16 兄弟の事情
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わたしたちは広間の木を背にした石椅子に腰をかけ、落ち着きを取り戻したエルヴィとケトの話を聞くことになった。
地面に強く額をこすりつけてしまったのか、エルヴィの額は少し赤くなっている。と同時に、切羽詰まった結果、土下座のような真似をしてしまった所為か、頬も少し赤い。
夕陽のおかげでその変化は分かりにくいものだったけど、わたしから見たエルヴィの第一印象は――言っちゃ悪いけど、厚顔無恥に近いものだったから、今の彼の後悔と羞恥を浮かべた顔は……珍しいものを見るかのように自然と視線が吸い寄せられた。
わたし、エルヴィ、ケトの順で座り、真ん中のエルヴィを中心に話が始まる。
「……さっきは悪かったな。年下相手にかなり恰好悪ぃところを見せちまった」
「別に……気にしてないですよ。それよりどうしてあんな真似をしたんですか? わたしに依頼……と言ってましたけど、頭を下げてまでお願いすること、なんですか?」
多分そうなんだろうな、とは分かっているものの、念押しを含めてそう尋ねる。
エルヴィは神妙に頷き、ケトは申し訳なさと困惑半々といった表情をしていた。
「あぁ……」
彼は両膝の上に肘を置き、背中を丸めて手を組んだ。
「俺たちの母さんは……病気なんだ」
「……」
ギリ、と僅かな歯ぎしりが聞こえる。エルヴィの組んだ指先に力が入るのが分かる。ケトも母の様子を思い返したのか、今にも泣きだしそうに目尻を歪めた。
わたしは口を挟まずに続きを待った。
「もう4年以上……病気と闘ってる。薬は王都では普通に売ってないやつで、いつも外から来る行商人が定期的に市場に薬を売り出してたから、それを飲んで母さんは体調を整えてたんだ……」
「そう……」
「母さんは薬を飲んで元気になるわけじゃなかったけど……それでも薬を飲んでいた時はベッドから起き上ってメシを作るぐらいのことはできた。だから、今までずっとその商人から薬を買ってたんだが……」
「もしかして、その行商人に何か、あったの?」
「あった――て言ったらいいのか分かんねえけど……あぁ、行商人自体は無事だぜ。今も普通に市場に顔を出していることがある。……ただ、行商人から例の薬を買えなくなっちまったんだ」
「買えなくなった?」
その単語に昔のクラッツェードの姿が重なる。
あの時は確か――ギルベルダン商会が絡んでいて、商人の囲い込みが行われていて、一般人からの商品の卸しが邪魔されていた背景があったはずだ。
おそらく市場と流通ルートの独占が目的だったっていう話で、それ以外にも土地の買い付けなどを行い、王都にギルベルダン商会の店を手広く建てていこうとしていたとレジストンから聞いていた。
過度な土地売買と建築は王によって制限をかけていたが、特に違法というわけでもないので、今では数店舗、王都の東西南北に既に建てられていた。
今となっては悪い評判は聞かず、取り込んだ商人たちの流通ルートと商品を手に入れたせいか、様々な商品を売り出し、かつ安価ということで平民たちからは人気も高いと聞く。
今回の薬を売りにきた行商人ももしかしたらギルベルダン商会に取り込まれて、自由に自分の采配で商品を売れなくなったのかもしれない。
そう思ったわたしは思い切って聞いてみることにした。
「もしかして、ギルベルダン商会のせい?」
「ギルベルダン商会? ……あぁ、最近、なんか良く聞く名前だよな。でも、そこは何も関係ねーぜ。商会ってのが関わると何で薬が売れなくなることに繋がんのか良く分かんねーけど、その商人が薬を売れなくなったのは、単純に薬を作れなくなったからなんだ」
どうやらギルベルダン商会は関係なかったみたいだ。
あそこはレジストンも樹状組織との関係性を今も探っている。何か動きがあるなら――と思ったけど、今回はハズレだったみたいだ。
「薬を作れる人が怪我をしたの?」
「いや……商人が言うには、薬の材料が採れなくなった、って話だ」
「材料……」
製薬についてはわたしもド素人だ。
多分、材料の名前を聞いたところで、産地も薬効も植生態もチンプンカンプンだ。
「ええっと……んだっけかな。アレだ……あー……」
「コルド地方だよ、お兄ちゃん」
