79 忍び寄る禍事と浮彫になる事実
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『……さて、話をする前に――じゃが。こうも見下ろされている形だと落ち着いて話もできんわな』
そう言うと、ドグライオンはヒョコっとマクラーズの膝の上から降り立ち、そのままマクラーズとメリアの間に納まるように移動した。
何をするつもりなのかと見ていれば、その変化はすぐに目の前で起こった。
急に身震いし始めたかと思うと、ドグライオンの背部が突然膨れ上がり、骨肉が軋むような音を馬車内に撒き散らしながら、徐々にその体格を肥大化していった。
特徴的な土竜の前足は少しずつ小さくなり、体毛は全身から局部へと変異を遂げていった。体毛が薄くなった部分からは筋肉が膨れ上がり、やがて四肢が人の形のように伸びていく。そう、人の形のように。
「んなっ……!?」
さっきまではわたしが抱えられる程度の大きさだった土竜は、たった数十秒でわたしと同年代の少年のような姿へと変貌していった。
顔立ちは整っているが、どちらかというと野生児に近い印象を受ける。相変わらずの剛毛は頭部や手足に集中し、それ以外は人と同じような質感の肌が露出している。琥珀色の瞳の中に浮かぶ瞳孔は縦に割かれており、まさに獣の目と呼ぶに相応しい鋭利さを揃えていた。
土竜から少年へと姿を変えたドグライオンは、ポカンと口を開けるわたしを見据えると犬歯を剥き出しにして笑った。
「なんじゃ、見惚れおって。そうか、お主はこっちの姿の方が好みかのう?」
雄々しくニカッと笑う姿は年相応のものに見えて……言動からイメージしていたお爺ちゃん像が脆く崩れさっていく。
「え、えっ……? も、もしかして、意外と若かったり……するんですか?」
「む? 少なくともお主の数十倍は生きておるだろうな。それがどうしたのじゃ」
「だ、だって……わ、わたしと同い年ぐらいの……」
それに声だって土竜の時と異なり、やや高くなっており、少年の姿に違和感を覚えないものとなっていた。
「ほほぅ……今までの経験上、人間種の女は獣王の姿の方に親しみを持ちやすかったのじゃが、お主は人の姿……近しい者の姿の方が効果がありそうじゃな。この姿だとどうにもナメられる傾向にあったのじゃが、ふむ、良かろう。お主の前ではこのままでいることとしようかのぅ」
なんだか誤解がブレーキ無しで加速している気がするけど、今は何を言っても耳に届かない気がする。
前髪を手で掻き上げ、挑戦的な笑みを浮かべながら見つめてくるドグライオンだが、効果があるのは確かかもしれない……。人の姿になったことで、さっきまで躾け代わりに気軽に電撃を放っていた時と違い、対応に困ってしまう。
「このままお主を口説くのも良いが、話をすると言った以上、まずはそれを果たすこととしようかのぅ」
「そ、そうしてくれますと助かります」
良かった。また本筋から話が逸れて、ややこしいことになるかと思った。ドグライオンが人化したことに対し、純粋に驚く組と、警戒を露わにする組の二つがこの場にはあり、どう考えても後者と火花が散りそうな予感があったから助かる。
胡坐をかいて座り直すドグライオンに全員の視線が集中する。
色々と言い争いはあったものの、この場は誰もが耳を傾ける姿勢に入ってくれたようだ。
「さて何から話したものか……そうじゃな。実はここ数年、ワシらの領土にちょっかいをかけている連中がおってな」
「ちょっかい?」
「うむ。人の姿を模してはいたが、あれは人間種でも精霊種でも、我々八王獣でもない――ただの化け物じゃな」
一瞬、不可侵の盟約に対する新たな火種の話が上がるのかと思ったけど、どうやらドグライオンはその存在を他の種族ではないと断定しているようで、そのことにホッと胸を撫で下ろした。
「しきりにワシ等の敷地に侵入しては、同胞に傷をつける愚か者でな。目的も正体も分からぬ故に、しばらくは厳戒態勢を敷いておったのじゃ」
「……厳戒態勢、それはどのようなものでしょうか」
隣のメリアからの問いかけに「うむ」とドグライオンが答える。
「まずは外敵の侵入に対する警戒じゃな。あとは領地内の探索じゃ。力を持たぬ動物たちはワシ等が言い聞かせ、大人しく住処で身を潜めているように言い聞かせ、匂いが通りやすくなった状態で森や山を調べておった」
「外敵の侵入はどのように警戒を?」
