70 還流する血と目覚める息吹
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――その夜、わたしは一人生振りに「夢」というものを見た気がした。
赤のいる内包世界ではなく、誠の夢。
内包世界なんてとんでもない存在が確立してしまってから、どこからどこまでを夢と定義するかなんて、わたしの考え一つでどうとでも変わってしまう話だけど、そう――これは強いて言うならば、内包世界と現実世界の狭間……あの謎の少女の声が聞こえてきた空間のような領域に思えた。
彼の空間と異なる点と言えば――この場所は深淵の如く漆黒の世界ではなく、まるでどこかの場所を模したかのような遺跡だということぐらいだ。
「……なに、ここは」
今日は一日ゆっくりと元領主の別荘で過ごし、夕食を胃に収めた後、そのまま誰かさんの所為で立て付けが悪くなった部屋のベッドで瞼を閉じた記憶がある。だからここが「夢」であると自覚できる。
でも、ここは内包世界ではない。
理屈はなくとも、わたし自身の何かがそう告げていた。
巨大な円柱が幾つも立ち並び、半壊した神殿のような建物が目の前に聳え立っていた。
――記憶にない建物だ。
空は紫色に曇り、雲の切れ間から差し込む太陽はどこか鈍い輝きを放っている。
生暖かい空気はどこか――そうだ、前世の最期。あの終焉の世界と類似しているように思えた。
終焉。そうだ……この世界は終わっている。一つの文明が消え、多くの生命が途絶え、最後の争いが起こり、全てが途絶えた世界。
その肌寒さにわたしは思わず右手で左腕を摩った。
「……」
このままジッとしているのも埒が明かないので、わたしは思い切って神殿の中へと入ることにした。
不規則に散らばった瓦礫を乗り越え、横倒しになった円柱を避け、首から上が消失した石像を見上げながら、神殿の入り口へとたどり着く。
神殿の入り口を守っていたであろう、両開きの巨大な扉はひしゃげ、片方は離れた場所の地面に斜めに突き刺さっていた。
捻じ曲がった扉の影から中を覗く。
光はない。
ただ無情に流れゆく空気の通り道。それだけが神殿内を埋め尽くしていた。
この世界を目の当たりにすることに――何か意味があるのか。一体誰がどういう目的で、わたしにこんなものを見せているのか。それとも……純粋に何の意味も持たない、ただの夢なのか。
答えはないが、少しでもその疑問の決着を心の中でつけるためのヒントが落ちていないかを探るため、わたしは影に覆われた神殿の中へと足を踏み入れていった。
「…………魔法は」
そう呟いて、わたしは掌に小さな炎を浮かび上がらせる。
どうやらこの世界でも魔法のような効果は打ち出せるようだ。けれども内包世界の時のような創造の力は利用できず、どちらかというと現実世界に近い原理でこの世界は動いているようだ。試しに短剣を作れないか想像したが、何も手の上には現れなかった。逆に近くの瓦礫を魔法によって削り、即席の短剣を作ることはできたので、わたしはそれを手に進むことにした。
炎は前方に、右手には短剣を。
照らされた明かりをもとに、瓦礫に足を取られないよう、暗がりの中を進む。
ふと出口も入口もない闇に入り込んでしまったのではないかと不安に駆られ、バッと後ろを見るが、遠くには変わらず外へと繋がる入り口の姿が見えた。何を緊張しているんだか、とため息をつき、わたしはそのまま奥へと歩を進めた。
「なんなの……ここ」
炎で照らされた先には、壁際に並ぶ天使を模した像が並んでおり、破壊された噴水や中庭のような場所が散見された。
地面には無数の剣、槍、斧、弓、盾などの武具が転がっているのに、誰一人として死体の類が無いという状況が返って不気味な雰囲気を出している。抜け殻のような兜や鎧だってあるというのに……なぜ中身が無いのか。あって欲しいわけじゃないけど、無ければないで不安も増してしまう。
「――――」
不意に、視線の端で何かが光った。
