第81話 120%だよ
ずっと二人の踊っている様子を見ていた。
流れる音楽が聞こえなくなるほど、二人を見ることに集中していた。
多分、その時の私の瞳には、尊敬や羨望など素直な称賛の気持ちとともに・・・・・・もっと汚い感情が混じっていたと思う。
「何だ?
今更、緊張なんかしてるのか」
ふと、気がついた時にはもうアージスは目の前にいた。
どうやら、婚約者は順番にアージスと踊るようだ。
そこで、自分が急に緊張しはじめたことに気付いた。
サラと同じように、アンジェの手の甲にキスを落とされた瞬間、自分でもわかるように手から顔、体全体に向けて熱が上がっていくのを感じ、そして肩や手足に物凄い力を加えてしまっていた。
そんなアンジェの様子を見て、緊張しているのに気付いたのか。
アージスはそっと耳元で、アンジェにだけ聞こえるように囁いたのだ。
「べ、べつ、べつに、キンチョ―な、なんて・・・・・・」
「いやいや、してないとは言わせないぞ。
だが、今更どうした?
先ほどまでは、あんなに完ぺきに踊っていたのに」
アージスにリードされながらアンジェは人の輪の中心へ。
音楽が始まり、踊り始めてもなお、二人のコソコソとした話しは続く。
「いや、あれはなんというか・・・・・・と、とにかく、あのときみたいにもう笑えないし踊れないと思うよ」
そう言い不安げな顔をしながら、さっそくアージスの足を踏みつけてしまう。
「うっ」という短い声が聞こえたが、当のアージスは何ともないような顔で踊り続けていた。
「ご、ごめん、アージス!」
慌てて謝るアンジェ。
だが、次に踏み出した右足が、またもや何故か床ではなくアージスの足の上を踏みつけてしまっている。
「はぁ。
まぁ、踊りはいい。
お前は習いたてながらによくやっていると思うよ」
そう言いながらアージスはアンジェの下手くそな踊りをそつなくカバーしてくれた。
「しかしな、その顔はダメだ」
アンジェはアージスに感謝しつつ、その指摘に対して言う。
「何で?
笑えっていっても無駄だよ、私、もう今日は『無理矢理笑顔』120%も使いきっちゃったんだから」
「120%って・・・・・・でも、笑った方がいい。
アンジェ、今、お前は一応でも“姫”なんだ。
一国の姫がそんなふくれっ面して、俺と無理矢理踊ってるなんて・・・・・・王としてのメンツが丸潰れだ」
「うっ、それは・・・・・・」
そうだ。
自分の私情で今、アージスに恥をかかせるわけにいかない。
そう思い、アンジェは精一杯の作り笑いをしてアージスに目を向ける。
すると、一瞬、アージスの涼しげだった表情に歪みが生じた。
どうやら、吹き出しそうになったようだ。
「アンジェ、それはやばい。
もっと自然な笑顔を俺は要求したいと思う」
「なっ」
そんなにも自分の作り笑いは酷かったのだろうか。
(これでもダメなら私・・・・・・今、上手く笑う自信がないよ)
アンジェは少し落ち込んでしまう。
だが、そんなアンジェになおアージスは語りかけた。
「アンジェ、俺と踊っていて楽しいか?」
突拍子もない、突然な問いかけ。
「う、うん、もちろん楽しいよ」
先ほどの会話との繋がりが見い出せない中、アンジェは困惑しながらも素直に答える。
楽しい。
今日、色んな貴族と踊ったけれど・・・・・・今、色んな人々に目を向けられている状態でも、アージスと踊る方が気が楽だし、何より楽しいことが事実だ。
アンジェの素直な答えに、アージスも何だか嬉しそうな表情をチラッと見せた。
「それは何よりだ。
俺も楽しいし、嬉しい。
だがな、きっとアンジェがもっと楽しそうに踊ってくれたら、俺ももっと楽しめるだろう。
