第14話 重たい空気
授業は生徒の自己紹介から入っていた。エルティナが遅刻した時点で数人は既に終わっており、いまは、いかにもガリ勉そうな眼鏡男子がしゃべっている。席は自由で、前に座っている者から順番に名前、得意魔法、趣味などを語っていた。慣れている者は、面白い冗談などを交えてクラスメイトを笑わせ、人見知りな生徒は、無言のなか小声で短かく挨拶を終えていった。エルティナは他人と接することが少なく、自己紹介などは苦手だった。恥ずかしくて、「遅刻者一号シャルロッテ・クレオスよ。よろしく~」などと笑顔で口にしている女子生徒のようにはできない。
さらにエルティナは最後の席に座っていた。そこは自己紹介の場において、とても重要な位置である。絶対に失敗は許されない。もしも無理に笑いをとろうとしてスベることを言えば、微妙な空気のなか授業を受けなければいけなくなる。そんなことになれば後悔という強い念が、エルティナの頭の中を永遠と駆け巡ることになるだろう。きっと、羞恥心と心の痛みで授業どころではなくなるに違いない。それだけは何としても避けなければいけない。エルティナは考えるだけで、緊張と手汗が止まらなくなっていた。
「わたくしの名前はエミリ・ドーラ、そして隣にいるのがわたくしの精霊アリアですわ」
予定に嫌なことが入っている時の、時間の流れは早い。いつの間にかエミリの番まで回ってきており、彼女の紹介が終わればすぐエルティナだ。
「わたくしの得意な魔法は赤属性の炎魔法で、趣味は魔法の実践です。みなさん気軽にエミリと呼んでくださいませ。アリアは無口が多いですが、決して話が嫌いなわけではないので、暇な時にでも話し掛けてあげてくださいな。今日からよろしくですわ。これで以上です」
挨拶が終わると拍手が起こった。そして静まると同時に、その教室にいる全ての人々の視線が、最後の二人に集中する。それにエルティナは怖さを覚えた。一斉に注目を浴びると、恥ずかしさより恐怖の方が強くなるようだ。それは引きこもって人との接触の少なかったエルティナには酷なことだった。そんな少女の隣に座るシェルビアは不機嫌な顔をしていた。理由は単純に、男子生徒の好奇な視線をいくつも感じ取ったからである。
「えっと……ぼくはエルメ、じゃないエルティナ・バークです。それでこっちの精霊が、ぼくのパートナーのシェルビア。得意魔法は青属性の水魔法で、趣味は読書です。シェルビアは……いえ、今日からよろしくお願いします。以上です」
エルティナは深い深呼吸をした後、勇気を振り絞って立ち上がり、他の生徒と変わらない普通の自己紹介をした。しかしシェルビアの紹介は、少しの間考えたものの、良い言葉が見つからず何も言えなかった。それに対して、彼女のことを知りたいと思っていた男子たちは残念そうな表情をした。その中には精霊も含まれている。
(おい! どうして私の紹介で何も言わなかったんだ!?)
(どう言えば良いか分からなかったんだよ! 人間は信用できず、男は嫌いで、姿が女なら構わず体を触ってくる変態精霊ですなんて言える? そんなこと言ったらパートナーのぼくまで、みんなから変質者を見る目を向けられるじゃないか!)