わたしは素早くその方角へと体を向け、警戒心を強める。
一瞬、刃に光が反射したのかと思ったが、よくよく考えてみればこの場所に太陽の光は届かない。魔法の炎にしても、もっと光り方は鈍いものになるはずだ。じゃあ、視界の端で捉えた光は何だったというのか。
その答えはすぐに出ることとなる。
「誰!?」
張り上げる声に返事はなく、代わりに頼りなさげにふよふよと宙を飛来する小さな光が物陰から、ゆっくりと飛んできた。
蛍のような小さな光は、蛇行を繰り返しながらわたしの目の前まで近づいてくる。
「……っ」
警戒を緩めず、わたしは右足を一歩後ろに引く。そして石剣を光に対して向けようとして――、
『……って』
声を聞いた。
わたしは右手の動きを止め、目を見開く。
か細く、吹けば消えてしまいそうな……小さな声。
「な、に……?」
『……を、…………です』
声は目の前を浮遊する光から聞こえているようで、わたしは思わず息を飲んで耳を澄ませた。声からは敵意は感じられず、必死に何かを訴えかけているような気配を感じた。
――いや、それ以前に……なんだろう。懐かしいとも違う。既視感とも違う。この声は……どう表現したらいいか分からないけど、まるで……自分自身と話しているような、そんな奇妙な感覚をわたしに植え付けるのだ。
思わず呆然としてしまった隙に、光は間近まで近づき、わたしの肩の上にピタッと着地した。
『……お願い、話を聞くのです』
「……え」
『わたしの分身、わたしの子よ。あぁ、僅かに残ったわたしの自意識に貴女が偶然迷い込んだのは、僥倖と呼ぶべきでしょうか……それとも不幸と呼ぶべきでしょうか』
「なにを……?」
嘆きに近い独白を耳元で聞かされ、わたしは困惑を隠せずに言葉を返した。
『血に生かされ、血と共存していた今日びまでの貴女は、まさに奇跡的なバランスで生を全うしておりました。ですが……貴女はこの世界で新たな力を手に入れてしまった。このバランスを崩壊させる、新たな力を……』
「ちょ、ちょっと待って……! い、いきなり何を言ってるの……? 意味が、分からないよ……」
『時間がありません……。刻々と血が戻ってくる中、既にその日までの秒読みは始まっているのです。この場所に再び貴女が来られる保証はどこにもありませんし……自意識をいつまで保つことができるか、わたしにも分かりません。わたしを……貴女の中に受け入れるのです』
「は、え? だ、だから! 何を言ってるのって……そ、それに血が戻るって、まさか……?」
『時間がないと言ったでしょう。わたしと貴女が邂逅したということは、内包世界……奴の力が従来の形へと戻り始めようとしているということ。血が戻り、より一層その力が増せば、わたしはおろか、貴女すらもどうなるか分かりません……』
「だ、だからっ……ちゃんと道筋を立てて話をっ!」
矢継ぎ早に意味の分からないことを並べる光に、わたしはいい加減、苛立ちを隠せずに声を荒げた。
時間が無い、を理由に意味不明な言葉を叩きつけられても困る。
『説明は……また場を改めて致します。――貴女の内包世界へもぐりこむことで、わたしの自意識はやや薄れてしまうかもしれない。……ですが、貴女に力を貸す程度には存在を保てる、でしょう』
「……場を改めてって、はあ……もう、ほんと意味が分からない……」
『今は分からなくて結構です。優先事項は、貴女がこの自意識の欠片の世界に迷い込んだという奇跡を、次へ繋げることであり、それ以外は些末なことなのです』
「……はいはい、そうですかぁ」
もう何を言っても通じないと判断し、わたしはため息交じりにテキトーな返事をした。
『……わたしが貴女の内包世界に入るということは、血の支配下に陥るということ。不本意ではありますが、そうすることで、貴女は血を介して、わたし――いえ、貴女本来の力も微弱ながら使うことが可能となるでしょう』
「……わたし、本来の……力?」
――え、それって操血のことじゃなくて?
