第20話 緊急事態
商店の建ち並ぶ街路には数えきれないほどの人が行き交っていた。孫のおねだりに勝てない老人や、持ちきれない量の荷物を難なく運ぶ逞しい女性と、その隣で疲れきった顔の夫。商品を安くして欲しいと言いながら露出した肌を見せつける、店の人にとっては嬉しくて迷惑な美女など色々な人々が買い物をしている。そんな者たちから利益を得るために、店側は汗を流しながら呼び寄せの声を上げていた。
少女たちは人に当たらないよう注意しながら、騒がしい街路を歩いていた。エルティナは昔から人混みが苦手だった。引きこもり少女からすれば、大勢の人で密集する場所を通るなど地獄でしかない。唯一、書物の最新刊を買うときのみ商店の並ぶ道に足を運ぶが、その度に一週間分の体力を消費していた。エルティナは体力の無さには自信があった。恐らく、子供と一緒に走っているあのおじいちゃんより無いだろう。というか元気すぎないだろうかあのご老人は、と感心する不健康少女だった。
やはり家で読書をしていた方が良かったのではないか。広場で待っているときにそう思ったエルティナだったが、集合時間少し前にきて、今隣を歩いているエミリを見た瞬間そんな考えはどこかへ消えた。彼女はとにかく綺麗だった。制服もよく似合っていたが、私服姿はさらに美しさが増していた。この数日間、彼女と長い間学園生活を共にしたことで、エミリの隣にいるということに慣れ始めていたエルティナだったが、まるで初めてのときのように緊張が止まらなくなっていた。
エミリの姿に感情が高ぶっているのはエルティナだけではない。女好き精霊でもうお分かりだろう。そうシェルビアだ。彼女はエミリを見ると抱き付こうとしたが、パートナーであるアリアによって遮られていた。そのせいかシェルビアは先ほどから不機嫌そうな様子をしている。なんとかエミリに近寄ろうと策を練っているが、なかなか機会はやってこなかった。全くと言っていいほど隙がないのだ。アリアは一切油断することなく、今もシェルビアを睨み付けてエミリを守っている。そのためシェルビアはエミリに指一本触れることは叶わなかった。しかしそれで諦めるようなシェルビアではない。珍しい品物を見つけるのに夢中なエミリの後方で、変態VS守護者の攻防戦が繰り広げられる。道は広いとはいえ、多くの人が通っている街路でされると迷惑この上なかった。
(連れてくるんじゃなかった……)
エルティナがそう思うのも無理はない。アリアには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。もともと連れてくるつもりはなかったのだ。しかし今ここにいる。しょうがない精霊だなと思いながら、エルティナはしつこい変態精霊を止めにいく。
「エルティナさん。向こうに面白そうなものがありますわよ。一緒にどうです?」
「あ、ぼくも行きたいです!」
しかし迷うことなくエミリの方に振り返った。当然ながら、シェルビアよりも彼女との買い物を楽しむ方が優先だ。エルティナは心の中で、今も必死にシェルビアを相手しているアリアを応援しながら彼女の元へ向かった。
店の前でエミリが興味津々に眺めているものを見てみると、年の若いお兄さんが棒をくるりと回転させ、綿のような白い物を集めていた。そして全て取ると、また器具の中から新しい綿が出てくる。エミリはその不思議な物に好奇心がそそられたようだった。何というものかは分からないが、近くに寄ると甘い香りが鼻腔をくすぐる。もしかすると食べ物なのだろうか。エルティナも気になり、屋台の前に並んだ。
店の人に聞いてみると、売っていた物はわたあめと言うお菓子らしい。二人はそれを買い、試しに食べてみる。すると甘味が一瞬にして口の中で広がり、わたが溶けていった。今まで食べてきた物のどれとも違うその感覚に二人は驚きを隠せない。
「お、美味しいですわ!」
「はい。まさかこんな物があるなんて思ってなかったです。とても不思議で、美味しいですねこれ」
家に引きこもった休日であれば、今日このお菓子を知ることはなかっただろう。それだけでも、慣れない外出をしたことに意味があった。読書の方が好きというのは変わらないが、エルティナはたまに外に出るのも悪くないなと思う。誘ってくれたエミリには感謝だ。
「……なに食べてるの?」
「わたあめですわ。アリアも食べます?」
「……うん」
二人が知らない物を美味しそうに食べているのを見て、アリアがやって来る。彼女は甘い物が大好物で、早く味わいたいといった様子だった。エミリは自分のわたあめをパートナーに分けてあげる。すると、普段はあまり表情を変えないアリアは、クッキーを口にしたときのように幸せそうな笑みをこぼした。彼女のその様子にエミリも嬉しそうだ。と、その時エルティナはあることに気づく。
「そういえばシェルビアは?」
少し前までしつこくエミリに触れようとしていたパートナーの姿が見当たらないのだ。
「……私に邪魔されるから、別の女探してイチャイチャするってどこかに行った」
「連れてくるんじゃなかった……」
先ほどよりもいっそう強くそう思ったエルティナだった。これで本当に声をかけていればナンパ男と一緒である。しかしどこかへ行ってしまったのでは止めることなど不可能だ。エルティナは諦め、エミリとの買い物を続けることにした。
次に向かったのは服屋だった。それもエルティナが立ち寄ることは絶対になかった女性向けのお店だ。エルティナやエミリが今着ているような可愛らしい衣服が並んでいる。既に十分綺麗なエミリだが、他に自分に合う服がないか見に来たらしい。その中にはもちろん下着などもあり、エルティナは視界に入らないよう懸命に努めていた。
「エルティナさん。これとこれとではどちらが似合いますか?」
色々な衣服を見てまわっていたエミリはふと足を止め、ある2着の服を手に持つ。
「え、エミリさんならどちらを着ても十分魅力的ですよ」
考えるのが面倒だからではなく、本当にそう思っていた。だがエミリはエルティナの回答に不満そうな顔をする。その反応にエルティナは困惑した。そこまで気に障るようなことだっただろうか。
「ならアリアはどちらが良いと思いますの?」
「……どっちも良いと思う」
大して変わらない回答だった。精霊アリアは服など着られればそれで良いという考えを持っていた。そのため服のことを尋ねられてもよく分からないというのが正直なところだ。
「二人とも適当過ぎますわ! もっと真剣に考えてくださいませ!」
「し、真剣に答えてますよ」
「……そうそう」
二人の態度に不機嫌になるエミリ。しかし本当にどちらも彼女に似合っているのだから仕方がない。
「もう良いですわ。今度はわたくしがエルティナさんに合う服を選びます」
そう言ってエミリは再び服探しに戻る。エルティナは自分の服などどうでも良かったのだが、エミリはそうではないらしい。同じ女の子になっても心は男のままであるため、よく理解できなかった。
「きっとこれはエルティナさんに似合いますわ。着てみてくださいな」
しばらく悩んでいたエミリは、ようやく気に入ったものがあったのか、それをエルティナに渡した。よほど服選びが楽しいのだろう。すでに不満気な表情はその顔から消えており、少しホッとするエルティナだった。
せっかくエミリが選んでくれたのだ。ここで着ないという選択肢はなかった。店内にある更衣室のカーテンを閉じ、エルティナは着替えを始める。サラが選んでいたものもそうだが、エルメスのときには絶対着たくないと思えるほど無駄に可愛らしい服だ。一度下着姿になったエルティナは、エミリから渡された衣服を着ていった。そして、おかしな所はないか確かめようと更衣室にある鏡を見たときーー
「えっ……」
そこに映っていたのはエルメスだった。