第95話 辛いと思うけど
広い大海原。その中心で、大きな船がポツンというより、ずどーんと航海中。
いつもの潮風に吹かれ、いつものお茶会を祖国形式で堪能していた、ある日の昼下がり。
いつも通りな毎日の中、彼女は閃いた!
その閃きにより、長年の悩みが今、解消されようとしていた。
「――――そうじゃ。何も五体満足じゃなくてもよいのではないか」
別に欲しい人が幸せであっても、不幸であっても我は構わない。
問題は、我が彼を手に入れれるかどうか。それだけのことなのだ。
「さっ、懐かしの街についたわけだ。お姫様?
……まぁ、そんな恰好だったらこの国がどれだけ前と変わったのか、よくわかると思うぜ」
「……(キッ)!!」
イザラを睨んでみるが、それ以上のことは出来ない。
現在のアンジェは、手錠、足枷をつけられ、猿轡も噛まされ、首には鎖のリードを繋がれて。ボロボロになったドレス、晒される赤い髪、周りを取り囲むように立つ、全身真っ黒に覆った6人の大人たち。
――――まるで、囚人にでもなったかのようだ。
「ねぇ様。……辛いと思うけど、頑張って」
(それ、どういう意味?)
可哀そうなものを見る目でアンジェを見るサキに、そう尋ねたかった。
だが、心の声が届くこともなく。次に口を開いたのは憎い顔を浮かべるイザラ。
「じゃ、俺達は先に城に行っとくわ。
ゆーっくり、久しぶりに城下町見て来いよ」
そう蔑むような態度で言ったあと、イザラとサキは先ほどまで乗っていた馬車に、もう一度乗った。
そのまま馬車はアンジェをおいて出発する。
ジャラ、
馬車の出発とともに、黒い集団が歩きはじめた。
「……ッ!」
鎖のリードに引っ張られるがまま、アンジェは一緒になって歩きだす。
目の前には城下町への入り口。真っ赤な大きな門戸。
まだ、アンジェがアンジェリーナだったとき。
ほぼ城の中で過ごしていたが、週に一度、父の公演のときにだけ外に出れた。
滅多に出れない外だからこそ、城のベランダから見下ろす城下町はそれはそれは賑やかで、美しく、憧れの場所に見えた。
一度でもいい。城下町に遊びにいきたい!!
そう強く思ったが、まぁ、それは過保護な親や大臣たちによって阻止され、まだ実は歩いたこともない。
そんな憧れる場所、城下町を通って今日、懐かしいはずの城へと帰る。
(こんなに酷い格好で……)
ボロボロのドレス。元が白いだけで黒ずみが目立つし、ビリビリに敗れた生地から覗く足からも打ち身が見えている。
(カナリア国は今…………今更、私を連れ戻して何がしたいんだろう?)
昔、捨てたくせに。
十年も経って、わざわざ誘拐して。そして、ここまで酷い仕打ち。
(やっぱり、指示してるのっておじさんなのかな?)
