98 破滅進軍 その1【視点:ティロス=ベルカーメン】
※今話は「一方その頃……」的な話で、ヴァルファラン王国の外の出来事の話になります。
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劫火に包まれた街が――黒く、脆く、崩れ去っていく。
この身を焦がし、我が国の栄華を嘲笑うかのように、無と化していく炎の軍勢。
私は騎士として任官した時より共に戦ってきた愛剣――ファラギクスの剣先を地面に突き刺し、それを支えに重くなった膝を持ち上げる。
「はぁ……はぁ……はぁ…………!」
轟々と燃え盛る炎によって引き起こされる倒壊音。伴って増え続ける悲鳴の数。それらに彩られている破滅の光景は、この国を――一片の残滓すら残さんと攻め続ける。
「はぁ……はぁっ、ぐ……!」
喉が焼けている所為か、呼吸をするたびに炎を吐いているかのような激痛が襲い掛かってくる。
左足は炭化し、機能を停止していてもう役に立たない状態だ。
脇腹からは杭でも撃ち込まれているかのような鈍く重い痛みが響き、右足一本で立ち上がろうとする私の意思を常に挫こうとしてくる。
許されるならば、この場に座り込んでしまいたい。
しかし、それは国を護る騎士である私にとって、禁忌である。例え……例え護るべき祖国が、破滅の炎に包まれて瓦解していったとしても――その誇りを棄てる理由にはなりえない。
敵を目の前にして――――屈し、無様を見せるなど言語道断!
「ぬ、ぐ…………おおおおおぉぉッ!」
甲冑を鳴らしながら、震える肉体に鞭を打ち、私はようやく上体を起こし――前を見据える。
「グフ……グフグフ…………グフフ」
奇怪な嗤い声を響かせながら、炎に照らされた黒い影が小刻みに揺れる。
私は額から垂れてくる血を拭いながら、ファラギクスを握る手に力を入れる。左足を引きずりながら、ようやく世界を炎に包み込んだ元凶の元へとたどり着いた私だが、その相手は想像を遥かに超える異形であった。
異様に細い足に比較して、あり得ないほど膨張した号鐘のような図体。普通に考えれば、上半身の重さに耐えきれず、足が折れてしまってもおかしくないほどの不釣り合いな姿が……見る者に不気味さを与えてくる。
顔面は醜く歪んでおり、不可解に膨張した眉間や鼻部によって横に押し出された両目は、まさに魚眼のようだった。
まさに化け物。深緑の豪奢な法衣を着飾ってはいるが、その姿は高尚な神の代行者ではなく、腐臭漂う死を運ぶ魍魎の類にしか見えない。
「グフ……グフフフ……」
腫れあがったような唇の隙間から漏れてくる嘲笑。
その巨大な口腔が徐々に開いていき、内部が赤く光っていく。
「くっ、止めろォォォォォ!」
私の叫びも空しく、化け物の口から火の玉がポッポッポッと軽い音を立てて、上空に飛んでいく。この惨状に至るまで、何度も見た地獄の業火だ。あの火球の打ち上げ元を辿ってここまで行きついた私だが、再び目の前で行われる無情の殺戮を前に、引き絞るように叫びをあげた。
火球は緩い放物線を描きながら、地上へと落下していき、遠くで何度も耳にした爆音を起こしていった。
「オオオオォ……ッ!」
軋む。
満身創痍の身体よりも、この国を取り巻いていた民草たちの儚い命が焼かれていく光景に心が軋みを上げるのだ。
「貴様ァァァァッ!」
「グフ?」
左足を摺りながらも私は全力で前へと進み、のうのうと佇む巨漢を睨みつける。黒煙を背に、化け物はゆっくりとこちらへと身体を向ける。緩慢な動きだ。一歩一歩が赤子のように鈍い。これならば……ファラギクスの間合いにさえ辿り着ければ、回避する間も与えずに斬ることが可能かもしれない。
――嗚呼、分かっている。分かっているとも。そんな希望的観測は現実を直視しない愚か者が浮かべる考えであるということは。
そんな鈍足が相手ならば、そもそも我が国が火の海になるよりも早く、我ら騎士隊や警邏兵たちが奴を討伐しているはずだ。
なぜ、それができなかった?
