58 セラフィエルの内包世界 その1
たくさんのブックマーク、ありがとうございます!(*'ω'*)
いつもお読みくださり、大感謝です~(*´▽`*)
「…………大丈夫? 貴女、自分の中の夢で眠るとか……器用な真似するのね」
「……それについては反論したいところだけど、わたし自身考えがまとまってないから、とりあえず保留にしてくれると助かるわ」
呆れたような口調の赤に、わたしは少し頬を膨らませて答えた。
長いこと生きて、夢を見ることも多々ある人生だけど、さすがに夢の中で寝て別の夢を見るだなんて摩訶不思議なことをしたのは初めてだ。
――うーん、頭の中がぐちゃぐちゃだよ……頭痛い。
夢の中で頭痛とは何とも可笑しな話だけど、現にそうなのだから仕方がない。
「…………」
右手で前髪を書き上げていると、こちらをジーッと見下ろしている赤と視線が合った。
そういえばわたし今、赤の膝の上なんだっけ? なんだか普段見慣れない角度の光景と後頭部の感触に思わず無言になってしまう。
真っ直ぐな赤の視線を追えば、彼女の瞳の光が揺らいでいるのが分かった。表情こそいつも通りを装っているものの、わたしを心配――いや、どちらかというと憂虞に近い感情だろうか、そういった感情が表情の端々に垣間見えていた。
目が覚める間際……必死にわたしの名を呼んでくれていたあたり、その度合いも見えてくるというものだ。
「……」
普段、本や知識絡み以外では冷静沈着といったイメージが強い赤が、自分のために取り乱してくれていたと意識すると、若干気恥ずかしい気持ちが湧いてくる。
「それで?」
「え?」
「え、じゃないわ。何ともないの……? 真面目な話、夢の中で眠るだなんて、あまり聞かない症状でしょう。貴女に何か異変が起きているんじゃないかって聞いているのよ」
「あぁ……うん、まぁそうだね。……異変と言えば異変、かも」
あの少女のような声。あれは間違いなく「ただの夢」ではなく――現実だ。この世界と同様で、わたしの脳が見せた幻影ではなく、わたしの中に潜む何かだという感覚がある。……わたしの中に得体の知れないものがいるって考えるだけで、気持ち悪いけどね。
「……話は長くなりそう?」
「話自体は長くないよ。けど、その後の相談っていうか、一緒に考えて欲しい時間は長いかも」
「そ、だったら続きは中で、どう? 貴女が私に甘えて、ずっと膝枕でいたいって言うならここでも構わないけど」
ログハウスのすぐ手前で膝枕を受けているわたしに、そう提案する赤。
その笑みから揶揄いだと分かっていても、子供扱いされている雰囲気がわたしの背伸び感情をビシビシと刺激してくる。
「だ、大丈夫だよっ! もう動ける……中で話そう」
「あら残念」
ガバッと起き上がると、わたしは口元に指を当ててクスクスと笑う赤を置いて、ログハウスの中へと入っていった。
ここ3年で妄想と言う材料で増築に増築を重ねたログハウスは、かなり巨大な施設に変貌している。というか、もうログハウスというより施設である。ログハウスだった名残は玄関部だけでその後ろに続くのは書庫、書庫、書庫ばかり。
赤が知識保管庫から本を持ち帰れば、その数に比例してこの建物も大きくなっていく。彼女の探求心は衰えを見せず、そんな調子で日々を送るもんだから、今では軽く一辺50メートルはあるであろう三階建て巨大建造物へと成長してしまった。
この夢の世界に来るたびに膨張していくログハウスの様子に、唖然としたことは言うまでもない。
……今度からログハウスじゃなくて、図書館と呼ぼうかな。
玄関をくぐると、いつも赤と一緒に紅茶やコーヒーを飲むダイニングスペースが視界に広がる。ここだけはログハウスが出来た当初から変わらない、憩いの場所である。ソファーやテーブルなどは若干のグレードアップが見られるが、基本、元の景観を保ちたいという赤の意思に沿って、雰囲気は同じままとなっている。
