第11話 帰宅
「入らないのかエルティナ。ここがお前の家なんだろう?」
「そうなんだけど……サラにどう説明したら良いのか分からなくて……」
エミリと別れ帰宅した二人は、長い間玄関前で立ち尽くしていた。王都を照らす光源は地平線の下に沈みかけ、じきに夜が来る。暗くはない。住宅の玄関外には照明用の魔道具が設置されている。夕日の日差しが届かなくなると自動的に発光し、周囲を明るくするのだ。それは一つが点くと隣の家も少し遅れて光を放つ仕組みになっている。軍の人間が点呼を取るような俊敏さで反応するわけではないが、一つの誤りなく順番通りに明かりが点いていった。魔道具だからこその所業だろう。とても便利だ。しかしその様は人の住む街で起こったことと考えると、あまりに正確すぎて不気味にも思えてしまう。
エルティナの住む家は他の住宅より少しばかり大きい。そのため魔道具は一つだけでなく、庭園の周りにもいくつか設置されている。時がくると庭に生えた草花と玄関までのアプローチに続き、扉前の二人の姿を明るく照らしていった。
「何をそんなに難しい顔をしているんだ? 普通に自分がエルメスだと言えばいいだけだろう」
「それを信じてくれるか分からないから困ってるんじゃないか」
いくらサラでも性別まで変えてしまう精霊がいるなど想像もつかないだろう。性転換する瞬間を実際に見ていなければ、エルティナの言葉を信用しようなど誰も思わない。怪しまれるのが普通だ。性格まで変わったわけではなく、女の子になってもエルメスの時の面影が多少残っているが、それだけではやはり信憑性に欠ける。どれだけ思考を働かせても良い案は出てこなかった。
「サラという精霊の強さは知らないが、お前怖がり過ぎだろう」
「それは仕方ないんだよ。サラは不審者には容赦しないんだ。前に怪しげな宗教団体の人が訪問してきた時なんて話も聞かずに風魔法で吹き飛ばしてたし、その次には冒険者を護衛に連れてきてたけど一瞥しただけで、『風刃』で防具を切り裂いてからまた吹っ飛ばしてたんだからね。とにかく敵と判断すれば鬼と化すんだ」
思い出したのか顔を青ざめながらそんなことを言う。よほど怖かったらしい。だが神級の精霊であるシェルビアにその恐怖は伝わらなかった。それは彼女にとって容易にできることだからだ。そのためエルティナの反応はいまいち理解できない。そして二人が玄関前でそうしていると、突然ガチャリと扉が開かれる。
「あれは彼らが悪意を剥き出しにしていたから吹き飛ばしただけです。それに、もしそうだとしても今のエルメス様のような小さくて可愛らしい少女をゴミ処理場に落としたりなどしませんよ」
「うわああぁぁぁ! サラ!?」
心外だという顔で二人の前に現れたサラ。どうやら中から話を聞いていたらしい。まさか聞かれているとは思っていなかったエルティナは、驚きのあまり近所迷惑な大声を上げる。なぜ目の前の少女がエルメスだと分かったのか疑問に抱く余裕すらないほどだった。
「どうして知っているんだ?」
代わりにシェルビアが聞く。それに対してサラはその精霊の足から上へと視線を動かし、最後に瞳が合わさると威圧的な眼光で睨み付けた。エルメスを勝手に女の子に変えたことを怒っているらしい。だが契約を望んだのはエルメスの方だ。それも知っているサラは怒りを態度に表すも咎めることはしなかった。
「あなたがシェルビア様……。それは二人より前にマリー様とレオナルド様が一時的に帰ってきて儀式の詳細を教えてくださったからです」
「もちろん最初は信じていませんでしたが」そう付け加える。彼女からしても前代未聞のことだから当然だろう。そもそも性別を変える魔法が存在していることすら知らなかったのだ。しかもそれを男嫌いを理由に契約する条件として利用されるなど一体誰が予想できるのか。いくら信頼する二人から聞いた話でも受け入れるのは難しいと言わざるおえない。
「とにかく話は後でゆっくりしましょう。それよりも早く中に入ってください。冬はとうに過ぎましたが、まだ夜になれば冷え込みます。風邪を引く前にどうぞ中に」