だって、俺は笑うかわいいアンジェを見たいからな」
そう言いながら、見つめてくるアージス。
「なっ!!」
アンジェは再び、顔が真っ赤になるのを感じた。
だが、何故か先ほどと違って緊張感がない。
次第にアージスの足を踏む回数も、ダンスを踊り間違える回数も減ってきている気がする。
(はぁー、アージスって、何もかもにおいてもリードするの上手いなぁ)
そう思った瞬間から、アンジェのアージスを見る顔に、自然と笑みがこぼれていた。
張りつめていた気がゆるむと、不思議とダンスも楽しくなってきた。
流れる音楽を聴きとる余裕さえも出来ていた。
よくよく聞いてみると、サラの時に流れていたときよりも、ゆったり感を控えめにした、どちらかと言うと賑やか感を押す曲調である。
どうやら、二人の雰囲気の違いに合わせ、曲の選曲も変えているようだ。
(あっ、この曲、そういえば聞いたことあるなぁ。
確か、好奇心旺盛な女の子の物語に合わせた曲だったっけ)
昔、よく母に歌ってもらっていた記憶がある。
“冒険好きな女の子
少し変わった可愛いレディは
右手にティーポットを持ち
左手に箒をもって
レインコートをヒラヒラさせながら
小さな窓から出ていった
彼女は言う
「今日は、いいお天気なの」
彼女は言う
「だから、お日様から逃げなきゃいけないの」
窓から飛び出した彼女は
日向ぼっこしていた猫の足を踏んだ・・・・・・”
アンジェは歌詞を思いだしながら、曲を聞く。
(確か、このあたりで、猫の鳴き声みたいな音が入るんだよね)
パリン ガシャン
(そう、そう・・・・・・こう窓が割れるような・・・・・・・って)
「えっ!?」
アンジェが可笑しいと気付いたときには、もう周囲の人々視線はアンジェとアージスを見ていなかった。
先ほどの音。
あれはけっして猫の鳴き声を表現したものではない。
すでに演奏はストップしており、あの音は、本当に窓が割れる音だったのだ。
会場の奥、城の裏手の森が見える大きなガラスばりの壁の窓が一枚、見事に粉砕していた。
お酒の入った貴族たちも、大きな音にふと我が返ったかのように気を直し、割れた窓を見て察する。
「これは非常事態だ」と。
ゴクリ。
近くから唾を飲み込む音が聞こえてきた。
振り返ってみると、そこには先ほどまでの涼しい笑顔じゃない・・・・・・真剣そのもののアージスが何か紙を手にもち凝視していた。
アンジェはその時になって、やっとその存在に気付いたのだ。
アージスの足元すれすれにささる一本の矢の存在。
鉄製で出来た、太く、いかにも頑丈そうな大きな矢。
きっと、この矢があの大きな窓を割り、そしてアージスの元へその手紙を送り届けてきたのだろう。
その手紙には、侮辱と挑戦・・・・・・大事なものを盗む宣言が書いてあった。
“情けない王様へ
今晩、俺様はあんたの大事なものを奪うだろう。
なぁに、あんたにとって失うのは二度目のことだから大丈夫だって。
それに、もうすぐ、あんたは王座からも引き下ろされることだしな。
まぁ、彼女は俺が生涯大事にしてやるから、たぶん。
じゃ、そういうことで・・・・・・”
質素な紙に、短いメッセージの殴り書き。
差出人は・・・・・・。
アージスが紙を凝視している間にも、変化はあった。
夜の冷ややかな風が入ってくる。
森の気味悪さを一身に受けた大きな割れた窓から、漆黒の者たちを大勢引き連れ、彼は堂々と城へ侵入したのだ。
「はーい。
最強な俺様参上いたしましたよ・・・・・・皆さん、滑稽な慌てっぷりで俺を楽しませてくれ」
差出人は、
“神さえ恐れた男、イザラ様”と書いてあった。
「ふざけやがって」