第31話 仇の決意
クラスメイト達が何気ない話題で盛り上がり、大きな笑い声やドタドタと騒ぐ音が響く教室に入ると、先に登校しているエミリの元に向かい、ぎこちない笑顔で挨拶を交わす。その後どちらも無言になり、進展なく授業が始まる。そして逃げるようにシャルロッテの隣に腰をおろす。最近続いているこの流れが、また今日も繰り返されるのだろう。学園でいつもと変わらない朝が始まったのだ。エルティナは自分のクラスに入るまでそう思っていた。
(……あれ?)
しかしどこを探しても彼女の姿は見当たらなかった。珍しいことだが、少し遅れることは誰にでもあることだ。性格を考慮すれば遅刻をするなど彼女自身が許さないだろうから、鐘が鳴る前にはきっと来るだろう。結論づけたエルティナは、どうやって彼女との会話を繋げようか考えながら待つことにする。その時、意外な人物がエルティナの視界に入り目を大きく開かせた。
「あら、来たわねエルティナ」
「シャルロッテさん!? いつもギリギリ間に合うか、余裕で遅れてくるのにどうしたんですか……まさか頭でも打ったんですか!?」
「あんた失礼ね! たまには早い日だってあるわよ!」
驚いたエルティナはさらに、明日雷が落ちるのではと大げさに騒ぎ続けていた。昨日までこの時間帯には決して姿を現さなかった彼女がいることは、それだけ衝撃の出来事だったようだ。その反応は周りも同じで、「てるてる坊主作らなきゃ」と口にしながら白い紙を集めて作業に取り掛かる生徒までいる。こんな時の団結力はどこよりも高かった。
そのエルティナ達による遠慮のないリアクションに、登校するのが遅いと自分でも認めているシャルロッテさえお怒りだ。彼女は顔を紅潮させながら右手を力強く握りしめた。そして誰も気づけないほどの速さで着色を行い、一言魔法の名称を告げる。その瞬間、一年二組の教室全体が光に包まれ、ゴロゴロと轟音が鳴り響いた。憤怒の雷はエルティナと共に騒いでいた生徒達にも直撃し、髪の爆発した頭がいくつも並んでいた。修行で何度も電撃を喰らって慣れ始めているエルティナとは違い、半分以上の生徒は手足をピクピクさせながら意識を失っている。
「ど、どこに行くん……ですか?」
「散歩!」
頬を膨らませてどこかへと歩いていくシャルロッテは、そう強く返事をすると廊下に出た。彼女は一度振り返ってクラスメイト達の方に視線を移動させると、ギロリと睨み付けてから勢いよくドアを閉める。残された場は先ほどまでの騒々しさが嘘のように、物音一つしない森閑とした空間になっていた。
それから数分と経たないうちに、みなの視線を集めていたドアが何者かによって開かれる。その人物は注目を浴びていることなど意に介さず、目的の生徒ーーエルティナに向かって真っ直ぐ近づいていた。彼女とは直接会話したことがほとんどないため、突然の来訪にエルティナは戸惑っていた。
「たしか……レベッカさん?」
「はい。少しばかり話があるのですが、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
断る理由がなかったエルティナは了承する。だが他の誰かに聞かれては困るということで、二人は人の出入りが滅多にない第一校舎の裏側へと移動することにした。教室から出るとき、女子生徒のなかには「これはもしかして禁断の恋では!?」と瞳を輝かせている者もいたが、レベッカの雰囲気からその可能性は限りなく低いということはエルティナにも分かった。彼女からは恋をしている気配など感じないのだ。もちろん友達すらいなかった十二才の少女は恋愛などしたことがないのだが。
「それで何の用なんです? というかレベッカさんがいるってことは、エミリさんもすでに登校してるんですか?」
「……エミリ様は事情があって屋敷で養生なさっております」
「ど、どういうことですか!?」
予想もつかなかった問いの答えについ大声を上げる。エミリは昨日まで具合が悪そうな様子はなかった。だと言うのになぜ急に身体の調子を崩してしまったのか、エルティナにはそれが理解できず困惑ぎみだった。対してレベッカは無表情を貫き、常に周囲を警戒していた。いつ誰が来てもすぐに話を中断できるように。
「エルティナ様は最近起こっている事件について知っていますか?」
「それって担任の先生が言ってたやつですよね? 学園の生徒が何人か魔物のような何かに襲われたって……まさか!?」
レベッカはそれ以上何も言わなかった。いや、口にできなかったのだ。ドーラ家の娘が襲撃されたという情報が広まるなど、世間からの評判を落とさないことばかり気にかけているエミリの父親が、絶対に許すはずがなかった。貴族の世界では珍しいことではなく、よくある考え方だ。この理由によりレベッカにはエミリについての詳細を言葉で教えることはできず、見舞いに訪れることも許可させられない。そんな権限は持っていなかった。そのため部外者である少女にもう情報は渡せない。だから頷くこともせず、ただ黙ってエルティナのことをジッと見つめていた。それが事件との関係を否定、或いは肯定を意味するかの判断はエルティナにすべて任されていた。そして迷わず肯定と受けとる。でなければ、わざわざ接触など試みないだろう。
「お二人さん、もうすぐ一時間目始まるわよ」
「シャルロッテさん、いつの間に!?」
「ッ!」
とても面倒くさそうな、やる気のない声のする方に顔を向けると、大木の太い枝に座り込んで見下ろしているシャルロッテがいた。彼女がいつからいたのか二人は全く気づけなかった。さすがのレベッカも動揺する。一瞬たりとも注意を怠っていなかったというのに、彼女が近くにいることを察知できなかったのだ。もし敵であれば攻撃を防ぐことは無理だっただろう。しかしそれも無理はなかった。レベッカが優秀であることに間違いはないが、シャルロッテは国のなかでもごく限られた者しか入れない組織の一員なのだ。性格にこそ多少の問題はあるが、実力と経験は一段も二段も上を行っている。
「それで、何の話をしていたのかしら?」
「え、えと……それはですね……」
彼女は頼れる味方だが、この場で教えても良いのか分からず返答に窮していた。
「まぁ、大体の見当はつくわ。どうせエミリのことでしょ?」
「知っていたんですか!?」
シャルロッテはあっさりと答えを正解させる。だが不思議なことではなかった。彼女の役目は護衛だ。学園の生徒が被害に遭っているというのに、その情報を入手していないわけがない。いくら貴族の人間が事実を隠蔽しようとしても、最高位の精霊の召喚者を守る『精霊の盾』の情報力には敵わないのだ。
「だったらなんで教えてくれなかったんですか!?」
「だってあんた絶対、敵討ちするとか言い始めるでしょう。そんなの認められるわけないじゃない」
レベッカが即座に「死んでません」とツッコミを入れるが完全に無視された。
「それに最近は彼女と話もろくにしてないでしょう」
「うっ……」
痛いところを指摘されて、エルティナは何も言い返せなかった。買い物の件から距離ができていたのは確かだ。エミリと仲直りしようにもお互い友達との喧嘩は初めてのことで、関係を戻すための良い方法が思い浮かばず、時間だけが無情に過ぎていった。
「そ、それでもエミリさんはぼくにとって大切な最初の友達なんです。だから黙っていることなんて出来ません。ぼくは必ず仇をとってみせます!」
そう言って固い決意を表明する。再びレベッカは否定のツッコミをするが、同じく無視された。