11 プラム=パトフィリア
御者台での小さな諍いも、ベルスターの必死の謝罪によって収まり、今では再び落ち着いた馬車道中へと戻ってしまった。
脳筋とベルスターとの会話をさりげなく聞いていて得た情報と言えば、脳筋の名前がサイモン、ということぐらいだった。
せめてこれから向かう場所の名前や、わたしたちの今後の処遇などを漏らせば良かったのに、結局はどうでもいい情報(サイモンの名前)しか耳に届かなかったため、非常に残念だった。まったく使えない連中だよ!
あとは確定情報ではないが、会話の主導権や雰囲気から察するに、サイモンよりもベルスターの方が身分が上のように感じる。
仲間というより……雇い主と傭兵、みたいな関係だろうか。
ベルスターは腰を低く見せているので、彼の方が弱い立場のように見える。
現にサイモンが肩を大きく揺らしたり、汚い言葉を彼に向けたりしているので、そう見える者の方が多いだろう。だが、わたしからすれば、サイモンの方は口調で見栄を張っていても、結局、それだけに見えたのだ。
要は、最終的に強く出られない、という関係に見えた。
つまりサイモンは雇われ人、もしくはベルスターが絡む事業の駒の一つであり、なんだかんだと言いつつ、ベルスターに被害がでるような真似まではできないのではないか、と考えている。
サイモン一人で、馬車に運び込まれている武器やわたしたちを上手く売り切れるかと言われれば、無理っぽそうだし。むしろサイモン一人ならどうせ無計画だろうから、馬車から降ろされるタイミングで金的を思いっきり蹴り上げ、ダメージを受けている最中に少女全員で馬に向かって彼を体当たりで押し出せば、あとは馬とサイモンの共演が開幕して、その間に逃げられそうだ。
無計画、と評した理由は、わたしたちを降ろす際に仲間を配置せずに一人でやろうとしそうだ、と思えたからだ。明らかにわたしたちを侮っているため、彼だけなら絶対にそうしそうな確信がある。
しかしベルスターは一見、気弱そうに見えるが、必要最低限なことには頭が回りそうな印象だ。檻から出す、という最大の逃げるチャンス時に何の手も打たない、だなんてリスクはさすがに犯さないだろう。
とはいえ、まあ戦場近くで戦利品を漁りに来ている時点で、どっちも下っ端の可能性は高い。
どんぐりの背比べを推し量ったところで、あまり意味がないかもしれないが、もし何かあって、彼らのうちどちらにつくか、みたいな展開になった際に、有利な方へと状況を操作できるよう、こういう思考も必要なことだろう。
「あの……」
遠慮がちに声をかけてきたのは、相変わらずわたしを抱き枕にしている亜麻色髪の少女だ。
「なぁに、お姉ちゃん」
「えっとね……お名前を、聞いてもいい?」
戸惑いがちに尋ねられ、わたしはどうしたものか、と少し悩む。
名前を知る、という行為は互いの関係を深くする儀式のようなものだ。
わたしは今、可能な範囲でこの子たちを守られれば、とは考えているが、あくまでも可能な範囲の中だけだ。おそらく馬車の行きつく先にたどり着けば、わたしたちは分断されることだろう。そしてどんな仕打ちが待っているのか、想像もしたくない。
そんな未来があるというのに、名前を知る者が共にいたらどうなるか?
