11 試験の終わりは、悪臭と共に
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パァン、と乾いた音と同時に、ガダンは背中を大きく揺らし、二度三度と後方へと蹈鞴を踏んだ。
「ぶっ――ぐ、うぉ……!」
最大出力の<身体強化>で強化されたわたしの蹴りだ。
鍛えられた人間であっても結構な衝撃があるはずだけど……ガダンは左手で鼻から下を覆いながらも倒れることはなかった。
実を言うと、この顔面への蹴りはガダンなら躱し切れないまでも、直撃は避けると思っていた。
……だけに、モロに自分の足の甲が彼の鼻っ面にクリーンヒットしてしまった結果に、わたし自身、少し驚いていた。どうやらわたしの策は予想以上に彼の意表をついた結果になったようだ。
「つっ…………」
そっと左手を顔面から離すと、そこはもう鼻血塗れで真っ赤になっていた。
痛みに眉をしかめながらもガダンはゆっくりと鼻下に血で描かれた髭を蓄えながら、わたしを見た。
わたしはと言うと、ちょっと気まずくなったので、視線を逸らしつつ口を開いた。
「あ、のぅ……だ、大丈夫ですか?」
「……」
周囲の静けさが拍車をかけて重圧になる。
――や、やっぱり怒られる?
そーっと外していた視線を正面に戻し、わたしは上目にガダンの様子を視界に収め――彼が鼻血塗れのまま、豪快に笑みを浮かべたことに目を瞬いた。
「く、くっくっく……ガァーッハッハッハ! こんなに綺麗に貰ったのは久しぶりだぞぉ!」
「え?」
「頭ン中の血が抜けて、丁度いい具合でスッキリしたぜぇ」
わたしの腕四本分はある太い首を鳴らしながら、ガダンは片方の鼻の穴を親指で抑え、思いっきり鼻息を出す。鼻孔を塞いでいた血塊が勢いよく地面に向かって叩きつけられ、もう一つの穴も同様の所作を行った。
周囲で待機していた職員がようやく気を取り直して動き始め、慌てて濡らしたタオルをガダンの元へと運んでくる。
彼はそれを受け取り、乱暴な仕草で顔面を拭き、血塗れのタオルを肩にかける。
――既に鼻血は止まったようだ。
言葉通り、血の気が抜けてサッパリした表情のガダンは、まるで何事も無かったかのように手をパンパンと叩き、号令をかけた。
「よぉーし! これで今日のクラウン試験は終了だぁ! んじゃこれから試験結果を記した木板を配るからな! 各自そいつを受け取り、合格者以外はその足で帰って構わない。合格した奴ぁクラウンの証明を渡すから必ずこの場に残ること。いいなぁ!」
子供たちもガダンの馬鹿でかい声にようやく呆然とした状態から戻り、困惑した面持ちでこちらをチラチラ見つつも、木板を入れた籠を手にした職員の前に一列に並び始める。
木板を貰い、そこに刻まれた文字を見て、項垂れて去っていく子供たちを見送っていると、隣に来たガダン頭上から声をかけてきた。
「あぁ、言うまでもないけど嬢ちゃんは当然、居残りな」
「それは……合格、という意味でいいでしょうか?」
「だから、言うまでもないって言ってんだろ?」
――どうやら無事に、合格したようだ。
実技試験はガダンに一泡吹かせることに成功したので、そっちは概ね大丈夫だと踏んでいたけど、正直、学術試験の方が不安だった。故に確認を挟んだのだが、どうやらそちらも合格ラインを超えていたらしい。
わたしはこっそり安堵のため息を吐いて、子供たちの列が無くなるまで待つことにした。
「おい、嬢ちゃん。待ってる間、暇だろ。こいつでも飲んでな」
「……」
ガダンから差し出されたのは、実技試験前に罰ゲーム的なアレだ。
鼻がひん曲がりそうな異臭を放っていた、宮廷薬剤師特製滋養剤だ。
