72 グラベルン出立準備
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早朝からの大変不名誉な事件から数時間後。
おねしょという冤罪が常に背中に付き纏っているような違和感があり、まるで犯罪を犯した人間のようにビクビクと周囲の視線を気にしつつ、全力を以って普段通りの態度を振る舞い続けるという――無駄に労力を費やす数時間を過ごす羽目となった。
気にしすぎと言われてしまえばそれまでだが、気になるものは気になってしまうのだから仕方がない。
あの侍女とも何度か顔を突き合わせる機会があったけど、彼女はニコリと微笑みを向けてくれるのみ。その笑みが「まだバレてませんから大丈夫ですよ」なのか「貴女の弱み、きちんと握ってますよ」なのか、出会ったばかりのわたしには判断がつかないが、妙な行動を起こして話が拗れるのも嫌なので、結局わたしも曖昧な笑みを返すだけとなっていた。
――は、早く出立したい……。
そんな願いがお天道様に通じたのか、太陽が頭上に登りきる前に、馬車の準備が済み、わたしたちがグラベルンを後にする手筈が整った。
本来グラベルンでは馬車は門近くの厩舎に預け、街内で使用してはいけないことになっているのだが、タクロウが気を利かせて、今回だけは特例として、この別荘まで馬車を招き入れられるよう手配をしてくれたそうだ。
これでグラベルンの一等地に立つ別荘から門までの距離を、馬車の中に引きこもったまま移動できるというわけだ。その配慮にわたしは拍手喝采を送りたい。
屋敷で臨時で働いてくれた全員にわたしたちは御礼を告げ、次々に馬車へと乗り込んでいく。
「ブルルルゥ」
わたしも幌の隙間から馬車に乗り込もうとしたが、ブラウンが意味ありげに嘶いたため、首を傾げながらブラウンの傍まで足を運んだ。
「ブルゥ……」
ブラウンは近づいたわたしに鼻を寄せ、軽く頬に摺り寄せてくる。馬の力は強い。わたしは<身体強化>があるから例外だけど、普通のわたしぐらいの子なら、馬が力加減しないで頭で押せば、簡単に転んでしまうだろう。……そういう配慮もしているのか、ブラウンは本当に当たるか当たらないかの距離を保ちながら、優しく頬に鼻を寄せてくる。
その優しい仕草から、この子がわたしのことを心配していたことが何となくだけど分かった。
「心配かけたね……わたしは大丈夫だよ」
そう言って両手でブラウンの頬を撫でてあげると、満足したのか「ブルル」と短く鳴いて、首を元の位置へと戻していった。
本当に賢い子だ。おそらく昨晩、厩舎の中から、外の破壊音などを聞いていたのだろう。実際にわたしたちが騒動の中心にいたかどうかまでは知らないだろうけど、知らないからこそ巻き込まれていないか漠然と心配し、こうして安堵と共に甘えた様子を見せてくれる姿は、人とそう変わりないものに見えた。
「ふふっ」
なんだか少しおかしくなってしまい、わたしは笑みをこぼした。
その際に見送りに出ていた屋敷の侍女や使用人たちから、謎のどよめきと歓声が上がった気がしたけど、そっちは幻聴であると思い込むことにする。
「セラフィエル様……その左手は――」
いつの間にか背後にいたタクロウから声をかけられ、わたしは「あ」と声を漏らした。
そういえば今、無意識に両手でブラウンの頬を撫でていた。それは昨日まで感覚すらなかった左手の状態を知っているタクロウからすれば、驚くべき状況に見えたのだろう。
