第16話 男子一夜もかけずに魔法を習得する
時計塔から鐘の音が響き渡っていた。五限目の授業開始の合図だ。魔法訓練の授業を予定している一年二組の生徒は闘技場に集まり、鐘の音響に耳を傾けながらライリーが来るのを待っていた。
「更衣室覗きたかった……」
「クッキーもっと食べたかった……」
初めての実践の授業で興奮している生徒たちと違い、力なくしょんぼりしている二人がいた。それはシェルビアとアリアだ。彼女たちからは全く覇気というものを感じられない。てっきりエルティナや他の女子生徒の下着姿を見られると思っていたシェルビアだが、なんとパートナーは既に家で着替えを済ませており、さらにトイレで脱いだ制服を異空間に収納するという離れ業をやってくれたのだ。
(まだ制服を入れるだけで限界だけどね)
エルメスが明日の準備をしていた昨日の夜、少年は非常に重要なことに気付いた。午後の最初に実践の授業があり、動きやすい体操着に着替えなければいけないということだ。そして翌日の朝、少年は愛くるしい少女になってしまっているだろう。そうであれば、とうぜん着替える部屋は女子更衣室になってしまう。しかし心は男の子のままだ。事情があるにしても、クラスの女子の着替えを見るわけにはいかなかった。そのためエルメスは昔読んだ書物に載ってあった、ある高難易度の魔法を習得することに挑戦したのだ。それこそが白属性空間系魔法『異空間収納』である。これは便利な魔法だが、もともと空間系統の魔法を使用するには、空間を操る感覚が必要なため扱える者は少ない。さらに『異空間収納』を使用する際の魔力消費も激しく、よほどの術者でない限り、習得は困難を極めるのだ。
だが今のエルティナはそれを克服し、まだ制服程度の物という制限があるが、しっかりと収納できるようになっている。男の子が決死の覚悟で事に励めば、三日どころか、一夜もかけずに魔法が使えるようになるということだ。
アリアの方は単純に甘いお菓子が食べ足りていないだけだった。予想以上に早いお昼の終了に、満足するまで食べられなかったようだ。食堂を離れてからずっとクッキー、クッキーと連呼しており、それを見兼ねたエミリが「後でお腹いっぱいになるほどの数を用意しますわ。だから今は我慢なさい」と声をかけていた。
「全員いるな? 授業を始めるぞ」
そうしている内に、ようやくライリーが到着した。全員がいるかを確認し、生徒よりもさらに後ろの方に指を向ける。
「あそこに的を用意してある。一人一人順番にあれに向けて魔法を放て。あの的には、私が魔法耐性を付与しているから全力で構わない。遠慮なく放て」
そちらには的と思われる、木材で作られた五つの丸い物体が浮かんでいた。今回はそれに魔法を当てる訓練のようだ。学園の合格者であればそう難しいものではないが、初日ということもあって単純な内容にしたのだろう。
生徒たちは「簡単だぜ」「もっと難しいやつが良いなー」などと私語を始めていた。なかには、「おい、わざと先生に水魔法かけてやろうぜ」などど悪ふざけを考えている者もいる。
「ああ、そうだ。昔、水魔法をわざと女教師に向けて放った不埒な生徒がいてな。そいつどうなったと思う?」
「「「「…………」」」」
「ふふ。あれは良い悲鳴だった……」
「「「「…………」」」」
エルティナ含む男子生徒の顔が青ざめていく。なかでも冗談のつもりで発言していた生徒たちは、遠くから見ても分かるほど顔色が悪くなっていた。
「嫌なら、魔法を使うときは十分気をつけることだ。分かったな?」
「「「「は、はい……」」」」
誰も嫌です、などとは言えなかった。その理由はライリー先生への恐怖だけではない。エルティナ以外の女子生徒から放たれる冷やかな視線を受けながら、己の欲に従おうとするほど馬鹿で勇気のある男はいなかったからである。男子たちはみな精神的ダメージから逃れるため、女子とは明後日の方向に視線を逸らしていた。
「よし。じゃあこれから名前を呼んでいくから、指名された生徒から順に魔法を放っていけ。まず最初はアレス。それから次にーー」
生徒たちは順番が回ってくると、真剣な表情になって訓練に臨んでいた。さすがは学園の合格者だろう。気持ちの切り替えが一般の人よりも早かった。たとえそれが邪な理由であっても、魔法を学びたいという気持ちの強さが合否に繋がっているのだ。
