第4話 エルティナ
入学式の日には契約の儀式ともうひとつ、学園内の施設を教師が案内することが予定されている。だが生徒全員の儀式を終えてからでは遅くなるため、一、二組は契約の儀式を先に行い、その間に三、四組は担任の教師に校内の説明を受けるというように分けて行動させていた。
既に儀式が始まって三時間ほどが経過している。終わった者たちは、自分の教室でクラスメイトが揃うのを待っていた。ただし、無事に精霊と契約した生徒は楽しそうだが、そうでない生徒は落ち込んでいたり、妬ましそうにしていたりと、その場で暗いオーラを漂わせていた。そんな教室内で、特に男子生徒から注目を浴びる女の子と精霊がいた。少女の年は12~13才頃で、輝く金の髪、つい見惚れてしまうくらい綺麗に整った顔立ちをしている。その隣には近寄りがたいほどの美貌と、まだ少女にはない成熟した女性の妖艶さを持ち合わせていた。どうやらその女子生徒は契約を無事に成功させたようだが、どうしてか教室に入ったときから不機嫌な表情をさせており、誰も声を掛けられないでいる。
そんな少女のことが気になり、近くの男子どうしが「けっこう可愛いな」とか、「まだ幼すぎるだろ」と話し合いを始めていた。その中でも特に話されたのは「あんな女の子いたっけ?」である。いくら契約という重要な儀式を控えていたとはいえ、通う学校に可愛い女子がいるかどうかを気にしてしまうのが男というものだ。すでにお近づきになりたいと思う相手を見つけて、その機会をつくることに必死になっている者も少なからずいる。だからその場の男子生徒たちは不思議でならなかったのだ。一度見れば忘れないはずの少女の姿を誰も記憶に残していないということに。
「可愛いだってよ。良かったな」
「……嬉しくないし」
「誉め言葉じゃないか。少しくらい喜んでも罰は当たらないぞ」
「男に好意的な言葉を言われても気持ちが悪いだけだよシェルビア」
「まぁ、それには私も同意するけどなエルティナ」
シェルビアのパートナーであるその少女はエルティナと呼ばれた。それが今の彼ーーいや彼女の名前のようだ。
(まさか偽名を使う日が来るなんて思ってもなかったよ……)
男として楽しく過ごすエルメスの学園生活は入学初日で崩壊してしまった。その事に女の子になったエルティナはため息をこぼしながら、つい先ほどの出来事を思い出していた。
それはエルメスが女の子の姿に変わり、仮契約を済ませた後のことだ。室内で騒がしくしていた貴族の人々を黙らせた国王リュカは、エルメスが性転換したこと、シェルビアとエルメスが完全に契約をしていないこと、シェルビアが神級であること。この三つに関して箝口令を敷いた。また、儀式は予定どおり進めなければいけないため、放課後ゆっくり話し合うということを伝えていた、その時だ。マリーが突然立ち上がり、「私の娘の名前はエルティナですわ!」と言ったのである。
国王の言葉を遮るなど不敬なことであるが、リュカは気にせず、その名前を使って自分の教室に向かうよう指示を出した。国を治める王が認めたのだ。エルメスの偽名に反対することなどできるわけもなかった。
「……はぁ」
エルティナは今の自分の状況に嘆く。儀式を行った部屋から出ても、試練は続いていた。それは着替えである。学園長が急いで女子用の制服を用意させ、エルティナとシェルビアが仮契約した時に現場にいた女性教師に手伝ってもらったのだ。着なければいけないだろうと心の中では分かっていても、スカートを穿くのだけは抵抗するエルティナ。しかしそれは無駄に終わり、現在シェルビアの横で羞恥心と戦っていた。
「ちょっとよろしくて?」
「え? あ、はい」
すると一人の生徒に声を掛けられ、エルティナはそちらの方へと顔を向ける。そこには目立つ赤髪を持ち、その両側を結んでツインテールにした女子と、頭に角を生やした精霊が立っていた。
「わたくしはエミリ。それでこの子がアリアですわ。よろしく」
