49 グラベルンの死闘 その7
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※すみません、ちょっと長くなってしまいましたm( _ _ )m
わたしの左手首に未知の力場が発生し、強引に手首から先を分断しようとする力が加えられる。ミシミシ、と拮抗する二つの存在がぶつかり合う衝撃に、わたしは歯を食いしばって耐える。
――賭けも同然の試みだった。
下手をすれば、今生でのわたしは最悪この局面を免れても、左手は再起不能に陥っていただろう。……身体の欠損すら修復する恩恵能力なんてものが実在するなら別だけど、まあ、そんな都合のいいものがヒョイヒョイ転がっているとは思えない。
土を自在に操り、鏡を使った特殊攻撃を可能とする群青法衣。
この存在に打ち克つには、今のわたしの魔法や<身体強化>では足りない。魔力が万全のころであれば、無尽蔵の魔法を駆使してどうとでもできただろうけど、この幼い身体と少ない本来の血では、どうにもならない相談だ。
「ぐっ、ぅ――――っ!」
左手首から鮮血が飛び散る。
空を舞った血飛沫は離れた位置の群青法衣の方まで飛んでいき、辺りに赤い染みを作り出していった。
わたしはその行方を目で追いながら、あるモノを確認してから、空中で戸惑うハクアへと視線を向けた。
「――ハクア!」
わたしは無事な右手でハクアを抱きしめ、そのまま着地すると、勢いを殺さないまま、近くの路地裏を目指して駆け抜ける。
「ム、斬リ落トシタ――ト思ッタンダガナ。僅カニ、躱シタカ?」
「はぁっ、っ、…………つぅ……!」
背後で聞こえる声を無視し、わたしは胸元で小さく「グァ」と鳴くハクアを離さないよう強く抱きしめて、とにかく走った。
左手首から滴り落ちる血液が、地面に赤い目印を残していく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
左手首を境に、思わず目を細め、歯を食いしばるほどの激痛が神経を伝って全身の動きを硬直させようとしてくる。それでもわたしは走った。強張った太腿が引きつり、転びそうになるけど、なんとか踏ん張り、走りぬく。
ガンガンと頭痛が鳴り響く中、左目を瞑りながらわたしは聴覚に届く、周囲の喧騒を測る。そしてなるべく群青法衣とわたしとを結ぶ経路に誰かが入り込むようなことが無い――人通りの少ない路地を選んで進んでいった。
しばらく進んだところで、十字に分かれた細い道の左側に入り、わたしはそこで漸く足を止め、狭い路地裏の壁に背中を預け、ズルズルとその場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……ぐ、ぅ……!」
額から流れ落ちる脂汗を右手の袖で拭っていると、胸元のハクアが顔をこちらに向けて、ぎこちなくわたしの頬を舐めてきた。
「ハクア……どうしたの?」
もしかして、あの法衣の攻撃がハクアにも届いていたのかと、わたしは慌ててハクアの身体を右手で擦って確認するが、どこにも目立った外傷はなかった。そのことにホッと安堵の息を吐いた。
むしろ……ちょっと目を離した間に生えてきた、この四枚の蝙蝠のような純白の羽の方が気になる。
「ねぇハクア、この羽はどうした、の…………っ!」
自分の気持ちも落ち着ける意味で、ハクアに何げない会話を向けようとしたが、身体を少し動かしただけで、左手首からの激痛が頭のてっぺんまで通り抜けた。
既に操血で止血はしているものの、手首は皮が裂け、中の筋繊維や神経も大分破損しているようだ。何よりマズイのは、指先の感覚がほとんどなくなっていることだ。完全に神経が途絶えている証拠に目元を歪めつつ、わたしは操血を細いテグスのように駆使して、体内の折れた骨の矯正と血管の修復を行う。
「い、いたたたっ……!」
