第7話 違和感
「すげぇ……」
観客席に座る生徒の誰かがそう呟いた。それも無理はないだろう。二人の前に行われていた一組による模擬戦は、両者共に精霊と契約しておらず、さらにレベッカが戦いを制していたため、魔法を一度も見られなかった。しかし現在模擬戦をしている組は違う。まだ両者が魔法を一発ずつ発動させただけだが、それは同じ学園の生徒のものとは思えないほど強力だ。その地を震わせる一戦にみな目を見開き、拳を握り、汗が流れるのも気にせず夢中になっていた。
「次行きますわよ。烈火!」
エミリは攻撃を知らせてから魔法を放ち、炎が地面を抉りながら走る。それはちょうどエルティナとシェルビアの間を通り、二人を分断した。
「アリア。シェルビアさんは任せましたわよ!」
「……ん。了解」
そう言ってエミリは【赤→白】に着色し、『加速』を使って疾風の如く速さで駆け出す。向かうは一人になったエルティナだ。『烈火』を避けてできた一瞬の隙に、エミリは間合いを詰め、相手の体勢が整う前に右手を強く握って攻撃する。
(速い!)
今の自分の状況では、絶対にかわすことはできない。そう判断したエルティナは身体強化魔法を防御のみに集中させる。これは個人の魔力に大きく左右される魔法だ。一般の生徒の場合、二倍に強化できれば優秀と言える。エルティナは神級の精霊を召喚できるほどの魔力の持ち主なため、三~四倍は可能だった。
「ぐっ!」
腹部に痛烈な一撃が与えられ、苦悶の表情を浮かべながら後方へと飛ばされるエルティナ。いくら防御力を上げても、まともに攻撃を喰らえば痛みを感じるのは当然である。しかしエルティナは困惑していた。なぜなら予想を遥かに上回る激痛が走っていたからである。
(なんで……こんなに痛みが? いつもならここまでのダメージはないはずなのに)
基本的に家の中に引き籠っているエルティナだが、今よりずっと幼い頃よりレオナルドから体術を習っていた。父親は仕事で忙しいため、決して長い時間稽古に励んでいたわけではない。それでも打撃のみの攻防を経験したことにより、多少の痛みには慣れていた。そのため今回も、問題なく戦闘を続行できるよう防御力を調整したが、どうしてかエミリの攻撃を最小限に抑えきれなかったのだ。
「まだまだ戦えますわよねエルティナさん?」
エミリはなかなか起き上がってこないエルティナに質問する。たしかに強烈な一撃を与えはしたが、この程度で戦闘不能になるとは一切思っていない。そしてその考えは正しかった。
「当然ですよ。このくらいで降参なんてするわけないです!」
「さすがですわね。でも次こそは決着をつけさせていただきますわ」
立ち上がったエルティナは、いつでも相手に対応できるよう隙のない戦闘体勢に入る。それに対してエミリは再び『加速』し、距離を少しずつ縮めていった。だがエルティナはそれを許すわけにはいかない。すぐさま魔法を使って迎撃しようと試みる。
「水弾!」
誰もが最初に学ぶ水魔法の内の一つで、よほど苦手でない限り簡単に使いこなせる魔法だ。一つ一つの弾には大した威力はないが、少量の魔力で数十~数百発分も作れるため牽制によく利用される。
「そんなの、かすりもしませんわ!」
「っ!」
『水弾』による弾丸雨飛のなか、エミリは当てられることなく突き進んでいた。その移動速度はたしかに素早いが、一度も当てることができない問題はエルティナの方にもある。普段であれば命中するはずのタイミングで『水弾』を放っても、エミリよりも速く標的地に着弾してしまうのだ。
(やっぱりおかしい。昨日までこんなことは……そうだ、そうだよ。エルティナになってから魔法が上手く使えなくなってるんだ。でも、どうして……)
『水弾』を撃ち続けながら、エルティナは原因を考えていく。すると、ある書物に記載されていた内容がふと頭の中をよぎった。それはエルメスの時によく読んでいた〈基礎魔法学Ⅰ〉について、理解しやすいよう工夫されて書かれた本だ。
(たしか書かれてた内容は……)
まだ胸の膨らみもなく、髪が長くて邪魔という悩みもなかったエルメス時代。そんな頃を早くもどこか懐かしみながら、エルティナは当時の記憶を探っていく。そして、ようやく引き出しの奥から引っ張り出すことに成功した、その内容とはーー
《基本的に女性は男性と比べて体内魔力が少なく、魔法の威力が弱い。その変わり魔力操作の感覚に鋭いため、魔法の発動が速く、また幻術などの精神系統の魔法に抵抗しやすい》
当時はふぅん、そうなんだ。と思うだけの内容だったが、女の子になってしまった今のエルティナは違う。これで先ほどまでの違和感の正体が分かったのだ。
エルティナは今日、エルメスの時と同じ感覚で魔法を使っていた。しかしそれが問題だったのだ。エルティナは女の子の姿をしているだけでなく、特徴まで女性化してしまっていた。そのため体内に備える魔力量の減少で身体強化が低下し、発動時間の短縮が命中率を下げることに繋がっていたのだ。
(原因は分かった。ならあとはーーつ!?)