タクロウも追随するように質問を投げかける。
確か八王獣の領地では、その境界に近い場所に番となる見張り役がいて、その者が不用意な侵入を防ぐシステムが取られていたはずだ。
「ふん、知れたことよ。番の数を増やし、近寄る者全てに警戒させるよう指示をしておる」
「…………なるほど、それはさぞかし隣接するコルド地方の者たちからすると、近寄りがたい空気に感じることでしょうね」
「であれば警戒は成功しておるということじゃな」
カッカッカ、と高笑いしながらふんぞり返るドグライオン。それを他所に、わたしとタクロウ、メリアの視線が交錯する。
ケトとエルヴィの父親は2年前に亡くなった。彼は薬の原材料である月光草が手に入らなくなったのを受け、自らコルド地方へと赴き、その道中で命を落としたのだ。つまり、月光草の入手が難しくなったのは、その少し前の時期。ドグライオンの言う数年前というのが、2年以上前なのだとすれば符号が一致するものがある。
月光草が八王獣の領土近くに自生しており、すぐ近くで彼らが目を光らせているということなら、コルド地方の者たちが採取に足踏みする気持ちも良く分かる。領土侵犯をしていなくとも、圧倒的肉体能力を誇る彼らが唸り声を上げる前で、暢気に採取をするような猛者はそうそういないだろうから。
「今も警戒は続けているのですか?」
今度はわたしが質問を投げかけてみる。琥珀の目がこちらをスッと見据え、彼は腕を組んで「当然じゃ」と答える。
「むしろ強化しておる。どこの馬鹿が手を引いているのかは知らんが、奴らはワシらの追跡の目をくぐりながらも未だに牙を向けてきよる。そしてその被害はついに――王たる我らの元にもきよったのじゃからな」
「あの……純粋な疑問なのですが、こと追跡に関してはドグライオンさんたちに適う者はいないと思うのですが……まだ捉え切れないほどの相手ということなのでしょうか」
人と異なり、彼らは五感が強い種族と聞く。それもそのはず、ドグライオンを見て分かる通り、八王獣とは動物の延長線上に進化していったような存在だ。彼らの領土でわたしがかくれんぼをしても、いかに気配を隠したところで、匂いを辿られてすぐに見つかってしまうのではないかと思う。
ドグライオンはつまらなさそうに鼻を鳴らし、相手の存在を思い出したかのように歯ぎしりをした。
「言ったじゃろ? 化け物である、とな。ただの生物が相手ならば、すぐに匂いを辿り、その首元を噛み千切っておるわ。だが奴らは匂いが無い――……いぃや、正確には形すらない、と言うべきなのかもしれぬのぅ」
――形が、無い?
霧でも相手にしているかのような物言いだ。さっきは人の形を模している、と言っていたけど、一体どんな相手なのだろうか……。
「……なぜ盟友たる我々人間種に相談をされなかったのですか? ここ数年の間だけ見ても、貴方がたからの使者が交易のために王都に訪れる機会は何度もあったはずです」
タクロウの言葉に、言われてみればそうだ、と頷く。
王都にその情報が行っていれば、きっとレジストンたちが調査のために早く動けていたはずだ。ただでさえわたしが転生してからここ3年間。ヴァルファラン王国の情勢は変わりつつある。主に――樹状組織という名の影によって。
影は常に光の対極へと隠れ、中々その姿を掴ませない。今回の旅もクルルの話を受けてレジストンがタクロウたちをつけてくれたのだ。それほど一つ一つの情報が生命線となる状況になりつつあるのだろう。いや……生命線になるかどうかも分からないほど情報が少ないからこそ、手遅れになる前に収集したいのだ。
正直、時期的に八王獣の領土で起こっている問題も看過できない。現にわたしだって……王都やグラベルンで化け物と称してもおかしくない連中とやり合ったのだから。無関係、と切り捨てるにはあまりにも怪しすぎる。
タクロウも樹状組織との関連性を疑っているのだろう。だからこそ、なぜ情報を共有しなかったのかを聞き出しているのだ。
「…………ふん、我々の領土の問題じゃ。お主らには関係ないじゃろ」
拗ねたように口を尖らせながら、ドグライオンは切り捨てた。その態度にピクリとタクロウのこめかみのあたりが動いた気がした。
このままわたしが黙っていると、また喧嘩になりそうな気がしたので、食い気味に言葉を繋げた。
「で、でも……今こうして、わたしたちには事情を話してくれてますよね?」
