第92話 迂闊だなぁ
『アージス。
我が来てやったぞ。
・・・・・・すぐにドアを開けい』
突然の来訪者は、とても図々しい態度であった。
ドアなど自分で開けれるだろう。子供でもできる。
それに、なぜわざわざ王を動かそうとする。それが一番図々しい。
ウィリアムはふとそう思った。まぁ、自分のことは棚に上げて、と。
しかし、自分は一階の部外者である。
王様たちの反応からして、今来ている来訪者と既知の仲のよう。
ならば、あまり気にしない方が・・・・・・と思おうとしたが無理だ。
(王様、そんな反応の仕方見ちゃったら、嫌でも気になっちゃうよ。迂闊だなぁ)
王ならば、いつでもポーカーフェイスで。それ基本。
そんなこと、アージスだって百も承知。
普段ならば仮にも客であるウィリアムの前で、こんな無様な表情を出さない。
だけど、この人の前だけは無理だ。
過去のトラウマ。蘇る、悪魔の頬笑み。罠。
いつでも余裕感じる頼もしい王様が、世界中で一番苦手な人。
・・・・・・いや、父様を入れたら二番目かな?
―――、まぁどちらにしろ厄介なあの人は、厄介な今、やって来たのでした。
ゴトンッ
大きな石でも踏んでしまったのだろうか?
体中に波打った、下から伝わるその揺れがアンジェの目を覚ました。
「・・・う・・・・・・ん?」
目を擦り擦り。
視界はぼやける。思考もぼやける。
でも、確かなことは一つ。
どうやら、自分は何かに乗っているらしい。何かに。
そう言えば、見慣れないところだ。
いつものあの広い自分の部屋でない。
いつものあの無駄に本ばっかりな仕事場でもない。
多分、家の物置よりも狭い空間に自分はいる。
グルッ・・・・・・とまではいかないが、ボーと空間を見渡し・・・・・・、
「よっ、やっと目ぇ覚めたのか」
発見。
危険人物を発見。
起きたての脳ではなく、これは体が勝手に反応した。
武器。残念、持っていない。
即座に切り替え、ひじまで覆う純白の手袋を口で外す。
素手だ。思いっきり力を込めて手をグーの形で、やつの顔面めがけてストレートで、
パシンッ
―――決まらなかった。
アンジェの寝ぼけ眼での渾身の一撃は、見事にイザラの右手によって受け止められた。
それだけじゃない。
イザラはアンジェの拳を受け止めた後、彼女の細い手首を掴み、グッと自身の方へアンジェを引き寄せた。
グラリ。
不安定に動く馬車の中、立ち上がっていたアンジェは引っ張られてもちろんのことながら体制を崩す。
「おいおい、朝から威勢がいいじゃねぇーか。
お姫さまはお姫さまらしく、大人しくしとくのが良いんじゃね?」
「・・・・・・」
キッと睨もうにもアンジェはイザラの胸元で支えられている格好。
無様に見上げることしか出来ない。
「まぁ、もうちょいで着くし・・・・・・何より、姫さんの弟くんがまだご就寝の最中だ。
そのまま静かにしときな」
命令口調にまたもやカチンッ。
しかし、その感情を一先ず置いといて、アンジェはイザラのあるワードに反応した。
『弟』
ふとイザラの隣を見やれば、イザラの肩に頭を預けてスヤスヤと眠る少年の姿が目に入る。
サキ。
自分のotouto、オトウト、おとうと、尾等と、緒等と、弟。
きっと、十年前まで一緒に遊んでいた、仲の良かったあの“弟”。
サキはハッシュル国の王宮内にいた時とは違った色である、自身の髪を馬車の揺れとともに左へ右へと軽く揺らしている。
アンジェと同じ、真っ赤な髪。網膜に焼きつくぐらいの見事な紅。
“弟”
弟よ。
一緒に思い出されるのは、楽しかった日々。幸せだった日々。
あの頃はお母様もお父様もいたね。
だけど。
記憶はそれだけじゃあない。
思い出したくもない悲しいあのとき。さびしいあのとき。
サキと過ごした十年間。
私が“アンジェリーナ姫”だった十年間。
きっと・・・・・・きっとね。
私が“アンジェ・イズ・スーダ”として過ごした後の七年間とを天秤にかけ比べたら―――
「おっ、もうそろそろ国境越えしたんじゃねぇのか?
・・・・・・ほら、姫さんよ。
アンタの懐かしの故郷に帰って来たぜ」
よく眠るサキから目を離し、アンジェは黙って馬車の窓から外を見た。
鬱蒼と生い茂る緑は、まだ景色から減ってはいない。
だけど見覚えのある、あの建物の存在だけはてっぺんだけだがよく目立っていて、嫌でも視界に入った。
十年前よりも、少し小さく見えてしまった気がしたのは何故だろうか?
懐かしのカナリア国の王城。
相も変わらず頂上で揺れているのは、誇り高き国旗。
急に、視界の端が何かでぼやけた。
グニャリと歪んだそれは、すぐにアンジェの視界をシャットダウンさせる。
いつのまにか、アンジェは泣いていたのだ。