エルメスのときと違うのであれば、実際に魔法を使い、調整しながら感覚に慣れるしかない。そう思ったエルティナは魔力操作に集中しようとする。だがそれは一足遅かった。
「これでフィニッシュですわ。焔の竜巻!」
エルティナは違和感の対策を考えることに意識が向かいすぎて、一瞬の隙が生まれてしまっていた。当然それを見逃すエミリではない。すかさずエルティナが逃げられない距離まで詰め寄り、高熱を持った嵐を巻き起こした。
一方、エルティナたちと離れた場所で繰り広げる精霊どうしの戦闘は、人間のそれとは次元が違っていた。二人の膨大な魔力のぶつかり合い。それは地面にいくつもの傷痕を作り、大地を震わせ、観客席を守る結界に悲鳴を上げさせていた。
「意外とやるじゃないか」
「……まだこんなものではないはず。私は全力のシェルビアと戦いたい」
「ふん。お前など半分の力もあれば十分倒せる。それに本気であろうがなかろうが、お前に負けたりなどしたら、精霊など辞めてしまっても良いくらいだ」
「じゃあもし私に負けたら、その時からエルティナのパートナーではなくペットとして生きーー」
「たまには本気を出すのも良いかもしれないな! うん、それが良い!」
先ほどまでの自信はなんだったのか。危険な条件を出されれば迷うことなく安全な手段を選ぶシェルビア。特にそれが悪いこととは言わないが、プライドはないのかと問い掛けたくなる。だがアリアはそんなことには興味はなく、純粋に全力の勝負がしたいだけだった。
「こちらから行かせてもらう」
「ふん、良いぞ。いつでも来い」
アリアは全魔力を攻撃に集中させ、それを解放した。広範囲に燃え盛る炎が、斜面を流れ下る火砕流のように高速で距離を縮め、シェルビアを呑み込もうと襲い掛かる。しかしそんな状況でも、シェルビアには慌てた様子はなかった。
「これで私を倒せると思っているのなら、その考えは甘いぞ」
炎の勢いを嘲笑うかのように、容易く進行を封じる水の壁がシェルビアの前に現れる。
「っ!?」
「さて、ペット扱いなど御免なのでな、このまま勝たせてもらうぞ」
余裕の笑みをこぼしながら、シェルビアは水の壁で大津波を起こした。それはアリアの猛火を包み込んで、徐々に押し返し始める。
「……魔力が……足りない」
抵抗を見せるも圧倒的な力の前に為す術なく、アリアは体を持っていかれ流し飛ばされた。
「なっ!? 今のを防がれるなんて……」
驚愕するエミリ。防御魔法を使う余裕すら与えずに魔法を発動したはずなのに、エルティナは自分自身を守りきっているのだから、それも仕方がなかった。
(まさか、わざと隙を作って反撃できるよう誘い込んだんですの!?)
勝利を確信していたエミリは『焔の竜巻』に魔力を注ぎ込め過ぎて、完全に無防備な状態になっていた。決着をつけるなら、エルティナにとって今ほどのチャンスはないだろう。しかし当の本人はーー
(あ、危なかったぁ! いつもなら絶対に間に合わなかったよ。エルティナ凄い!)
術者の四囲を守る水の中。体が反応するよりも早く『水の守り球』という魔法が発動していた。しかし無意識でしたことに対して、驚きと感心の方に思考が行ってしまい反撃に移せない。強いと言ってもまだ学園の生徒だ。場慣れした兵士や冒険者と違い、想定外のことに対応する能力は身に付いていなかった。
「ま、まだ諦めませんわよ!」
拳を握りしめ、エルティナよりも先に攻勢を仕掛ける。その選択しかエミリには残されていないのだ。そんなエミリの必死な表情を見て、ようやくエルティナは自分のすべき行動が何なのかに気づいた。
すぐに『水の守り球』を解除し、エミリの握り拳をかわしながら魔力を集め、そしてーー
「お返しです。水嵐!」
「きゃあああぁぁぁぁ!」
勝負に終止符を打つ渾身の一撃が放たれた。