「ああ、そう、それ! コルド地方にある材料が採れなくなっちまって、そんで薬自体が作れなくなったって言ってたな。なんか森ん中に生えている植物の根っこみてぇで、名前だけはちゃんと覚えてる。――『月光草』の根っこだ」
ケトの援護を得て、エルヴィが薬の材料の自生地を教えてくれる。
月光草、ねぇ……うん、やっぱり名前を聞いても全然分からない。
ここら辺に関しては、後で専門家に聞くのが一番いいだろう。
今は月光草のことよりも、何故その月光草が採れなくなってしまったのか、その状況を確認した方がいいだろう。
「その、コルド地方に生えている月光草は、何で採れなくなったのか、その商人から聞いているの?」
「いや、そこは分かんねえ……。他の場所で作れねえのかって聞いたんだが、商人もそこまでは知らないってよ」
「そう、なんだ」
それはまた、どうにもならない話だ。
――コルド地方。
頭の中の地図で検索をかければ、ヒットするのは一件だけ。
ヴァルファラン王国東部…………八王獣が支配する領土の――すぐ隣の地方だ。
国土の中心に位置する王都からは馬車で三週間ほどの距離だと思われる。
なぜ薬の原材料である月光草が採れなくなったのか、それを探るにもあまりにも王都から距離が遠すぎる。
同じ商売に携わる人間で薬を扱う者がいれば、もしかしたら何かしらの情報を持っているかもしれないけど……クラッツェードの件で分かる通り、彼らはギルベルダン商会に既に取り込まれている人たちだ。
そうなればギルベルダン商会に問い合わせることは近道になりそうだけど……それはあまり取りたくない一手だ。
まだ未成年である彼らだけで……コルド地方に行くのは無理だろうし、そもそも具合の悪い母親がいるなら、家をおいそれと離れることも難しいだろう。
もし動けるとしたら――それは家族の大黒柱である父親しかいない。
「……お父さんはどうしているの?」
今まで話題の中に登場しなかった名前を出すと、兄弟は二人して表情に影を落とした。
それだけで彼らの父がどうなったのかを察してしまい、わたしは軽率な言葉をかけてしまったと後悔した。
「――死んだ。二年前に」
「……そう、ごめんなさい」
わたしは彼らの家族のことを深く知っているわけではないし、そもそも彼らとも今日初めて会った仲だ。そんな関係なのに「お気の毒に」だとか気の利いた言葉をかけるのは、どこか上辺だけの取り繕いにしか思えなかったので、わたしはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「いや、いい。済んだことだ……それに、この話をするなら、父さんの死も――話さなくちゃいけないしな」
「え?」
「父さんは……母さんのために薬を作ってる奴に会いにコルドに向かって、その道中で――死んだ。コルド地方行きの大型馬車が途中で賊に襲われたらしくてな……その際に激しく揺れた馬車から投げ出されて――殺されたらしい。そのまま逃げ延びた大型馬車の御者から教えてもらった」
「御者の人は……その、お父さんの知人だったの?」
この世界では、前世や前々世同様、人の生き死にに国が力を大きく割くことはない。
王族や貴族が管理している領土なら治安保持のために調査に動くことは多いが、それ以外の領地間の場所においてはほぼ無法地帯と言っても過言ではない。
つまりそこで誰かが死のうと、その事実を調査し、遺族に伝えたり援助を出したりするような仕組みは無いのだ。だから通常であれば、今回の彼らの父の死は誰に伝わることもなく――ただただ父親が帰ってこないという日々を残った家族は送ることになるはずだった。
そんな中、父親が乗っていた大型馬車の御者が彼らにその死を伝えるということは極めて珍しいと言える。父親と御者が知人でもない限り、わざわざそんな真似をする人はいないだろう。下手をしたら逆恨みされてしまう危険性だってあるのだから。
そう思っての問いかけだったけど、エルヴィは首を振った。
「いや……偶々覚えてただけだったみたいだ。俺らは……父さんが馬車に乗る際に見送りにきてたからな。そこで母さんのためにって話をしながら、父さんとケトが抱き着いていた姿を御者の人が見てたらしい。それでどうしても気になっていて、王都に戻ってきた際に俺らを探して教えてくれたんだ」