父が失脚してから、次に立った王様。父の弟。アンジェのおじに当たる人。
そこまで考え、少し悲しくなった。
「…………(家族なのに)」
そう見上げた空は、赤い門に目が移らないほど、同じように濃い雲を浮かべていた。
これで雨なんて降ったら、今のアンジェと同じなのにね。
ギギギギィィィィィー
重そうな門が、開いた。
開いた瞬間、見えた城下町の中。
城へと真っ直ぐに続く一本道。
その道に沿って両側に市民が並んで出迎えて……いや、興味深々に見に来ていた。
人々の視線をいっせいに受け、アンジェはそれを視覚と聴覚のみで感じ取る。
感じる。
どれだけ奇異の目で見られているのか。
憧れていた街。
情景に変わりはそんなにない。
変わったのは人々。
昔はそんな目で私を見なかったのに。
変わったのは私の立場と、街の人々の目だけのようだ。
恐る恐る、リードで引っ張られる力に負けて、アンジェは一歩中へ入った。
悲しいが、これが初めての一歩だ。
だが、一歩踏み込んだあと、何だか急にどうでもいい気がしてきた。
何故なら、アンジェの憧れていた街と今の街の雰囲気が違っていたから。
中に入って気がついた。前言撤回。
「…………!!」
あの活気が、全くないじゃないか――――。
所々閉まっている店がある。
市民はただ興味本位で見に来ているかと思えば、中には苦しいそうな、悲しそうな目で私を見ている人がいる。
みんながみんな、昔のように笑っていない。
一人驚いて立ち止まっていると、またリードで先を促された。
仕方なく歩く。歩くがキョロキョロと動く目は止まらない。
今、全神経は目と耳にいっているのだ。必然とばかりにヒソヒソ声が聞こえてくる。
「……おいっ、あいつが“悪魔の子”なんだろう?」
「そうらしいな。ほら見ろ、あんな髪してんだぜ」
気色悪いと少年達が言う。彼らが昔、アンジェを見ていたとしても、それはきっと物ごころつく前だ。そう思われても仕方がない。
「“悪魔の子”か。でも、前王様の子供は皆お亡くなりになられたんじゃ……」
「それが、復活したらしーの。だから、“悪魔の子”なんでしょ?」
同年代辺りの少女たちが眉をひそめてアンジェを見る。彼女たちの中ではきっと、“紅髪が王家の証”などというのはもう教科書の中の話なのだろう。そう認識されても仕方がなく、「死んだ」と記載されているのも当然だ。もう十年も消息不明だったのだから。
主に聞こえてくるのはそんな若い声ばかり。“紅の王家”を知らない世代の声ばかり。
「………………」
大人たちは黙って、同情の目でアンジェを見ている。
決して、アンジェのことについて言わないがそれと同時に、子供たちの口もふさがない。
多分、そこには何かがあるのだろうけど、今のアンジェにはそれを知る気力さえない。
段々と、キョロキョロ世話しなく動いていた目も、前一点だけを見つめるようになった。
何を聞いてもどうでもよく思えてきた。
今、アンジェが怒っても、悲しんでも何も出来ないし、変わらないのだ。
――――それだけ、今のアンジェは非力なのだ。
もう、この繋がれたリードに従うしかないのだ。
「アンジェリーナ様っ!!」
そんな弱りきっているときだった。
城へと続く一本道を歩く一行を、一人の老人が止めた。
その老人は血管が今にもはちきれそうな喉を使って、白く濁った目でアンジェを見つめ、叫んだ。
「あぁ、アンジェリーナ様!
なんて、なんてお姿に。ご無事で何よりなのに……なんて、お可哀想なのでしょう!!」
溢れる涙を惜しみなく流し、アンジェのためにと泣いている。
「おいっ、爺さん止めとけ!」
「どうなってもしらんぞっ!」
そんな老人を何人かの大人が止めに入り、歩道へと無理矢理連れ戻そうとする。
「止めてくれい!!
わしは、わしはどうなってもいい。命なんて残りわずかなんじゃ。
でも、アンジェリーナ様へのこの扱いは許されん!!
アンジェリーナ様は“悪魔の子”なんじゃないわ………………“天使のお子”なのじゃ!!」
老人の最後の一言に、アンジェはハッとした。
周りの人たちの様子も変わり、そこには確かに緊張感が漂った。
「…………貴様、今何と言った」
低くくぐもった声。
静まった辺りの空気によく響く、威圧感。
アンジェを囲んでいた黒い一人が老人に向けて言葉を発したのだ。
対する老人は息をのんで、地面にへたり込んでいた。
もう、その老人を助けようとする大人たちはいない。誰も巻き込まれないようにと、元いた場所に戻っていった。
「…………アンジェリーナ様は“天使のお子”だと言ったのじゃ」
へたり込みながらもそ、堂々と老人はそう言った。
その言葉を聞いて、人々は「バカだなぁ」という目で老人を見て、黒い奴は決めた。
「貴様、罰を受ける覚悟はあるらしいな。
……おいっ、こいつも連れていくぞ」
黒い一人が言うや否や、どこから出してきたのか分からない縄で素早く老人の体を縛る他の黒い奴。
老人は完全に腰を抜かしているものの、見苦しい抵抗は一切しなかった。
あぁ。
この十年。
この十年でカナリア国は――――――私の知らない国になったみたいだね。