言うまでもなく、わたしはその存在が頭から離れなくなり、迷いや後悔などの歓迎したくない思考が混ざってくるだろう。わたし一人なら計算が立つことも、他の子のことも考えると急に難攻するかもしれない。つまり、わたしの動きを制限する枷になるのだ。
完璧な自己保身の考えなわけなんだけど……共倒れになるような未来は避けたい。
わたしは視線を彼女と交差させる。
彼女はわたしを見た目通りの子供だと思っているようで、安心させるように微笑みを浮かべてはいるものの、やはり無理をしているようで……隠しきれない疲労の断片が表情の節々から見えていた。
――それでも、彼女はわたしを未だ気遣っている。
幼いわたしが――まさにわたしとしていることと同じように――一緒にいて近くにいる時だけでも庇えるようにと、彼女自身も幼いというのに必死にお姉ちゃん然としている。
そんな子が名前を聞いている。
それを無視できるほど、わたしは冷血な人間ではないのだ。
だから教えることにした。
「わたしは……セラフィエル。セラフィエル=バーゲンです」
名前を教えてくれたことに、彼女は一瞬だけパッと笑顔になり、それがお姉ちゃんらしくないとでも感じたのか、すぐに大人しい笑みに切り替えて自分の名前も告げてくれた。
「ありがと。私はね、プラム=パトフィリアっていうの。プラム、って呼んでね」
「はい、わたしのことはセラと呼んでください」
「うん、よろしくね、セラちゃん」
プラムはホッとしたように顔を緩ませ、わたしの頭をなでる。
さっきからそうだったが、わたしぐらいの年齢の子にはそうするのが当たり前、という無意識があるかのような行為に、わたしぐらいの年齢の妹か知人がいる可能性はぐんと増した気がした。
撫でられるのは嫌いじゃないが、いかんせん、環境が良くない。
ほら、サイモンがこちらをチラチラと見ている気配を感じる。
あいつ、戦い専門と宣伝しているような外見のくせして気配を隠す術を知らんのか。
無遠慮に飛んでくる視線に辟易としてくる。
「セラちゃんは……私たちの村には住んでなかったよね?」
「ええと……ごめんなさい。わたし、少し前までの記憶がなくて……どうしてこんな場所にいるのかも分からないの……」
出身を聞かれた際の常套句がわたしの口から滑らかに出ていく。
さすがに三度目だからね。
相手の良心につけこむような言い訳でもあるから、ちょっと心苦しいけれど……正直に「実は転生しちゃったのよ。だから出身地はないわ。言うなれば前世?」と言えるはずもないので、仕方ない事だと割り切っている。
プラムも「そう……」と申し訳なさそうに呟くあたり、わたしのことを不憫に思っているのだろう。
このままどんよりとするのも嫌なので、話題を変えるついでに疑問に思っていたことを聞いてみる。
「プラムお姉ちゃんは……どうしてわたしに優しいの?」
「え?」
「わたしたち、知り合いだった?」
そんなはずがないことは知っているが、これは相手が喋りやすくするための誘導だ。
15歳ぐらいの少女に一体何をしているのかと言われても仕方ないが、今は少しでも情報が欲しい。
名前を教えた時点でわたしがこの子を打算で切り捨てづらくなったのは確定事項だ。
だったら逆に馬車で移動している最中に色々と聞いてやろうと、わたしは意気込んだ。
仮にそれでさらに情が深まろうと知ったことか。
こうなったら彼女が逃げられるチャンスを作るまで責任をもってやるわ!
「ううん……違うの。…………うん、そうね、ごめんね、セラちゃん」
何に対しての謝罪だろうか。
その理由はすぐに彼女の口から出ず、代わりに嗚咽となって続けられた。
「ごめん、……ごめん、ねぇ…………」
何か辛いことを思い出したのだろうか。
現状も十分に辛いはずだが、それを上回る――感情が振り切れるほどの何か。
ポロポロと小粒の涙が、見上げているわたしの頬を濡らしていく。
「……」
わたしは何となく察した。
子供であるわたしへの態度、接し方。そして、わたしとの関係性を聞いてからの心の揺れ。
きっと――亡くしたのだろう。
戦場に近く、それに巻き込まれたからこそ、彼女は今、この馬車の中にいる。
となれば、彼女の住んでいた村は?
彼女の家は?
彼女の家族は?
