第79話 なーんだ。
堂々とした足取り。
凛とした振る舞いで、見る者全てを魅了する。
信じられない。
彼女は、本当にさっきまでドレスなんて着たこともないと言っていた娘か?ダンスのステップさえしらないと言っていた女の子か?
よほど、金色の王子の教え方が上手かったのだろう。
・・・・・・いや、彼は彼女が忘れていて、彼女の体が覚えている、本来の彼女のスタイルを引き出したに過ぎない。
ほら、みんな彼女に目を奪われている。
彼女の紅い髪は、視界を染め上げてしまうくらい情熱的な赤で。それでいて彼女の魅力を殺してしまうどころか、ぐっと引き上げている。
“綺麗”であって、“可愛い”幼さも残る。
“アンジェリーナ”
「天使のように可愛い子」の意は、今の彼女にお似合いだよ。
アージスとウィリアム王子に見事に点火された自分のことは自分でも止められなかった。
先ほどまであんなに緊張していたのが嘘みたいに、舞踏会の会場へと堂々と入り、レッドカーペットの上を躓くこともなくスムーズに歩いた。
そして苦手なはずの作り笑いも平気で取り繕い、ダンスだっていろんな人と何回踊っても完ぺきに踊りこなし、楽しいとも思わないかわりに、不思議に嫌だとも思わなかった。
おかしい。
これは、自分じゃない誰かなのではないのか?
そう疑問に思い始めたのは、アンジェがダンスを一通り踊り終えて、自分に設けられた席についた時だった。
おかしいと気付くとともに、さっきまで感じられなかった疲労感が全身を襲い、作り笑いも嫌になったので外した。
はっきり言って、もう帰りたい。
自分はもう十分すぎるほど踊ったし、笑いながら世間話もしたし・・・・・・今までの自分から考えるとへたしたら一生分したのかもしれない。しかも、ノーミスで。
しかし、舞踏会はまだまだ終わる気配がない。
王族や大臣クラスに用意された席ではなく、立食スタイルの他の人たちは今も絶え間なく流れ続いている音楽に合わせて踊っている。その楽しんでいる様子からして、終盤どころか、まだまだこれからといったところか。
「あー、もう疲れちゃったなぁ」
そう小さな声でボソっと言いながら、給仕が注いでくれたジュースを一口。
本来ならお酒を注がれるものだが、アージスの配慮でアンジェのグラスの中身は一見ワインにも見えるぶどうジュースだ。
「ふぅ」と一息ついたアンジェはふと、会場の奥へと目をやった。
そこにはこの城の中で、もっとも大きくて煌びやかな椅子に当然といった風に腰かけているアージスがいる。
アージスはアンジェの視線を受けてもこちらを振り返らない。
いや、視線を向けているのはアンジェに限らず、会場の中にいる色んな人々が彼にチラチラと視線を向けているが、アージスはその誰ひとりとも視線を合わせない。
彼は一つを見るのではなく、会場全体を見ているのだ。
アージスはもういつものアージスではなく、王としてのアージスであった。
「なーんだ。
アージスも王っぽいところあったんだね」
舞踏会が思うほかつまらなかったあてつけに、そんな失礼なことをボソッと言ってみる。
しかし、つまらないことに変化はない。
黙々とジュースを飲みながら、アンジェがボーと人々が踊る姿を見ていると・・・・・・ふと、ある会話が耳に入った。
それは年配の男の貴族同士のたわいのない会話であったが、その中に自分の名前を耳にしたので退屈しのぎに聞いてみることにした。
「あの紅髪のアンジェリーナ様とは一体何者なのか、貴方は知っておりますか?」
「いいや。
私も初めてお目にかかりましたよ。
あんな綺麗な紅髪、一度見たら忘れるはずがないですからな」
「ほぅ、女の情報網ならここいらの貴族の中でも一番の貴方でも知らないときましたか。
いや~、それにしても本当に知りませんでして、びっくりしましたよ」
「えぇ、私もびっくりです。
いつの間に、王はあのような綺麗なお方をサラ様に次ぐ婚約者にしたのやら」
「まったくです。
次の婚約者候補には、ぜひ、我が娘をと思っていましたのに・・・・・・」
「いえいえ。
次の婚約者候補、いえ、后候補には我が娘ですよ・・・・・・」
ん?
おかしい。
どうやら、アージスに娘を嫁がせようと企んでいる様子の貴族たちの会話の中に、変な会話があったような・・・・・・。
「っっっっっっって、私が婚約者っ!?」
びっくりした拍子に、アンジェは席を立ってしまい、そのままの勢いで叫びそうになってしまった口を急いで手で止めた。
幸い、会場は音楽と人々の談笑で賑わっており、誰もアンジェの叫び声を気に留めていない。
まぁ、アンジェの向かいに座っている若い大臣だけが、先ほどのアンジェの行動の一部始終を見ていて、怪訝な顔をしているが。
そんなことを気にしている余裕は、今のアンジェにはない。
外側だけ平常を取り繕い、静かに席に着いてから、チラチラと辺りを見てみた。
すると、自分が座っている席のテーブルの、アージスに近い側にサラが座っていたことに気付いた。
もっと大きく見てみると、大臣たちはテーブルに十二人、若干ギュウギュウに着いているのに対し、対岸の同じ大きさのテーブルには、大きく距離をとった状態でアンジェとサラしか座っていない。
・・・・・・つまり、このテーブル席は、アージスの婚約者用のようだ。
よくよく見れば、アージスの座っている王座に、もっとも近い席ではないか。
「はぁ~」
気付いて。頭を軽く押さえて、一つ長い溜息。
アンジェリーナとやら。
貴方は本当に何者でございますか?
アンジェの疑問は、舞踏会の賑わいにかき消されてしまった。