どうしよう、0から10まで理解不能な疑問点ばかりが聳え立つ。いっそのことドミノ倒しのように全て倒してしまいたくなる。
『しかし……スクアーロも厄介な因果を残したものです。このような曖昧な力を人の遺伝に託すとは……』
「スクアーロ……」
って、確かこの世界に伝わる神の名だったはず。どういうことなの? わたしでさえ、この世界に転生し、口伝いだったり文献でその神の名を知った程度の知識だというのに、この光は何を知っているというのか。
『それでは……わたしは貴女の中へと潜ります。貴女の中には既に別の存在が取り込まれているようですね。まずはその者に接触を試みましょう』
「あっ、ちょっと!? 色々と説明不足だって言ってるのに!」
『では次の機会に――』
そう言って、光はわたしの肩に沈み込むようにして消えていった。
「は、はぁ……? こ、この世界に転生してきてから……樹状組織以上にわたしの中の方が複雑怪奇なことになっている気がするんだけど……」
ようやっと赤や夢の世界と称していた世界に馴染んできたかと思えば、最近になって内包世界だの、謎の少女の声だのと立て続けに異変が起こり、ついには今回の一件だ。もはや理解力云々で片付けられる情報量ではない。
「なんなのよぉ……もう!」
一人取り残された神殿の中で、わたしは思わず地団駄を踏み――わたしの足に踏み抜かれた台地に大きな亀裂が入る。
「へ?」
亀裂は神殿から遺跡へ、あの光が「自意識の欠片」と呼んでいた世界全てに走っていき、やがて足場諸共、瓦解していった。
当然、その上にいたわたしも自然と落下していくわけで――。
「ほんっっっとに、なんなのよぉーーーーーッ!」
わたしは自棄になって大声を上げたまま、深淵へと落下していき……、
「げふっ!?」
派手に吐血した。
「? ……っ? かふっ……、は?」
布団をどけ、上半身を跳ね上がらせる。
場面転化が激しすぎて、思考が未だについてこない状態だが……何度か瞬きをすることで、ここがどこかようやく頭に情報が入ってきた。
どうやら目が覚めたようで、わたしは眠った時と同じ寝台の上にいた。
まだ明け方にも満たない深夜のようで、窓から月明かりが布団の上を照らしていた。
寝る前と異なる点と言えば…………吐血、というか、鼻やら口やらから噴き出した大量の血液が、猟奇殺人現場よろしく真っ白な布団やベッドを染めていることぐらいだろうか。
どう考えても致死量と言える出血量だが、不思議とわたしの頭の中はクリアだ。いや、頭どころじゃない。全身の調子がそこぶる良い。今まで全身に乗せていた重しの何割かが取れて無くなったかのような解放感。
これはつまり――。
「血が……戻った!?」
全てではないが、3年前の少量とは異なり、今回は2割程度の血がわたしの中へと戻ってきた感覚がある。
魔力の貯蔵量も大きく広がった感覚もあり、全身をめぐる脈動に力強さを抱かせた。
どうやらダラダラと未だに鼻や口から漏れ出る血液は、余分な血液が押し出されたもののようだ。
「っ」
ふと、左手首に痛みが走り、わたしは目元を歪ませた。
変な姿勢をしてしまった関係で痛めてしまったのかと手首を上げてみて、わたしはもう何度目か分からないほどの驚きを露わにしてしまった。
――淡いエメラルドグリーンの光が手首の傷跡から漏れ出ていた。
暖かな光は確かな熱を手首にもたらし、徐々に、徐々に……指先にまで浸透していく。
「……」
唖然とその様子を見ていたわたしだが、ハッと我に返り、左手を眼前まで近づけた。
そして……確かに感じる感覚のまま、指先を折ってみた。
「は、はは……」
左手首の傷は大部分が綺麗に消失し、指先はわたしの脳が命じるまま、自然な動きを取ってくれた。痛みはまだある。どうやら一気に完全な修復が行われているのではなく、今も修復作業が進んでいるようだ。指先は痺れたような感覚が残り、芯の部分――骨折部からは鈍痛が響いてくる。しかし、それは紛れもなく痛覚が蘇っている証拠で……明らかな快方への道を辿っている証明であった。
「これは……わたしの、操血でも、魔法でも……ましてや<身体強化>でもない……。これは――」
あの夢の中の光が言っていた「本来の力」。
「はは、はぁ……」
わたしはバタンと背中からベッドに倒れ伏せ、半分瞼を閉じて、苦笑いを浮かべた。
「いいわ、もうアレコレ考えるのは疲れたし……使えるものは使ってやるわよ。でも、いつか絶対……わたしの中で何が起こっているのか、解明してやるわ」
少なくともこれで一つは憂いが解消されそうなのだ。その点だけは有難く受け取っておくことにしよう。
それに本来の血が戻ったことで、わたしにも選択肢が増えた。身体能力自体はそう変わらないだろうけど、魔法も操血も、今までとは段違いの威力を引き出すことができるだろう。
さて、解決できない問題は全て棚に上げることにして、取り急ぎ今……わたしが注力すべきことは、だ。
「……とりあえず、この殺人現場みたいな血痕を何とかしないと、ね……」
寝そべりながら布団を持ち上げれば、真っ赤に染まった姿が月明かりに照らされる。
このまま二度寝して、朝に誰かが部屋を訪れたとしたら、間違いなく悲鳴を上げて大事になることだろう。
「夜更けから何してんだろ、わたし……」
いそいそとベッドから降り、自嘲気味に笑いながら、わたしは夜も明けない時間帯から、証拠隠滅に勤しむことになった。
なんだか、おねしょを隠蔽する子供のような気持ちになったというのは、胸の内にだけ秘めておくことにしよう。
この作品の中で一番複雑なのはセラフィエルの内部のお話かもしれません(笑)