目を剥くのが見えた。
「アリエーゼ」
不意にお兄様の声が聞こえる。
それは私を心配しつつも、信頼を寄せる――優しい声。少しでも油断すれば、意識ごと私という存在が消えてしまいそうになる内から溢れる神の余波に耐えていた私は、ろくな返事もできずに辛うじてお兄様を見上げた。
「10分だ。それ以上は待たないよ」
「…………、ふふ、余裕ですわ」
「うん、自慢の妹のことだ。信じているよ」
にこり、と笑うお兄様の顔を見て、不思議と私の中にも僅かながら余裕が生まれた。
私はその小さな余裕を全て不敵な笑みに変換し、お兄様に向かって思いっきりニッと笑ってやった。
お兄様は少し驚いた後、グラム伯爵が空けた壁穴の奥へと飛び出ていった。続いてグラム伯爵、レジストンが私の方を一瞥してから退避していく。
――これで、……ふぅ、下手に力を抑圧しなくても、大丈夫ですわね……!
この狭い部屋には、もう私とケビン侯爵、そしてダラダラと白い涎を垂らす化け物だけとなった。レジストンのことだから、この屋敷が吹っ飛んでも大丈夫な場所まで退避することを指示していることだろう。つまり……ここから先は遠慮なしに戦っても大丈夫ということ。
「ふっ…………――!」
<光姫羽衣>を発動させる。
本来であれば眩いほどの光を放つ羽衣だが、今回だけは姿を変え、焔を纏いし轟々と燃え盛る羽衣として顕現する。しかしその発動時の衝撃は凄まじく、一瞬にして室内の天井や壁が黒く焼け焦げながら崩れ去っていった。
体内であらぶっていた神の力が<光姫羽衣>へと流れていったことで、私の中に漸く会話をできるだけの余力が生まれた。カハッと乾いた空気を吐き出し、足踏みをしながら体勢を整える。
「そ、れは……まさか」
見据える先にいるケビン侯爵は、変貌した私の様子を見て、声を震わせた。
心は過去に置いてきた、って言っていたけど、どうやらその魂の底に刻まれた神への畏敬は損なわれていないようだ。
「――信仰能力。御覧になるのは初めてでしょうか?」
「えぇ……そうですな。よもやそこまで神々しいお姿になられるとは……なるほど、お美しい。銀の御髪に奔りし紅蓮の炎。月夜のごとく輝いていた羽衣は今や、全てを焼き尽くさんと雄々しく煌めいておられる。――神、という名を冠するに相応しいお姿、ですな」
「お褒めの言葉として受け取っておきますわ。さて……ふぅ、っ……あまり時間もありませんので早速ですが――」
私の心情に呼応して、背後の羽衣が大きく揺らめく。二対の翼のように広がっていく羽衣は、徐々にその熱を増していき、僅かに掠めた瓦礫を溶かしていった。
「その化け物には、消えてもらいますわ」
その台詞を合図に、化け物は咆哮を上げ、私に向かって襲い掛かってきた。