「ぼくはエル……ティナと言います。こっちがぼくの精霊のシェルビアです。よろしくお願いします」
お互いの自己紹介を済ませる。そしてその間、エミリは何かを見極めようとシェルビアのことを長く見つめていた。それにエルティナは警戒する。おそらく位階の高さがどれほどか考えているのだろう。シェルビアが神級であることは教えられない。もし可能でも、仮契約と言えど瞬く間に大勢の生徒から注目を集めてしまう。それだけはどうしても避けたいと思うエルティナだった。
「とても強い魔力を感じますわ。確実にアリアより上位ですわね」
「ん。それは間違いない」
アリアが同意する。それによって周囲にいたクラスメイトの数人が驚きの表情を見せていた。原因はアリアの姿にあり、美しい唐紅の髪の生えた頭部には鋭く尖った角、さらにお尻部分には長く頑丈そうな尻尾が緩やかな動作で左右を行き来している。これはその精霊の位階を知るのに十分過ぎるほどで、それを一見しただけで幻獣級であることが判断できるのだ。そしてアリア以上の存在は天使級、或いは神級のどちらかしかいない。そのどちらもが、契約をしたというだけで国内外にまで影響を及ぼすほどの存在だ。
「えっと……」
「あ、すみませんわ。勝手にシェルビアさんのことを詮索して。謝りますわ」
反応に困っているエルティナを見て、すぐさまシェルビアについての言及をやめる。どうやら、相手の気持ちを理解してくれる優しい性格の持ち主らしい。これが他の生徒であれば、シェルビアのことを執拗に聞いてくることもありえるのだ。
「エミリ。悪いのはあの精霊のほう。魔力を抑えずに、まるで自分の力を誇示するかの如く纏わせている。隠す気が全く伝わってこない」
「まさかここで私のせいにされるとは思っていなかったぞ。だが貴様程度の精霊が何を言おうと気にしないし、力を抑える気もない。貴様のような弱い精霊は私の力を羨ましがることしかできないだろうがな」
「魔力が大きいだけの精霊はそうやって自分の力を過信して痛い目に遭うのがお約束。その時どんな顔をするのか、少し楽しみにしながら待ってる」
共に笑みを浮かべているが、殺気にも近い気配を漂わせながら睨み合っていた。
「……わたくしのアリアが申し訳ありませんわ。後でよく言っておきますので」
「いえ、こちらもすみません。シェルビアにはしっかり注意しておきます」
精霊どうしが場の雰囲気を緊張させてしまったことに謝罪する。契約を済ませた以上、人と精霊は無関係ではいられない。当然、パートナーである精霊が相手に迷惑をかければエルティナやエミリにも責任が追及される。
二人は気まずくなりながらも楽しく会話を続けた。ただし、同性と話をしていると思っているエミリと違い、エルティナは顔の表情が強張っていた。一度に色々な問題が起きて、最初は考える余裕がなかったが、会話をしている間に意識してしまったのだ。目の前で話している相手が異性、それも今のエルティナの姿よりも大人びて美人なエミリであることに。もちろん事情を知らないエミリは、そんな理由でエルティナが緊張しているなど気づくこともなかった。
クラスの生徒全員が揃うのには二時間ほど掛かる。その間に、シェルビアとアリアが何度も口喧嘩したり、下心を持った幾人かの男子が話し掛けてきたりと困ったことも起きていた。年上という立場だからか、エミリはエルティナの前に立って近づかせようとはせず、それに不満を言い出す男子だが、これはアリアの睨み付けと、シェルビアの殺気によって黙らせている。
「全員揃ったな」
そうしているうちに、クラスの担任と思われる女性が教室に入ってきた。
「私はライリー・ローメス。この一年二組の担任だ。みんな今日からよろしく。今からゆっくり校内を回りながら、施設に関することを説明していく。今日くらい私語は構わないが、できるだけボリュームは落とすように。分かったか? では行くとしようか」