ガダンはニカッと爽やかに口の端を上げてくるが、まったくもって意味が分からない。
わたしはわたしなりに真面目かつ必死に戦ったんだけど……。
表情筋を駆使して「ちょっと何言ってるのか分かんないんですけど」という意志を全力で浮かべると、ガダンは「おいおい」とおどけ始めた。
それはこっちの台詞である。
「こいつをどういう条件だったら飲むか、実技試験前に説明しただろ? 覚えているか」
「実技試験で全力を出さなかった者が飲むんですよね?」
「おお、覚えてたか。さすが学術試験を満点取るだけあるなぁ」
あ、満点だったんですね。
いかんいかん、ちょっと嬉しくて頬が緩みそうになるもんだから、せっかっくの睨み顔が解けてしまうところだった。
というか、時間にすれば1時間以上前のことをそんなにすぐ忘れる人はいないだろう。どう考えてもわたしをおちょくっているとしか思えない。
わたしは眉にキッと力を込め、頭上のガダンの顔を口を尖らせて睨む。
ガダンが「やべぇ……睨んでるつもりなのか? 全然怖くねぇ。むしろ微笑ましい」とか言うもんだから、わたしは最早どんな表情が有効的なのか迷いが生じて分からなくなる。
とりあえず、会話を続けながら心を落ち着けようと思う。
「……覚えているから疑問なんです。わたしは全力をきちんと出し切ったと自負していますが」
「ほう? へぇ?」
このハゲ……そのツルッツルの頭頂部に悪戯書きでもしてやろうかしら……!
いや、逆にそのハゲスタイルを気に入っているんなら、100人中100人が「似合わない」と笑いを零すようなカツラを接着剤でつけてやるのもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、なんとハゲは小瓶の口を閉めていた布を外してきた。
なんてことをするのだ! と悪態を心中でつきながら、バッと鼻を手で抑える。
わたしは即座に<身体強化>を最小出力まで下げる。
<身体強化>は何事においても便利な能力なんだけど、全身体機能が同時に強化されてしまうのが難点でもある。つまり運動能力を引き上げると、同時に嗅覚も鋭くなってしまうのだ。
普段はあまり気にしていなかったけど、もしかしたら味覚もより敏感になっているかもしれない。
……ん、もしかしてやたらと食べ物の味が質素に感じるのは<身体強化>も一因になってる? 元々味の濃い食事文化を送ってきたというのもあるんだろうけど、それにしてもわたしの「薄味」を感じる感覚は強いものに思えた。
今度、<身体強化>を完全に切って食事をしてみるのもいいかもしれない。
――っと思考が脱線してしまったけど、とにかく、こういった悪臭を前にしては<身体強化>も弱くして、匂いを感じ取る機能も従来のわたしレベルまで下げる他ない。
おかげで<身体強化>で誤魔化していた、試験での疲労感もずっしり肩に圧し掛かってくる。
出来るかどうか分からないけど、もし可能ならこの<身体強化>をさらに使いこなして、一部機能だけ強化できるような調整を実現できれば……と心に決める。
しかし――<身体強化>を弱めても、やはり臭いものは臭い。また血の鼻栓でもしようかな……。
「あの……瓶の蓋を閉じてもらえませんか?」
「今から嬢ちゃんが飲むのにか?」
「……いやがらせですか? イジメですか?」
「…………おぉぅ、嬢ちゃんみたいのが涙目、上目遣いでそういう言葉を口にすると、罪悪感半端なく感じるなぁ。嬢ちゃん、男泣かせな女には育つなよぉ」
今泣かせてるのは、貴方の方です。女泣かせのハゲ!
くぅ、臭いがあまりにも酷くて、思わず涙目になってしまった……恥ずかしい!