エルティナは自分の名前が呼ばれるまで、クラスメイトの放つ炎や雷などを観察していた。学園の生徒はみな基本ができており、着色するスピードが早く、魔法制御もうまかった。もちろん、クラスでもトップレベルの生徒とそうでない生徒では大きく差が開いているが、それでも見ているだけで学べるものがある。ただ、まだまだ精神的に未熟な者が多く、エルティナに見つめられることで的を外すことがあったが、少女は自分が原因とは露にも思っていなかった。
「次、エミリ! ……止めと言ったら、ちゃんと指示に従うように。分かったな?」
「わ、分かってますわ!」
昨日のこともあり、ライリーは念入りに注意を促した。特に今は他の生徒たちもいるのだ。また暴れられたら堪ったものではない。
「そうだぞ。また暴走すんなよアリア」
「……もうしない」
「本当かよ」
「……ん。だって自分が強いって傲慢な態度にしてたシェルビアが、私にやられそうになって焦ってる顔見れたから。だからもう充分満足してる」
刹那、その言葉をきっかけに喧嘩が始まった。憤怒のシェルビアが殴りかかり、アリアがそれを避けて反撃する、を騒々しく繰り返している。授業中なため迷惑なことだが、生徒たちは巻き込まれたくないことを理由に見て見ぬフリを貫いていた。さらに止める立場のライリーも、午前中の間に止めても無駄と諦めており、後でパートナー二人に授業妨害の反省文書かせるから良いやと思っていた。
「全力で行きますわよ。火球!」
エミリの魔法はクラスでもトップレベルだ。他の生徒よりも一際大きな『火球』が、中央に立つ的に命中し爆発する。
「なっ!」
「ふん。簡単に壊せると思ったら大間違いだぞ」
爆煙が晴れ、見えたのは無傷の的だった。エミリの魔法の威力でさえ傷一つ付けられないとは、さすが学園の教師だろう。実力には自信のあるエミリだが、ライリーとの差はまだまだ大きいようだった。
「やり……ますわね先生。エルティナさん、わたくしの仇をとってくださいませ……」
「は、はい……」
彼女は悔しそうな表情でライバルに意志を託し、静かに退いていった。それを見送ったエルティナは的の前に立ち、ライリーの合図と共に着色を始める。
「無から青へ。すいだーーえっ、うわぁぁ!?」
しかし『水弾』と魔法の名称を言葉にする途中何かがぶつかってきて、的とは全く別の方向へと飛んでいった。
「……ごめん」
「いてて、すまないなエルティナ。押し倒してしまったようだ。……いやこれは攻めるチャンスか?」
「それより重いから早くどいてよ!」
犯人は喧嘩していたシェルビアとアリアの二人だった。喧嘩に夢中で周りが見えなくなり、エルティナと衝突したのだ。小さな体の少女は、精霊二人の体重を合わせた重みに押し潰されそうになっており、とても苦しそうな表情になっていた。それに気付いたアリアはすぐさま離れるが、シェルビアはいつまで経ってもくっついたままだ。
「……おい、私に何か言うことはないのか?」
「え? あ……」
「ん? サービスシーンきたぁ! しかも水で濡れて、薄く下着が見えてる姿とか何のご褒美だ!」
押されて体制を崩しながら放った『水弾』が運悪くライリーに命中してしまったようだ。そのおかげで彼女の上半身がずぶ濡れになり、下着の姿が目に捉えられるようになっていた。それに興奮した様子で喜ぶシェルビア。とにかく相変わらず変態な精霊だった。
「ちょっと黙っててよ変態精霊!!」
エルティナは上に乗りかかるシェルビアを無理矢理退ける。その間にライリーは白属性風系統魔法『乾燥』で濡れた衣服を乾かした。シェルビアは元通りになった衣服に残念そうな顔をするが、ライリーの知ったことではない。
「はぁ、全く。どうしてこう問題を起こすんだお前たちは……」
彼女は心底疲れたという表情で、深いため息をついた。エルティナは謝ろうとするが、事故であることは分かっているためそれを制する。
「ふふ。なんだか面白そうなことしてるんだねライリー」
その時、上空から甘い声が聞こえた。その声の主を知っているのか、ライリーは嫌そうな顔で天を向き、その人物の名前を言葉にする。
「っ! アメリア……来たのか」
「うん、来たんだよ。ライリーを愛するパートナー、精霊アメリアちゃんがね」
そう言って、ふわりと降り立ちライリーの隣に並んだ彼女は、愉快そうにニコリと笑った。
遅いよ! と言われそうですが、
あけましておめでとうございます!