第5話 学園の案内
ハーバル国の王都リーネス。王城を中心に運河が張り巡らされており、それに沿って住宅が建ち並んでいる。そんな運河に流れる水の上でゆらりゆらりと進む船が、人を乗せて目的地まで向かっていく。毎日数えきれないほどの人々が、誰かに会うために、町の風景を見るために、仕事に向かうために、いろいろな理由で船を利用していた。もちろん人だけではない。王都は他国との貿易が盛んに行われているため、食料や衣服、生活用の魔道具など、あらゆる物が運び込まれている。当然、軍事物資もだ。
そのなかに西から吹く風を追い風に、王都を一周する船が一隻あった。乗組員を合わせておよそ四十人ほどが乗ることのできる船だ。船の上では、子供たちが走り回ってはしゃぎ、女性は日光を直接受けないよう日傘をさしている。平民の男たちは朝から酒を飲んで騒ぎ、貴族の紳士は机上でチェスに興じていた。
どれほどの時間が経ったときだろうか、左手に、五角形の頂点にそれぞれ赤、青、黄、緑、白色の円、その中央に精霊と思われる女性が手を組んで祈っている姿が描かれた紋章のある時計塔があった。離れているため、船からでは塔の先端部分しか見えないが、ある男二人はそれを羨望を込めた思いで眺めている。そして、愉快そうに酒を注ぎながら話を始めた。
「アルセガ学園。やっぱ一度は通ってみてぇよな」
「ああ。今頃儀式をやってるんだろう。羨ましいぜ。俺もあそこの生徒になりてぇーよ」
「でも、俺たちには無理だろうな」
違いないと言って笑い合う。
「そういや聞いたかい? 歴代最年少の生徒の話」
「ああ。十二才だってな。天才ってのは凄いねぇ。その頃の俺なんか魔法書じゃなくて、エロ本に夢中だったってのによ」
「それは今も変わらないだろ」
確かになと、また二人は笑い合い、手に持った木製ジョッキをかこんとぶつけてから一気に飲み干していく。そうしていると、いつの間にか学園が遠くなって、また別の景色が乗船している人々の前に拡がっていった。
学園の建物はいくつかに分けて建てられている。一、二年生の生徒が基礎と応用の授業を受けるための第一、第二校舎。学園を卒業した者だけがなれる専門学院生が学ぶ第三校舎。実践的に魔法を扱うのに使われる闘技場。魔法書だけでなく、小説や絵本などまで取り扱っている図書館。教授や、将来魔法学者を目指す生徒が利用する研究施設。そしてアルセガ学園のシンボルである時計塔。
「……やっぱり近くで見ると迫力がありますね」
「……ええ。この時計塔は学園の関係者だけでなく、王都の人々にとっても誇りであるそうですわ。これほど高くて歴史のある塔は国内ではここしかなく、国外でもなかなか見られないそうですわよ」
「そう……なんですか」
男二人が乾杯していた頃、エルティナたちは時計塔の下に集まり、その建物を見上げていた。二組の教室から出たあと、予定されていた順に学園内を回っていたのだ。その間に息の合った生徒や精霊どうしが愉快そうに話し合い、交流を深めている。しかしエルティナたち四人は違い、どこのグループにも属さず、離れた位置で立ち尽くしていた。
「……楽しそうですね」
「そう……ですわね」
二人は時計塔より遥か彼方の天へと顔を向ける。そこには満目紺青の空が拡がっていた。その鮮やかな藍色は美しく魅力されるが、雲一つない空というのは、どこか物足りない心持ちがしてならない。エルティナとエミリはそんな空を、どこか遠い目で見つめていた。
なぜ彼女たちがこんなことになっているのか。それは第一、第二校舎の後に向かった場所での行動に原因がある。生徒が使う教室と職員室だけの第一、第二校舎は特に説明することもなく、すぐさま次の目的地へと向かった。そして、そこからが問題行動の連続だった。
図書館ではーー
「じゃあ、ここで本を借りるときの説明をーー」
「あ、あれは父さんがまだ早いって読ませてくれなかった精神系統の魔法書! それに向こうにあるのは『アレンとイリナの冒険譚』じゃないですか。しかも最新刊! 人気すぎていつも在庫なしなのに! ゆ、夢ですか!? 夢なら覚める前に読まないと! ちょっと全部読みに行ってきます!」
「ちょ、まだライリー先生が話をしている最中ですわ。まだここで静かにしていないと!」