痛覚は神経が生きている証明だが、悲しいことに手首から上のみにしか感じられない。掌から指先にかけてすべての感覚がシャットアウトされているようだ。
……こりゃ、かなりヤバい……かな。
後悔はしていないが、相手が油断しているうちにもっと別のやりようがあったかもしれない。そういう考えが頭をよぎり、わたしは頭を振って沈む感情を振り払った。
操血で出来ることは、あくまでも内外の止血と血管の再建。あとは血小板に働きかけて、傷口の瘡蓋を高速で作り上げ、小さな傷であればすぐに回復へと促進させることぐらいだ。あとは、血管とは別に操血で糸状を模り、折れた骨の位置を強引に矯正するぐらいだろうか。
――一度死んだ神経や筋繊維まで復元することはできないのだ。
腐らないよう、血を指先の末端まで強引に通わせ、細胞に酸素を受け渡し続けることは可能だ。だからこの左手が徐々に赤黒く変色し、細胞が壊死していくような事態は避けられる。けれども……それと、今後も普段通りに指先を動かせるかどうかは、別の問題になる。
「…………」
ジッと自分の左手首を見ていると、不意にハクアがその傷口を舐め始めた。
「ハクア?」
「グァゥ」
ハクアは一心に創部を舐め、掠れたような声を喉奥から漏らす。
慰めようとしてくれてるのかな、と思って、わたしは汗で張り付く前髪を払いのけ、そのまま右手でハクアの白い鬣を撫でた。
「グァ……」
ふと、スカートに暖かい染みが出来たと思ったら、ハクアが泣いていた。
ポロポロ、と小粒の涙がハクアの目から溢れ出て、わたしのスカートに黒い跡を残していく。
「泣いて……いるの?」
「……グァ」
「別にハクアが悪いわけじゃないんだよ……? ううん、むしろ助けに来てくれて助かったんだよ?」
「グァゥ」
むしろハクアが来てくれなければ、きっとその前にわたしは大怪我を負っていただろう。
ハクアが来てくれたからこそ、群青法衣に隙ができ、こうして窮地を脱することができたのだ。
そういう意味で気に病む必要は無いと伝えたつもりだったのだが、ハクアは小さく首を振って、また泣きながらわたしの左手首を舐め始める。
人語を理解していた節はあったけど、それは今、確信に変わった。この子はわたしたちの交わす言葉を正しく理解していたようだ。そして今、何が起こって、どういう状況になったのかも分かっている。
わたしが傷を負ってしまったことを悔やんでいるんだろうか。それともわたしを守ろうとして、守り切れなかったことを悲しんでいるんだろうか。細かいことは分からないけど、ハクアがわたしのことを心から心配し、わたしのために涙を流してくれていることは重々伝わってきた。
まったく……いつもは素っ気ない態度ばっかり取る癖に、こんな風に心配されちゃったら困るじゃない。
自然と口元に笑みが浮かんでしまい、心なしか痛みも緩和されたような気がした。
「もぅ、普段からそうやって甘えん坊さんでいてもいいんだぞー……」
「グァ」
ハクアの目尻に浮かぶ涙を親指で払いながらそう悪戯っぽく言うと、やっぱりわたしの言葉が通じているようで、ハクアは顔を上げて、少しだけ反論するかのように短く鳴いた。
「ふふっ」
今まで放任主義――というより、フルーダ亭で互いに自由に動いていたためか、あまりこういう間近なやり取りは無かったけど、たまにはこういうのも悪くないかな、とわたしは思わず笑い声をあげてしまう。
――――。
「…………っ!」
来た。
十字路の向こう側、わたしが走ってきた道の先から一つの禍々しい気配を感じる。
予想通り、奴は……付近の家屋を破壊しておびき寄せるのではなく、わたしの後を追ってきた。
ふん、さしづめ手負いの鼠を、余裕顔で追い詰める猫のような気持ちなのかしらね。
窮鼠猫を噛む、って言葉をその身に刻み込んであげるわ……。もっともわたしの場合、噛むだなんて生易しい結果で終わらせるつもりはないけどね!