「そうなのね」
どうやら御者の人は、純粋に親切な人だったみたいだ。
きっとしばしの別れを惜しみ、母親のために出立する父を見送る兄弟の姿が強く印象に残っていたのだろう。他の乗客がいたであろう大型馬車が、賊に襲われた中で落ちた人一人を優先して足を止めることはまず無いと思う。
そのまま知らぬ存ぜぬを貫くことも可能だったろうに、罪悪感からか仕方なかったのだと事実を飲み込むのではなく、父の死を兄弟たちに知らせたい思いが強くなったのだろう。
人によっては偽善というかもしれないけど、少なくとも何も知らぬまま不安を抱えて生きるよりはマシなはずだ。
ヴァルファラン王国では領地間を移動する大型馬車は、金は御者に支払うも、その道中で起こる事故や賊による被害は自己責任と国で定められている。
領地の治安が良くても、それ以外がまだまだ駄目だという背景から来る取り決めだろう。領地間を移動する大型馬車の運行は国として国内経済を回す上で必要なものだが、その道中を安全なものに固めるには手が回らない。
だったら護衛をつければいいじゃない、と思ってしまうけど、この領地間を行き来する大型馬車は基本的に国営ではなく、民営で行われている。理由は多分……人手不足、なのかな? おそらく手を伸ばしても経営が上手く回らないと判断したか、領地間を行き来するということで、国営の場合だと双方の領地の税収などの整備が大変だとかそういう理由があるのかもしれない。
だから平民が「大馬車組合」なる集まりを結成し、お金を寄せ集めながら重馬を国や貴族から買い、馬車を組み立てて運営しているのだ。
「大馬車組合」がどこまで足を延ばしているのかは知らなかったが、まさか国内最東部のコルド地方まで行き来しているとは驚いた。結構儲けが美味しいと聞くから、欲目を延ばしたのかな?
まあそんな収入が良い事業だから廃れることもないし、領地間を移動したい人も絶えない。主に他領から王都へ、のルートが一番多いと思うけど。
公益所があるから仕事も見つけやすいし、市場で買い物にも困らないもんね、王都。よほどの領地運営をしているところでなければ、誰もが王都に住みたいと思うことだろう。
そういう需要と供給が平民の間で上手く回っている現状だから、国はこれ幸いと特に事業に介入してこない。
人が王都内に密集しすぎると、それはそれで困るけど、王都に王都民以外が住み続けるにはそれなりに日々の出費が必要になるため、金の貯えがある程度溜まると地元に帰る人も多いみたいだ。
だから王都に住民が集中してどこかの領地が過疎化するようなことは……よほどその領地の運営が悪くない限りはないようだ。
逆に人がどんどん少なくなる領地がいる場合は、国から本当に領地運営に問題がないかメスが入る。そういう意味でも「大馬車組合」は国に無くては困る存在なわけだ。
道中の御守はできないけど、道中で起こった問題を「大馬車組合」の所為にする乗客も多々いたため、国が大型馬車で他領に赴く際は「自己責任だ」と釘を打ったのである。
「父さんがいなくなってからは……父さんが残してくれた財産と、俺が公益所で小さな仕事を受けて得た金で、何とか食いつないできた。最近じゃケトが手伝い始めてくれてたな」
そう言って、エルヴィは隣のケトの頭を優しく撫でる。
ケトは話の重さに顔色を暗くしていたけど、兄の手で髪を梳かれ、少し嬉しそうにはにかんだ。
仲のいい兄弟の姿を改めて見て、わたしも少しだけ頬を緩めた。
「公益所で仕事をいくらしたところで、月光草は手に入んねぇ……だから俺は掲示板で常に月光草が絡んだ仕事がねぇか探っていたけど……結局は見つからなかった。受付の奴に聞きゃあ……そもそもコルド地方なんて遠方に関する仕事自体、あまり見ないってな」
「……」
「だったら俺が依頼主になりゃいい……無けりゃ、俺が出せばいいって思った。だからなけなしの貯金を崩して、俺は依頼を出したんだ――クラウンにな」
依頼を出すには、依頼料が発生する。
『第三級分類』ならば、銅貨5枚。
『第二級分類』ならば、銀貨2枚。
『第一級分類』ならば、銀貨10枚を要する。
コルド地方で月光草を採取して薬を用意する、みたいな依頼であれば、場所的な問題も含めて『第一級分類』になるはずだ。つまりクラウンの領域だ。