赤曰く、この部屋は一番最初、わたしたちが紅茶を飲んだりカレーを食べて感動した時の「白い空間」が基準になっているようで、彼女にとってとても印象深い部屋となっているようだ。
できれば思い出はそのまま取っておきたい――という彼女の願いが聞こえてくるこの部屋は、わたしにとっても居心地が良い部屋でもある。
誘われるがまま、柔らかいソファーにダイブし、わたしは「ふへぇ~」と気の抜けた声を漏らしながら、現実では味わえない懐かしい堕落の感覚に身を任せた。
うん、こうして人は駄目になっていくんだろうなぁ、と思いつつ、この気持ち良さには逆らえない。
「もう、だらしないわね。コーヒー飲む?」
「おぉ~、バリスタがいい。豆から挽いたコーヒーも美味しいけど、今日はバリスタの方が飲みたいよ。あ、ミルク多めでお願い~」
「はいはい」
見た目ほぼ一緒なのに、なんだこの親子関係は……と自身を俯瞰的に見て呆れつつも「今日は頑張ったんだし、いいんじゃないかな」という悪魔の囁きに負けて、わたしは赤がお揃いのカップにコーヒーを淹れてくれるまでの時間をマッタリと過ごした。
しかし、こうして日常的な会話をしていると、不思議な感覚が沸き起こる。
最初の頃なんかは「コーヒー」って単語ですら新鮮な衝撃を受けていた赤だというのに、今となっては違和感なく円滑な会話ができるほど――彼女の知識が備わってきている。
知識の源は言わずもがな――例の知識保管庫だ。
わたしは何故か赤い奔流に乗って保管庫まで行くことができないが、赤が持ってくる本を見る限り、どうも初期の記憶――科学時代の知識が主に置かれているらしい。彼女曰く、まだまだ解放されていない区間があり、巨大な螺旋回廊の外周を取り巻くようにして書庫が幾つも立ち並ぶ施設のような場所らしい。
我が身ながら……本当に謎である。
赤い奔流が、わたしの操血と深い関わりあいがあることは感覚で分かる。でも、なぜその奔流の運ぶ先にそんな施設が存在するのか、何故わたしはそこに移動できないのか……200年以上この身体と付き合っているにも関わらず、何が起こっているのか微塵も理解できない。
――いや、むしろ……今回の転生で「何か」が変わった?
不意に先の声が頭の中に蘇る。
あの声はわたしの――それこそ出生のその瞬間まで知り得ているようだった。確証はないけど、わたしの始まりの名を知っている時点で当てずっぽうの線が無いことは明確だ。
つまり「彼女」は元々この身に存在するものであって、わたしは今までその存在に気付けなかった。
そして今、何故、存在すら掴めなかった彼女が表に出てきたのか――それは彼女が口にした「能力の真価」に答えがあるのだろう。
能力――それは恩恵能力、<身体強化>を指していることは間違いないと思う。
この世界に転生し、手にした新たな力。この力がわたしですら認知していなかった何かを揺り起こし、新たな現象を引き起こしているのだろうか。
そしてそれは知識保管庫も同様なのではないのか。
「…………だめ、一人で考えても頭痛が増すだけだわ」
「だから話を聞いてあげるって言っているのよ、ほら」
コトン、とソファーの前のテーブルにコーヒーの入ったカップが置かれ、わたしはその香りにピョンと起き上がった。
カップを右手で持ち上げ、ゆっくりとコーヒーを喉に通していく。
「ふぁ~……生き返るわぁ」
「大袈裟ね」
「赤はいっつもわたしの中で充実した生活をしているから分からないんだよ。現実じゃ飲めるのは水ぐらいで、紅茶を飲めるのは貴族だけなんだから。飲み物のバリエーションが圧倒的に少ないんだよ」
「ふぅん、だったら貴女が作ればいいんじゃないの?」
「…………か、簡単に言うけど、材料も設備も無いんだから難しいって。ここみたく、想像するだけでポンポン物が生まれるわけじゃないんだから」
「そうね。でも、貴女の魔力とやらは植物や野菜を育てるのに有効な手段なのでしょう? コーヒーは無理でも、茶葉ぐらいは貴女の菜園で栽培できるんじゃないかしら。紅茶は実際にあるんだから」
「あぁー……できる、のかなぁ?」