「…………」
ハクアが首を唸らせ、近づいてくる気配の存在に、鋭い牙を剥きだしにしている。こりゃ、群青法衣の姿を見た途端、すごい勢いで襲い掛かりそうな剣幕だ。でも、ハクアには危険な目にあって欲しくない。そこらの盗賊程度なら心配することもないけど、今回の相手は格が違う。
おそらく……群青法衣に対して有効打を持っているのは、この世界でわたしだけだ。だから、アイツが他の皆を襲わずに、真っ先にわたしに狙いをつけてくれたことは、不幸中の幸い、と言えた。
――あの法衣は、この左手の借りも含めて、わたしが倒す。
「ハクア……ここは堪えて。アイツは……わたしが倒すから」
「グァ……」
小声でそう伝えると、ハクアは何度か瞬きをしながら、再び見上げてくる。そんなハクアの顎下を右手で撫でながら「大丈夫だよ」と、優しく声をかけた。
「もう大丈夫……突破口は、見えたから」
「……」
ジィッと数秒間、ハクアはわたしの顔を見つめた後、するりとわたしの上から身体を退かし、路地のやや奥側の木箱の影で、足を畳んで座った。どうやらわたしを信頼してくれるみたいだ。
「ありがと」
最後にもう一度、頭を撫でてあげると、ハクアは安心したかのように地面に顎をつけ、無意識に強張っていた全身の力を抜いたように目を細めた。その様子に一つ頷き、わたしは路地の出口付近まで移動する。
鼓動よりも間隔の短い、断続的な痛みが左側からせり上がってくる。その雑音に乱されて、ことを仕損じぬよう、わたしは奥歯を強く噛みしめ、意識を集中した。
――もうだいぶ近い場所まで、気配が近づいている。
奴は道中に幾つも横道があったというのに、迷わずこちらに近づいてきているようだ。それはそうだ。群青法衣は目印を追って、悠々と追いかけてきているのだから。そして、目印があるからこそ、最初に身を隠そうとしたときのように、建物を破壊しておびき出すような選択肢を取らなかった。
魔力を集約させ、わたしは認識阻害の魔法を発動させる。
周囲の背景に溶け込み、透明人間になったかのように、わたしの姿は消えていく。
長くは持たない。魔力の消費が激しい持続型の魔法は、常時魔力を発動させる上に、この魔法は集中力を要する。魔力的な意味でも、精神的な意味でも……せいぜい持って2分程度。
「……」
痛みを押し殺し、気配を消す。
やがて、路地の向こうの気配が近づいてきて――群青法衣が姿を見せた。
しかし奴は地面を確認する素振りを見せると、くるりと、わたしとは逆方向へと体の向きを変え、反対側の路地を覗きこんだ。
「ケケ……血痕ハココマデ、ノヨウダナ。ソロソロ観念シテ、出テキタラ、ドウダ?」
まんまとわたしが残した――偽装した血痕を辿り、奴はわたしが反対の路地に潜んでいると踏んで、誰もいない路地に向かって勝者の余裕を振りまいている。さすがにわたしが止血や流血をも自在にし、あえて血痕による誘導をかけているとは考えなかったようだ。
「既ニ致死量ノ出血ノハズダ。今、大人シク姿ヲ見セルナラバ、一思イニ殺シテ、ヤッテモイイゾ。ケケ、ケケケ……」
悍ましい笑い声を聞き流しつつ、わたしは初めて群青法衣の後ろを取った。
認識阻害を纏ったまま、鏡の裏側を覗き見て――わたしは思わず目を見張った。
「……!」
マ、マジックミラー!?