「どーも嬢ちゃんは全力を出し切った風に話してるが…………まだ――隠し玉、持ってんだろぅ?」
「……!」
思わず息を飲む。
その言葉で脳裏に即座に過ぎるのは、魔法と操血だが、そのどちらもこの試験では見せていない。
知らないものを知ることができる人間なんて存在しない。
であれば、彼の知識の中で、わたしの行動から読み取れる何かがあった……ということになると思うのだけれど、一応気を付けて行動していたつもりのわたしに何かしらの落ち度があったとは思えない。
思い返しても、引っかかる記憶は無かった。
「こう見えて、俺ぁそれなりに死線を潜り抜けてきた男でなぁ。こう、面と向かって剣を交えりゃ見えてくんのよぉ。相手が手の内を全てさらけ出して、死の物狂いで挑んできてんのか――もしくはまだ何か隠し持ってるのかをな」
「……」
「嬢ちゃんは確かに全力だったな。<身体強化>を使った嬢ちゃんの全力だ。そいつは間違っちゃいない。けれどなぁ……どうにも嬢ちゃんからは余裕を感じるんだよなぁ。仮に<身体強化>による強化攻防だけじゃ勝てない相手が前にいたとしても、それを打開するだけの『何か』があるという……絶対的な余裕がな」
その言葉にわたしは本心から驚き、称賛を送った。
まさか、全力とはいえ命の取り合いにならない模擬剣での試験の中で、それでもわたしに隠し玉があることを短い時間で見抜く慧眼。
ガダンのことを王都ではそれなりに名が知れた男だと認識していたけど……もしかしたら、王都内でも相当上の実力を持つ人なのかもしれない、と評価を変えた。
ただ強いだけなら、おそらくガダンを上回る者も多くいるだろう。
けれど戦いの中で相手の力量を推し量るなど、早々できるものではない。彼は死線を潜り抜けてきた、と言っていたが、まさにその通りなのだろう。
「くっくっく、アタリだろぉ? で、どんな代物を隠してたんだよ、教えてくれ」
「……秘密です」
嘘を言ってもいいが、彼はそれを見抜くだろう。
わたしは隠し玉はあるが、それは話せない、という体で言葉を返した。
「そうかい、まぁいい。そいつは予想通りの回答だからなぁ。だから、ほれ――」
そう言ってガダンは小瓶を差し向けてくる。
「別に手の内を明かせとは言わんから、コイツを飲め。本当の意味での全力――出してなかったんだろぉ?」
「……こんなの飲んだら、わたしの口臭が酷いことになるじゃないですか。うら若き乙女に、誉れある戦士はそんな仕打ちをするんですか?」
「安心しろ。既に俺たちの周囲には悪臭が沁みついてらぁ」
「……」
ふと、わたしは周囲に視線をおくる。
さっきまで近くで列をなしていた試験結果の木板を配る一列が、いつの間にか遠く離れた場所に移動していた。
列の最後尾周辺にいたケトが、遠目にも困ったように苦笑していたのが何よりも大ダメージである。
「ひ、酷い……」
この世界に脱臭剤や芳香剤なんてもの、どこにも無いというのに、この身体にまとわりつく悪臭をどうしたらいいのか。
わたしは絶望感に苛まれているというのに、隣の巨漢は「ハハハハ、分かりやすい奴らだなぁ」と呑気に笑っていやがる。
わたしはこれ以上の被害はまずいと考え、ガダンの手から小瓶を素早く奪い取る。
そして、彼が何か言うよりも先に、その小瓶の中身をグッと飲み干した。
「おぉ?」
「…………これで満足ですか?」
「お、おぉ……中々男らしい飲みっぷりだったぜ」
それは嫌味ですか? 嫌味ですね。
空の小瓶を返すと、彼はその中身を覗き込み「確かに全部飲んでいやがる……」とわたしの顔と交互に何度も確かめていた。
試験に合格したはずなのに、何故か一番被害を被っている気がするのは本当に理不尽である。
一応――口腔内に張った魔法による水で小瓶の中身の滋養剤を包み込み、それを喉奥に押し込めるようにして飲んだので、口の中に臭いは残っていないはずだ。
これは科学特化世界では当たり前のように存在していた「オブラート」と同じ考え方だ。
要は苦い薬も、カプセルで包んでしまえば苦みを感じない、という原理と同様で、わたしの特殊な水に包まれた滋養剤は、舌に直接触れることもなく胃に流し込まれ、あとは体内で勝手に消化・吸収してくれるという流れなわけだ。