なぜ、ここまで壊滅的状況に陥ってしまった?
なぜ、街深くまで奴が侵入することを防げなかった?
なぜ、奴は五体満足、無傷でそこにいる?
理由は明白であり、証拠はそこら中に転がっている。
そう、瓦礫に埋もれた者もいれば、無残に転がっている者もいる。文字通り消し炭となり、黒い影絵と化した者もいた。その全てが奴に挑み、結果として物言わぬ屍として打ち捨てられた仲間たちの躯だ。
それが結論であり、末路である。
分かっている。でも私は引くわけにはいかない。無駄な行為だったとしても、他に代案が無い以上は、この身を以って挑むほか無いのだ。
今なら奴も油断している。多くの仲間を葬ったことで気を良くしているだろうし、明らかな優位の戦況に気も緩んでいることだろう。加えて私は歩くことすら難しい状態の負傷を抱えている。そんな人間の攻撃など鼻で笑う程度のものだと慢心することだって考えられる。
ただでは死なん。その分厚い喉元に、このファラギクスの剣先を突き刺してみせる。仮に殺せなくとも、致命傷だけは残してみせる――!
「私はっ……はぁ、マラキア王国第二騎士団長――ティロス=ベルカーメン! 大罪犯し異形の者よッ! 王国騎士の名に懸けてッ! 貴様の首をもらい受ける!」
焼けた肺に辛うじて残った空気を全て吐き出し、口上を述べる。
――陛下たちは無事に脱出できただろうか。
陥落した王城。既に人が住めるような場所ではなくなってしまったが、崩落する寸前で私は緊急用の脱出路を開放し、国王陛下や王妃、王子殿下たち――国の要人方を炎の手から逃れさせた。無事脱出路を抜ければ、こういった事態を想定して常に用意していた隠密用の馬車があるはずだ。馬車にさえ乗れば、あとは友好国である隣国まで2日程度。すぐに救援を求めることが可能だろう。
――あの御方たちさえ生きていれば、きっと……またマラキアを……。
民あっての王国だということは重々知っている。多くの民を失ったであろうマラキアを再建するには、あまりにも被害が甚大すぎた。正直に言ってしまえば、再建・復興は事実上……難しいというべきだろう。
しかし、全ての民が燃え朽ちたとは思えない。命からがら逃げだした者もいるはずだ。
そうした民たちの道標となり、救いの道を示す。そのためにはやはりマラキアの王族の名と立場というのが必要になってくるはずだ。隣国と協力体制をしき、難民の受け入れ態勢などを整えると同時に、眼前の名も無き侵略者を討伐する――きっと話はそう進むことだろう。
消え入りそうな風前の灯火ではあるが、決して消してはいけない希望の光でもある。
我ら騎士隊の残る役目はその光が隣国に届くまで、可能な限り、この者の足止め――時間稼ぎをすること。私に出来ることは、致命傷なり与えて奴を倒すか、もしくは動きをこの場に縫い留めることだ。国王陛下らを逃がす際、崩落から護るために怪我を負い、動きが鈍ったところで炎による火傷を受けた。黙っていても死に向かうこの身体が出来ることは、奴に一矢報いることぐらいだろう。ゆえにこの一撃に全てを懸ける。
「グフ……楽シイナァ……タダ、破壊スルダケッテ、気楽デ……グフフ、オレニ……トッテモ、ピッタリ」
「ふぅ……はぁ……」
夜空を照らす炎に揺らめきながら、化け物は両手を掲げ、引き攣ったように嗤い続ける。
――いいさ、そのまま余裕ぶっていればいい。今に貴様の喉を切り裂いてくれよう……!