ということは依頼するだけで銀貨10枚が必要になる。
さらに難易度に見合った報酬も別に用意する必要がある。報酬自体は依頼の受注が無ければ手元に戻ってくるけど、依頼料は戻ってこない仕組みだったはず。
生活に困窮していたはずのエルヴィたちからすれば、それは大金だ。そもそも今日の試験に要した銀貨1枚、二人分で2枚ですら準備するのに大変な金額のはずだ。
「依頼料の銀貨10は……何とか父さんの残した金から出せた。でも報酬はあまり用意できなくて、結局出せたのは……銀貨1枚だけだった」
「それは……」
「はっ、分かってんよ……それがどんだけアホらしい額かってのはな。でも、善意に懸けたんだ。依頼内容には母さんの事情の事も含めて書いた。だから……誰か、誰かが憐れに思って手を差し伸べてくれるんじゃないかって……そう願った。今思えば、笑っちまうほど馬鹿みてぇな願いだけどな」
自嘲気味なエルヴィにわたしは言葉が詰まる。
「それじゃ」
「……ただ誰も見向きしねぇなら、俺も諦めがつく。元々分が悪い話だったからな。だが……奴らは、クラウンは! 掲示板に張り出された俺の依頼を見て、笑いやがったんだ! こんな額しか出せねえ阿呆は救いようがねぇなって――母さんを諦めるのが筋だろって! その糞みてぇな姿を見て決心したよ……こんな奴らに任せられねえ……俺がクラウンになって、自分の力で手に入れるしかねぇってな!」
きっと――彼は諦めがつく、なんて思いつつも、淡い期待を一心に公益所の掲示板近くまで出向いたのだろう。
もしかしたら心優しい誰かが光になってくれるのではないかと。
しかしそこで見た予想以上に醜い言葉に、幼さの残る彼の心は摩耗し、ひび割れてしまったのかもしれない。
「お兄ちゃん……」
「ケトももう10歳だ。公益所での流れも大分慣れてきたからな……俺がクラウンになって、月光草を採りに向かっても、一人でその間の食い繋ぐだけの稼ぎを出すことは可能なはずだ。そう思ってたんだが……な」
「そうだったのね……でも、だったらどうしてケトも受けたの?」
その話であれば、クラウンになるのはエルヴィだけで問題ないはずだ。
その問いにはケトが答えてくれた。
「えっと、やっぱりお兄ちゃんだけに負担をかけたくなかったから……僕もクラウンになれば、助け合えれるかなって思ったし……クラウンの仕事は一度の報酬もいいから、多くの時間、お母さんと一緒にいられるかなって思ったんです」
「……ケト」
心優しい弟は、どこまでも母と兄を案じていた。
難易度は高いけれども、クラウンでの仕事をこなせば確かに平民層であれば、場合によっては一か月ほどは働かなくてもいいことだってある。そうなれば母親と一緒に過ごす時間も増えるだろう。
病人にとって何よりの薬は、家族が傍にいることだ。ケトもそのあたりを心で察しているからこその行動だったのだと思う。
「だが、結果は見ての通り……惨敗だ。まさかあそこまでぶっ飛んだ難しさだとは思ってもいなかったぜ……。あんな奴らがなれるクラウンなら、俺でもって思ってたが……甘かったな。来年になりゃ、俺も成人だ。そうなりゃ俺も無条件でクラウンになれるけど――」
うん、ごめん……。
ついさっきまで、その成人のクラウンに対しての適性試験導入の材料づくりを手伝ってました……。
エルヴィの話がまだ途中なのをいいことに、そのことはそっと胸の内に秘めておくことにする。
「――それじゃ遅いんだ」
「遅い?」
「あぁ……薬が無くなって、もう一年になる。母さんの状態は……あまり良くない。最近じゃ飯も喉に通らないし、夜通し咳き込んでる……母さんには、早くっ……早く薬が必要なんだ! 来年まで呑気に時間潰してる場合じゃねぇんだっ!」
「エルヴィ……」
「もう俺らには銀貨を10枚以上を用意する時間も余裕もねぇ……だから、お前に直接頼もうと思った……。悪かったな……色々と試験中に絡んじまってよ。ケトがなんでか試験前からお前のことを『格好いい女の子』だのと言っていたのが気になって、その上……余裕が無かったのを誤魔化すために、つい突っかかっちまった」
学術試験の時は確かにエルヴィは突っかかり気味だったけど、あれは焦燥感を隠すための強がりが表に出ちゃってたのね……。実技試験じゃ、実際にガダンと手合わせして、あまりに合格が遠いと実感したのかもしれない。