二人は小声でそんなやり取りをしていた。不満気なシェルビアだが、エルティナはこれで正しいと思っていた。事実を述べて、何とも言えない空気を作るくらいであれば、何も言わない方が賢明だと判断したのだ。文句を続けるシェルビアだが、エルティナはそれを無視して席に座ろうとする。しかしその時、ある男子生徒の「もしかして最年少で合格したって子はエルティナちゃんかな?」という疑問の声が聞こえた。
「俺は男子って聞いたぞ」「俺も」「私もー」とその問いに答えていく生徒たち。エルティナは困惑した。彼らの言っていることに間違いはない。確かに契約前までの最年少は男子生徒だったからだ。そう、契約前まではそうだったのだ。しかし今は違う。幼い文学少年は、変態精霊の欲望によって美少女へと性転換させられたのだから。そのため事件現場を見ておらず、箝口令も敷かれている今の状況で、生徒たちが知っているはずがなく、疑問を抱くのも当然の話だった。
ではいったい誰が最年少で合格した天才なのか、という新たな疑問が、生徒間で次第に広がっていった。
「はい静かに。お前たちが気になっている最年少の生徒についてだが、話しておかなければいけないことがある。本当ならば彼、エルメス・バークはこのクラスの一員として授業を受けるはずだったのたが……元から体が弱くてな。試験はなんとか受けられたんだが、あまり症状が良くなく、当分は闘病生活を続けるとのことだ。そうだよな、お姉ちゃん?」
ライリーは確かめるように、そういう設定で構わないな、という視線をエルティナへと送った。どうやら担任である彼女には、学園長が特別に詳細を話しているらしい。それを悟ったエルティナは一度ゆっくりと頷き、ライリーの言葉に合わせる。
「はい。ぼくの弟は、学園に来られないことをとても残念がっていました。でも、もし登校できるようになったら、みなさんどうか仲良くしてあげてください」
エルティナは悲しそうに涙をぬぐうフリをしながら、弟を想う姉の姿を演技した。みなはそれに騙され沈黙する。室内には重たい空気が流れ、生徒たちは何を言えばいいか分からず困り果てていた。男子の中には、あんな小さな女の子が涙を流してるのに、何も言えないのかよ。俺は男失格だ! と自責の念に駆られる者までいた。
「エルティナさん。それは本当……なんですの?」
横に座るエミリが、声を震わせながらエルティナに尋ねた。その目には涙が浮かんでおり、今にも泣き出しそうな顔だ。彼女を見て、エルティナは自分がやり過ぎたことに気づく。こんな重たい空気のなか授業など続けるわけにはいかない。
「あ、いえ、そんな重い病気じゃーー」
「ああ、本当だ。私が昨日エルティナの家に行ったら、ベッドに横になって寝ている子供がいたんだ。それで姉であるエルティナの顔を見ると、お姉ちゃん、ぼく死ぬのかな? って。男嫌いの私でも助けてやりたいと思うほどだった。だというのに……少年のいない時に聞けば、余命があと二年だって言うじゃないか。うう。泣かせてくれるぜ」
「そ、そんな……」
エミリはその残酷な現実(嘘)に目眩がして倒れかけた。アリアが支えなければ床に頭をぶつけていただろう。そしてシェルビアの言葉で、涙を流す者が増加し、教室内の空気は鉛のように重くなっていった。エルティナはここまでするつもりはなかったのだ。しかしシェルビアの嘘によって、もう取り返しのつかない事態まで発展してしまっている。
(シェルビアなんてことを言うんだ!?)
(ざまぁみろ。私を紹介しなかった罰だ。この居た堪れない空気のなか、みんなを騙してしまったことを後悔するがいい。ははは!)
そんなやり取りの最中、シェルビアは肩を小刻みに震わせていた。もちろん泣いているからではない。笑いを必死に堪えていたからだ。彼女に何を言っても、無駄だ。エルティナはこの状況を何とかするため、ある人物に助けを求めてそちらを見た。
「……あ、このチョークもう短くなってるな。新しいのに変えるか」
その人物は顔を合わせないよう下を向き、関係のないチョークばかり気にしていた。ライリーは味方にはなってくれない様子だ。エルティナは裏切られた気分になった。しかし仕方がないのだ。ライリーにもどうすれば良いのか分からなかったのだから。
「え、エルディナざぁん! 神様にお祈りしでいればぎっと弟さんも元気になりますわ。わたくしも毎日じます。他のみんなもです。だから……うう。安心じて弟さんが元気になるのを待ちまじょう! 何かあればすぐに言ってくだざいな。わたくしの持てる全ての力でご助力致しますから!」
滝のように涙を流しながらエルティナに抱きついて、励ましの言葉を送るエミリ。それには他のみなも同意見のようで、うんうん、と深く頷いていた。男子の中には、辛くなったら俺の胸に飛び込んできても良いぞ。と言っている者がいるが、それにはエルティナは何があっても断固拒否であった。
「こ、こほん。全員涙を拭け。彼が来たときに、そんな顔で出迎えたら余計に彼を悲しませてしまうじゃないか。だからみんな、彼と会うときは笑顔でいよう」
さすがにこのままだとエルティナが可哀想だと思ったライリーは、授業を進めたいという思いもあって、ずしりと重い空気を変えるために前向きな言葉を口にする。それもそうだと、賛同した生徒たちは、手やハンカチで涙を拭いた。初日にして、早くも素晴らしい団結力を見せる良いクラスとなっていた。
授業は予定通り進んだが、エルティナはあまり集中できず、内容などほとんど覚えていなかった。気づけば終了の鐘が鳴っており、それと同時に大勢のクラスメイトに囲まれてしまう。みなから励ましの言葉を嫌と言うほど貰い、疲れ果てたエルティナはそのまま机に突っ伏したのであった。
「これじゃエルメスに戻れても……なんでこうなったんだ……」
主にシェルビアのせいである。