32 白昼夢とぬくもり。そして東への出立
異端の雀(旧暁のモアイ)さん、レビューありがとうございました!(*'ω'*)
そしてたくさんのブックマークとご評価、本当に感謝です♪(*´▽`*)
仕事が雨あられと振ってくる昨今ですが、お陰様で踏ん張りきれそうです♪(*''▽'')
いつもお読みくださり、ありがとうございます!
「セラフィエルちゃん?」
「っ!」
パンクの気遣いの籠った声に、わたしは一瞬にして現実に意識を引き戻された。
慌てて顔を上げると、パンクとタクロウがこちらの顔色を窺うようにして見ていた。特に――タクロウは、わたしの心の裏にある心理状態を射抜こうとするかのような、探る視線も混じっている。
……ここは一旦、冷静にならないと。
「大丈夫かい? 急に黙ってしまったけど、どこか具合でも悪くなった?」
「いえ……大丈夫です。買い忘れがあったような気がして、ちょっと考えこんじゃっただけなので」
あはは、と笑うと、人の良いパンクは安堵したかのように息を吐く。
「――セラフィエル様、本当にお加減に問題はないのですか?」
こっちは流石レジストンの部下というか、簡単には流してくれ無さそうだ。
「大丈夫ですよ。どこか具合が悪そうに見えますか?」
「…………いえ」
可能な限り不自然のないよう、いつも通りの態度で返事をする。タクロウは僅かに眉を動かしたが、それ以上言及せずに一歩引いてくれた。
「うん、割符も問題ないね。それじゃ馬車の準備を厩舎前にしておくから、準備が済んだらまたおいでよ」
「はい、ありがとうございます」
割符の欠損や真贋の確認をしていたパンクが一つ頷いて、そう声をかけてくれた。今は微妙な空気のまま待機しているより、こうして事務的な話をしている方が幾分気が楽だ。わたしは話が逸れたことに内心ホッとしつつ、パンクの言葉に微笑を浮かべながら答える。
その後、パンクと幾つか馬車について確認事項を交わし、わたしとタクロウは厩舎前で彼に別れを告げ、そのままフルーダ亭へと足を向ける。
道中、行きと同じはずの無言の空気は、どこか雰囲気が違うように感じた。それはきっとわたしの心情一つで変わる程度の違いなのだろう。荷物は全て馬車に置き、手ぶらになって身軽になったはずなのに、どこか身体が――いや、心が重かった。
第一内壁門を通り抜け、道行く人を気分転換代わりに眺めるも、やはり思考はぐるぐると元の位置へと戻ろうとする。
「……」
無駄に巡る思考を邪魔するようなものはないかと大通りに視界を這わせていると、仲の良さそうな姉妹がわたしの横を通り過ぎるのが見えた。
手を繋ぎ、妹は姉を見上げ、満面の笑みで何かを楽しそうに語る。姉は妹の一生懸命紡ぐ言葉に一つ一つ頷きながら、優しい顔をしていた。
「っ!」
不意に視界にノイズが走り、ぼやけた白黒の映像の中に――――――一人の少女を視た。
知らない。
この子は…………誰?
わたしの記憶には刻まれていないはずの、誰かの姿。でも確かに――その記憶の残滓がこの身に残っているのを感じた。矛盾している。箱の中に何も入っていないことを知っているのに、箱の中に何かがあると確信しているような――自己矛盾。
言うなれば――記憶という名の欠片があるとして、その欠片の存在を知っているのに、わたしはそれを拾い上げることができない。そんなもどかしさに似た感覚だ。
『姉さんは……――がいい』
わたしの声を俯瞰的に聞いているような錯覚に陥る。しかしその声に抑揚はなく、淡々と言葉を発しているように感じた。良く言えば冷静、悪く言えば無感情のような声だ。視界は主観であるというのに、他人事のように思える異様な感覚だ。
『――よ! ――ちゃんは、お姉ちゃんが――――から!』
正面にいる見知らぬ少女は泣いていた。
彼女は泣きながら、抑揚の無い子に抱き着いていた。何故だろうか――この感覚だけは、この抱き着かれた温かみだけは、わたしも共感できるような気がした。
わたしより少しだけ年上の少女は、わたしの髪を優しく撫で……しかし肩を震わせながら、言葉を吐き出している。
聞こえない。
まるで分厚い耳栓でもされたかのように、その言葉は聞き取れなかった。
ただ一つだけ、言葉は分からずとも、その口調から理解できたのは――深い愛情、であった。
抑揚の無い子は泣かなかった。眼の奥から滲み上がる涙をこらえ、あたかも何事も無かったかのように振る舞おうと――それこそが、目の前の少女のためになるのだと、信じて――。
しかし、わたしはその何重にも閉めた蓋の中の感情の奔流を直に感じ取ってしまい、思わず……目尻から温かい涙が漏れ始めていた。
――なんなの、これ。
悪態をつくも、誰も答えは返してくれない。
「セラフィエル様!?」