一気に頑張って被っていた余裕という色が抜け落ちてしまっていたから。
「エルヴィ……クラウンはね。一応、取り決めで私的な依頼は受けてはいけないことになっているの。それを許してしまえば、公益所としての仕組みが壊れてしまう危険性があるから」
わたしの言葉を聞いて、彼は勢いよく顔を上げた。
その顔には絶望が漂っており、わたしは思わず眉を下げた。けれど、わたしは別に彼の依頼を断る口実を探っているわけではない。
椅子の横に置いていた布袋を手に取り、それをエルヴィの膝の上にポンと投げた。
「お、わっ……あ、なんだ、こりゃ……」
ずっしりと重みを感じる布袋を両手で受け取り、彼とケトは中身を見て目を見開いた。
「お兄ちゃん、これ……」
「おい、何のつもりだ、これは……」
それはガダンが報酬にくれた貨幣の入った布袋だ。帰りにチラッと覗き見たけど、銀貨10枚はゆうに入っていたはずだ。
「それで明日、公益所に依頼をかけて」
「は、はぁ!? で、でも……これはお前の金だろうがっ!」
「あぶく銭だから、別にいいのです。あと勘違いしないでもらいたいですが……貸すだけです。きちんと依頼にかかった銀貨10枚は返してもらいますよ」
もちろん返済は無利子無期限で構わないけど、そこまで良条件を出すと返って恐縮させてしまうから言わない。
報酬は成功すればどうせわたしの手元に返ってくるから、それでいい。
だから彼から返してもらうのは、依頼料の銀貨10枚だ。
「どうせ行って帰るまでだけでも6週はかかる旅です。それまでに……貴方たちは公益所で貸した銀貨分を稼いでくれればいいです」
とはいったものの、正直無理だと思っている。
『第三級分類』の依頼をいくらこなしても、以前のような草刈みたいな美味しい依頼でも転がって無ければ、銀貨10枚は限りなく遠いゴールのように映るだろう。
普通に考えれば無茶ぶりもいいところ。
けれども無条件で依頼を受けるなんてことは、きっと彼らの中にしこりを残すだろう。だったら大きめの対価をぶつけて、何かに無心に動いてもらうほうが彼らも気が休まるはずだ。
そんな考えが届いたのか、エルヴィとケトは顔を見合わせ、やがて……布袋を握る手を震わせた。
「…………お前、お人好しにも程があんだろ」
「そうですか? 銀貨10枚稼げって、けっこう無茶言っている自覚はあるんですけど……」
「自覚あったのかよ。……へへっ、全く本当に……俺の弟の目は正しかったな」
「お、お兄ちゃん……」
ぐしゃぐしゃにケトの頭を撫ぜ回し、エルヴィはわたしの初めて見る――彼自身の笑顔を浮かべた。
「感謝するぜ。そして……この感謝は銀貨以上の礼でいつか――返させてもらうからな」
「別に無理はしなくても――」
「無理じゃねぇ。俺がそうしたいから、そうするんだ」
「ぼ、僕もっ!」
まだ何も始まっていない。
依頼を受けても、無事、月光草が手に入る保証はないし、問題なく製剤までこぎつけるかも分からない。
けれども目の前の少年二人からは、少なくとも過度な不安は消えつつあった。
それは、出会ったばかりのわたしへの信頼。少なくとも「信じてみよう」と強く思う心を感じた。
「明日、公益所に依頼を出す」
「ええ。あと、明日一緒に会ってもらいたい人がいるから、そうね……ここで明日の朝、待ってもらうことは可能ですか? 依頼は先にかけてもらってて構いませんので」
「会ってもらいたい人? ああ……それは別に構わねえが……」
「そう、良かった」
色々と勝手に決めちゃったけど、まあ大丈夫だよね? 最近、薬草採取もほどほどに暇そうにしているし。
わたしは横に置いていた小箱と丸めた証書を抱え、「それじゃ、また明日ね」と腰を上げ、踵を返す。
そんなわたしの背に「おいっ!」と、学術試験の時のように声をかけられる。
わたしは夕陽を背にした兄弟の姿を振り返って見た。
「ありがとうな、セラフィエル!」
エルヴィは余裕が無かっただけで、元々はこうして素直に御礼が言える子なのかもしれない。
わたしは笑顔で空いた手を小さく振り、その足で公益所前広間を後にした。
2019/2/3 追記:記章の入った小箱と証書を持っている表現が抜けてましたので、修正しました2019/2/26 追記:文体と一部の表現を変更しました