ゲップさえしなければ……「ママぁ……あの女の子、とっても息が臭かったの」「しっ、そんなことを言ってはダメよ!」なんて道すがらの親子の会話を耳にすることもないだろう。
あ、でも……この身体に沁みついた臭いがあったか。
くそぅ、このハゲめ……もはや許さん。
「――では、次は貴方の番ですね」
わたしはそれで終わりにするつもりは毛頭なく、笑顔でガダンにそう言った。
ピシ、と初めてガダンの顔が引きつる。
「あ、あぁ? 何を言ってるんだ」
「だって先生……全力、出しておられませんでしたよね?」
わたしはおかしいですわ、といった風に頬に手を当て、首を傾げる。
「それも……試験を受けた子供の数の分だけ」
「…………」
「あら、そう言えばあの滋養剤。今日試験を受けた子供の数の分だけご用意してくださったみたいですね」
「………………」
「ふふ、わたしが一つ飲んでしまったので、一人分だけ不足してしまいますが……まぁいいでしょう。さ、先生。残った全ての瓶を空にしてください」
「待て待て待て待てぇ! 俺はアレだ。試験官だから対象外だ!」
「そんな話は試験前に聞いておりませんよ? 先生はただ……『今回の試験で明らかに全力を出そうとしなかった奴には、合否に関係なく、コイツを飲んでもらう』と仰っただけ。そこに誰は除く、なんて言質は含まれていませんでしたよ? 加えて先生……明らかに全力ではありませんでしたよね?」
ふふふふ、と自分でもびっくりするぐらい冷たい笑いが口から洩れる。
対するガダンは眉をひくつかせて、何とかしてこの場を乗り切ろうなんて考えているのが丸わかりだ。
ジリ……と後ずさるのを見て、わたしはジト目で彼を追う。
「まさか……自分だけ逃げるだなんて思ってませんよね?」
「……お、大人の特権だ」
「そんな自己都合に塗れた特権はそこらの下水にでも放り投げていただきまして、さっさと覚悟を決めてください。なんでしたら、飲まずとも全身で浴びていただく方向でも構いませんよ?」
「んなことしたら、宮廷薬剤師の連中にどんなどやされ方されるか分かったもんじゃねぇ!」
「だったらサクッと飲んで下さい。サクッと」
「いや、不味ぃんだよ、アレ……マジで。飲んだ後、なに食っても味が分からねぇほどに、殺人的なマズさなんだぁ……! ていうか、なんでお前……そんなに平気な顔してんだよ! 普通だったら悶絶していてもおかしくねぇんだぞ!」
「あらあら、うふふ……そんなものをわたしに平然と飲ませようとしていたんですよねぇ?」
「一杯ぐらいなら大丈夫だ! だが二杯以上はマズイっ!」
「だったらさっさとその一杯を飲んで下さい。二杯目以降はその時に考えましょう」
「お、お前、絶対に全部飲ませるつもりだろ! さっきから目が座ってんだよぉ!」
「貴方が引き金を引いたんです。自業自得です」
そんな問答を繰り返しつつ、ジリジリと一進後退を続けるわたしたちだったが、ついにガダンの方が痺れを切らして、出口の方へと踵を返して逃げ出した。
わたしは台車の上にある小瓶を三つほど掴み――<身体強化>を最大出力まで上げる。
――ふふふふふ、逃げられると思うなぁ!
純粋な移動速度に関しては、わたしの方が上であるということは先ほどの試験で既に把握済みである。
かくして、わたしはガダンの背中を蹴り、肩に乗っかって、小瓶の中身を彼の口の中に押し込むという復讐を果たしたわけだけれども……後で聞いた話では、外から見ている分には親子がじゃれ合っているようにしか見えない、微笑ましい光景だったとのこと。
わたしたちはあんなに本気で小瓶を中心に応酬を繰り広げていたというのに……。
身体から匂いが消え、ようやく頭の中が冷静になった時――わたしは頭を抱え、顔から火が出る思いだった。
一緒に試験を受けた子供や、公益所の職員がいる中で、なんたる醜態か。
そんな嫌な思い出と共に刻まれた、わたしのクラウンとしての第一歩を示す、一日であった。
なにかと、一章のハイエロや二章の下水道やらと「匂い」に縁があるセラフィエルさんです……(笑)
2019/2/26 追記:文体と一部の表現を変更しました