「それは……ガラの一撃を防ぎ、彼女を鎮めてくれた礼……じゃ。恩人に唾を吐くほど、ワシらとて情が無いわけじゃないぞ」
――さっき、優良物件に唾をつけておくとか何とか言ってなかったっけ? ……ここで口を挟むと、また脱線しそうだから言わないけどさ。
「それじゃ、わたしたちと協力体制を取りたい、ということですか?」
「勘違いするでない。ワシが恩義を感じているのは、小娘、お主だけじゃ。他の有象無象なんぞ知ったことじゃないぞ」
「本当にそう思っていたら、こうして皆が揃っている中で話したりしないんじゃないですか?」
「ぬぐ……ふ、ふん。そう思いたいのなら、勝手に思うがよいぞ」
「……」
――うん、この人、単純そうに見えて結構面倒くさい性格してるっぽいね。
「もしかしてですが……想像以上に追い詰められているんじゃないですか?」
「…………」
何となくだけど、単身で王都まで出てきて、なけなしのお金でクラウンに依頼を出したクルルの姿に少し被るものを感じた。
今まで王都に相談すら持ちかけなかった八王獣が、偶然出会ったわたしたちにこうも簡単に話をする理由。憶測だけなら幾つも思いつくことはあるけれど……その中でもクルルと同じく、なりふりを構っていられない事情があるとすれば、それは――自分たちではどうにもならない窮地に立たされている可能性だ。
加えてクルルも最初、人間を信頼している様子がなかったように、彼らも人間種に同様の印象を抱いている可能性がある。交易という最小限の場でしか接点を持たなかったことからも窺える通り、おそらくその予想は遠くないものと思われる。
窮地に立たされているものの、人間種や精霊種の力は借りたくない。となれば、残るはクルルのように種族の代表ではなく、個人に対して依頼をするような手段しか残らない。信頼できるかどうかは置いておいても、彼の目にはわたしの力が魅力的に映ったからこそ、簡単に事情を説明したのかもしれない。
じっとドグライオンと視線を交わしていると、ふと彼は小さく噴き出して笑った。
「カッカッカ……広く澄み渡る大空のような瞳よのぅ」
「へ?」
肩を震わせるドグライオンに素っ頓狂な返事をしてしまい、横のタクロウに「何か笑わせるようなこと言いましたっけ?」という意味を込めて視線を向けるも、彼も「分かりかねます」といった風に肩を竦めるだけだった。
「良いか、小娘。ワシは――いや八王獣、そして我が領土に住まう者たちは皆、人間が嫌いじゃ」
「っ……」
唐突に笑いを潜め、僅かに怒気を孕んだ言葉に身構えてしまう。
「お主らは簡単に嘘を吐く。不可侵を結んでおきながら、黙っておれば好き勝手に我らが領土に足を踏み入れ、動物を狩り、自生している植物を採取していく。強く出れば低頭で謝りどおす程度の矜持しか持たぬくせに、その裏では嘲笑うかのように欲望を垂れ流す。それが我らが抱く、人間種の姿じゃ」
「……!」
その言葉に何より驚いたのは、タクロウだった。
ドグライオンの言葉が正しいのであれば、人間種は古き盟約に背き、密猟や採取を繰り返していることになる。それは明確な敵対行為と取られても仕方がないことだ。
さっきタクロウが「コルド地方の者からすると近寄りがたい」と言った際に、彼は笑いながら「成功」だと言った。アレはもしかしたら冗談でもなんでもなく……? ちょっと待って。だとしたら、手に入らなくなった月光草が生えている場所ってもしかして……!
ごくり、と唾を飲み込む。
――場合によっては、月光草を入手する条件というのは、かなり厳しいものになるのかもしれない。
わたしはこの場を単純な情報集約の場だと思っていた。そして東を治める八王獣の一体と縁を持つことは、コルド地方を目指しているわたしたちにとって有益であり、人間種の領土を先ほど荒らしてしまった過失も考慮すると、有利に話をできるんじゃないかと思っていたのだ。
しかし、気づけば――この場は一方的な情報聴取ではなく、交渉の場へと化していた。
彼は確かにクルルと同様、領土で起こる問題に手詰まり状態だったのかもしれない。しかしクルルと異なる点は……彼はしっかりと交渉材料という剣を持っていた、ということだ。その剣を何の予告も無く、喉元に突き立てられたわたしたちは言葉を失うことしかできなかった。
一気に重くなった空気を気にも留めず、ドグライオンは静かに笑った。