転ばないように気を張り詰めながら、ようやく私は間合いの中へと右足を踏み込むことができた。
――よし、この距離ならばッ!
私は感覚のない左足も、痛みが止まない腹部も、何もかもを頭の隅に置き、この一撃に人生で培った全ての経験を乗せるつもりで、ファラギクスを大きく振りかぶった。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
魂から湧き上がる咆哮と共に、喉元どころか首を両断する気迫を一撃に込めた。
ズッ――……。
――…………、……?
しかし、その途中で突然、私の視界が低くなった。先ほどまで奴の胸元あたりの視線が、急に股間あたりに下がったのだ。転んだ感覚はない。何が起こったのか、サッパリ分からない。
「ぁ………ぐ、だがっ……まだ!」
諦めずに再びファラギクスを構え直そうとして――さらに視界は下がる。
ズズズズ…………。
底なし沼に沈んでいくような違和感を感じ、視線を下に移していって…………漸く、私の身に何が起こっているのか、理解した。
奴の足元から奇妙な光の道が伸びていた。炎色に光る道は太い線となって、ちょうど私の足元を含めて、後方まで伸びている。まるで謁見の間に敷かれた赤絨毯のように。あたかも奴が王で、私が臣下のように。
私はその――炎の絨毯の中へと沈んでいるのだ。否、違う……あまりの高熱で痛みすら感じなかったが――――――私の身体は沈むように溶解されていたのだ。
溶ける、溶ける、溶ける――。
気付けば名だたる名匠が鍛造したファラギクスすらも炎の道は飲み込んでいき、赤く変色した刀身はドロドロに溶け、やがて見る影もなく飲み込まれていった。当然――その剣を持っていた私の右腕も消えている。
「アレ、叫バナイ、ノ?」
「……」
「オレ、死ニ際ノ、断末魔、大好キ。グフ、悲痛ニ、絶望ニ、恐怖ニ、戦慄ニ、染メラレタ顔ヲ、グフフフ……眺メテイルノガ、好キ」
「……」
「……アレ?」
「……」
ようやく、私が既に喋ることすらできない状況だということに気付いたのか、化け物は巨大な頭部を傾げながらも納得がいったように頷いた。
「アァ、ヤリスギチャッタ。火加減、難シイナァ。コイツラ、柔ラカスギテ、スグ壊レチャウ、困ル」
辛うじて僅かな意識はあるものの、私はすぐに息絶えることだろう。
いったいこの化け物は何だというのか。
なぜ突然マラキアに現れ、このような惨事を引き起こしたのか。一見、愉快犯のように見えなくもないが――その行動には何かしらの目的があるようにも思える。何もかもが霧のように曖昧で、その欠片さえも掴むことができない。
だが一つだけ言えることがある。
この化け物はたった一人で――一国を落とすことができる、規格外の悪魔であるということ。
危険だ。こんな化け物を野放しにしてはいけない。
我が国だけの問題ではない。この大陸に住まう者全ての脅威になりうる存在である。
私は何もできなかった。国王陛下より賜りし騎士としての使命を全うすることも、誇りである我が剣の刃を突き立てることも、何もかもが奴の前に無力とされてしまった。気概一つでどうにかなる力量差ではなかった。私への侮りから生まれる油断さえも、その距離を埋める材料にはなり得なかった。
国王陛下たちは、無事、逃げ延びられただろうか。隣国へは何度か足を運ぶ機会に恵まれていたが、この底が見えない化け物をどうにか出来る猛者がいるかと問われれば、少なくとも私の記憶の中には浮かんでこなかった。
願わくば……嗚呼、願わくば――破滅を纏いし悪の権化を滅する英雄が、現れんことを。
薄れゆく意識の中で、隣国と手を取った国王陛下たちが、未だ見ぬ英雄と共に反撃に出る姿を夢見ながら……炎と煙に包まれた夜空を仰ぐ。
黒と赤に染められながら沈んでいくマラキア王国の最期の夜を虚ろな瞳に映しながら、私は静かに意識を手放していった。