鏡の裏側はガラス張りのようになっていて、群青法衣の視線の先の路地が透けて見えていた。間違いない……片面が硝子で片面が鏡の、所謂マジックミラーなるものだった。
まさか文明レベル的には中世に近いヴァルファラン王国で、こんな代物を見ることになるとは思っていなかった。誰が作ったのか分からないけど、おかげで……奴の攻撃のカラクリが読めた気がした。
なるほど……相手の攻撃を反射する際は正面の鏡面を、自身の攻撃を相手に行う際は裏のガラス面を使っていたってわけね。それなら奴が攻撃の際に鏡面に対して何のアクションもしなかった理由が分かる。群青法衣はずっと、このガラス面の向こうに映る相手をナイフなり素手で攻撃をしかけていたのだ。
最初、不可視の力に捕まれた際も……おそらくこのガラス面越しに手を突っ込み、わたしを文字通り掴んだんじゃないかと思う。距離が遠ければ遠い分、わたしの姿は小さくなるわけだから、奴の能力がこのマジックミラーに映るモノに干渉できるものだというならば、手で掴むことも容易だろう。もちろん、手で払うように吹き飛ばすことも。
「マサカ……」
不意に……声の質が変わり、わたしはハッとした。
奴の能力の謎を解くことばかりに思考が偏ってしまった所為か、我に返った時には既に遅く。わたしは荒い息を吐いている自分の姿に漸く気づけた。ぜぇ、ぜぇ……と漏れる呼吸音は、これだけ距離が詰まった状態の群青法衣にも、しかと届いていたようだ。
「……オ前ハ、姿ヲ隠スコトマデ、デキルノカ。驚イタナ……」
ゆったりと反転し、認識阻害をかけたわたしの方へと向き直る群青法衣。間近から見下ろすその姿は、まさに死神に相応しい形相であった。
「……」
わたしは大きく息を吐き、右手を払って認識阻害を解く。
本当は奇襲をかけてから解く予定だったけど、仕方がない。
「フン、マダ……ソンナ目ヲ、俺ニ向ケルノカ」
やれやれ、と肩を竦め、群青法衣は鏡面をこちらに向ける。距離が近いため、ほぼ等身大に近いわたしの顔が鏡に映る。
……酷い顔だなぁ。
篝火も無い細い網目模様の路地。光源は月の明かりだけのため、顔色がどうなっているかは分からないけど、大量の汗を流し、気怠そうに眼を座らせた姿は病人のそれだった。
わたしは最後に鏡面の右下に視線を這わせ、顔を上げた。
「オ前ノ能力ハ、不透明ナ点ガ多イナ。姿ヲ消サレテ、逃ゲラレルノハ、厄介ダ。残念ダガ……ココデ死ンデモラウコトトシヨウ」
「…………そう、ですか。でもそれは、きっと実現できないでしょうね」
「ナニ?」
わたしは大量の血が滴り落ちる左手首を抑えながら、口の端を上げた。
「貴方はわたしのことを『愚か』だと評しましたけど、わたしからすれば、自分の能力を過信している――貴方の方が『愚か』だと、言いたいですね」
「……何ヲ」
「その鏡」
「……」
「……きっと貴方がその鏡を手にしている以上――鏡面に触れるもの全てが反射されるんでしょうね」
「……ソノ通リダ。ダガ、ソンナモノハ、改メテ聞クマデモナク、分カッテイタコトダロウ?」
「えぇ、身を以って知りましたからね……」
「――……時間稼ギノ、ツモリカ? 下ラナイコトヲ。コレ以上、無意味ナ話ニ耳ヲ傾ケルツモリハナイ」
きっとわたしがどうでもいい話で時間を稼ぎ、何かを企んでいると思ったのだろう。群青法衣は会話を切って、右手に持つナイフを構えた。ガラス越しに見えるわたしに突き立てるつもりなんだろう。
やってみるといい。
既にわたしの方は――準備は完了している。
わたしは残り僅かな魔力を制御し、肩よりやや上空に、5本の太い氷の杭を作り出した。土製は相手の能力によって無効化される可能性が高いから、ここは氷製を選択する。
その様子を静かに見ていた群青法衣は、ククッと肩を震わせて笑い出した。