驚きに満ちたタクロウの声が鼓膜を震わせ、その衝撃でようやく――わたしの視界に色が戻ってくる。
「ぅ……ぇ?」
気付けば――わたしは大通りの途中でへたり込んでおり、情けなくも両目から溢れ出る涙を袖で拭っていた。
いつ膝を曲げ、尻を地面に着いたのかも分からない。ただただ悲しくて、切なくて――わたしは嗚咽を漏らしながら泣いていた。
「やはりどこか体調が悪かったのでは……」
小さな子の相手に慣れていないのか、タクロウは必死に思考を走らせながらも、困ったように眉を下げながら、綺麗に畳まれた手巾で、わたしの頬を止めどなく流れる涙を拭ってくれる。
「あ、……す、すみません……」
「いえ、具合が悪ければ遠慮なく言ってください。こうして――急に倒れられる方が心臓に悪いです」
タクロウは周囲の一目が集まってきたことを察し、まだ滲み出る涙を拭いきることを諦め、わたしをその広い背中で背負った。
「あ、あのっ……だ、大丈夫なのでっ!」
その辺りでわたしの理性もやっと稼働し始め、慌てて彼の背中から降りようとするが――タクロウは強引にわたしを背負い直し、そのまま無言で帰路を歩き始めた。
「…………」
「…………」
わたしはそれ以上「大丈夫です」とは言えず、気まずい思いを抱きつつも、仕方なく彼の背中に体重を預けることにした。
何だか子供になった気分だ。いやまぁ……正真正銘、子供なんだけどさ。
さすがにこのままフルーダ亭の敷居を跨ぐのは恥ずかしいので、近づいてきたら降ろしてもらえるよう、タクロウにお願いしてみよう。
それまでは――このまま背負われるがままでいよう。わたしは力強さを感じる背中に頬をつけ、少しだけ甘えるように目を細めた。
どうやらさっきの白昼夢に近い映像から逆流してきた感情は、わたしの心を予想以上に弱くさせていたようだった。
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フルーダ亭が近くなってきたので、タクロウに正直に「恥ずかしいので……」と言って降ろしてくれるようお願いしたら、ようやく彼はため息を吐きつつ「もう無理はしないでくださいね」と念を押して降ろしてくれた。
タクロウの表情の強張りがやや解けていることに、わたしは安堵を覚えつつ、ここまで運んできてくれた礼を言った。
「ただいまー……」
少しだけ怠くなった心をそのまま象徴するかのように、間延びした声を出しながらわたしはフルーダ亭の扉を開く。
「おかえりなさいませ」
そして――丁重に頭を下げてくるクルルの姿。
あぁ、ここにも真面目人間というか……融通が利かないお人がいましたね。
そんなことを遠い目で考えつつ、わたしは苦笑を浮かべながら「は、はい」と答えた。
店内を見渡すと、既に今日行動を共にする仲間の姿が揃っていた。
まず正面のクルル。背後で気配を消しているタクロウに、侍女姿なのに何故か椅子に座って優雅にティーカップを傾けているメリア。そして壁際に背中を預けているヒヨヒヨとマクラーズだ。
ヒヨヒヨとマクラーズは、追加要員として急遽参加することになった。
彼らは直近まで別の任務に就いていたらしいのだけれど、それが昨日の夜にちょうど終わったらしく、それならとレジストンが「休暇だと思って旅行を楽しんできなよ」とわたしの旅の同行に強引に名を連ねさせたそうだ。
ヒヨヒヨは賛成だったようだけど、最近腰に来ているオッサンであるマクラーズは「勘弁してくれよ……」とげんなりした様子だったらしい。まぁ……明らかに休暇ではないので、気持ちは分かる。
本当はディオネたち『森獅狩人』にも依頼をお願いしたかったらしいのだが、こちらは都合が合わず断念したようだ。
そういうわけで、レジストンの依頼票に合った『依頼人数:5人』の通り、わたしを含めた5名が今回の旅の面子ということになる。あ、ハクアはペット枠ね。
「おぅ、準備は済んだのか?」
厨房からクラッツェードが姿を見せ、声をかけてくれる。彼の気安さが今のわたしにとっては清涼剤だ。思わず頬を緩めさせて、わたしは「はい」と頷いた。
「そうか……ん? お前、目が赤いけど、なんかあったか?」
「え!? あー、いやぁ……花粉症、かなぁ」
「かふんしょう? なんだそりゃ?」
「あ、いや、ええっと……ちょっと目が痒くて擦っただけなので、気にしないでください!」
「……そうか? あぁ、そうだ。そういう症状に利く薬が地下の倉庫にあったんだ。持ってきてやるから、ちょっと待ってろ」
「え、は、はぃ」
本当は泣いたがために赤くなってしまっただけなんだろうけど、そこでぶっきらぼうながらに気遣いを見せるクラッツェードって、本当に面倒見がいいね! そういうとこ、わたしは大好きだよ!