「手を離してください。すぐそこなんです。すぐそこに、ぼくが読みたかった本たちがあるんです。行かせてください! 本が……本たちがぼくの迎えを待っているんです!」
「あとでちゃんと借りれますわよ! だからーーあっ!」
「そう言われても体が止まらないんです! 今すぐにでも手に取りーーえっ? あああああぁぁぁ!」
ライリーが説明をしている途中、どうしても読みたかった本を見つけて興奮が収まらないエルティナは暴走した。それを止めようとエミリは右手を掴み、両者譲らない引っ張り合いを行う。だが説得を試みていたエミリはつい手を放してしまい、勢いをつけ過ぎたエルティナの体は転がりながら本棚に突っ込んで、数多の書物の下敷きになってしまった。
そして、赤色属性の魔法研究施設ではーー
「ここで行われている魔法研究はーー」
「あ、あ、あれは最近開発された炎の爆破系統の魔法ではないですの! まさかこんな近くで拝見できるとは思っていませんでしたわ! え? あ、あの魔法にあんな使い方が!? これは見ているだけではいられません。すぐにでも試してみないと!」
「ちょ、エミリさん!? ここで許されているのは見学だけですよ! 勝手に魔法なんて使ったら怒られてしまいます。だから我慢してください!」
「力は抑えますから大丈夫です。だから手を放してくださいエルティナさん! 魔力制御に集中できなーーあっ!」
「そんなわけにはいきませんよ! 学園の生徒は決められた場所以外で、無断に魔法を使うのを禁止されーーえっ?」
ドン!!
「「あああぁぁぁぁ!!」」
エミリは赤色属性に分類される炎系統の魔法を非常に好んでいた。そのため目の前で新しい炎魔法の応用実験を見て、落ち着くことなどできなくなったのだ。しかし魔法学校とはいえ、魔法を使用して良い場所や時間は限られている。その校則を破れば、場合によっては罰を与えられるのだ。それを知っているエルティナは止めようとする。しかしその行動によって集中力を欠いたエミリは魔力を暴走させてしまったのだ。ただ、言葉通りに魔力を抑えていたため、エミリとエルティナ以外に被害が出なかったのは不幸中の幸いだった。
また時計塔に向かう道中ではーー
「あ、すみまーー」
「私にふれるなぁー!」
「「「「うわあああぁぁぁぁぁ!」」」」
「「「「きゃああああぁぁぁぁ!」」」」
仲良くなった友達との会話に夢中になり、ある男子生徒が誤ってシェルビアの肩へとぶつかってしまう。それに対して過剰に反応したシェルビアは、クラス全員を巻き込む大津波を起こし、みんなずぶ濡れにされた。
以上の出来事により他の生徒たちから避けられ、友達を作ろうにも話し掛けられなくなったのである。
「……わたくしの学園生活は初日で終わりましたわ」
「ま、まだ決まったわけでは……」
「いえ、これはもう完全に友達作り失敗ですわよ。明日から孤独で寂しい学園生活のスタートですわ……」
「そ、そんなことはないですよ!」
落ち込んだ様子のエミリの発言を、エルティナは全力で否定する。
「エミリさんにはぼくがいるじゃないですか。ぼくとエミリさんはもう友達ですよ! たから落ち込んだりしないで、一緒に学園生活を楽しみましょう!」
「わ、わたくしと友達でいてくれるのですか?」
「当然ですよ。ほとんど引き籠って読書ばかりしていたぼくの、最初の大切な友達がエミリさんです」
「エルティナさん……」
「エミリさん……」
互いに見つめ合う。そして実に哀れで残念な立場の二人の瞳が交わったことで、とても強い友情が芽生えたのだった。
「……なんだこの状況」
「シェルビア、私知ってる。あの二人のような関係のことを百合とーー」
「違いますわよ! というか、アリアはどうしてそんな言葉を知ってるんですの!?」
「そうですよ。そもそもぼくは、おとーー」
怪しい雰囲気をつくり、自分たちだけの世界にいた二人は、アリアの言葉で元に戻る。
「「おと?」」
「いえ、なんでも……ないです」
エルティナが何を言おうとしたのか分からないエミリとアリア。そんな二人と違い、どうして途中で言うのを止めたのか分かっているシェルビアは、ニヤニヤとしながらエルティナのことを見ている。しかし悔しいことに、本当は男だったなどとこの場で言えば大問題になるため、エルティナは自分の精霊を睨み付けることしかできなかった。