無意識に左手を使うということは、それだけ元の状態に戻りつつあるということだ。未だジクジクとした痛みは手首に残るものの、操血で無理やり血流を操作せずとも、末端まで血液が正常に流れるほどまで回復していた。
わたしはタクロウに見えるように、左手を何度か開閉した。
「大分、良くなってきたみたいです」
「……セラフィエル様、お言葉ですが……一晩休んだ程度で治る程度の傷とは思えないのですが。一体、何があったのですか?」
――まあ、やっぱりそうなるよね。
良くなりました、それは良かったですね、なんて会話で済む話ではない。ましてや相手は切れ者であるタクロウなのだ。常軌を逸した事象が起これば、それを追求してくるのは彼の立場としても当然のことである。
わたしは左手を降ろし、頭上にあるタクロウの顔をジッと見つめた。その視線に僅かに顎を引いたタクロウは、わたしが口を開くのを待ってくれる。
「――タクロウさん」
「……はい」
「すみません、わたしにもまだ……何がどうなっているのか、説明できない状態なんです。事情をお話するのは、わたしの中で整理がついてからでいいでしょうか?」
「……」
その言葉にタクロウはやや眉間に皺を寄せ、黙り込む。おそらく自分に課せられた任務からの立場と様々な要因を紐づけ、判断の方向性を模索しているのだろう。
始めこそ操血については、気味悪がられないかなぁ程度の想いから秘匿していた。いつしか言い出すタイミングも逃し、今に至るまで誰にも喋っていない秘密の能力だ。
でも――今は、操血以外にも謎と呼べる現象が幾つか、わたしの中で起こっている。この謎は宿主たるわたしにとっても未知であり、これから時間をかけてゆっくりと紐解かねばならない案件だ。
疑問も悩みも全て打ち明けて、皆と一緒に考えてみる――という選択肢も確かにある。けれども……あの声の主。遺跡で聞いた光の声ではなく、漆黒の世界から語りかけてきた少女の声。あれだけは……何故だか、わたし自身が向き合わなくてはいけない存在のように思えるのだ。理論も根拠もなく、ただそう思える――勘みたいなものだ。
だからまだ言えない。少なくとも、胸の内に秘めたる存在の正体を測り切るまでは。その判断は他人から見れば、効率も悪ければ理屈も通らない話かもしれない。でも――わたしにとっては正道である、と思えた。
そんな思いを秘めながらタクロウから視線を外さずにいると、頭上からため息を漏れた。
「ふぅ……セラフィエル様。一つだけ確認をさせてください」
「はい」
「――無理はされてませんか?」
「?」
確認、と言われたので、どんな質問・疑問を投げかけられるのかと構えてみれば、タクロウの口から漏れた言葉は、そんな一言だった。
キョトンとするわたしに気付き、タクロウは珍しく視線を逸らして喉元を小さく唸らせた。
何度か口の中の言葉を生み出しては咀嚼し、ようやく場に見合う言葉を見つけたのか、彼はゆっくりと視線を戻して口を開いた。
「私の任務は、セラフィエル様の安全を第一に任されております。次にパラフィリエス大森林の異変調査となりますが、セラフィエル様の安全と天秤にかけるならば、間違いなく貴女の御身をお守りすることが優先されます。レジストン様は貴女が無茶なされないよう、とても気にかけておられました。貴女は困っている者がいれば……無茶も承知の上で立ち回るだろう、と。レジストン様は私にこう命じました――『あの子はとても優しい子だから。彼女の意思は可能な限り尊重し、それでも危険だと判断したら、その身の安全を最優先すること。お前の全霊を持って彼女の心身を護れ』と」
「…………」
――優しい? わたしが?