「だってよエルティナ。ほら行くぞ」
「え? あ、う、うん」
シェルビアに促され自宅に入る。二人は外と比べられないほど輝く光を全身に浴びた。照明用の魔道具だ。玄関外に設置されている物とは違い手動式だが、光色を何種類かに変えられる機能を持っている。今は全灯だ。
玄関は三畳ほどの広さがある。毎日のようにサラが掃除をしているからか、埃や土などは全く見あたらず綺麗だ。エルティナは靴を脱ぎ、手に持ってから収納スペースに置いた。そして花模様の入った絨毯の上に置かれたスリッパに履き替える。すでにシェルビアの分も用意していたらしい。彼女は面倒だなと思いながら、エルティナと同じように行動した。
「とりあえずエルメス、いえエルティナ様は土で汚れているようなので、お風呂に入ってきてください。着替えは後ほど持っていきます」
「でも、お腹空いたしーー」
「入ってきてください」
「は、はい。分かりました……」
逆らえない。逆らってはいけない。相手にすれば負けるだけ。もう十分理解しているエルティナはグウグウとお腹を盛大に鳴らしながら、逃げるように風呂場へと向かう。家は二階建てだ。二階は主に寝室として使われており、あとは書斎と物置部屋があるだけ。風呂場は今いる一階にある。エルティナが廊下を通って行くとチーズの香りがし始め、料理の最中だったのか。今日はなんだろうなと思いながら風呂場へと続く脱衣室に入っていくのであった。
「あ、そうだった……」
汚れた制服を脱ごうと胸元のボタンに触れた瞬間、エルティナは大事なことを思い出し手を止める。そしてどうするべきであるかを真剣に考え始めていた。こんな重要な件を忘れていたとは、なんと間の抜けた話だろうか。もう少しで躊躇なく自分の体を見てしまう所だった。そう、女の子になってしまったエルティナ自身の体を。
(脱いでも良いのかな? いくら綺麗にするためとは言え異性の体なわけだし見るのは……いやでも自分の体なんだから失礼にあたるわけでもない。それに他人のじゃないから物を投げ飛ばされる危険もない……)
悶々としながら考えに耽る。いまだに周りの人々から小っちゃい子扱いされてはいても、異性を意識するようになる年頃だ。元男として興奮や期待が全くないと言えば嘘になる。だが結局は自分の体なのだ。それに対して感情を高ぶらせるなど異常なことだろう。しかし理性をコントロールするのにも限界があり、胸の高鳴りを抑えることはできなかった。汚れを落とさないのは衛生上良くない。だから服を脱がなければいけないんだ。これは仕方ないことなんだと自分に何度も言い聞かせ、エルティナは結局止めていた手を動かすことにした。
(それに入らなかったらご飯抜きにされて、サラに怒られる。うん、これはもう仕方ないよね)
逃げられない恐怖にはもう遭いたくない。それを理由にボタンを外して脱ぎ始める。しかし教師に着せてもらったものであるためよく分からない。悪戦苦闘しながら、ここはこうするのか。と学びながらなんとか全てを脱ぎきることに成功した。床に乱雑に落とした制服を拾うとした時、エルティナの胸が見え心を乱されるも耐える。そして服は丁寧に畳んで籠に入れた。隣にも一つあり、それにはバスタオルが入れてある。サラが気を利かせて用意したのだろう。これで多少は落ち着いてお風呂に入れるというものだ。だがこれはつまりエルティナが自身の体に興奮を覚えることを分かっていたということだ。嬉しいが、とても恥ずかしい。
風呂場は一人で使うには広すぎるくらいのスペースがあった。エルティナはまず始めにシャワーを浴びた。昨日までの自分のものとは違う体が視界に入らないよう意識しながら、水で汚れを洗い落とす。綺麗になるとバスタオルを巻いて、胸から膝の少し下部分まで隠した。それだけでも緊張感が和らぐ。エルティナは「早く慣れないと。いや、慣れたら慣れたで問題なのでは」そう呟きながら浴槽へと向かった。その時、突然風呂場の扉が開かれる音が響く。
「ようエルティナ。女同士、一緒に入ろうじゃないか」