上手く逃げただろうか、それとも隠れられただろうか。
しかし結果が不透明ならば彼女は僅かに残る希望に縋って、ここまで泣き出したりはしないだろう。
つまり……プラムはその目で、大切な者の最期の瞬間を見てしまったのかもしれない。
必死に抑えていたのだろう感情の激流が氾濫し、彼女はわたしを強く抱き寄せて、声を上げて泣き始めた。
今まで堪えていたのは、彼女なりの抵抗の印だったのか、それとも目立つ行為をすれば殺されると思っていたのか。どちらにせよ、彼女の大切な人を彷彿とさせるわたしという存在が、彼女の我慢という堤防を壊してしまったようだ。
わたしは成すがままに、小さな手で彼女を抱き返した。
彼女のトラウマが少しでも癒されるように……。
気付けば、プラムの泣き声に引っ張られたのか、他の少女たちも小さく泣き始めてしまった。
……きっと、彼女の言葉から色々なものを思い出してしまったのだろう。
檻の中は悲哀で満ち、少女たちのすすり泣く声だけが流れていった。
サイモンが苛立った声で「チッ、うるせえぞ!」と怒鳴りつけてきたが、一度流れ始めた感情の奔流はそんな程度の言葉でせき止められるものではない。
「だいじょうぶ」
「ひっく……、ぇ……?」
誰もが涙を流す中、わたしだけがハッキリとした口調でプラムに告げた。
「だいじょうぶだよ……わたしが何とかするから、頑張ろう?」
それはきっと――プラムにとって根拠のない慰みに聞こえたのだろう。
実際、誰が聞いてもそうとしか聞こえない。小さな子供が必死に選んだ、気遣いの言葉。そうとしかとらえられないだろう。
だからプラムは自分よりも年下のわたしに気を遣わせたことを悔やんだのか、可愛い顔をくしゃっと歪ませて、また新たな涙を流してしまった。
――――大丈夫。
こう見えて、わたし単純だから。
目に見えないところまで手が届くほど万能ではないし、全ての人を救おうだなんて分不相応なことを考えるほど聖者でもない。
見える範囲でいいんだ。
シンプルに、目の前の助けたい人がいれば助ける。
ぶん殴りたい馬鹿がいれば、ぶん殴る。
いつだって、わたしの根っこの部分は――そんな短絡的なものだ。
時代によって、義賊、魔法研究科、女王と色んな皮を被り、都度……態度も変えてきたけれど、根幹となるその部分は変わることはない。
そんな直情的な性格だから、いずれの人生でも調子に乗って操血や魔法を思想のまま使い、恐れられ、わたしは討伐された。
前世はまぁちょっと異なる最期を迎えたけど、魔法を極めたと評されるようになってからの畏怖が原因で女王の一人の座に括りつけられた経緯を考えれば、あの異形が現れずとも遠からず他の人生と同じ最期を迎えていたかもしれない。あの世界の人間同士の戦争が終わったと同時に、不要と切り捨てられた可能性が高いだろう。
視野が狭いだの、未来を見越していないだの、身勝手なエゴだのと好き勝手言われてきたが、そんな不特定多数の人間に関することは治世に長けた連中がやればいい。
助けるなら最後まで面倒を見る覚悟でやれ、とかまま言われるが、わたしは手助けとはあくまで選択肢の一つだと思っている。
選択肢を与える、なんて言ってしまうと偉そうに聞こえてしまうが、偉いかどうかは置いておいても、人の身を超えた存在がわたしであるのは違いない。
仮に絶対的な死から免れない存在がいたとして、わたしがそれを助けたとする。
助けられたことにより、意地でも生き抜くか、そのまま気力もなく朽ち果てるかはその人次第。
その人がその先も元気よく生きていけるようアフターフォローまでやれってのは、あまりにもご都合すぎやしないかっていうのが――わたしの考え。
助けてほしくなかった、というならそのまま死ねばいい。
助かりたいなら、きっかけさえあれば自力でも頑張るだろう。
わたしはそのきっかけであり、それ以下でもそれ以上でもない、というわけだ。
まあ、一言で言えば、助けたい人を助けるとわたしの気分がいい。
ただそれだけの、まさしく他者から言われた通りのエゴなわけだが。
もう200年以上も通してしまった凝り固まった、わたしの性質だ。
身勝手だ何だと罵られようとも、今更変えろと言われても、無理な話だ。
だから、わたしは今回もやれることをやろう、と決めた。
この虚弱な体ではたかが知れているが、一応、算段はある。
――が……あまりにもタイミングがシビアだ。
そもそもそのタイミングがあるかどうかも分からない。
最悪、自分を囮にする結果になりかねないが……さて、どうするかな。
そうしているうちに、馬車が速度を緩め、停車した。
破れた幌の先を見ると、まだ立ち並ぶ木々が見えた。
反対側は分からないが、人里……というわけでもなさそうだ。
何か障害でも発生したか、それとも計算通り、ここで止まる予定だったか。
プラムを含めた少女たちも、馬車が止まったことで戸惑いと不安を感じているようだった。
やがて馬車の後ろの幌が開かれ、そこにはサイモンとベルスターがいた。
彼らにとくに焦った感情が見られないことから、このことは計画通りのことなのだと理解できた。
「降りろ」
そうサイモンに言葉を投げかけられたのは、わたしとプラムの二人だった。
次回「12 クラス分け」となります(^-^)ノ
2019/2/23 追記:文体と多少の表現を変更しました。