茶葉の原料となる生葉については、レジストンやグラム伯爵にお願いすれば……何とかならなくもない気がする。
「でも、ほら。収穫時期とか……確か乾燥させるんだっけ? その程度で茶の種類が変わったような覚えがあるんだけど」
「今のところ、生産から製造過程まで記述された本はなかったわね。ま、そこはホラ。チャレンジ精神って奴で試行錯誤していけばいいんじゃないの?」
く、生意気にも横文字なんて使うようになっちゃって。まあでも……美味しいお茶でも作れれば、フルーダ亭の皆も喜んでくれるかな? うん、物は試しっていうし、帰ったらレジストンたちに確認してみるのも良いかもしれない。
「ところで、銀」
「ん、なに?」
「左手――どうしたの?」
「……」
気付けば、わたしは無意識に右手だけでコーヒーを飲み、左手はテーブルに添えるだけ。傍から見ればそこまで違和感のある格好ではないはずだけど、幾度となくこのダイニングで腹に溜まらない飲食を共にした赤を誤魔化すことは適わなかったようだ。
「ん、まあ……ちょっとヘマやっちゃった感じかな」
袖を上げて手首を晒すと、そこには現実と変わらぬ傷痕が残っていた。相変わらず指先には感覚がなく、血管を通る血の流れしか掌握できない状態だ。
「ここは貴女の夢の世界でしょ? 治れと願えば治るんじゃなくて?」
「……赤もあの声と同じこと、言うんだね」
「あの声?」
その疑問に答えようと口を開くも、そもそもわたし自身、あの声の主が何者でどういう存在なのか分からないため、上手い説明文句が出てこなかった。妙な間が空いてしまったため、気持ちの所在が浮いてしまう。
宙ぶらりんになった思考を埋めるために、わたしは赤やあの声が言うように「治れ」と左手首に念を送ってみた。
――しかし左手の感覚は変わらず、断たれたまま。指先はぴくりとも動かなかった。
「駄目ね。やっぱり治らない」
左手首をさすりながら告げると、赤は端正な眉を顰めて、わたしを見返してきた。
「…………銀、なんだか思考にブレーキかけてない?」
「ブレーキ? ううん、そんなことないよ。わたしだって夢の中でも不便でいたいとは思わないしね。ちゃんと真面目に願ったよ」
「…………」
赤は腕を組みながら、真摯な眼差しでわたしの深層を覗くように見つめてきた。
やがて彼女は自分のカップを口元に傾けてから、静かにテーブルの上に置いた。
「銀、スプーン出してみて」
「は?」
「スプーン。ほら、3年前に一緒にカレー食べた時。貴女はわたしが用意したものじゃなくて、自分でカレーとスプーンを造りだしたじゃない」
「え、えぇ……そんなこともあったわね。でも、なんで?」
「いいから、いいから」
半ば強引に促されたわたしは疑問を感じつつも、言われた通りにスプーンを念じた。すると、右手の上に想像した通りのスプーンが出現し、確かな質量を持って掌上に落ちる。
「これでいいの?」
「ええ、それじゃ次は外で試そうかな」
「外?」
「そう」
向かいのソファーから立ち上がった赤は、わたしの横まで来ると両脇に手を差し込んで、無理やりわたしを立たせる。手際が良すぎて反発する隙すら無かったけど、これってどう考えても小さな子供を起き上がらせるときの所作だよね……。
「ほら、いい子だから、外に出るわよ」
「……むぅ」
わたしの感情の機微を察知した赤がすかさず揶揄を含んだ言葉で背中を押す。反論したい気持ちも強かったけど、赤の目的も気になるわたしは、喉元まで登ってきた言葉を飲み込んで、彼女と一緒に再びログハウスの外へと出ることとなった。
――赤、いったいどういうつもりなの?
数歩前を行く彼女はしばらく黒塗りの地面を歩き、ログハウスからやや離れた位置で振り返った。
「この辺でいいかな。よし、それじゃ銀。小規模でいいから、私たちの家の周辺に『街』を造ってみて」
「……………………………………はぃ?」
唐突すぎる上に意図が掴めない彼女の言葉に、わたしはそう聞き返すことしかできなかった。