聞きなれない言葉に何度か瞬きし、ゆっくりと彼の言葉を噛み砕いていく。
わたしの魔法を重宝し、最年少クラウンの役割も利用価値が高いことは自分で分かっている。だから怪我をした際に強制的に王都に戻されることを危惧していたのだ。
けれど今のタクロウの言葉からも分かる通り、前面に出ているのは――わたしの意思と安全を最優先にした温かい心だった。
レジストンは役職からも分かる通り、国に密接にかかわるポジションにおり、何を於いても国益を最重視せねばならない立場だ。仮にわたしが子供であるという点を加えても、私情を挟む余地などないはずなのだ。
……だというのに、彼はわたしの身を案じた指示をタクロウに託した。表面上は飄々と何でもないように言葉を交わしていたくせに。
優しい――プラムからはしょっちゅう言われてるけど、それは裏表のない家族のような温もりの中だったので、違和感というより純粋に嬉しさを抱いていた。前に一度、メリアたちを地下下水道から救った時もメリアから「優しい子」と言われ、ちょっと恥ずかしかったこともある。
でもなんでだろうか、プラムやメリアに言われた時の嬉し恥ずかしとは別の……変な感じが胸の中に過った。
レジストンは口数が多いように見えて――自身を多くは語らない。そんな彼の思いの欠片が、タクロウへの指示を通して届いてきたようで……わたしは思わず、本心から笑みをこぼしてしまった。
「ふふっ」
「――――」
ふと、強い視線を感じて、わたしは想像以上に明後日の思考へと逸れていたことに気付き、慌てて視線の元――タクロウを見上げ直した。
見上げた先の彼の表情は、彼にしては珍しく驚きを露わにし、つい、と顔を逸らして口元を手で覆った。
「タクロウさん?」
意味のない行為を嫌う性格だと思っていた彼が、なぜそんな態度を取ったのか分からず、わたしはどうしたのかと尋ねた。
「……いえ、なるほど。将来は末恐ろしい御方になる、という片鱗を垣間見ただけです。銀の蝶が光り輝く鱗粉を放ちながら舞った時、時間が停まったと錯覚するほどの可憐さがそこにあるのだと……」
「は、はい?」
――急にポエミー・タクロウへと存在進化してしまったけど、彼に何があったの!?
変な物を見るような目で彼を見ていると、ようやく意識が現実へと戻ってきたのか、彼はハッとしてから咳ばらいをした。
「――失礼しました。今、貴女が見聞きした言葉は全て幻聴ですので、お忘れになってください」
「……え、ええっと?」
「さて、繰り返しになりますが……レジストン様からは貴女の意思を尊重したうえで動けと命じられているのです。ですから、コルド地方――その先のパラフィリエス大森林に至るまでの十分な余力をお持ちになっておられるのでしたら、私は貴女の意思を尊重いたします」
「は、はぁ……はい、大丈夫だと思います」
「……分かりました。私では貴女の力――魔法などの底を測る術がありませんので、そのお言葉を信じることといたします。くれぐれも……無理を隠すようなことだけは控えていただけますようお願い申し上げます」
やや早口のように言葉を並べ、さっさと会話を終わらせようとするタクロウの圧力に負け、最後には頷くだけで肯定を返すのみとなってしまった。
言いたいことを言い切った所為か、タクロウは小さく息を吐くと「それでは準備に戻ります」と踵を返そうとする。
「あ、待ってください!」
「?」
そうだ、彼にはこれだけは伝えておかないと、とわたしはニコリと笑って「ありがとうございます」と礼を言った。
「……? 私は礼を言われるようなことなど――」
「だってタクロウさん、わたしに『無理をされてませんか?』って聞いたじゃないですか」
「確かに……申し上げましたが」
「タクロウさんが根っからの仕事人で、レジストンさんからの命令だけを絶対とする人なら……きっとそんな言い方じゃなくて、さっき説明した時みたく、もっと事務的な物言いになったと思うんです。自分で言うのも恥ずかしいですけど……タクロウさんもわたしを心配してくれてるから、そう言ってくれたんですよね?」
「……」
「だから、ありがとうございます、です」
血で血を洗う乱世であった前世の世界では決して「優しい」なんて似合わない存在だった。でも――わたしには優しさがあると評し、心配してくれる人たちがいる。他人は鏡だ。つまり、わたし自身、一度幼くなった精神と、フルーダ亭での日常を越えて……大きく変わってきているのだろう。
だから今は素直に、礼が言える。
意識して作った笑顔ではなく、言葉を発した時に自然と湧きあがる感情のままに――。
とはいえ、まだちょっと気恥ずかしさもあるので、わたしはそのままペコリと頭を下げて、馬車の中へと逃げ込むことにした。
タクロウがまた口元を手で覆っている姿が横目に見えたけど、これ以上蒸し返すのも嫌だなぁと思ったわたしは、今度こそその場を離れることにした。