「ケケッ……オイオイ、血迷ッタカ? ソレトモ血ヲ失イスギテ、正常ナ判断ガ出来ナクナッタカ? ソンナ攻撃ハ、俺ニ届カナイゾ。アァ、ソウカ。マタ風デモ使ッテ、射線ヲ変エ、意表デモ突クツモリカ? ――無駄ナコトダ」
まあ、そうだろうね。
仮に風で射線を変えたところで、奴の土を操る能力で壁を作られ、それに阻まれるのがオチだ。もっともそんな作戦、わたしの頭の中には無いけどね。
「…………」
右手を頭上に上げ、わたしは無言で振り下ろした。
同時に、5本の氷杭は勢いよく一直線に群青法衣の持つ鏡面へと向かっていく。
「ソウカッ、ワカッタゾ! 俺ニ殺サレルノガ嫌デ、自害ヲ望ンダカ――」
「はいはい、そんなことより手元を見た方がいいですよー」
「――ハァ?」
だからさっき言ったじゃない。
――自分の能力を過信している、って。
絶対的な自信があるから、確認を怠る。鏡面に触れた存在は、例外なく反射される。それが群青法衣の中の揺るがない前提条件。故にその前提条件が崩れた時のことを想定できないのだ。
わたしの軽い口調に誘われるがまま、群青法衣は手元の鏡を覗きこみ…………フードで隠れている状態でも分かるほど、狼狽した。
「ナ、ナンダァ、コレハァ!?」
真っ赤に染まった鏡面にようやく気付いた群青法衣は狼狽えるばかりで、眼前まで接近した氷杭の存在すらも頭の中からすっ飛んだようだ。
そして何も映さない鏡に5本の氷杭の尖端が接触し、激しい音を立てて奴の最大の武器である、姿見は粉々に砕け散った。
同時に――その真後ろにいた群青法衣をも氷杭は貫き、その衝撃を受けた奴は数秒前までの余裕面が嘘のような表情を浮かべながら、後方の路地へと転がっていった。
赤く染まったガラス片を見送りながら、わたしは大きく息を吐いた。
そしてだらんとした左手を前に向けると、手首の傷口に向かって鏡面を染めた血液たちが重力に逆らって戻ってくる。
「少しでも……」
路地の暗がりに倒れ込む法衣に向かって、わたしは言葉を投げかける。
「少しでも、自分の能力が破られる可能性を考慮していれば……気づけたかもしれませんね」
左手首を斬られた時。
わたしは操血で操作できる全ての血を左手首に集結させ、可能な限り、最大限まで硬化させた。
魔法や<身体強化>は汎用性が高く便利だけど、特異性という点においては、世界の法則に従った能力の一つでしかない。
でもわたしの本来の血――操血は違う。
ただ血を操るのではなく、この血は世界という概念をも超え、転生を可能とする世界の外枠に位置する能力だ。だからこそ、わたしはあの窮地で賭けに出た。もしかしたら、わたしの血ならば、奴の超常的な能力に拮抗できるんじゃないか、って。
結果は力負けしたものの、不可視の攻撃に対して一定の抵抗が得られた。つまりそれは……わたしの血が奴の能力に干渉できる証明でもあるわけだ。
賭けが外れていたら、間違いなく手首から先とお別れしていただろうから、もう二度とやりたくないけどね。
そして、更なる確信を得るために、わたしはあえて血飛沫を派手に上げて、群青法衣の手元の鏡に血が付着するかどうかを見た。鏡面右下の目立たない場所に飛ばした血は――期待通り、反射されることなく、表面に付着した。
そこまで確認ができれば……あとはハクアを安全に匿ってから、操血で奴の鏡を無効化し、残った魔力で攻撃を叩きこむだけ、というシナリオなわけだ。
「代償は……高くついたけど」
再び傷口を塞いだ左手首を抑えながら、わたしは近くの壁に背中を預け、ふぅと肺に溜まった空気を吐き出した。
「ま、なんとかなった……ってとこかな」
わたしの苦労なんて知ったことかと、変わらぬ光を地上に放つ月を見上げながら、ようやく……人心地ついた気がした。
――旅に出て一日目からこれって……幸先不安ってレベルじゃないよ。わたしの悪運って、どうなってるのさ……。あぁもう……泣きたい気分。