54 グラベルンの死闘 その12
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わたしは疲れ果てた小さな体に鞭を打って、両足に「もうひと踏ん張り」と力を入れさせる。
「――ふぅ」
完璧に直撃させた5本の氷杭は、間違いなく人体の急所を貫き、奴を後方へと吹き飛ばした。
通常ならば、こうして警戒を胸に構え直す必要なんて無いのだけれど……路地の奥――群青法衣が倒れ込んだ暗闇から流れ込んでくる「殺気」がそれをさせてくれなかった。
3年前のヘドロ法衣も炎という弱点をついていながら、それなりにしぶとかった。あの大火球を喰らっても、まだ地上まで移動し、人を捕食しようとするほどの生命力を発揮していたぐらいだ。この群青法衣も同等のものを持っていると踏んでおいたほうがいいだろう。
――とはいえ。
最大の脅威である姿見は既に破壊済だ。
そして仮に奴が「鏡の代用品」なるものを持って再び攻撃してきたとしても、対抗策が準備できなかった前半戦と異なり、今のわたしは完全に「対応」できる自信がある。
ガラ、と何かが崩れる……いや、どかす音がした。
群青法衣が吹き飛んだあと、路地脇に並んでいた木箱が奴の背中と激突し、砕け散っていたみたいだから、おそらくその残骸を除けた音だと推測できる。
――来るッ!
ぐにゃり、とわたしの足元の地面が歪む。
同時にわたしはその場を飛び退いた。
間髪おかずに、わたしがいた空間を包み込むように軟化した地面が覆いかぶさり、散らばっていた鏡の破片がその衝撃で宙に舞っていく。
そして、月光を反射しながらキラキラと光を放つ欠片を掠めとるように、黒い影が横切っていった。
「小娘ェェェェェェッ!」
影の正体は言わずもがな、群青法衣だ。
ボロボロに破けた法衣。氷杭は痛々しくも人体で言う急所――心臓、肝臓、両肺、鳩尾に狙い通り突き刺さっていたが、元気に動いているところを見るに、奴にとっては急所とは呼べないようだった。
顔を覆い隠していたフードも破れ、今は奴の素顔が月明りのもとに晒されていた。
闇夜から浮かび上がる群青法衣の形相は、まるで幽鬼のよう。ホラーが苦手な人が見れば、悲鳴を上げて失神するレベルで悍ましいものだった。
「やっぱり、欠片を拾いましたか」
奴が鏡の破片に執着せず、そのままその身一つで向かってくるのであれば――まだ隠し玉がある可能性も危惧したのだが、今の奴は追い詰められてなお……鏡の破片を手に持って向かってきている。
つまり……奴にとって、もっとも信頼し、もっとも強力な攻撃方法は――やはりあの鏡を使用した攻撃手段ということに他ならない。
「ガァァァァッ!」
群青法衣は心臓に刺さった氷杭を右手で抜き取り、槍投げのように振りかぶり、わたしに向かって投擲した。
「っ」
左足の踵だけでクルリと回転し、半身で氷杭を避ける。
普段であれば何ということもない回避行動だが、どうやら想像以上にわたしは疲弊しているらしい。膝がやや痙攣し、体勢を整える所作ですら億劫になるほどの虚脱感が全身に圧し掛かってくる。
「まだ……っ、まだよ!」
<身体強化>をフルで使っているはずなのに、疲労感が秒刻みで蓄積されていく感覚。おそらく強化では賄いきれないほどのエネルギーを消費してしまったのだろう。
空に近い燃料タンクに蹴りを入れるようなつもりで己に喝を入れ、わたしは眼前まで接近した群青法衣と向き直る。
「死ネェ――ッ!」
群青法衣は左手にいつの間にか握りしめていた土塊を簡易的なナイフに変え、わたしに向けた鏡の破片の裏側を通して突き刺そうとする。その様子を冷静に見送りつつ、わたしは体内に潜む血液に命令を送った。
「――操血」
機能を停止した左手首の傷口から再び血液を操作し、幾重もの管状の血流が外界へと流れ出る。
鮮やかな鮮血の糸はやがて絡み合うようにして一本に纏まっていき――やがて一振りの刀を模った。
「黒血刀・草光」
世界の終焉を告げる獣の眷属程度ならば、容易に一刀両断を可能とする――操血最強の刀剣。しかし、今のわたしの血液量では十分な黒血刀を形成することは不可能だ。
ゆえに、草光。
全盛期において、少量の血液のみで構成した黒血刀のミニチュア版ともいえる刀剣だ。
使う血が少ないことと、黒血刀よりも形成時間が短いお手軽さから、わたしはこの形態の黒血刀にも名をつけており、黒血刀・草光と呼んでいた。
刃渡りは3分の1程度、強度も100分の1程度の弱い武器だが……今はこれで十分だ。
草光を右手に持ち、わたしはもう一つ――操血によって直径30センチメートルほどの血球を造りだす。
――――ッ……!