面倒くさそうに、いそいそと地下へと背中を消していくクラッツェードを見送ると、入れ替わるようにして――プラムが近づいてきた。
「セラちゃん!」
「――……プラムお姉ちゃん」
胸元に両手を合わせ、ぐっと涙をこらえた表情で彼女はぐんぐんと近づき、わたしを両手で抱きしめた。
――その感触と温かさに、僅かながら先ほどの映像がフラッシュバックする。
わたしは込み上げる感情を押さえつけ、プラムの肩に顎を乗せ、彼女の温度を受け止めた。
「うぅ……お姉ちゃん、心配だよぅ……! セラちゃん、まだこんなにちっちゃいのに……遠い場所に行っちゃうなんてぇ……」
「だ、大丈夫だよ。ほら、わたしってこう見えて強いんだし……クラウンなんだよ?」
「そうだけど……そうだけどぉ~……」
ずび、と鼻水を啜る音が耳元で聞こえる。
もう、本当にこのお姉ちゃんは……とわたしは思わず笑ってしまった。
「なんで笑うのー? 私はこんなに心配してるのにぃー……」
「ううん……やっぱり、プラムお姉ちゃんはプラムお姉ちゃんだなぁって思って……」
「?」
首を傾げたのだろうか、彼女の亜麻色の髪がくすぐるように頬を撫でた。
そうだ。
疑問が出ようと、秘密があろうと、隠し事があろうと――……彼女が放つこの温かさは本物なのだ。直に触れ、直に感じ取ったわたしがそう思うのだから、間違いない。
だったら――それでいいじゃないか。
わたしはプラムを抱き返し、そっと目を閉じた。
「セラちゃん?」
何を心配していたのだろうか、わたしは。
確かに彼女の過去の言動には不可解な点があったし、そもそも彼女の古傷を抉りたくない一心から、わたしはまだ彼女の住んでいた村に何があったのか――その村の所在すらも聞いたことはない。
けれども、こうしてわたしという一個人を心配し、家族のように大事にする心は偽りではない――そう思えるほど、彼女の愛情は純粋だと言い切れる。
――それで十分だ。
それ以前に、わたしだって隠し事のオンパレード状態だしね。わたしの操血や転生能力を聞かせたら、彼女の抱える秘密なんて吹っ飛ぶくらいの衝撃を与える自信がある。いや……もしかしたら魔法の時みたく「セラちゃんは凄いんだねぇ」の感想だけで終っちゃうかもだけど……それはそれで彼女らしくて微笑ましい。
うん、プラムと直接会って、一瞬でも疑念に押し潰されそうになったのがアホらしくなってきた。
「行ってくるね……プラムお姉ちゃん。大丈夫――わたしはちゃんと……帰ってくるから」
「――――」
わたしの言葉にプラムはビクリと肩を揺らした。
言葉は無い。
代わりに彼女の抱きしめる力が増したような気がした。
そして――本当に僅かな……<身体強化>で強化されてなければ聞き逃してしまうレベルの小さな声で……プラムは呟いた。
「……約束だよ? もう私は失うのは嫌だから……」
「……うん」
何を、とは問わない。
それはわたしが聞きだすのではなく、いつの日か、彼女自身がわたしに話したいと思った時に聞くべき内容なのだから。もしその時が来たら……わたしも話そう。この身に抱える秘密の全てを。
疑問が晴れたわけではないが、指針は定まった。
わたしは待つ。疑うのではなく、信じて待つのだ。いつしか彼女が真実を口にするその日を。そして仮にその日が来なかったとしても、わたしが彼女を信じていれば問題はない。重要なのはわたしたちの間にある絆が正しく在るかどうかであって、過程や事情は二の次なのだ。わたしとプラムが抱きしめ合って、そこに安堵を覚えるのであれば――きっと絆は正しくそこに存在するのであろう。だから、焦らず待つ。それでいいのだと思える。
やがて拘束が解かれ、肩に手を置かれた状態でわたしたちは向き合った。
「行ってらっしゃい、セラちゃん」
「行ってきます、プラムお姉ちゃん」
わたしたちは挨拶を交わし、互いに笑い合う。
わたしはプラムから離れ、グラム伯爵から戴いたコートを着込む。ちょうどクラッツェードが戻ってきたので、持ってきてもらった薬を麻袋に詰め、お礼を言う。
いつの間にか店内まで移動してきたハクアが天井からわたしの右肩に器用に降り立ち、短く「グァ」と鳴いた。
わたしは店内にいる全員を見渡し、
「それでは――行きましょう」
と、出発の合図を上げたのであった。