膝が折れる。
体力が限界な上に、体中の本来の血をほとんど外部に出してしまった影響か、視界に火花が散ったような感覚と共に全身から力が抜けた。
「くっ…………まだ、って言ってるでしょ!」
意地で踏ん張る。
空回る歯車があるなら、手動でもいいから強引に回せ。
穴が開いて抜ける空気があるなら、抜けた分だけ吹いて入れ直せ。
なんでもいいから、とにかく――全てをやりきるまでは、この身体を無理にでも動かす!
群青法衣のナイフが鏡に触れる瞬間、わたしは血球を平面上に引き伸ばし、簡易的な盾を構築した。最初から盾の形を取らなかったのは、こちらも意図が形状から伝わり、奴が予想外な行動をしないように制限するためだ。
予想通り「わたしが血の盾で防御する」という意図に奴が気づいた時には既に破片にナイフは接触しており、鈍い音を立てて不可視の斬撃を受けた盾は砕け散った。
「ッ…………クッ!」
群青法衣は再び右手を引き、破片にナイフを突き立てようとするが、二撃目を許すほど寝惚けたつもりはない。
わたしの草光の間合いとしては微妙な距離だったが、盾による時間稼ぎのおかげで、奴に接近する隙が生まれた。
もう分析は、この攻守を以って済んだ。
奴の武器は、土を操る能力と、鏡を通して攻撃をする2つのみ。
前者は<身体強化>で、後者は操血で対応できるビジョンは既に用意した。
これを以って漸く――わたしは遠慮なしに接近し、全力で攻撃に移れるというわけだ。
コンニャクのように力が入らなくなってきた足に「最後だから」ともう一頑張りしてもらい、奴が次撃を準備するよりも早く、懐へもぐりこむ。
刹那、時が停まったかのように、わたしたちの視線は交差した。
暗く窪んだ眼窩の奥に光る赤い瞳が、わたしを……まるで未知の化け物を見るかのような目で見降ろした。
「小娘……貴様、ハ…………何者、ナノダ」
「小娘、じゃありません。わたしの名前は、セラフィエル=バーゲンです」
草光の剣先を左後ろに構え、右半身を前に突き出す。所謂――脇構えの型だ。
「セラ、フィエル……カ。ケケッ……俺ヲ、倒シタトコロデ……未来ハ、変ワラナイッテノニナァ……。オ前ガ、ヤッテイルコトハ、無意味、ナンダ……。終焉ノ前デ、矮小ナ人間ガ、足掻イタトコロデ……何モ起コラナイ。キット、後悔スルゼ……今コノ場デ、俺ニ殺サレテイタ方ガ「マシ」ダッタ、ッテナァ」
「――それを決めるのは、わたし自身です。貴方ではありませんよ」
「ケケッ、違ェネェナ」
その言葉を最後に、わたしは草光を振り抜いた。
群青法衣を生け捕りにし、尋問しようだなんてヌルい考えは一切持たない。万が一、群青法衣に雲隠れされ、暗殺に専念でもされたら、さすがにわたしでもどうにもならないからだ。
樹状組織に繋がる重要な手がかりであったとしても、倒せるチャンスが来た時に倒さなくてはいけない、強敵なのだ。
深紅の斬撃が群青法衣の身体を通り過ぎ、ズルリ、と胴がズレていき、彼の上半身は下半身と別れを告げ、路地の地面へと音を立てて落ちていった。
断面から噴出する血は無く、まるで大木でも斬ったかのような感覚だけを右手に残し、わたしは全ての血を体内へと返還していった。
そしてついに力が入らなくなった膝はぐねんと曲がり、その場でぺたりと尻をつけて座り込んでしまった。
「つ、かれた…………」
長いようで短い、グラベルンの夜。
突如始まった死闘が、緩やかに幕を閉じていくのを感じつつ、わたしは変わらずわたしたちを見下ろし続ける月を見上げながら、背中を地面に預け、全身の力を抜いた。